ビアホールの席を守った酒豪の大使館職員
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
私こと王秀竜、在チェコ中華王朝大使館に務めている身とは申せども一介の事務職員に過ぎません。
そんな私が中華王朝次期女王候補であらせる愛新覚羅翠蘭第一王女殿下から御誉めの御言葉と双龍宝星勲章を賜るに至ったのは、偏に私の特技と体質による物で御座います。
そもそもの事の起こりは、先だって満十八歳のお誕生日を迎えられました愛新覚羅翠蘭王女殿下のプラハへの表敬訪問だったのです。
プラハにいらっしゃった王女殿下にチェコのビールを御召し上がり頂く事で、御忙しい公務を乗り切る鋭気を養って頂きたい。
それは我々在チェコ大使館に務める職員一同の総意なのでした。
厄介極まりない問題が浮上したのは、殿下に御越し頂く予定のビアホールに電話連絡を取ろうとした時だったのです。
「えっ、『何人たりとも、貸し切り予約は不可』で御座いますか…」
受話器を携えた同僚の呆然とした表情は、今でも忘れる事が出来ません。
とはいえ、ビアホールの方を責める訳にもいきません。
何しろ件のビアホールは明清交替の時代から今の場所で営業しているプラハでも屈指の老舗にして、午後三時の開店から客足の絶える事のない人気店なのですからね。
そんな歴史ある人気店ならば、相応の矜持があるのは道理と言えるでしょう。
中華王朝とチェコの末永き友好関係を望む大使館としては、これ以上食い下がる訳にもいきません。
そこで我々大使館職員一同は、ある一計を案じたのです。
「ビアホールの開店と同時に我々大使館職員が席を取り、その席を殿下がお越しになるまで死守し続ける。定期的にビールを注文して飲んでいれば、ビアホールの側も客として無碍には扱わないだろう。」
貸し切りも予約も出来ない以上、それしか残された術は御座いませんね。
それにしても、仕事としてビールを召し上がれるとは何と羨ましい話なのでしょう。
当時の私は、そう甘く考えていたのです。
だからこそ、上司の辞令を受けた時には大いに驚いた物ですよ。
「王秀竜、貴官は相当の酒豪だと聞き及んでいる。この役目、貴官に任せよう。」
「えっ…私が?!」
あまりの事に、今度は私が唖然としてしまったのですよ。
この王秀竜、恥ずかしながら大酒飲みである事は認めざるを得ません。
故郷にいた頃には度数の高い白酒を顔色も変えずに何杯も御代わりしたため、「三国志の時代の蜀漢にいたなら、張飛の良き飲み友達になれただろう」と言われたものでした。
しかし、それはあくまで私生活においての話。
職務として長時間に渡る飲酒など、果たして成し得るのでしょうか?
とはいえ、他の同僚達も交代で同席してくれる手前もあって拒む訳にもいきません。
それに「公務でプラハを訪問された王女殿下に、旬を迎えたチェコのビールを召し上がって頂きたい」という思いは、私も同じなのですから。
こうして私を筆頭とする大使館職員は、殿下が御越しになるまでビアホールで飲み続ける事となったのです。
「う〜む、これは素晴らしい…」
干杯の挨拶もそこそこに飲み干したチェコ産ピルスナーの味わいは、実に見事な物でしたよ。
ホップの風味とほろ苦さの割合が丁度良く、そして何より新鮮で御座います。
そもそも八月に収穫された香り豊かなポップを用いたビールを召し上がれる秋真っ盛りの今時分は、正しくビールの美味しい旬の時期で御座いますからね。
旬を迎えた物を召し上がれるというのは、誠に幸福な事で御座います。
この旬を迎えたチェコのピルスナービールを、是非とも殿下にお召し上がり頂きたい。
そう改めて実感した次第ですよ。
「王秀竜、ピルスナーを楽しまれるのは結構ですが本分を忘れてはなりませんよ。私達の目的は、愛新覚羅翠蘭王女殿下がお越しになるまで席を御守りする事にあるのですからね。」
「はっ、心得ております…」
ところが私に釘を差された先輩職員の方は、早々に酔いが回って退店する羽目になってしまったのです。
其の後も大使館職員が交代で席に着いたのですが、彼等が同僚達に連れ帰られていくのを私は何度となく見守る羽目になったのです。
「王秀竜、よくそんなに飲めますね…貴女、一度も交代せずに飲み続けているのでしょう?」
「王女殿下の御為ならば、これ位は何とも御座いませんよ。この旬を迎えたチェコのピルスナービールを、殿下にも是非ともお召し上がり頂きたい所で御座います。」
そうして既に何度交代したか分からない同僚の呆れ顔に応じながら、私はジョッキのピルスナーを飲み干したのでした。
やがて大統領への表敬訪問を始めとする一連の公務を終えられた王女殿下が侍従達を連れて来店された頃には、既に窓から見えるプラハの町は夕闇に包まれつつあったのです。
「ほう、ここがプラハのビアホールであるか。プラハの民達も楽しんでおるようで何よりじゃ。ここは妾も、与民同楽と洒落込みたい所じゃのう…」
気品に満ちた優雅な微笑で来店された王女殿下で御座いましたが、私の同僚がすっかり赤ら顔になっているのを一瞥するや、怪訝そうにサッと柳眉を潜められたのです。
「これはどうした事じゃ?貴公は我が国の大使館の職員であろう?何故に斯様なまでに泥酔しておるのじゃ?右の者は未だ素面であろうの?妾に事情を説明し給れ。」
「ああ、殿下!恐れながら申し上げますが…」
このまま同僚達が御叱りを受けては一大事。
慌てて拱手の姿勢を取って頭を垂れた私は、殿下に事の一部始終を申し上げたのでした。
「そうであったか…貴公等大使館職員が妾の為に席を守ってくれたのじゃな。特に王秀竜、貴公は他の職員達が交代するのを尻目に開店から今に至るまで席を確保してくれた。誠に大義であったぞ。」
「勿体無い御言葉で御座います、殿下…」
かくしてプラハから紫禁城へ無事に帰城された愛新覚羅翠蘭第一王女殿下より、我が在チェコ中華王朝大使館職員一同へ礼状が下賜されたのです。
そして私に至っては、ビアホールが開店してから殿下の御越しになるまで決して店を離れる事なく席を守り続けた功績を称えられ、双龍宝星勲章を別途頂く事と相成りました。
昔から「芸は身を助ける」とは申しますが、時と場合によっては酒に強い体質もまた役に立つのですね。
とはいえ主君の為に大量の酒を飲んだ事で、今度は「鴻門の会」の史実に擬えられて「女樊噲」と呼ばれる羽目になってしまいましたよ。
光栄と思うべきか、或いは恥じ入るべきか。
その判断は、何とも難しい所で御座います。