11
頭がくらくらする。
何が起こったのかわからずに、わたしは呆然としながら席に座った。
「夏目さん、大丈夫ですの?」
「あ、うん」
桂川さんがわたしに「ミルクと砂糖をたっぷりいれておきました」と言って珈琲を渡してくれる。
一口飲むと甘さが口の中に広がって、ほっと一息を入れることが出来た。
「ムリして話し合いに出ることないから」
佐藤さんがわたしの背中をさすりながら言う。
「だ、だい、じょうぶ、一人でいる方が不安だし……」
桂川さんと佐藤さんの心配そうな視線にもう一度心もち力強く「大丈夫」と告げる。
そうだ、惚けてる場合じゃない。
しっかりしなくては、背中を伸ばして座りなおすと、廊下からほかのみんなが連れ立ってやってきた。
みんなの顔はさすがに険しい。
「平気か?」
近原くんに尋ねられて頷く。
「本当に? 無理しないでいいよ」
「うぅん、大丈夫」
友呂岐くんはまだ心配そうだったけど、言葉を飲み込み席に着く。
そしてみんなが席に着いたのを見計らって近原くんが口火を切った。
「それじゃあ、悪いけど、夏目、利波を発見した経緯を説明してくれ」
利波くんが死んだ。
そして第一発見者はわたしだった。
「利波くんに呼び出されていたの。その今夜の打ち合わせの前に話があるからって。えっとメモをもらって」
「いつ?」
鈴白くんは今日もホワイトボードの前に立って話をまとめてくれている。
「えっと、今日のお昼、おにぎりを作ってた時」
「あたしが具材取りに行った時?」
「あぁ、そう」
頷くと佐藤さんは眉根を寄せた。
「なんか利波の様子がおかしい気がしてたんだよね」
「メモには、何の用か書いてなかったの?」
久住さんの問いにわたしはもらったメモ用紙を取り出して机の上に置いた。
「時間と場所だけしか書かれてなかったから……」
「うーん、用ってなんだろ?」
「普通に考えたら告白じゃない?」
友呂岐くんが言うと、久住さんは否定的に「えー」と漏らす。
「いや夏目サンがモテないとか言いたいんじゃなくて、こんな時に告白なんてする?」
「確かにそうね。あまりにもデリカシーがないわね」
智恵美も頷く。
「いや、こういう時だからこそ、想いを伝えておこうと思ったのかもよ?」
「あり得るかもしれませんわね。わたくしの所感ですけれど利波さんは美貴子さんの事件後夏目さんに話しかけることが多くなっていたように思えますもの」
確かに言われてみればそうかもしれない。
「夏目的にはどうなんだよ? 好意を持たれてるって感じたのか?」
難しい質問を近原くんが投げかけてくる。
「うぅん……そんな感じはしなかった、かな? たぶん」
「利波が夏目サンに好意ね……ワタシは無いと思うな」
久住さんはやたらとはっきりと言う。
「根拠は?」
鈴白くんが尋ねる。
「いや、だって利波が好きなのは智恵美サンの方だもの」
「え、私?」
智恵美が驚きに目を瞠る。
「そうそう、好きっていうか崇拝? 心棒者ってやつ?」
久住さんは肩を竦めながら続ける「アイツがおじょーさまの小間使いみたいなことをやってたのも智恵美さんの仕事? を減らすためみたいなとこあったしね。まあワタシとアイツは同じ付き人仲間だったからそういうのわかるのよね」
「利波くんが……そう」
智恵美は悲し気に目を伏せる。自分の為に、自分の知らないところで、何かをしてくれていた人はもうこの世にはいないのだ。もうお礼を言うことも出来ない。
「だから、利波が夏目サンに愛の告白ってのは無いと思う。他のことで呼び出したんだと思う」
「他の事か……夏目ちゃん何か心当たりある?」
「え、無いよ」
わたしは首を振る。
「桂川が言った蝶ヶ崎殺害後に利波が付きまとい始めたってのがヒントになるんじゃないの?」
佐藤さんが言うが、付きまといは利波くんに失礼だと思う。
「利波が、蝶ヶ崎の殺しについて何か夏目に言いたいもしくは聞きたい事があったってことか?」
「そう、かな。それが何かはわからないけど。でもさ、そう考えると納得いかない? 利波の死にざまについても」
佐藤さんはみんなを見回してから口を開いた。
「あたしはさ、利波が蝶ヶ崎を殺害したと思ってる。んで、なにか不都合があってそれを夏目に知られて、夏目を殺そうと呼び出したんじゃないかって」
「いやいや、待って待って、それじゃあ利波を殺したのは夏目ちゃんになるじゃない?」
「そこは、その前に利波は夏目以外の誰かに殺されたんじゃないの?」
むっと眉根を寄せて言いにくそうに佐藤さんは言葉を発した。
「夏目さんが犯人なのはあり得ない。彼女が風呂場に入って行った後すぐに僕も続いた。僕と夏目さんはほぼ同時に利波の死体を発見している」
鈴白くんが淡々とした口調でわたしの犯行を否定してくれる。ありがたい。本人であるわたしは視線を右往左往させることしかできなかったからだ。
「どうして晴はあおいの後を追ったの?」
「夏目さんの挙動が不審だったから」
智恵美の問いに鈴白くんが答え、わたしそんなに挙動不審だったかな? と思う。
まあ確かにちょっと不審だったかも。
だって告白されるのかなって思ってたから。
……そう、思ってたのです。勘違い過ぎて恥ずかしい。利波くんは智恵美が好きだったのにね! あぁ、もう、穴があったら入りたい。
「だったらその前の夏目のアリバイはばっちりだ、俺とラウンジで喋ってた」
近原くんが間違いないと言ってくれてひとまずわたしへの疑いは納まったようだ。
ほっとしたのも束の間で、「夏目ちゃん思い出させて悪いけど、利波の発見時について続けて話してもらってもいい?」と言う友呂岐くんの言葉に慌てて頷いた。
スマホで時間を確認すると、5時45分ちょっと前だったのでわたしは利波くんに呼び出されていた男風呂に向かうことにした。
話したい事ってなんだろう?
やっぱり……いやいや、でも? うーん? 仮にそうだとしたらどうしたらいいのだろう?
なんて答えれば良い?
ごめんなさい? 考えさせてほしい? よろこんで?
よろこんで、ってことは、わたしは利波くんと付き合ってもいいと思ってること?
新しく踏み出すにはいいかもしれないけれど。
そんな気持ちでお付き合いするのも……。
ボフン
その音に、はっとする。考えながら歩くのは危ないよね。
音の元はエレベーターに挟まれたマットレスだ。
「……エレベーター……」
なにかを思い出しそうになるが上手く形にできず、わたしは頭を振った。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
男風呂の入り口は。昨晩近原くん達が封鎖していたんだけど、今は開放されている。
「……と、なみくん?」
なんとなく小声になってしまう。
脱衣場に彼の姿は無かったので、そのまま浴場へと足を向ける。
「利波くん?」
ざっと見回した感じ、利波くんの姿は見えない。
時間あってるよね? スマホで時計を確認してみると約束の時間ピッタリ……2分過ぎていた。
けど2分過ぎたからって帰るってことはない、よね?
「……」
えーと、どうすれば……。
そうだ、せっかくだから露天風呂がどんな感じが見ておこうかな。
うん、そうしよう。
露天風呂に続く戸に向かい歩き出す、と目の端になにか飛び込んできた。
「え?」
思わず声が出た。
浴槽の中に寝ころんだ利波くん。
なにか変だ、胸にあるのはナイフ? え、なんで?
「え? 利波くん?」
名前を呼ぶけれど反応はない。
え、なにどっきり?
思わず周囲を見回してカメラを探してしまう。がそんなものは当然のごとく無い。
「利波くん? 冗談だよね?」
わたしも浴槽の中に入り彼の傍に近づいてしゃがみ込む、と同時に足裏に嫌な感触がした。
「……え?」
視線を下に向けると靴下が赤いなにかを踏んでいた。そこからじんわりと気持ちの悪い感触が駆け上がってくる。
「ひゃっ!」
血だ!
理解した瞬間に尻もちをつき、ついた手にも嫌な感触。
「っ!!」
完全に腰が抜けて動けない、声も出ない。
わなわなと唇が震える。これは冗談でもどっきりでもない、本物だ。
みんなを呼んでこなくては、と思うのに、体が動かない。
「夏目さん!」
自分を呼ぶ声の方向にわたしは手を伸ばす。
「す、すずしろ、くん……と、となみ、くんが……!」
わたしが伸ばした手を鈴白くんは手に取り、そのまま力任せに持ち上げて立たせてくれた。
「夏目さんはそこに居て」
「う、うん」
鈴白くんは利波くんの傍らにしゃがみ、あれやこれやと調べているようだ。やがて立ち上がり、こちらにやって来た。
「皆を呼んで来よう」
「と、利波くんは?」
「死んでいる」
「……」
その言葉にへなへなとまたその場に座り込んでしまった。