ねがいごとムルムル
ちょこんとした三つ編みを二つくっつけたメアリーは、パパとママと、北にある街で幸せに暮らしていました。
メアリーはパパとママにめいっぱい愛されて育った、それはそれはかわいい女の子でした。でも、少しわがままなところもあったりして。
この日も、パパにぬいぐるみを買ってほしいと、メアリーは駄々をこねていました。
メアリーが欲しがったのは、ムルムルというくまのぬいぐるみでした。古ぼけた雑貨屋のショウウィンドウでムルムルを見かけたとき、メアリーは甘い電流に撃たれたのです。抱きしめたときの心地よさ、鼻を抜ける優しい花のにおい、そのすべてがメアリーの頭を埋め尽くしました。
でも、ムルムルはショウウィンドウにあるお店の飾り物。売り物ではありません。パパがなんとかメアリーを説得しようとしていると、お店の奥からおばあさんが出てきました。
「おや、お嬢ちゃん。このくまちゃんが欲しいのかい?」
おばあさんはショウウィンドウの中で座っているムルムルを取り出しました。メアリーはりんごのような頬を綻ばせ、頷きました。すると、おばあさんはそのしわだらけの顔をくしゃっとゆがめて、
「じゃあ、かわいいお嬢ちゃんに特別にこの子をプレゼントしてあげよう。ムルムルのこと、大事にしておくれ」
と、ムルムルをメアリーに渡したのです。メアリーはぱあっと、その銀河のような瞳を輝かせました。パパも驚き、何度もお礼を言いました。
「ありがとう、おばあちゃん!」
「いいんだよ、この子は特別なくまちゃんなんだ。お嬢ちゃんのおねがいを、何でも叶えてくれるんだよ」
「おねがいを?」
「そうさ、ただし、おねがいをしすぎてはいけないよ。ムルムルを、大切にしてあげるんだよ」
メアリーには、おばあさんの言っていることがよく分かりませんでした。ただ、ムルムルがとっても素晴らしいくまだと言うことだけは確かでした。
それから、おうちに帰ってもメアリーはムルムルを手放しませんでした。
「おねがいごと、ムルムル。メアリーの、ムルムル」
そんな歌を口ずさみながら。ごはんのときも、歯みがきのときも、もちろん寝るときも、メアリーはムルムルと一緒でした。パパもママも、それをほほえましく見つめていました。
クリスマスの朝、メアリーはいつもより早起きをしました。お部屋に飾ったクリスマスツリーの下、プレゼントをいちはやく見つけるためです。メアリーはすぐにツリーまで駆け寄りました。ピンクのリボンで包まれた大きなプレゼントボックス。メアリーはムルムルを持ったまま、プレゼントボックスをびりびりと破きました。
今年のプレゼントはなんでしょう。ずっと欲しかった着せ替えドールでしょうか。それとも、キラキラ光るジュエリーセット? もしかしたらアイスクリーム屋さんセットかも。
なんて、メアリーは包みの中を見てすぐに肩を落としました。出てきたのは何の面白みもない、新品の本だったのです。もけもけとした手触りの本は、メアリーにより不快感を抱かせました。むすっとしていると、後ろからパパがやって来ました。
「メアリー、気に入ってくれたかい? サンタさんは、メアリーがもっと賢くなるように本をプレゼントしてくれたんだ。よかったじゃないか、うらやましいなぁ。パパも欲しいなぁ」
「こんなの、ちーがうー!」
メアリーはぎゃーっと叫びながら、自分のお部屋に走りました。それからしくしく泣きました。ムルムルをぎゅっと抱きしめながら、お布団の中でしくしくしくしく。
自分はサンタさんにもっと素敵なおもちゃをお願いしたはずなのに。本なんかじゃなくて、もっと素敵な──、
『──泣かないで』
声がしました。メアリーはおずおずと布団から出てきます。でも、メアリー以外には誰もいません。ドアはちゃんと閉まっています。もしかして、と思いました。腕の中の、ぬいぐるみに目を落とします。
『そうだよ、ぼく、ムルムルだよ』
ムルムルです。ムルムルが喋っているのです。メアリーは、おばあさんが言っていたことを思い出しました。ムルムルは、おねがいを叶えてくれる特別なくまちゃんだと。メアリーは、ごくんと唾を飲み込みました。
「ムルムル、あの……おねがい、きいてくれる?」
『いいよ、メアリーのおねがいなら、なんでも叶えてあげる』
「じゃあねじゃあね、メアリーおもちゃがほしいの! おひめさまみたいな、きせかえのドール! きらきらの髪で、とーってもかわいいのがほしいの!」
『うん、わかったよ。メアリー、目を閉じて』
「はあい」
『ワン、ツー、スリー!』
ぼふんっ!
「わあぁ!」
目を開けると、見るも美しい金髪のお人形がメアリーの膝に乗っていました。着せ替えのお洋服まで、何着か側にあります。ムルムルは、本当におねがいを叶えてくれたのです。
「ありがとう! すごーい! かわいいドールだあ!」
メアリーはベッドの上でばふばふと跳ねました。たった一つのドールが、彼女のクリスマスを最高のものへと変えたのです。だから、はしゃぐメアリーは気付きませんでした。ムルムルの腕が、なぜか千切れてどこかへ行ってしまったことにも。
『メアリーがよろこんでくれて、ムルムルもうれしいな』
「ありがとう! だいすき、ムルムル!」
メアリーはその日から、味をしめたようにムルムルにおねがいをしました。
欲しいおもちゃがあったら、すぐにムルムルにおねがいしました。ケーキが食べたいときも、ムルムルにお願いしたらすぐに出してくれました。嫌いなマラソンがあっても、雨を降らせてくれました。そのたびに欠けていくムルムルを見ても、メアリーはさして何も思いませんでした。
メアリーは幸せに、わがままに育っていきました。
「おねがいごと、ムルムル。メアリーの、ムルムル」
気付いたときには、ムルムルはもう頭と首しか残っていませんでした。腕は千切れ、脚もほつれてどこかへ行ってしまいました。メアリーはその姿に、ぎゅっとムルムルを抱きしめます。
「ムルムル、いやだよう。いやだよう、おてて、どこに行っちゃったの? あんよは、どこにいっちゃったの?」
痛々しい姿のムルムルは、何も言いません。メアリーは、はっとしたのです。ムルムルがねがいごとを叶えてくれた後、その手や脚が必ず千切れていました。ムルムルは自分の身体を失う代わりに、メアリーのおねがいを叶えてくれていたのです。
メアリーはムルムルを抱きしめたまま、泣きました。ずっとずっと泣きました。えんえん泣きました。そして思い出したのです、おばあさんに言われたことを。
『ムルムルを、大切にしてあげるんだよ』
メアリーは泣きながら、ボロボロになったムルムルを撫でました。つぶらな黒色の瞳は、メアリーを見つめています。
「ムルムル、おねがい。これが、最後のおねがいだから、メアリーの最後のおねがい、かなえてよぉ」
メアリーはぽろぽろと大粒の涙を零しました。愛らしい頬を、あたたかい雫が濡らします。それは残らず、ムルムルに落ちていきました。
「ねえ、ムルムル。もうなんにもいらないから、メアリーわがまましないから、ムルムルをもとにもどして! ずっと前の、かわいいわたしのムルムルにもどして、おねがい! おねがい!」
『泣かないで、メアリー』
「ムルムル?」
あたたかい、声でした。確かに、ムルムルから聴こえてきます。
『メアリーのおねがいごと、最後のおねがいごと、ムルムルが叶えてあげる』
「ほんと!? じゃあ、じゃあムルムルは元気になって、メアリーと、ずっと、ずーっといっしょにいれる?」
『うん、おねがいごとしてくれてありがとう、メアリー』
おねがいごと、ムルムル。メアリーの、ムルムル。
かわいい、メアリー。愛され、メアリー。
おねがいごと、ムルムル。メアリーの、ムルムル。
わがままな、メアリー。だいすき、メアリー。
おねがいごと、ムルムル。メアリーの、ムルムル。
ずーっと、いっしょ。これで、ずーっと。
『メアリー、見て。ムルムル、元気になったよ』
ムルムルはそう言って、メアリーの前でくるりと回って見せました。新しい五本の指を何度かグーパーして、気に入ったように笑っています。すこし不格好かもしれませんが、その小さな手は、とても幸せなあたたかさに恵まれていました。
ムルムルはスラリとした足で立ち上がり、ぎゅっとメアリーを抱きしめました。お花の匂いが、いやというほど立ち込めます。
『これでずーっと、ずーっと一緒だね。メアリー』
おねがい、メアリー。ムルムルの、メアリー。
そんな歌声が、冬の暖炉のそばで、いつまでもいつまでも響いていました。