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「ジャンヌの転生」の時系列
1431年
5月30日
[ジャンヌ・ダルク、冤罪処刑(史実では19歳没)]... ジャンヌの裁判における大きな問題点として、審理を主導した司教コーションが当時の教会法に従えばジャンヌの裁判への司法権を有していなかったことがあげられる。コーションの審理は、この裁判を開いたイングランドの意向に完全に沿ったものだった。ジャンヌに対する証言の吟味を委任された教会公証人のニコラ・バイイも、ジャンヌを有罪とするに足る証言、証拠を見つけることができなかった。物的証拠も法廷を維持する法的根拠もないままに、ジャンヌの異端審問裁判は開始されたといえる。
さらに教会法で認められていた弁護士をつける権利さえもジャンヌには与えられなかった。公開裁判となった初回の審議でジャンヌは、出席者が自身に敵対する立場(親イングランド、ブルゴーニュ)の者ばかりであり、「親フランスの聖職者」も法廷に出席すべきだと主張した。
5月31日
あるはずのジャンヌの死体らしき物がなくなってる事が判明。執行者ら腰を抜かす。
2034(NF11)年9月8日
ジャンヌ・ダルクと思われる女性が転生。