学院生活編
ラボワール学院の門は意外と綺麗だった。底辺校は落書きが多いかと思っていたのだが、この世界では違うらしい。しかし、そう思えたのは校舎に入るまでだった。一歩足を踏み入れた途端、タバコの匂いと壁一面の落書き、どこかでガラスが割れる音に迎えられた。
「これこれ、世紀末って感じ」
一応上履きの文化はあったのか下駄箱と脱ぎ履きするスペースがあるが、生徒も教師も当然のように校内を土足で歩いている。ガラスやゴミが散乱しているので仕方がないだろう。ラギンは床にこびりついたガムをよけて入学式が行われる講堂へ向かった。
講堂に入る前から怒声と殴り合う音が聞こえてくる。ここは地下格闘技場か何かだろうか。
「お前なめてんじゃねぇぞ」
「ぶち殺してやる」
「どっちが上かはっきりさせたらぁ」
ギラついた高校生たちが血飛沫を上げながら青春を謳歌していた。
「えー、静粛に。ただ今からラボワール学院第123回入学式を開会いたします」
あちらこちらで乱闘が繰り広げられているが、構うことなく式典が始まった。教師たちは粛々とすすめていく。学院長のハゲの話なんて誰も聞いていないのに、気にせず滔々と語る様は流石である。
「それでは以上を持ちましてラボワール学院入学式を終了いたします。生徒は貼り出されたクラス分けに従い自分の教室へ向かいなさい」
講堂の壁に大きな紙が貼り出されている。クラスと名前が書いてある。ラギンは一年C組だった。同じクラスにも他のクラスにも見知った名前はない。
「お前C組?俺も!よろしく!」
突然横から話しかけられた。見ると短い金髪をツンツンに立てた奴が満面の笑みでラギンのことを見ている。
「誰?」
「俺はグリル・ウォーカー。c組だ。よろしくな」
手を差し出されたが、胡散臭いので握手はしない。宙に彷徨った手は、何故か嬉しそうに鼻を掻いた。それから教室までの道すがら、グリルが話しかけてきた。適当に答えていたが、なかなか不良界の事情通らしい。
「だからよ、俺らのC組で有名なのっつったら、やっぱドゴリアだな。」
「ドゴリア?」
「そうだよ。しらねぇのか?南地区の白ゴリラ」
「なんだそれ。ゴリラなのに白いのかよ。アルビノか」
「アル…なんだって?ドゴリアはとにかくデカくて馬鹿力らしい。あと色白らしい」
「まんまだな。悪口じゃないのか」
「俺も会ったことはねぇけど、別に本人に言っても怒らねぇらしいぞ。それこそゴリラみたいに温厚なのかもな」
「よくわからんが、とにかくそいつが強いんだな」
ラギンとグリルは教室についた。ここでも怒声が飛び交っているかと思ったが、静かだった。ラギンがドアに手をかけて開ける。
「なんだこりゃ」
グリルが驚きの声をあげる。
教室の中には異様な光景が広がっていた。椅子や机は1つもなく、三十人ほどのクラスメイトは全員床に正座している。よく見るとアザや出血している者もあり暴行を受けた後のようだ。教壇には一際大きな男が気を失って横たわっている。ゴツいが透き通るほどに色が白い。これが白ゴリラことドゴリアだろうか。
「遅かったな。お前らでこのクラスは最後だ」
1人だけ無傷で窓の外を眺めていた男が、振り返りながら言った。細面で長髪の美男子だ。背も高い。共学ならば別のクラスの女子が見に来たりするような
タイプだ。ただ、あまりに無表情なのでマネキンのように感じてしまう。
「誰だ?なんかやばそうなやつだな」
「フェ、フェガ・サイリングだ。あいつもこの学院に来てたのか」
グリルは知っているようだ。
「誰?あれも有名人?」
「あのフェガだよ。お前本当に何も知らねえんだな。1人で50人の不良チームをつぶしたっていう、冷酷な貴公子フェガ・サイリング。ドゴリアなんかより100倍ヤバい」
「そうか。この学院のやつは、皆んな二つ名があるのか?白ゴリラだの貴公子だの。グリルもあるのか?金の情報屋とか?」
「バカお前、そんなこと言ってる場合かよ。あと二つ名があるのは有名人だけだ」
2人が言い合っている間に、フェガがゆっくりと歩み寄ってきていた。正座しているクラスメイトたちが憐れみの目でラギンとグリルを見ている。
「お喋りはそのくらいで良いだろう。お前らも俺にひれ伏せ」
言い終わる前にフェガはラギンに殴りかかっていた。鋭い右ストレートを紙一重でかわすラギン。続け様に左のボディー、右のフックがくるが全て避ける。
「ボクサーか。早いな」
ラギンが放った貫手が脇腹に刺さる直前でフェガはバックステップでかわし、ハイキックをうってきた。驚きながら手の甲で受け流すラギン。
「おっと、キックもあるのか。失礼」
フェガが蹴りとパンチのラッシュで攻めてくる。ラギンは時に受け流しながら全てかわし、一瞬の隙をついて肘をフェガの顔面に叩き込んだ。鼻血を噴き出しながら吹っ飛ぶ。追い打ちに胃袋を蹴りつけ倒れたところに馬乗りになって正拳突きを顔面に叩きつけた。血まみれのマネキンは白目を剥いて床に伸びている。冷酷な貴公子の呆気ない敗北に唖然とするクラスメイト。
「ラギン、お前、強いな」
グリルが驚愕から復帰してなんとか口を開いた。
「こいつが弱いんだよ。」
「いやいや、あのフェガだぞ。それを1発もくらわずボコボコにするとか普通じゃねえよ」
「噂が大袈裟だったんだろ。お前でも勝ててたよ」
ラギンが肩をすくめる。実際、通っている古武道の師範たちに比べると全く脅威を感じなかった。早さだけで何の駆け引きもひねりもない攻撃。道場でまともに食らったら命が危ない攻撃を必死でかわしている身からすれば児戯に等しい喧嘩だった。
「とりあえず席に着こうぜって、イスもつくえもないのか。どこいったんだ。なあ、知ってる?」
ラギンが床に正座したままの1人に声をかけた。ピンクの髪で両横を刈り上げた、小柄な奴だ。唇が切れて左目の周りが腫れている。
「あ、窓から外に捨てた、です」
「捨てちゃったのかよ。なにその労力」
「クラスで1番強いやつを決めようって話になって、机とか邪魔なんで。あ、それで何人か喧嘩してやっぱドゴリアが強いなってとこでフェガのやつが乱入してきて。あっという間に皆んなやられちゃったんです」
「初日からハードモードだね。あと敬語いらないよ、同級生なんだし」
「そうっすか、名前なんて言うんすか」
「いやそれも敬語だから。タメ語でいいから」
「マジ?俺ペンタ。よろしく」
「ペンタ?変わった名前だな。俺はラギンだよ、よろしく」
ピンク頭のペンタとラギンは握手した。それから
他のクラスメイトたちとも自己紹介をした。全員で下に降りて机と椅子を教室に運んだ。ラギンが率先して動いたので文句を言うやつはいなかった。途中で白ゴリラことドゴリアが意識を取り戻した。説明を聞いて半信半疑だったようだが、いまだ倒れたままのフェガを見て納得したようだ。
「俺ドゴリア・フランラン。お前強いんだな」
「俺はラギンだ。大したことはない。世の中にはもっと強い奴がいる」
ドゴリアの名前の意外な可愛さに笑いそうだったが我慢した。
起き上がったフェガの話によると、フェガはA組で、既にクラスはしめているらしい。B組の頭はフェガの仲間がまとめていてA組の傘下。ラギンは知らなかったが、講堂での乱闘は先にクラス分けの表を見ていたそれぞれのクラスで頭を決める喧嘩が始まっていたとのことだった。教室に入ってから始まったC組の方がのんびりしていたのだろう。
「俺は負けた。完全に負けた。A組とB組は、C組の下につく」
フェガがそう言って頭を下げた。
「ちょっと待てって。上とか下とか良いから。そんなつもりもないし」
ラギンが断ると、無表情なフェガの顔に僅かに怒りが浮かんだ。
「俺はお前に負けた。お前の方が強い。お前なら一年の頭をはれる。上にたて」
「そう言われてもなぁ」
「いいじゃんかラギン、向こうがそう言ってんだから。それに別にお前の部下になるとかでもないし。
何かあったら味方になるってことだろ」
グリルが横から口を挟んでくる。
「そんなもんかね。でも俺一年の頭とか狙う気ないぞ」
「その内嫌でも他の奴から喧嘩売られるよ。ここをどこだと思ってんだよ。悪名高きラポワール学院だぞ」
ラギンは思い出していた。そう言えば、不良になるんだったと。真面目に生きてても理不尽に殺されるだけだった。
「やってみるか」
「ん?」
「いや、せっかくだし頭狙うのもいいかなって」
「お、おう。どしたんだ急に。まぁ学年7クラスしかねえからな。あと4クラス倒しゃいい」
グランが指を折るのを手のひらで抑えた。
「いや、やるなら一年の頭じゃない。この学院の頭を取る」
ラギンが言い切った。グランが驚きで口を開けたまま固まる。フェガも目を見開いている。すぐに反応できたのはペンタだった。
「やべぇ。すげぇ。マジっすか。学院の頭とか格好良すぎっす」
敬語はやめろと言ったが、ペンタはこれがデフォルトらしい。
「2年と3年も7クラスずつだろ。あと18クラス倒せば良いのか」
「2年と3年にはそれぞれ頭がいる。そいつらを叩きのめせば、全部のクラスを相手にする必要はない」
フェガが助言する。
「よし、じゃあまずは、1年制覇だ」
グランが1年の状況を調べてきた。残りのD〜G組のうち、D組とG組は同じ暴走族がまとめているらしく、暴走族の名前は『円平羅』。何となく甘そうに感じたのは、字面が金平糖に似ている気がしたからだろうか。E組は『爆弾ロケット』モハイル・ボム、F組は卑怯で有名だという双子ガリッス・モンドとグリッス・モンド『ダブルモンド』が頭だという。ラギンの前世の不良漫画でも二つ名のネーミングセンスには目を見張るものがあったが、それはこの世界でも変わらないらしい。基本的に不良界隈は厨二病から成長しないので仕方がないとも思えた。
爆弾なのかロケットなのかはっきりしないモハイル君は、すぐにラギンのところへやってきた。筋肉バカだったのでモハイルの大振りの攻撃はかすりもせず、腹部への連打で呆気なく沈んだ。念入りに腹の背中側からも打ち込んだのでしばらく血尿に苦しむだろう。
双子からは一度直接話し合おうと手紙が来た。同じ学校なんだから教室にくれば話せるだろと思ったが、グレンに言わせるとそんな簡単はものでもないらしい。頭と頭の話し合いにはちゃんとした場が必要なのだとか。大層な話だが、漫画っぽいのでラギンも乗ることにした。
「お互い連れは3人までってことだけど、誰が一緒に行く?」
「俺は行くぞ。こんな面白そうな場面見逃す手はねぇ。ラギンの右腕は俺だからな」
ケンカは全くしないグレンだが、その情報量は役に立つので右腕を自称しても突っ込まれなかった。
「俺もいく。もし喧嘩になったら必要だろう」
仲間でラギンの次に強いのはフェガだ。異論はない。あと1人に立候補したのはドゴリアとモハイルだった。2人の実力は拮抗している。入学以前にも喧嘩して引き分けているらしい。ここで決着をつけようかとし始めたので、ラギンの一声で最後の枠はペンタに決まった。特に意味はなく、喧嘩も弱いし頭が回るわけでもないが神経が図太かったからだ。相手や状況に動じないところがある。空気が読めないだけだとも言われるが、恐怖に耐性があるとラギンは思っていた。本人は渋っていたが、喧嘩になったら真っ先に逃げて良いということで決定した。
場所は町外れの公園だった。ラギンたち4人が約束の時間に行くと、すでにダブルモンドとその仲間たちはきていた。相手は全部で8人だった。
「おい、連れは3人じゃないのか」
ラギンは声にやや怒気を滲ませていった。
「そうさ、3人だよ。俺の連れが3人で、弟の連れが3人。手紙にゃ俺たち2人の名前が書いてあったんだから、あってるじゃねえか」
ニヤニヤ笑いながら答えたのが兄のガリッス・モンドの方だろう。右目の周りに蛇の刺青が入っている。瓜二つの顔で左目の周りに同じ蛇がいるのが、弟のグリッスか。こちらも嫌らしく笑っている。
「気に入らんが、まあいい。それで何を話し合うんだ」
「そんなおっかねえ顔すんなよラギンちゃんよ。一年の頭の話だよ。知ってのとおりDとGは円平羅がまとめてる。頭は円平羅の特攻隊長やってるG組のオゴン・チャプスだ。こいつをな、一緒に潰さねえかっつうお誘いよ」
「どうせ円平羅とはやりあうが、お前ら双子と手を組む必要があるのか」
「もちろんあるに決まってるからこうして話し合ってんだろ?円平羅はこの学院の2年が作ったチームで、総長は2年の頭のジラッドだ。オゴンとやるなら、2年とやりあう覚悟がいる」
その辺の事情はグレンに聞いて知っていた。もちろん2年も倒すつもりだ。
「とっくに覚悟はしている。2年も3年も倒す」
「3年も?ふん、口だけは立派だな」
「何?」
「おいやめろグリッス」
ラギンの言葉を鼻で笑った弟グリッスをガリッスが嗜めた。グリッスは不満そうだ。
「フェガ、お前本当にこんな普通のやつにやられたのか」
グリッスがフェガに声をかけた。今度はガリッスも何も言わない。
「本当だグリッス。手も足も出なかった」
律儀にフェガが答えた。フェガと双子は面識があるらしい。
「つまり、俺たちは戦力が欲しいんだ。お前らABC連合はE組のモハイルも仲間にしたんだろう。数じゃあ一年最多だ。俺たちと組んで円平羅食っちまおうぜ」
ガリッスが右手を差し出してきた。握手をすれば同盟成立というわけだ。ラギンは少し悩んだ。別にわざわざ喧嘩をしてから仲間になる必要もない。これで1年がまとまるなら話が早いというだけだ。手を動かしかけた時、空気を読まないペンタが突然言った。
「つまり、F組もラギンさんの下につくってことっすか?」
ラギンの手が止まる。ガリッスとグリッスの顔がみるみる赤くなっていく。
「は?何言ってんだテメェ。俺たちが下なわけねぇだろうが。そのピンク頭ぶっ飛ばすぞ」
グリッスがすごむが。ペンタは気にした様子もなく続ける。
「いやだって、自分たちじゃ人数足りなくて勝てないからお願いしにきたんでしょ。それじゃラギンさんが頭ってことじゃないっすか」
双子の頭には血管が浮き出ている。グリッスは今にもペンタに飛びかかりそうだ。ラギンとフェガが立ち位置を変えてペンタへのルートを塞ぐ。
「別にお前ら潰して飲み込んでからでもいいんだぞ。こんな普通のガキ、後でやるか先やるかの違いなんだからよ」
ガリッスも我慢ができず本音が出てきている。普通のガキと言われたラギンは、まだ不良と見らていないことに若干ショックを受けていた。
「後でやるとはどういうことだ。お前ら如きに倒せるとでも思っているのか」
フェガが一歩前に出た。これはあれだ、喧嘩になるやつだ。ラギンはやりあう覚悟を決めた。相手は8人、こちらは4人、とにかくグレンとペンタを逃さなければならない。
「ラギンさん、こいつら信用できないっすよ。話し合いやめましょうよ」
ペンタの口調は軽い。その意見には同感だが、すでに話し合いなんて決裂で終了して乱闘の流れになっているのが、わかっていないようだ。
「ペンタ俺たちの後ろへ行け。グレンも」
「はい」
「あいよ」
2人がラギンとフェガの後ろに下がる。ガリッスも黙ってはいなかった。
「お前ら全員まとめてやっちまえ」
配下の6人に指示を出した。どいつも悪そうな顔をしている。ガリッスがポケットからチェーンを取り出した。それを合図に、グリッスや他の連中も武器を取り出す。どこに隠していたのか特殊警棒や鉄パイプを持っている奴もいる。グリッスは折りたたみナイフを構えて笑っている。
「しょうもないやつらだな。話し合いじゃなかったのか。素手でタイマンもできないのか」
ラギンは試しに挑発してみたが、のってはこなかった。
「だから俺言ったんだよ兄貴、最初っから襲って潰しときゃよかったんだ」
「いいじゃねえか弟よ、今からでも好きなだけ切り刻んでやれよ」
8人はじわじわとラギンたちを囲もうとしてくる。ラギンは端にいる鉄パイプにねらいをつけて蹴りを放った。
蹴った鉄パイプが持っている奴の顔面に食い込む。鼻をめり込ませて倒れるところから鉄パイプを奪い、グレンに放り投げた。
「グレン、これ使ってくれ」
「サンキューラギン」
その間にフェガが1人殴り倒していた。双子はまだ自分たちは出る気がないのか、相変わらずニヤニヤしながら様子を見ている。
ラギンが正拳突きで1人吹っ飛ばし、フェガが別の1人の脳天に踵おとしをくらわせた。
「あと4人」
ラギンが次の相手の金的を蹴り潰した所で、特殊警棒を持った奴がグレンとペンタの方へ向かっていった。御しやすそうな方を狙ったのだろう。ラギンが助けに向かいかけた所で、目にしたものに驚いて止まった。
「せいっ」
グレンが鉄パイプを手に音もなく進み、特殊警棒の男の鎖骨を砕いたのだ。警棒を落としうめいてしゃがみ込むところに更に一撃を加える。男は動かなくなった。
「グレン、やるじゃないか」
「ああ、ケンカはイマイチだけどな、棒がありゃ負けねえぜ」
剣術的な何かを習ったことがあるようだ。ペンタの護衛も任せて大丈夫そうだったので、ラギンは改めて双子に向かった。
「2人のコンビネーション技とかあるのか?それなら2人まとめて相手するが」
「調子こきやがって。後で泣いて謝りやがれ」
「双子だからって息が合うと思うなよ」
グリッスのセリフに、息が合わないのかよと突っ込みたかったがやめておいた。バラバラの動きなら1人でも2人でもどちらでもいいだろう。ちらとフェガの方を見ると、目が合った。どちらからともなくうなづいて、それぞれが1人ずつ相手することになった。双子以外は既に全員のびている。
「お前は俺だ」
グリッスがナイフを構えてラギンの方へ突っ込んできた。
ラギンは小さいステップでグリッスへ急接近し、ナイフを持った腕を脇に抱え込んだ。そしてグリッスがナイフの刃の向きを変える間も無く、その腕を逆関節にへし折った。
ベキッ 乾いた音が響く。
「あああ、腕、腕が」
グリッスが折れた右腕を抑えてへたりこむ。その顔面に膝蹴りを叩きつけた。凹んだ顔面で吹っ飛ぶグリッス。倒れたところに、金的を踏みつけた。
玉が潰れる感触と、ヒキガエルのようなグリッスの悲鳴。そのままグリッスは泡を吹いて気絶した。
折れていない方の左腕を持ち上げ、肘を足で押さえた。そのまま関節を横に押し曲げる。本来の向きとは違う方向に押し曲げられて、簡単に折れる。伐採した枝を折るかのような作業。グリッスは気絶したまま一瞬びくりと身体を震わせる。
仕事を終えてフェガの方を見ると、何がどうなったのかガリッスは後ろ手にフェガに抑えられ、その身体をひたすらグレンが鉄パイプで打ち据えていた。しかもよく見ると鉄パイプにはチェーンが巻き付けてある。凶暴性が増したそのパイプで、殴られるたびにガリッスの皮膚が抉られ血飛沫が舞う。見てるだけで痛くなってきそうな光景だった。
「ちょっとそれ、やりすぎじゃない?」
ラギンの問いに答えたのはペンタだった。
「いやー、こいつね、フェガさんに勝てないと見るや、家族に手を出すとか言い出したんすよ。母親や妹に地獄を見せてやるぞ、なんて。それで脅しのつもりだったみたいすけど、怒り買っちゃったんすね、お二人の」
つまり自業自得だ。二度とそんなつまらない脅しができないくらい、徹底的に潰すに限る。チェーン巻きパイプが顔面にヒットしていろんな部位を削り取った気がするが、気にしないでおこう。
とにかくこの喧嘩は、俺たちの勝ちだ。
モンド兄弟が病院送りになり、F組もラギンの配下になった。モンド兄弟は揃って嫌われていたようで、喜びにむせひ泣きながらラギンへ礼を言ってくる生徒までいた。
気付けば一年はほとんどラギンの勢力下にある。エンペラーの息のかかったクラスを除いて。そこでラギンはエンペラーの頭と直接対決することにした。それで勝てば一年どころか二年も抑えられるので話が早い。と思っていたら、思わぬ報がもたらされた。情報を持ってきたのは、金の情報屋改め流血鬼のグレンくん。チェーンを巻いた鉄パイプでグリッスを血みどろになるまで殴っていた姿からついたらしい。本当二つ名が好きだな男子は。
そして驚きの情報とは、エンペラーの壊滅であった。グレンが興奮に唾を撒き散らしながら語ったところによると、2年の転校生が1人でエンペラーの頭始め幹部連中を軒並み倒してチームの解散を宣言させたらしい。しかもその転校生は、女だという。
男臭が蔓延しているため男子校と思われがちだが、学院は共学である。ただし飢えた猛獣の森にわざわざ住もうという物好きな女子はほぼいない。猛獣を一撃で倒せるゴリラか、存在感がブラックホールのような隠の者ぐらいである。しかもそんな異色な女子でさえ、女子というだけでモテるのだから学院の華のなさは極まっている。おそらく件の転校生もゴリラか怪獣の類かと思われたが、それが美少女らしい。信じはしないが期待はする獣たちが、夢物語に興奮する。この学院の美しいの基準がボノボのメスでもTOP3狙えるレベルだというのがよくわかっているので、ラギンは想像でスカートを履いたキングコングを思い浮かべた。確かに強そうだ。
美少女かどうかはともかく、そいつが一大勢力を手中に収めたことは間違いない。エンペラーを乗っ取らずに解散させたのにも、何か理由があるのだろう。
「よし、パスしよう」
ラギンが決意して宣言した。
「パス?何?」
当然周りは何のことだかわからない。
「ゴリラだろうがボノボだろうがチンパンジーだろうが、女子は女子だ。戦う気にならない。ってことでパス」
「じゃあ一年の残りと二年はどうすんだよ」
グレンが突っ込んでくるが、ラギンはめんどくさそうに手を振る。
「だからパスだって。向こうから何かしてこない限りほっとこう。次の目標は3年だ」
「マジかよ」
「大丈夫、大丈夫。なんなら元エンペラーの頭だけ呼び出して殴っとく?でもそれでコングが敵討ちにきたら嫌だしなぁ」
「なんだよコングって、美少女だっつってんだろ。フェミニストなのか蔑視なのかはっきりしろよお前」
グレンの言葉は最もだが、前世ではやりたい事がなくてただ生きているだけの人生だった。それで死ぬ時になって後悔した。せっかくの転生なので、今回は自分の欲求や感情に素直に生きたい。
「とりあえずさ、3年の頭に果し状送ってくれよ」
「本気か?」
「もちろん」
若干渋々ながら、グレンは承諾した。美少女へのお使いなら喜んで行ったのかもしれないが、生憎喧嘩もデートもする気はない。
「時間と場所は?」
「そうだな、次の金曜の夜7時にテンジン川の河川敷でどうだ?」
「いいんじゃね」
そうして、ラギンと3年の頭との決闘が決まった。相手が誰だろうが正式な果たし合いなら応じるのが男、学院にはそんな時代錯誤な文化があるので、ラギンにとっては楽だったとも言える。
そして決戦当日、テンジン川の河川敷にはラギン一派と3年グループの全員が勢揃いしていた。結構な人数である。土手や河原がむさ苦しい男子で埋まっている。野次馬も多い。元エンペラーやその他の生徒も物見遊山に集っている。間を縫うように、グレンとペンタ達が飲み物を売って歩いている。
「はい、掛け率はこちら、ラギンにかけるのいないの?倍率上がってるよ」
賭けの親元も始めたようだ。やはり3年に賭ける方が圧倒的に多い。歴史と知名度が段違いだからしょうがないが、ラギンが勝てば大儲けできるように自分たちで掛けて倍率を操作してある。期待とプレッシャーに身震いする、こともなく、ラギンは準備体操を始める。
3年の頭は、ボバル・ボロドバルシという濁点の多い大男だった。190センチの巨躯に鍛え上げられた肉体。およそ高校生とは思えないプロの格闘家のような風貌。右眉の傷跡がまた人相を凶悪にしている。
「お前が1年の跳ねっ返りか」
「跳ねてるかどうかは知らないが、1年だ」
「俺に挑戦する度胸は褒めてやるが、無謀はただの馬鹿だぞ」
「喋るなボバル。時間の無駄だ」
ラギンの言葉にボバルはギラっと目つきを変えた。
来る!ラギンがそう思った時には、ボバルの鉄拳がラギンの側頭部を捕らえようとしていた。
早い、が、単純!
ラギンが身を沈めながらボバルの肘に拳を叩き込もうとした時、
「崩山破!」
ボバルが叫びながら左の拳でラギンの心臓を殴ろうとした。
ラギンはとっさに後ろへ飛び退き、
「崩山破」
同じ技名を小声で呟きながら拳を出す。
ゴスっ
ボバルの拳は宙を切り、代わりにラギンの拳がボバルの脇腹へ突き刺さる。
「ぐばぁ」
ボバルが前のめりに倒れかかるところへ、ラギンが膝を出す。ボバルの鼻がひしゃげて鼻血が噴き出す。
「はっ」
気合とともにラギンの肘打ちがボバルの背中へ落ちて、決着がついた。ボバルは地面に伸びて意識を失っている。観衆は、余りに一方的な戦いに声も出ない。
「勝負アリ、だな」
グレンが言って、
「勝者、ラギーーーーーン!!」
ペンタがラギンの腕を高々と上げる。異論を挟むものはない。
ラギンは気になることがあったので、ボバルに近づき、気を入れて意識を戻した。
「はっ。俺、負けたのか」
「俺の勝ちだ、ボバル先輩。それより教えてくれ。崩山破と言ったな。あんたも道場に通ってるのか」
ラギンの疑問は、ボバルが日本流古武道道場の技を使ったことである。ただ正確には、技名を口にしたが使ってはいない。崩山破は拳に乗せた気功を相手の内臓にぶつけて中から破壊する技であるが、ボバルがしようとしたのはただ心臓を狙ったパンチであった。道場で先輩方が使う技とは似ても似つかない。
「おい、先輩、質問に答えろよ」
意識を取り戻してから地面に座り込んで荒い呼吸を繰り返すだけのボバルに、ラギンが詰め寄る。ボバルの仲間が気色ばむが、ボバル本人がそれを手で制した。
「1年の。名前なんだっけ」
「ラギンだ」
「お前、帯もらったのか」
「ん?道場のか?この間やっともらったよ」
「そうか……。そりゃ勝てねぇわけだ」
ボバルは下を向いて自嘲気味に笑った。
「どういうことだよ」
「俺はな、あの道場の練習に耐えられなくて、1ヶ月で逃げ出したのさ。だからなんの技も覚えちゃいないよ。崩山破だって技の名前しか知らない。」
ラギンは何も言えなかった。確かに道場の練習は死ぬほど厳しい。いや、死ぬほどというか気を抜くと死ぬ。何度も死にかけるか下手すりゃ死んでしまうのを前提に鍛えていると言っていい。実際修行の過程で運ばれていってそれっきり姿を見なくなる練習生も多かった。道場を辞めたのか、生きるのを辞めたのか。
「まだ通っているのか」
「道場の話なら、暇さえあれば行ってるさ」
「あの、地獄にか……。イカれてんな」
ラギンとしては特に異常なことでもなかったので、黙っていた。
「わかったよ。俺の負けだ。俺は今後お前の下に着く。おい!お前ら!わかったか!」
ボバルが仲間に向かって叫ぶと、ザワザワした。それはそうだろう。いきなり1年の下に着くと言われて納得できるような奴はこの学校にはいない。
「文句がある奴は、コイツに喧嘩売れ。答えてくれるよな?なぁ?」
ボバルに話を振られて、ラギンはため息混じりに頷いた。
「誰でもいつでも来いよ。タイマンじゃなくても良い。ただ卑怯な真似をしたら、潰すぞ。関係ない奴は巻き込むな。来るなら俺だけに来い」
このラギンの宣言で、学院の闘争は終わりを告げた。何人かラギンにタイマンを申し込んだ奴はいたが、徹底的にやられて全員病院送りになった。必ず骨を折られた。後遺症を残さないように注意しながら倒していたのだが、心の傷まではどうしようもなかった。かくしてトラウマを抱えて不良から足を洗う奴が増産された。
噂の美少女を除き、学院はラギンの元に収まった。結局2年も元エンペラー幹部の数人を除き、ラギンの下につくことになった。美少女とエンペラーの幹部達は、最近全く学院に来ていない。その他大勢の連中は、ラギンの圧倒的な喧嘩を見ているうちに忠誠を誓うようになった。
「本当に学院の頭になっちまったな」
感慨深そうに呟く。
「俺はラギンならやると思ってたぜ」
ペンタは嬉しそうだ。
「そう言えば、例の美少女は学院辞めたらしいぜ。取り巻きになった奴何人かと一緒に」
「結局何がしたかったんだろうな」
「さあな」
ゴリラだったのか美少女戦士だったのか、真実はわからないままだった。どうも目撃証言を集めると美少女の線が濃厚なのが見ていないものには少し悔しい。
「次はあれかなぁ。付近の学校をしめてまわるとか?不良の世界一を目指すとか?そんなのかなぁ」
ラギンは考えたが、どれもピンと来なかった。
「ま、なるようになるか」
それからしばらく、平和な日々が続いた。