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夢か現か、望みのモノを与えましょう

作者: Sakura

あなたが本当に欲しいと思うものは、果たして本当に欲しいものなのでしょうか。


こう考えた時に、私の欲しいものは目に見える物ではないなと思いました。そして、皆さんの中にもきっとそう考える人がいるのではないでしょうか。

友情も愛情も、時に脆く、儚いものだと思いますが、そんな中で変わらないものがあると信じたい気持ちです。


ベラは今日も自室に軟禁状態。本当は、廊下へ出て、屋敷を歩き回っても、外へ出て、草木を愛でても構わないのだが、その度に護衛だなんだと、屋敷の人間の仕事を増やすことが嫌だった。そもそも見張られていると分かって行動することが大嫌いだった。


これは実質軟禁と行っても過言ではないだろう。


窓から外の世界を眺めるくらい許されるかと思い庭を見ると、その視線に気づいた庭仕事のメイド達が慌てたように揃って頭を下げるから、それにもまた辟易して窓から離れた。



こんな時はベッドに腰を掛けて、本を読むのだ。本の中は、自由で、美しかった。文字を追うだけで、ここではないどこかへ連れ出してくれる。広い外の世界に。美しく、眩しいどこかに。


彼らは、誰かに恋焦がれて、誰に気兼ねするわけでなく友人と時間を共にする。友情も恋愛も素晴らしいものなのだと、毎度新鮮な羨望を抱くのだ。私もいつか、そう思いを馳せる時間が私を唯一楽しませてくれた。



物心ついた時から、ベラは独りだった。もちろん両親はいるし、屋敷には名前も顔も覚えきれないほどの従者もいる。それでもベラはいつも独りだった。みんな私に優しくしてくれるけど、それだけだった。可愛がってもくれるけど、それだけ。彼女の心を満たしてくれるものなんて、何一つなかった。それを埋めるように、本を読んだ。



だからある日出会った、屋敷の客人が私の人生を変えるなんて思ってもいなかった。そんなのまるで、お伽話だ。



その日は、普段よりもずっと廊下が騒がしいなと目を覚ました。困惑と殺気を纏った空気を感じ、ベラは部屋を出る気になった。


最低限の身支度を済ませ、部屋を出ると、ちょうど歩くと言うには早すぎるスピードでその前を通り過ぎようとしたメイドが焦ったように「いけません。お部屋に戻ってください」とベラの前に立ちふさがった。その肩越しに廊下を身ながら「何があったの?」と尋ねると、「いや…少し問題が起こりまして…」と言葉を濁す。いよいよ、様子がおかしい。


そんなやり取りをしていると、「おい…!」「何もしないって、大丈夫」「そんな言葉信用できるか…!」そんな会話が徐々に近づいてくる。確かに何か問題が起きたらしい。廊下の角まで差し掛かったその元凶は、ひょっこりこちらに顔を出した。


「ああ、お姫様!」

「貴方、誰…?」


猫のようなしなやかさで、こちらに近づいてきて、仰々しく頭を下げた男は、屋敷の騒ぎの元凶であるにも関わらず暢気に笑っている。すらりとした長身に、目部下に帽子をかぶった男。


「何の用?あなたは誰?謁見の許可を取っているの?」

「姫に招待状をお持ちしました。」

「招待状…?」


その男を、目の前にいるメイドは驚きを隠せない様子で振り返っている。ベラはそんな彼女を見て、人は驚くと動けなくなるのだなという場違いな感想を抱きつつ、思わず差し出された封筒を受け取った。


「決して怪しいものではありませんよ」

「それを信じろって言うの…?」

「今は、それを証明できるものを持ち合わせていないのです」


「でもついてくれば、分かりますよ。それに…大層退屈な生活をしているとお見受けします」


彼はチラッと取り囲む従者達を見渡して、ベラの耳元で囁く。こんなに近くで誰かの声を聞いたのは初めてで、そして日々の私を知っているような口ぶりに、思わず身を引くとを男は面白そう笑う。


「すぐには決められないでしょう。ですから、これだけ受け取ってください。では、」


言いたいことだけ言い切った男は、再び猫の様に身を翻し、取り囲む従者を物ともせずに去って行った。



残された、上質な紙の真っ白な封筒。



「姫、大変な無礼をお許しください」

「いいわ、気にしないで。それに貴方たちが悪いわけじゃないって分かってる」

「すみません…」


そう言っても何度も謝る従者に、何を言っても無駄だと諦め、自室へ帰ろうとした。しかしそれをメイドが止める。


「姫…!先ほどの男に渡された物を、処分いたしますのでこちらに」

「…」


そう言われる予感はしていた。しかし、この封筒に、日々が変わる予感もしている。だから「大丈夫よ。私が処分するわ」と言いながら、まだ何か言いたげなメイドを残してようやく部屋に戻った。



部屋に戻っても、読み進めた本を読む気にも、かと言って再び眠る気にもなれず、渡された封筒を眺める。真っ白だと思っていたそれは、薄い青色が混ざっていて、こんなにも綺麗な紙を見たことはなかった。


窓から差し込む陽の光に透かすと、文字が浮き出た。どんな仕組みか分からないが、とにかくそれに心が躍る。



“あなたの望むモノが、きっと手に入るでしょう”



そんな言葉に、足りない物なんてないと反射的に反論をしたくなった。ベラの周りに、望めば揃う。そんな生活を幼少期から送っているのだ。美しいものも、可愛らしいものも、たくさん見て、手に入れてきた。それが全て与えられた物であると言う感覚は、ベラにない。


だからこそ好奇心を掻き立てられる。私の持っていない物とは何だろう。足りないものは何だろう。きっとそれは、今まで手に入れた何よりも、ずっとずっと素敵なものなのだろう。そんな思いを抱きながら、封を切った。



“招待状


貴方の望むモノが全て揃う催しを開催いたします。


つきましては、良く晴れた満月の夜にお迎えに上がります。


貴方の持つ一番、上等なお召し物でお待ちください。


貴方様の参加を心より歓迎いたします。”



あの男と同様にうさん臭さの残る内容が、達筆でいて親しみやすい文字で書かれている。ただの紙切れに書かれているだけなのに、まるで直接あの男の声を聞いているかのよう不思議な文字だった。



そして直感した。きっと自分は、これに参加することになるだろうと。



良く晴れた満月の夜。


招待状に書かれていた通りに、自分の持つ、一番お気に入りのドレスを身に纏った。催しというからには、ベラ以外の参加者もいるのだろう。それなら、誰よりも美しく、魅力的に見せたいと思ってしまうのは、きっと女の性だ。


しかし夜になっても、待てど暮らせど、迎えなんて来なかった。鏡の前で、髪を、ドレスを整える事にも飽き、部屋をうろうろとするのにも飽き、しかし読書をする気にもなれなかった。心のどこかで期待をしている自分と、やっぱりあれは揶揄っていたのかと腹が立つ自分がいた。それでも着替えて、眠ろうとも思えなかった。



いつの間にか、うたた寝をしていたのだろう。微かな音に起こされた。それは廊下からではなく、窓の外から聞こえてくる。時計を見れば、日付が変わってずいぶん経っていた。こんな時間にも庭に出ているメイドかいるのかと、ご苦労なことだと窓に近寄りカーテンを開けると、



そこは見慣れた夜ではなかった。



暗いと思って開けたそこは、思わず目を眇めてしまうほど明るい。それは月明りだけのおかげではなく、星々までもが異様に強く輝いて、地上を白く照らしていた。するとその視線の先から、何かが近づいてきた。


耳障りの良い音を発するそれは、お菓子の形をしている。しかしそれではない事はすぐに分かった。それはあまりにも大きい。大きな大きな空飛ぶカップケーキだ。



近づいてくるカップケーキには窓がついており、その中には人影が見える。月明りを背に近づいてくるそこには、あの日に見た男。


「こんばんは。良い夜ですね。今日という日にぴったりだ。」


声が届く距離まで近づくと、独り言のようにそう呟いた後、ベラを見る。


「お迎えに上がりましたよ、姫」


あの日と同じように恭しく、それでいて軽薄に頭を下げる。


「こんばんは。どれだけ私を待たせるの?でも本当にいい夜ね。こんな夜があるなんて、私は知らなかったわ」


そして先ほどから気になっている、男が乗る物を指しながら「それはそうと、それは何?」と尋ねる。すると男はベラへ意味ありげな視線を向け、質問を返した。


「そうですねえ…。姫にはどう見えているんでしょう」

「どうって…大きなカップケーキでしょう?それは、食べられるの?」


男は一瞬ポカンとしたと思ったら、声をあげて笑い始めた。なぜ笑っているのか分からないが、少なくとも自分の発言が笑われているのは分かる。そんな笑われ方をしたのは初めてで、ベラは腹が立つ。


「疑っているの?それとも馬鹿にしている?」

「まさか、そんなはずありませんよ。ただ、随分可愛らしくて。気にしないでください」


自身に向けられる可愛いと言う言葉が、嘲りを伴って発されている事が不愉快だった。自身が可愛いのは知っている。それは今まで幾人もの人間に言われ来た。だからベラは、その言葉を褒め言葉だと信じて疑ったことなんてなかったのだ。それなのに、今、男に言われたのは褒められたわけではないと分かってしまう。


そんな話をしていると、手が届くほど近づいたそれから男は手を伸ばした。


「さあ、一時の空の旅をお楽しみください」


もう、迷いはなかった。その手を取るとふわっと体が浮いて、気づけば男の隣に立っていた。遠目で見ると、疑いなくカップケーキだと思ったそれの上には、ピンク色の苺のソース。そして、大きな物から小さな飾りも、全て上等な宝石が散りばめられていた。その中もスポンジの様にフワフワで、ほのかに甘い香りがする。


「それにしても素敵ね…。私の好きなものが詰まっているわ!」

「お気に召したのなら良かった。」


そこでベラはうっとりとした表情を仕舞ってふふんと鼻を鳴らしたベラは、勝ち誇った顔で男を見上げる。確かにとても魅力的であることは間違いがない。なんといっても苺のソースがかかったカップケーキは何よりも大好物だ。食べられなさそうなのが惜しいが、屋敷に戻ったら、メイドに頼めばいいだろう。


「もしかして、これが私の望むモノだと思っている?確かに可愛らして素敵だけど、きっと望めば手に入るわ。驚かせようとしたのなら、お気の毒様」


大きなカップケーキだって、たくさんの宝石だってそれら自体は特に目新しくもなんともない。最も空を浮かぶカップケーキには驚いたが。そう思うと、先ほどの苛立ちなんて忘れていた。やっと男に言い返す事が出来る優越感がそれに勝ったのだ。



それにしても改めて見た男の顔は、まるでお伽話に出てくる王子様の様だ。真っ黒な髪は月明かりに透かすと灰がかっていて、瞳の色は髪の色を水で溶いたような薄い灰。高い背に高い鼻に…。もしかしたら、お伽話に出てきた王子様よりもずっと美しいのかもしれない。前に会った時には気づかなかったのか。そんなはずはないはずだが。



そんなベラの考え事に気づいているのか、否か、チラッと横目で見た男は、喉を鳴らしながら笑う。


「手に入るのなら、これは望むモノではないでしょう?もっと他の、姫には手に入れることが難しく、そして一番に欲しいであろうものですよ」


「知ってる?私は、私が望むのもは全て手に入るのよ。」


それを聞いても尚、男の態度は何を当たり前の事をと言われているようだった。それを「もう少しすれば、分かりますよ」と笑顔で受け流されてしまう。そして真っ直ぐ正面を指さすから、視線でそれを追うといつの間にか目の前には大きな建物がそびえたっていた。


それは月の明かりの中で、真っ白に輝いて薄い青色の様にも見えた。何度も眺めて、読み返した、あの日に受け取った封筒と同じ色だ。



先ほどそうされたように手を取られ、木でできた扉の前に降りる。男は流れるようにその扉を開けた。


「私はここまでです。帰りも迎えに上がりますので、それまではどうぞ素敵な時間をお過ごしください」



扉をくぐると、そこはさながらお城のようだった。数回、父に連れられて隣国や貿易国の屋敷に出向いた事はあるが、そのどこよりもずっと大きく、荘厳な雰囲気を纏っている。

高い天井の下ににたくさんの、ベラと同い年くらいの女の子がいる。彼女たちは、ちらりとこちらを見ると、すぐに興味を無くしたように視線を外した。たった今入ってきた女よりも、その瞬間の自分の状況を把握することに忙しいらしい。


しかしその中から、1人の少女が歩み寄ってきた。


「初めまして、私はリルよ」


ドレスの裾を持ち上げて、挨拶をくれるからベラもそれに応える。


「はじめましてリル。私はベラ。ここはどこかしら」

「私にも分からないの。でもとっても綺麗な場所よね。」

「そうね、私の屋敷より立派な建物だわ。そうは言っても、私の屋敷も素敵なことに変わりはないけど」

「そうなの?それはすごいわ。私の家は、こんなに大きくないからびっくりしちゃった」


肩を竦めて恥ずかしそうに微笑んだ彼女が見に纏うドレスは、よく見るとベラのものに比べると質素で、その言葉にも頷けた。それでも纏う空気には品があって、人懐っこい笑みも魅力的で、見惚れてしまうと同時に、なんだか少し嫌だった。“負けた”気がしたのだ。



だからそんな彼女を見ないように会話をしていると、ホールの中央にある階段の上に初老の男性が現れた。そしてマイクを通さずともよく通る声で「お集まりくださりありがとうございます」と挨拶を一つ。


「本日、皆様をおよびしたのは、あなた方の未来の王子様がいらっしゃるからです。」



「しかし私共は、あなた方の内面を知りません。そのため、それを手に入れる素質があるのかを見定めさせていただきたく、および立てした所存です」


その言葉に集まった女達の声がざわざわとホールに溢れる。彼女たちは、一様に状況を飲み込めていないようだ。それでも“王子様”という魅力的な言葉は女達を浮足立たせる。そんな胸中を置き去りにして始まった、品格を問う、いわゆる試験のような催し。



まず彼女たちが集められたのは、そこもまた大きな部屋だった。しかし一目見てそれが分からないのは、雑然とした物達のせいだろう。先ほどとは打って変わって薄暗い事も、不安を煽る。


『参加していただくのは宝探しです。

ルールは簡単。あなた方の今、最も望んでいるモノを用意させていただきました。三日間で、それらを手にできた方が王子に会うことを許されます。その中にはもしかしたら、それが同じ方もいらっしゃると思います。

そのため、それを三日目に所持していた方のみに限らせていただきます。毎日この部屋は変わっていく仕様になっておりますので、どうぞ、決して迷子にならないようにご注意ください。こちらでは見つける事が出来ませんので、そのまま命が尽きるまで、そこにいていただく事になりますから。


ああ、それと、望むモノも決して間違えないようにしてくださいね。あなた方自身が、本当に、望むモノをお持ちください』


念を押す様に、分かりやすく、それでいて信じがたい言葉の数々。しかし、この男は嘘を言っているわけでも揶揄っているわけでもない。それはその声を聞いていれば誰しもが分かることだった。


「私たちは、三日間こんな所で過ごすの?そんなのまっぴらだわ」

「私は、許嫁がいるのよ?」


呆然としている女の中の数人がそう発すると、何人かがもそれに頷いている。疑問だらけなルールだし、そもそもそんなことが可能なのかを置いてのその発言は、彼女達の動揺を物語っていた。


「ご安心ください。皆様の部屋はご用意しております。加えて、心もとないとは思いますが、皆様に一台ずつアンドロイドのサポーターを」


それを露ほども気にしていない様子の男は、それらの質問の答えになっているようで、なっていない一言を発し、女たちに向かって有無を言わせず宣言した。


「それでは始めさせていただきます。時間が惜しいので」



そう言った男は、一通り彼女たちの顔を見渡した後姿を消した。



しばらく動き出さなかった女達をしり目に、その場に似合わずベラは平然としていた。ルールは簡単だし、要は迷子にさえならなければ帰ることが出来るのだ。それよりもこの状況が楽しみにさえなっている。


「なんだか、不思議ね。」


そんなベラに、リルが近づいてきた。


「私は少し楽しみだわ。屋敷にいたら、こんな経験出来ないもの。」

「それもそうかもしれないけど、怖くないの…?私は少し怖いわ」

「怖い?まさか。何を怖がる必要があるの?」

「だって、本当に帰れるのかも分からないし、何よりもこんなところで三日も過ごすなんて…」


ベラには怖いものなんてなかった。無いと言うより知らないのだ。怖いと思った経験なんてないのだから仕方ない。それよりも、屋敷の外に出る事が出来た事に加え、持ち前の好奇心が重なって、経験のしたことない程のわくわくを生み出している。


「とにかく、その望むモノとやらを探しましょう。それに3日なんて、あっという間よ」

「そうかしら…」


不安げなリルを残して、ベラはその場から離れた。とは言っても、ベラはとっかかりを見つけられない。さて、どこから始めようか。



そう思いながら、雑然とした部屋の中をゆっくりと進むんでいると、出会う女たちの表情は皆、それぞれの感情が渦巻いているようだった。きっと彼女たちは、ベラと同じように、望むモノは全て手に入れてきたのだろう。だからいざ望むモノと言ってもピンと来てないのだと思った。ベラ自身がそうなように。


ただベラと彼女達の異なることは、それを楽しめるか否かという点だろうう。


思ってよりも広い室内は、一回りするのにも時間がかかる。その間、出会った品々の中には、どれもベラの望むモノは無かった。好きなものはたくさんあった。可愛い物も、美しい物も大好きだ。しかし目に入るものは、どれも綺麗は綺麗で、見惚れる物ももちろんあったが、それだけだった。望まずとも手に入るものばかりなのだ。



もう少しで、一日が終わるという頃。三日間もあるのだからと、ベラは諦めて自室へ戻ることにした。


用意された部屋は屋敷の自室によく似ていて、唯一異なることはそこに無機質なサポーターと説明を受けたロボットがいることくらい。無機質なグレーのボディに、表情が分からないくりくりとした丸い目に、頭頂部にはピンク色の花に似た模様。それは、ベラが部屋に入ると


「おかえりなさい。」

「え…ええ、ただいま。」


「私は、貴方専用のサポーターです。出来得る限りサポートをするように仰せつかっております。分からない事がございましたら、何でもご質問ください。」


その声もまた無機質で、感情が無い。ここへきて、分からない事ばかりなのだ。咄嗟に出てくる質問なんてない。辛うじて頷いたベラを確認して、そのロボットは、プログラムされているのであろう質問を一つ。


「お食事はどうされますか?」

「そうね、温かいスープと、パスタが食べたいわ」

「かしこまりました」


席について少し待つと、ほかほかと湯気を立てながら食事が運ばれてきた。銀色に輝くフォークを手に取り、口へ運ぶと、見た目と同様ベラ好みな味付けで、あっという間に皿は空になった。


「私はベラよ。貴方の名前はなんて言うの?」

「私に名前はありません」

「あら、そうなのね」


食事を終えると、やることのないはベラは、毎日ベッドでそうしている様に本を読もうとしたが、せっかくなら今のうちに分からないことも、気になる事も聞いておこうとロボットに話しかけた。それだけではなく、興味があった。サポーターと名乗るこのロボットに。


「なら、私が名前をつけても良い?」

「構いませんよ」

「んん、そうね。カップケーキなんてどうかしら?私の好きなものなの」


そのロボットの頭にある丸いピンク色の模様が、ここに来るときのカップケーキを彷彿させた。それによく見ると可愛らしい顔をしているから、ぴったりだと思ったのだ。


「それはお菓子の名前ですよね?」

「いいのよ、お菓子の名前でも」


あまり納得していない声だったが、ロボットは諦めたのか、命令にしたがうようにプログラムされているのか、渋々と言った風に頷いた。その姿をベラはベッドに腰掛けて眺める。


「なら、私のことは、今からカップケーキとお呼びください」

「それと、その話し方を変えて頂戴」

「どういうことでしょう」

「もっと気軽に話して欲しいのよ。その話し方は屋敷を思い出させるから嫌だわ」

「でも…」

「私が良いって言っているのだからいいじゃない。せっかく屋敷の外に出られたんだから、楽しみたいのよ」

「了解いたしました」

「違うでしょう?」

「…分かった」


名前が決まっただけで、なんだか親しみやすく感じ、その後もベラは質問を続けた。それに応えるカップケーキは、言われた通り敬語ではないものの、なんだかちぐはぐな言葉遣いだ。


「貴方はいつからここにいるの?」

「私自身、いつからか分からない。ずっと前からな気もするし、つい最近な気もする。」

「どうして分からないのかしら」

「毎回、データをリセットするから、前の事は覚えていないんだ」

「そうだったのね。貴方は、何でも分かるの?」

「そうだね、プログラムされている事なら」

「じゃあ、そうね…どうして空は青いのか知っている?」


全て知っていると言うから、少し悔しくなった。ベラの知らない事を知っていると言うのだ。咄嗟に出た質問は、今まで考えたこともないことだった。しかしそれを皮切りに、思えば知らないことの方が多いのだと思った。どうして朝が来て夜が来るのか、どうして空は青いのか。それらすべてに理由が存在するのだろうか。

これまではきっと、ベラには想像もつかないような、例えば神様のような存在がいて、それがそういった物事をコントロールしているのだろうなと漠然と、そんな気がしていた。しかしカップケーキ曰くそうではないらしい。


そんなベラからの質問の数々に、カップケーキはベラにも分かるように次々と答えていく。一つ質問すると、十で返ってくるから、また違う疑問が生まれてしまい、それを尋ねる。それに対する答えの数々に何度もベラが「すごい」と感動すると、カップケーキは少し自慢な気がした。


「私はもっと、たくさんのことを知りたいわ。たくさんの物を持っているけど、知識は買うことが出来ないじゃない。それに今まで考えたこともない事まで、貴方は知っているのね、本当にすごいわ。」


一通りそんな会話を楽しむと満足気したベラは、ボスっとベッドに仰向けで寝転び、天井を見ながらそう言った。


「知識は経験からしか得られないんだってね」

「でも貴方は違うでしょう?」


揶揄うつもりで、寝転びながらニヤリとカップケーキを見た。


「私も貴方みたいに、プログラムされていたら良いのに。そうしたら、全部の事が分かるもの」

「私は、全部知っているけど、知っていることだけじゃないよ。感情っていうものはプログラム出来ないんだって。だからどういう仕組みの物かはわかるけど、それがどういった物かは分からないんだ。」


なぞかけのようなその言葉をベラは、「ふうん、複雑なのね」と聞き流した。それよりも、今教えてもらったたくさんの答えに思いを馳せるので忙しかったのだ。カップケーキのその言葉は決して悲観しているわけではない、諦めにも似た声に聞こえたから、本人にも分からないことがあるのかな程度の興味だった。



いつの間にか眠ってしまっていたベラは翌朝、美味しそうな匂いで目が覚めた。目を開けると、それに気づいたカップケーキがこちらに振り向き、「おはよう」と挨拶を一つ。表情なんてないのに、笑顔を浮かべている気がした。そして、そんな挨拶ひとつが嬉しかった。だから笑顔でそれを返す。



朝食を終えると、二日目のスタートだ。部屋に入るとそこは昨日とは異なり、室内なのに外だった。言葉にするとヘンテコだが、そこには太陽があり、木々があり、花がある。小鳥のさえずりさえ感じ、風が通り抜けていくことを感じる、まぎれもない屋外だった。



なるほど、昨日言っていたのはそういうことかと、ベラは納得をした。そして今日こそは、望むモノとやらを探し出そうと気合を一つ。


周りの彼女達の中には、それを見つけだした者もいるようで少しだけ焦る。彼女達の手の中には、花や、宝石、中には一目見ただけでは用途が分からない物もあるようだった。ベラは昨日と同様、室内を歩き回っていると、そこですれ違った1人の手元に目が留まる。



そこには、見るからに上質な背表紙の小説。タイトルの表記は無いが、それだけで何も特別ではない。



意識的だったわけでなく、こういう感覚を直感というのだと思った。一目見て分かる、それはベラの望むモノだと思った。ベラは勝負を忘れて、それを酷く手に入れたいと思う衝動だけで、それを持つ女に話しかける。言葉を探すよりも先に、身体が動いてしまった。


「すみません!」

「…何かしら」

「あの…えっと…その本は、貴方の望むモノなのかしら」

「ええ、多分そうね」

「多分…」

「何か、文句があるの?」

「いや…文句とかじゃなくて、それなら私に譲ってくれない?」

「はあ?どうしてよ」

「だって…私は多分じゃなくて、絶対だから」

「そう言われて譲るわけないでしょ?これは勝負なのよ?」


そう言われて思い出した。勝負というものは、必ずしも正攻法では手に入れられないらしい。欲しい物が目の前にあるのに、手に入れられないこの状況なんて経験したことがない。それが仕方ないとしても、腹が立ってしまうのを抑えられなかった。どうしてこんなにも望んでいるのに、手に入れることが出来ないのか分からないし、それをどうして邪魔をするのかも、ベラには分からなかった。


そうは思っても、譲ってもらえる気もしないので一旦諦めて、彼女から離れる。ベラは荒ぶった気持ちを落ち着かせようと、見晴らしのいい芝生の上で、ぼーっと空を眺める。


「そんな顔をして、どうしたの?」

「…放っておいてくれないかしら?」


声をかけてきたのは、リルだった。その手には、美しい髪飾りが一つ握られている。それを見て、ベラの焦りと苛立が増長される。


「なんだっていいでしょ?それより、それは貴方の望むモノ?見つかって良かったじゃない」

「ええ。お母様がね、これにそっくりの髪飾りを持っていたの。」


ぶつけた苛立ち混ざりの声に、リルは静かな声で返す。そしてその返ってきた言葉に、ベラは語気を緩めざるを得なかった。


「持っていたってことは…?」

「ええ、少し前に突然ね」

「そう…それはお気の毒に」

「でも大丈夫よ。私には思い出があるから」


そう言って寂しそうに微笑む彼女は、やっぱり初めの印象通りの女性だと思った。そして自分と歳が変わらない様子なのに、酷く大人っぽく見えて、今の自分がなんだか幼い子供のようだと思うと、先ほどまでの荒ぶった気持ちが冷めていく。


「私もね、見つかったのよ。でも既に他の子が持っていたわ」

「あら、それじゃその子から奪わなければね」

「奪う…?そんなこと出来るのかしら」

「だって仕方ないじゃない。これは勝負だもの」


「私も協力するわ」とリルが先ほどと打って変わって不敵に笑うから、そんな顔も出来るのかと驚く。しかし屋敷から出たことのない、ベラは奪う方法なんて思い浮かばない。きっと言われなければ、思いつきもしなかっただろう。

そうか、欲しいものは自分の力で勝ち得なければならないのか。それならば、まるでゲームのようで何とも面白そうだ。それにこの状況は、いつか本で読んだ冒険のようではないかとも思う。頼もしい存在が隣にいる事が、ベラを何よりも勇気づけた。



それから二人はその本を持つ彼女と、つかず離れずの距離を保ちながら時間は過ぎた。ベラの手には、表紙だけ同じ色の本が抱えられている。

2人で話し合って、これを彼女の物と入れ替える事にしたのだ。それを提案したのはベラだったが、いつかそんなトリックのミステリー小説を読んだことを思い出して、それを真似しただけのことだ。

その機会を待ち構えていると、小説の彼女は疲れたのか、少し先の木陰に腰を下ろした。そこに目配せをして、ベラから本を受け取ったリルが歩み寄る。


「こんにちは」

「こんにちは…」

「私はリルって言うの。あなたの持っている本、とっても素敵ね」


彼女のすぐ側に腰を下ろし、そう言うと彼女はパッと顔を輝かせる。


「ええ、そうでしょう?私は本が大好きなの」

「あら、それも素敵なことだわ。良く見せてくれないかしら」

「もちろんよ」


彼女は快く、リルにその本を手渡す。そのページをリルがパラパラとめくっていると、不意に強い風が吹いた。木陰に座る小説の彼女と、リルの長い髪が大きく揺れ、それぞれの顔にふわっとかかると、通り過ぎていった風を二人して、目で追っていた。


「強い風だったわね。私はあまり本を読まないから、見ただけじゃどれほど素敵なものかは分からなかったわ。でも見せてくれて、ありがとう。」


そう言いながら、本を彼女の手に返し、その場を後にした。



そしてベラの待つ場所まで帰ってくると、ベラは感心した瞳をリルに向ける。


「あの子、私と話した時は、警戒心が強かったのに、リルには違ったわ。何かやったの?」


その言葉にクスクスと笑いながら、リルは「何もしてないわよ。お話をしていただけ」と言って、ベラに本を手渡した。それは間違いなく、ベラの欲していた本だ。


「これを…どうやって…?」

「簡単よ、一度彼女から本を借りた時に入れ替えたの」


「今回は風のおかげね」と悪戯に片目をつぶってそんな事を言うから、「本当に、すごいわ」とベラはやっとの思いで答える。すると、「それと使えるものは使わなきゃね」と裾の長いスカートを少し持ち上げるから、それにもまた驚いてしまう。

確かに、もう一冊の本をスカートに裾に隠していれば、すり替える事は出来るかもしれない。それでも考えるのと、実際の行動では難易度は違うだろう。ベラはそんなリルに、最早感心することしか出来なかった。


それと同時に、ベラはリルがどうしてそこまでしてくれるのかさっぱり分からなかった。


「でもどうして私のためにそこまでしてくれるの…?私は貴方に何も返すことが出来ないわ」

「お返しなんて求めてないわ、だって私達は友達でしょう?」

「友達…?」

「ええ、ベラと一緒にいると楽しいもの」


ベラにはピンとこない“友達”という単語。これが友達というものなのかと、友達とはお互いが信頼し合って、何よりも大切で、尊い存在を指すのかと思っていたのに、拍子抜けしてしまう。尊いと言う感覚は分からないが、それでも今、自分がリルに向けている感情は違う気がした。だってまだ出会ったばかりだ。そんな特別な感情を抱く間もなかった。


それに、出会った時に感じた得体のしれない“負けた”という感覚も拭えていない。今もそうだ。自分に出来ない事を彼女は簡単にやってのける。


「一緒にいて楽しい思うだけで、友達になれるの?」

「だけって言うか、そういうものでしょう?」


それでも当たり前のようにそう言われるから、きっとそういうものなのだろうと納得することにした。それと同時に、お話の中と実際は、少し形が異なるものなのだと少しがっかりもしてしまう。しかし今のベラには判断材料がないのだから、そういうものだと受け入れることしか出来なかった。


「お礼になるか分からないけど…今晩、私の部屋に来ない?私の友達にも会って欲しいわ」

「まあ!それは楽しみ!」


今晩の約束をして、再び二人は別れた。ベラの手には小説。リルの手には髪飾り。



約束の時間にベラの部屋までやってきたリルは、扉の前であたりを見渡し、不思議そうな顔をしている。


「友達っていうから、てっきり他の参加者がいるのかと思ったわ」

「参加者じゃないけど、立派な友達よ。カップケーキって言うの」

「カップケーキ?お菓子の?」

「ええ、名前が無いと言うからそう呼んでいるわ」

「可愛らしいことを思いつくのね」


ベラに向けられる“可愛い”という表現。それはここに来て、二度目だった。


「初めまして、リル様。そしてお二人とも、おかえりなさい」


2人の入室に、カップケーキは立ち止り、振り返った。リルとは初めて会うはずなのに、自己紹介をせずとも、彼女を知っているような口ぶりだ。


「お食事はどうされますか?せっかくですから、お二人の好きなものをご用意いたします。」



ベラの屋敷では、家族そろって食事をとる。しかし、いくら家族だからと言って和気あいあいとしているわけではなく、マナーに基づいて、静かに食事をとるのだ。こんなことなら、自室で1人でも変わらない、その方が気兼ねなく食事出来るのに、と幼いながらに思っていた。


だからそれまでは、腹を満たすためだけの時間だった。それを今、始めて楽しいと思っている。昔読んだ話に、食事は大勢で取るとより美味しく感じると書いてあったことをふいに思いだした。ピンとこなかった感情、感覚が、ここに来て、形となって、ベラを満たしていく。



「リル、知っていた?どうして空が青いのか」

「そうね…考えたこともなかったわ」

「私もそうよ。でも全部、カップケーキが教えてくれたの」


2人の会話に、いつの間にか部屋の隅でなにやら作業をしていたカップケーキも加わり、この時間がなるべく長く続くようにお茶を三杯ほどお代わりをして、ようやくリルとベラは別れた。



「ねえ、カップケーキ?」


リルを見送っても尚、楽しかった余韻が抜けず、ワクワクと高まる気持ちを止められないでいた。そんな上機嫌なベラを横に、カップケーキは部屋の片づけに勤しんでいる。


「私達、もう友達ね」

「どうして?」

「だって、あなたと一緒にいると楽しいもの。リルがそう言っていたわ」


うっとりとした顔で、ベラは話しだす。それにカップケーキは黙って耳を傾けている様子だ。


「友達って素敵ね。リルは私の初めての友達よ。一緒にいると楽しいだけじゃなくて、なんて言うんでしょう、わくわくするの。今だってそうよ。」

「私もベラと友達…?」

「もちろんよ、貴方も立派な私の友達だわ。だってあなたとの話は、リルの時とは違うわくわくがあるからね。」


「あら、知らなかったの?」とベラが自慢気にカップケーキに聞くと、少し間をおいて「プログラムされていないから」と呟いた。



最終日になり、ベラの中には、やっとこれも今日で終わると言う安堵と、好きなものを既に手に入れている安心感と、今でも頬が緩んでしまうほどの昨夜の思い出。それら全てのおかげで、ベラはここに来て、初めて気分が良かった。


「ねえ、それは私が持っていた物よね?」


そんなベラの後ろから、険悪な空気を纏いながら、昨日リルが本を奪った彼女に声をかけられる。ギクッと肩をこわばらせたベラは、恐る恐る振り返る。


「…何の事かしら」

「それ、間違えようもないわ。」


ベラの手の中にある物を指さして、そう強い語気で言われるから、それに気圧され、咄嗟にあの日の弁解をしようとした。違うの、これは私が奪ったわけではない…。


「こ、これはね…リルが…」


「ベラ…?」


そう言おうとしたところで、後ろからまた別の声が聞こえた。再び肩をこわばらせて振り返ると、そこには悲しみを浮かべたリルが立っていた。それは絶望にも近い色を帯びていて、ベラはいよいよどうすればいいのか分からず、口を閉ざす。今、自分は、全てリルのせいにしようとしたと今更気づいた。


それに罪悪感も感じたが、ベラは心の中でだってしょうがないじゃないと呟く。リルは望むモノをもう手にしているでしょう?余裕があるから、私を助けたんでしょう?もし望むモノを手にしていなかったとしても、彼女なら手に入るでしょう?私よりも世の中を知っていて、あんなに魅力的なんだから。そんな自分の行動を正当化する言葉ばかりが浮かんでは消える。


何も言わないベラに悲しい顔を深めて、リルは何も言わずにゆっくりとベラから離れていった。そこで一瞬の内に考えていた言葉は霧散し、この背中を諦めてはいけないという強い衝動に駆られた。


「これ、本当にごめんなさい。貴方に返すわ」


目を怒らせている彼女の手に無理やり本を押し付けて、口早にそう告げると、ベラはリルを追った。歩みを止めないリルに、ベラの焦りは膨らむばかり。必死に名前を呼んでも、その背中は振り返らない。


「私ね…!」


その背中を振り向かせなければと言う強い思いから、咄嗟に口から言葉が溢れてくる。


「リルが羨ましくて仕方なかったの。初めて声をかけてくれた時から。だって貴方はとても魅力的で、きっと私なんかよりも、もっと大切な何かなんて、すぐに手に入るでしょう?それならって思ってしまったの。一つくらい良いじゃないって…本当にごめんなさい。今なら、あの時の私は、なんて…」


「…本当に、そう思っているの…?そんなわけないじゃない。」やっと歩みを止めたリルは、耐えかねたように振り返り、ベラに強い瞳を向けた。


「ベラは知らないかもしれないけど、世の中望むモノを全て手に入れる事なんて不可能なのよ。もしそうなら、私の傍にまだお母様はいるはずなの。そんな風に考えるのは傲慢だわ」


吐き捨てるように、ベラに向けられる言葉は、とても痛かった。自分のあまりにも幼すぎる言動を非難されているのだ。そんな風に言われるまで、自分が幼いと思ったことも、言動を否定される事も知らないから、それはただただ痛く、苦しい言葉達。それでも受け止めなけれなならない言葉達だった。


リルはそこまで一息に言い終えると、少し呼吸を整えて、


「でもきっと私はベラのそういう所に惹かれたんだわ。私は、怖がりで、好奇心よりも恐怖が勝ってしまうの。そんな自分が嫌いだわ。でも貴方は違うでしょう?どんな事にも目を輝かせて、楽しむわ。私はそんな瞳が好きなのよ。十分魅力的じゃない。」


「じゃ、じゃあ、許してくれるの?」

「許す?そうね…」


悩む素振りをするから身構える。彼女と“友人”ではなくなってしまうのかと思うと、数分前の自分を呪いたくもなっている。しかしそんなベラを見て、リルは楽しむように悪戯な視線を送る。


「そもそも、貴方が何かを言おうとしているのを見ただけで、実際の言葉はなかったわ。あの後に続く言葉を聞いていないの。なら、許すも許さないもないんじゃないかしら」


そんな屁理屈のような、そうでないような言葉にベラは拍子抜けをしてしまう。思えばリルは大人しい顔をしながら、時々悪戯っ子のような表情を浮かべる子なのだと思いだす。ベラにはすぐに分かった。これはリルなりに、自分を許してくれる言葉なのだと。そしてやはり魅力的だとも。


「それじゃあ、私は貴方に勝手に謝るわ。本当にごめんなさい」


それを聞いて満足そうなリルに、ベラは思わず言葉が溢れた。これは紛れもない素直な気持ちだとリルには届く。


「それと…さっきは言えなかったけど、私、リルの事大好きだわ」


その言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、次の瞬間にはまるで花が咲いたかの様に笑顔になった。


「そんなこと知っているわよ。だって私達は、友達でしょう?」


あの時はピンとこなかったその言葉も、今のベラには分かる。そう、自分達は紛れもない“友達”なのだと。



あっという間に日は暮れて、女たちは再び集められた。初日と唯一違うのは、ベラはあの時の様にワクワクしていないことだ。


自分はついに望むモノを手に入れる事が出来なかった。それは王子様に会うことを許されないと言うことだ。もしかしたら、自分も夢に見るほど憧れた、恋慕を抱くことが出来て、大切にしたい、大切にされたいと言う思いが叶うはずだったのに。


彼女達を見下ろす位置に、あの初老の男性が現れ、「皆様、三日間お疲れ様でした。あなた方の望むモノは手に入れる事ができたでしょうか。」と、集まった面々を見る。彼女達は自信満々の笑みを浮かべている者から、落胆を隠しきれない者まで様々だった。


「まずは、残念ながら手に入れる事が叶わなかった方々には、お帰りになっていただきます」


そう言った途端、その場にいた女性たちの中で、1人、2人と泡の様に消えていく。心の準備などする暇もなく突然の事だった。手に持っていた物がその場に残されていく様は、何ともあっけなかった。その中には、自信を滲ませていた者もいた。きっと彼女の本当に望むモノは、手に入れたモノではなかったのだろう。


部屋の人数が三分の一ほどまで減った。次か、次かと待っていたベラは、早く止めを刺してくれという気持ちで、自分の番を待った。しかしいくら待っても、自分が消えることはない。


「それではいよいよ、あなた方の王子様のもとへ。」


「ま、待って!私はなにも手に入れる事が出来なかったわ!」


消える覚悟をしていたのに、死刑宣告が伸びたような気持ち悪さに、ベラは思わず人目を憚らず叫んだ。大声で叫ぶなんて、お行儀が悪いと教わってきたのに、それどころではなかった。その声に何人もの視線が刺さる。


そう言われた男は、手元に持っていた資料と思わしき物をペラペラとめくり、ベラを笑みを湛えて見やる。


「そんなこと、ありません。あなたは十分望むモノを手に入れているはずです。」

「え…?」

「人は当たり前になったことに気づけないものですよ。周りをよく見渡してみてください。他の方とは違い、目に見えない物ですので、気づいていないのですね」


言われた通り、自分の手を見ても何も持ってなんかいない。途方に暮れて、視線を向けて成り行きを眺めている者に視線を送ると、少し離れた所にいる、リルと目が合った。



“望むモノ”それが突然分かったような気がした。そんなベラへ笑顔で手を振っている彼女こそ、ベラの望むモノなのだ。あんなにも友人が欲しいと望んでいたはずなのに、それに気づかなかったなんて。いつの間にか、リルが傍にいてくれる事が自然の様に感じていたのだ。絶対だと感じていたあの本のことなんて、本当にそう思っていたのか、今となっては分からなくなっていた。その証拠に、あの時に渡してしまった後悔なんて一ミリもないのだ。そんなことよりもあの時は、リルに謝る方が大切だったから。



ベラの表情で、望んだものに気づいたと確信した壇上の男は、再び前を向き、宣言する。


「さてさて、今から、そちらに向かっていただきます。焦らなくて大丈夫です。なんせ王子たちは気が長いので。」


その言葉にソワソワしだした彼女達を見渡すと、男は再びベラへ視線を向ける。そして少し眉を下げ、申し訳なさそうに囁いた。


「でも、貴方は少し急いだほうが良い。他の方とは違いますから」


ベラは何を言われているか分からなかったが、急がなければならないと言われれば、そうする他なかった。



いつの間にか現れていた後ろの扉が、ギギっと軋みながら開く。そこへ向かう彼女達の中から、リルを見つけて、駆け付ける。


「私ね…!貴方が望むモノだったのよ!でも私は急がなくちゃいけないみたいなの。どうしてかしらね」

「なら、私も一緒に急ごうかしら、なんせ私は貴方の望むモノだから」


ベラの大好きな悪戯っ子の表情を浮かべたリルと、2人して廊下へ出ると、見たことがないのに、どちらへ進めば良いのか分かる道が続いていた。他の参加者もきっとそうなのだろう。それぞれの向かう方向へ足早に進んでいく。もう彼女達に迷いも不安もなかった。あるのはただ、思い焦がれる気持ちだけだ。


逸る気持ちに反して、その道のりは思った以上に長かった。同じような廊下を進んでいると、その道中に誰の物かは分からないが、アンドロイドが集まっている。何事かと2人して横目で見ると、彼らは故障した1人を助けようとしていた。


ベラは歩みを止めようとしたが、先ほど言われた急いだほうが良いと言う言葉が脳裏を過り、歩みを止めることが出来なかった。しかし隣のリルは違うらしい。パタッと足を止めると、迷った様子もなくそちらに向かって行った。


「リル…!」

「私は大丈夫。この子たちに少し手を貸してから行くわ。だからベラは先に進んで」

「でも…」

「友達だから、望んだものを全て手に入れて欲しいと思うのよ。だから私の願いを叶えて」


こんな時まで、悪戯に笑うから、それに従わざるを得なかった。それはベラの事を考えて、ベラが気にしないように選んでくれた言葉なのだと分かったから。それを無碍になんてできなかったし、それこそリルは望んでいないと思った。


そしてやはりリルは、自分が今まで出会った誰よりも強く、魅力的な人間だ。彼女は自分のことを怖がりで、嫌いだと言うが、ベラはそんなことないと思う。今だって、本当の怖がりというのは、こんなに大胆な行動は出来ない。


ベラは、再びあの日に感じた“負けた”気がした。しかしあの日の様にマイナスな感情なんて少しもなく、それは間違いなく憧れと尊敬だった。でもそんなリルは、私の事を魅力的だと言ってくれたから。それだけで十分だった。


「私は貴方の幸せも望んでいるわ。だから必ず…」


リルは笑顔でその言葉に頷き、早く行ってと言うようにベラの進む道を指した。その先には、大きなエレベーターの光が見える。後少しだ。



そう思ったのも一瞬、その光は不穏な点滅を始めた。まるで苦し気に、最後の呼吸をしているかのようだ。


それを見て、ベラの直感が叫ぶ。これはもう長くは動かない。ベラの後ろにも何人もの参加者がいて、しかしその点滅に気づいているのはベラだけだ。きっとリルが助けに行った、ロボットはこのエレベーターの大切な部品だったのだ。



足を速めると、閉まりかけた扉が最後の力を振り絞り閉じようとするところだった。閉まる扉の中で、先ほどベラが感じた直感を他の参加者も感じたのだろう。目の前で絶望を隠せないいくつもの顔を見送った。



乗り込んだエレベーターの中は静寂だった。無機質な機械の動作音だけが響いている。リルは大丈夫だろうか、もうカップケーキには会えないのだろうか、私の王子様はどんな人だろうか、どうして私は急がなければならないのか――。


着いた扉の先は、初めは真っ白で、何もないと思った。目が慣れると、ただ真っ青な空が、太陽の目がくらむような強い光を届けているのだと分かった。どこまでも続いている、真っ青な空。透明で、眩しくて、それでいてずっとそれを見ていたいと思ってしまう。それをうまく言葉に出来ないことが悔しくなるほど、それは、それは美しい場所だ。

しかしよく見ると、今立っている場所が地上ではなく空の上なのだと分かった。空に浮かぶ真っ白な大理石のホール。そこを中心に、その先はいくつも分岐し、細い道を経て、また別の島々に続いているようだ。その細い道の両端には細い、しかし途絶える事のない滝が水しぶきで太陽を反射しながら流れている。まるで絹の糸を、幾重にも垂らしているかのようだった。



再び自分の降り立った場所に視線を移すと、その先で男性が微笑みを湛えてこちらに近づいてくる。彼を一目見て、すぐに分かった。この人が……私の王子様だと。



「はじめまして…」


そう挨拶をするが、なんだか初めて会った気はしなかった。どこかで会ったような、遠い昔から知っているような、どこか懐かしい気がした。もしかしたらこういった感覚を、人は運命と呼ぶのかもしれない。酷く緊張して、顔に熱が集まるのが自分でもわかった。


「君を待っていたんだ」

「私も貴方に会うために…」


そこまで言って、ベラは口を閉ざす。そしてさっきまでだけで、色んな人が消えて、騙していった彼女の顔が脳裏を過ぎる。結局あの彼女の望むモノがあの小説だったのかは分からない。しかし騙した事実は消えてくれない。


それでも彼に会いたかった。それと同時にでもこんな私じゃ、その隣には似合わないとも思ってしまう。途端に自分が酷く汚く感じて、恥ずかしかった。思わず、そんな汚れて見える自身の両手をぎゅっと握りしめる。


「無我夢中だったの。ここに来ることだけを目指してた気がするわ。そして貴方に会うことだけを。でも、それでもそう思っている子は私だけでは無くて…彼女達全員がここに来られたわけじゃないの。だから私だけ、こんなに綺麗な場所で、こんなにも素敵な思いをしていても良いのかしらって…。分からなくなっちゃった。私は貴方に出会うことを許されて良かったのか、自信がないの。」



自分の口から出た言葉だと信じられなかった。自分を恥ずかしいなんて、ましてや人より劣っているかもしれないなんて考えたことが無かった。だって、私の周りは、いつでも私が一番だと言って、大切に、宝物みたいに扱ってくれていたから。それが真実だと信じて疑わなかった自分が、今では信じられない。



ベラの支離滅裂な、それでいて言い訳をするように重ねる言葉を、彼は黙って聞いてくれている。まるで全て分かっているとでも言うように。


「ベラ、君は綺麗で美しいよ」

「私は…綺麗じゃないわ。綺麗じゃなくなっちゃったの」

「そんなことはないさ。僕は、君に、どうしようもなく、恋焦がれていた」


そう言いながら王子はベラの頬に手を伸ばす。瞳を見つめればそれだけで、彼が本心でそう思っていてくれているのだと分かる。

彼が綺麗だと言ってくれて、たった一人にそう言われただけで、こんなにも嬉しい。思わず笑みを浮かべたベラを見て、彼もまた笑みを深めた。


しかししばらくそうして見つめ合った後、いきなりその体温がベラから遠ざかる。そして彼は言いづらそうに、少し視線を外してベラに告げる。


「でも、もう時間だね」


他の参加者はそれぞれ出会った王子様たちと、分岐の先にある島へ歩みを進めている。しかし目の前の男は、そうする気配もなく、ただただ悲しそうにベラにそう言うのだ。


「私だけ…どうして…?せっかく会えたのに」


そう言いながらも、ベラは気づいていた。ここに来る前に言われた言葉はきっとそう言うことだったのだ。


「僕もそう思うよ。でもこれが決まりなんだ」

「決まり…?」

「うん、この世界での、僕と君の決まりだよ」


それが決まりだとしても、納得できないベラは、無言で彼に説明を求める。彼はそれに気づいて、言葉を続けた。


「ここにいる僕たち以外の人間は、ここに来た時点でもう、ここからは離れられないんだ。決して、帰りたいのに、帰してくれないのではなくて、帰りたくなくなってしまうんだよ。だって彼女達の望む王子が

ここにいるのだからね」

「望む…?それなら、みんな既に手に入れているはずよ…?」


そう言うベラに、見せた方が早いと思ったのか、王子は周囲を見渡し、一組の男女を指さした。


「例えば彼女達を見てごらん。あの王子はとてもハンサムだ。きっと彼女はかっこいい王子を望んだのだろうね」


続いて、その少し先にいる一組の男女を指す。


「そしてあの王子は、たくさんの贈り物を抱えている。きっと彼女は溢れるほどのプレゼントを望んだのだろう」


彼らを少しだけ羨ましそうな瞳で見つめた後、彼はベラへ向き直り、自分達は違うのだと、悲しそうでいて、少しだけ誇らしそうな顔と声を出す。


「ね?こういう風に」

「なら、私達は何が違うの…?」


この話を聞いていくうちにベラは分からなくなっていた。どうして彼はそんな表情を浮かべているのか。そして望んだ王子が手に入ると聞いて、もともと現実とは思えないこの世界ではあり得るのだろうと、百歩譲って分かる。しかし、自分達はこの世界で、その他の彼女達と何が違うと言うのだろうか。


「僕のせいなんだ。僕が君に本気で恋をしてしまったから…そしてきっと君もそうなんだろう?

物は一度手に入れれば、ずっと手元に残るだろう。でも気持ちは違うんだよ。変わっていくかもしれない気持ちを、君は望んでいないから。」


ベラの気持ちをそう断言した彼は、自分で言ったのに、傷ついた顔をしている。そして諦めを滲ませている。


「君が望むのは、変わらない恋だ」

「変わるかなんて…分からないじゃない」

「ああ、分からないからこそなんだ。この先は分からないから、時間が限られてしまうんだよ。変わらないうちに離れなければ、望むモノにはならないだろう?」


そんなことは無いと言いたかった。私の気持ちは本気だと伝えたかった。しかしベラは頷く事しか出来ない。だって時間が無いと言うのだ。それなら、この時間を大切にしなければならない。あとどれくらい残っているのか分からない、この時間を。


「な、なら、貴方の帰りを私が送り届けるわ。あなたには帰る場所がここにあるんでしょう?」

「ああ、それならそこまで僕がエスコートをしよう。最初で最後のデートだ」


その言い方が、悲しくも嬉しく、ベラの視界が滲んだ。夢に見ていたデートなのに、どうしてこんなに悲しいのか。最後というのは、こんなにも苦しいものなのか。ならば、先ほど王子が言ったように、変わっていくということに自分は耐えられそうにない。


ゆっくりと、なるべくこの時間が長く続くように、2人は一つの道へ進んでいく。その道中では王子に寄り添い、腕を重ねて、一瞬でも長く、その体温を感じていた。側にいてくれることを確かめるように、顔を覗き込み、視線を交わした。そしてたくさんの話をした。こんなに短い距離では、何を話せばいいのか分からず、ただただ、これまでにベラの出会った好きなもの、そしてそんなもの達よりもこの景色が美しいと言う事を話した。すぐ側にある別れを意識しないように、話しを辞めなかった。それを彼は頷きながら、時に笑いながら聞いてくれる。彼の話も聞きたがった。何が好きで、何が嫌いか。今までどんな景色を見てきたのか。聞きたいことは山の様にある。


しかし、ベラの視界は、一歩、また一歩と先に進めば進むほど狭くなり、意識が薄らいでいった。それでも最後まで、こんなに短かった時間を楽しみたいと、胸に刻み付けておきたいという気力だけで話し、歩く。彼が立ち止ったのは、一本の分かれ道だった。ついに…そんな絶望を抱えながら、ベラは最後にどうしても伝えておきたい言葉が浮かんだ。今の自分に出来る、一番伝えたい思い。


「ここで、お別れだ」

「そうね…本当に、心から愛しているわ。出会ったばかりで、こんなに短い時間だったけど、それでも疑いようもない程」

「僕もだよ。ずっと君を待っていたし、これからも…」


そう言って、彼の唇がベラの唇に軽く触れると、眉を下げて愛おしいものを見つめる瞳と目が合った。ベラはもう立っているのも難しく、膝から力が抜けて崩れ落ちるその瞬間まで、その顔を見つめ続けた。彼はその体を優しく支え、そんなベラの瞳を受け止め続けた。




気づけベラは、迎えの馬車の中だった。

視線を巡らせると、ずっと昔に会ったような、つい先ほどまで一緒にいたような、あの男がこちらを見ていた。そして一言、「どうでしたか?」とベラに尋ねる。そんな質問に答えるよりも先に聞きたいことがありすぎて、何から聞けばいいのか分からない。


「カップケーキ…」

「馬車のことでしょうか?」


言われて初めて気づいた。行きは、好きなものだと思っていたそれは、ただの小さな馬車へと変わっていた。それを引く馬は白銀で美しいはずなのに、今はそれに心が動かない。それよりも、リルの事、王子の事、カップケーキの事ばかりが頭を過る。


あの子がここにいてくれたら、私の疑問を説明して、答えをくれるのにと思った。まだ知らないことも、分からない事もあるのに。たったの数日間では全て話すのは無理だったということが、今更ながら悔しくなる。


「いや、それもそうだけど、そうじゃないわ。カップケーキっていう友達が出来たの」

「それはまた、何とも可愛らしい名前の友達ですね」


「リルも、彼もどうなったのかしら…?」


そう尋ねると、男は眉を下げて困ったように笑った。その表情を見ていると、ベラはその答えをもらえないのだなと感じた。


「いや、きっと教えてくれないわよね、なんだかそんな気がするわ」

「ええ、その通りです。というより、答える事が出来ないのです。私はリルという少女のことも、王子のことも、カップケーキという友達のことも、知らないのですよ。それは姫だけが知り、持ち得るものですので」



「もう一度お尋ねします。どうでしたか?」



「そうね…とても楽しくて、素敵で、それでいて悲しかったわ。今も苦しいままなの。どうしてかしら」

「そうですか、望むモノが手に入ったようですね」

「私はこんなに苦しいのは、望んでなんかいなかったわ」

「そうですか?」


苦しいのは嫌いだ。そして寂しいのも、悲しいのも大嫌いだ。それは今まで知らなかったが、すぐにベラの嫌いなものになった。それでもそれと引き換えに手に入れた幸せも、喜びも、どうしても手放したくない程好きなものなのだ。


「…嘘ね、苦しいけど、とても素敵な時間だったの。これは忘れてしまうのかしら」


ベラはこれもきっとそうなのだろうと思った。この時間は、私の手の中から零れ落ちて行ってしまうものだと。でも今のベラはそれがどんなに難しいことだとしても、それを諦めたくなかった。絶対に忘れてなどやるものかと強い気持ちが生まれる。


「それは貴方次第ですね。友情も恋愛もその形は、人それぞれですから」


続けて「これは、私の独り言ですが…」そう前置きをして、男はベラへ向けていた視線を、月と星だけの空に移し、話し出す。


「貴方は、初め、この馬車のことをカップケーキだと言いましたね。それも宝石をあしらった。しかしこの馬車は今も初めも、このままなんですよ。でももちろん、ただの馬車なわけではありません。貴方が見たいものに姿を変える事が出来るのです。」


「さて、今のあなたの目にはこの馬車はどう映っているでしょう?」



友情も恋愛も、綺麗なままでいてくれるものではないらしい。そもそも綺麗なままでいてくれるものなんて一つもないらしい。それもこれも全て自分次第なのだ。自分次第で、綺麗にも、醜くもなってしまう。

あんなに大好きなドレスを着ているのに、あれだけ自分を疑う事はなかったのに、それでも私はずるい事も、酷い事もした。


そんなこと本では教えてくれなかった。変わるかもしれないものを、確かにベラは望んでいない。そして変化とはとても怖いものだ。しかし、もし変わってしまうのだとしても、あの数日の時間は、変わらないように大切にする努力をしたいと思えるほど、新鮮で、美しかった。そしてそれは恐怖を伴う感情だった。


幾度か私に向けられた“可愛い”という言葉。好きなものを苺ソースのカップケーキだと、それを疑わなかった私。自分自身を可愛いと、誰にとっても大切ば存在なのだと疑わなかった私。自分の中には、そんな小さく、そして不確かで幼い確信しかなかった。きっとそういう私の中の世間知らずで、傲慢な部分を指されていたのではないか。確かに少し前の自分は、何も知らない、ただ好奇心の塊だった。何も怖くない代わりに、何も大切ではなかった。


しかし今の私は、大切と一緒に恐れを知ってしまった。これが幸せなことなのかは、まだ分からない。今はただ苦しくて、悲しい。もしかしたら、この先、時間の経過とともにこの気持ちも色あせてしまうのかもしれない。



私も怖がりだったと、今は傍にいてくれない友人にそう教えてあげたい。そして、それでもそれを諦めないと言うことも。そんな思いが届くようにと、隣の男と同様に空を見上げた。





数年後


あの夜、どうやって帰ってきたのかは覚えていない。ただ目を覚ますと、そこは見慣れた天井だった。そんな長い、長い夢を見ていたようだ。


一筋流れた涙を、手の甲で拭い、起き上がりカーテンを開けると、そこには広くて真っ青な空が広がっていた。それになんだか懐かしい気がして、再び頬を涙が濡らす。



あれから、ベラはそれまで以上に本を読んだ。カップケーキが傍にいてくれない以上、自分で知る事しか出来ないからだ。そして本では分からない事は、実際に自分で経験をしに行くようになった。知りたいという欲求を止められなかった。そしてそれに手を伸ばす事を諦めたくなかった。


そんな姿を見た両親は、ベラに家庭教師を雇ってくれた。ピンク色のリボンを付けた家庭教師の女性は、何でも教えてくれる。二人で、様々な所へ足を運んだ。博物館へ行き、美術館へ行き、帰る前には大きな本屋へ寄った。二人して紅茶を飲みながら、庭の見える窓辺で話す時間が何よりも楽しかった。



今日は、少し前に決まった許嫁との面会の日だ。今までだったら、もしかしたらと運命を信じて、気持ちが浮足立っているかもしれないが、今のベラは違う。もう本当の恋を知ってしまっている。それでも父からの言葉は頷くしかなく、渋々ドレスを着こみ、部屋を出た。



大広間に着くと、あちらの王子は既に来ているようで、ベラの入室を待っているそうだ。


「初めまして、ベラと申します」


従者が扉を開けると、ベラはドレスの裾を持ち上げて、そう挨拶をした。


「そのドレス、やっぱり君によく似合っているね。とても綺麗だ」


聞いたことのある声と、その言葉にハッと顔をあげると、そこには、懐かしい、思い焦がれていた男があの日と同じ笑みを湛えて立っていた。思わず、駆け寄ると、それを受け止めるために腕を広げて待っていていてくれる、逞しい腕。そうだ、間違えようもないこの体温は、あの日に出会った王子の物だった。


「どうして…?もう会えないのかと思ったわ」


彼は、抱き留めたベラの髪を梳くように撫でる。その胸に額を押し付けると、心臓の鼓動が聞こえた。それをもっと聞きたかった。これは現実だとそれだけが教えてくれる気がしたのだ。


「ああ、君がずっと僕のことを思っていてくれたから、またこうして会うことが出来たんだ。ありがとう。僕は君よりもずっと前から、君に思い焦がれていたよ」

「忘れたくても忘れられなかったの。あなたの事も、彼女のことも。酷いわ、こんなに苦しい思いをしたのは初めてよ。」


「貴方はずっと変わらない瞳を持っているのね、その強い瞳がやっぱり大好きだわ」


側から聞こえたもう一つの懐かしい声のした方を頭を見ると、そこにはリルの姿。


「リル…!あなたまで…!」

「久しぶりね、あ、でも今は王子の従者として来たのよ。だから、初めまして、ベラ様」

「従者…?」


「私は自分をお姫様だなんて一言も言っていないわ」


そう、悪戯な笑みを浮かべる。確かに彼女の見に纏う服は、姫の見に纏うそれではなかった。しかし、それでもあの品は少しも薄れない。それもあの日と少しも変わっていない、ベラの大好きな表情だ。


「貴方は…いつもそうね。私を驚かせる事が得意だわ」

「ふふっ」


ベラはリルに歩み寄り、その手を取る。


「あの時は言っていなかったかもしれないけど、私はその悪戯に笑うあなたが大好きだわ」


「それと、ベラ。私の願いを叶えてくれて、ありがとう」

「願い…?」

「言ったじゃない?あなたが幸せになって欲しいって」



それから三人で、様々な話を飽きもせずにした。ベラは今でも十分幸せだが、それでもここにカップケーキもいてくれたらと思ってしまう。


「ねえ、カップケーキの事、知らない?」


そんなベラの問いかけに、リルは気まずそうに顔を伏せた。それだけで、良くない事を教えられると分かってしまう。


「処分されてしまったらしいの…」

「え…?処分…?」

「何でも回線がバグを起こしてしまったらしいわ。あの日、助けに行ったロボットいたじゃない?彼らに聞いたの」

「でも、データを消されるだけだって…」

「プログラムされていないデータを消せなかったんだって」


そう言われて、あの子は感情を知ってしまったのかと思った。あの子にとって、それが幸せなことなのか、悲しい事なのかはベラには分からない。ただもし後者だとしたら、自分のせいだ。それがどうすることも出来ず、やるせなかった。そんなベラの心を救うようにリルが言葉を続ける。


「でもね、最後に言っていたらしいわよ。友達との思い出を消されなくて良かったって。嬉しいって」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


自分を信じるということは確かに素敵で、大切なことです。しかし、今一度自分を見つめ返してみると、綺麗な部分だけでなく、醜い部分にまで気づかされてしまうかもしれません。

しかしそれらを自分が自分だと受け入れる事が出来たのなら、また、人に受け入れてもらえることが出来たのなら、それこそ本当の幸せなのではないかと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/14 20:32 退会済み
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