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「お、今日の晩御飯は桜良ちゃんの手料理なのかい?」
「はい。おじさんにはいつもお世話になってますし」
「いやー、嬉しいね。お前らも料理作ってくれてもいいんだぞ?」
「俺らが作るときもあるだろ・・それに、今日だって桜良の手伝いはしたぞ」
「・・威張れるほどはやってませんよね、源も僕も」
「うっ」
帰って来たケンさんを食卓に迎え、いつもより賑やかな晩餐が始まった。
もっとも、普段あまり会わないケンさんと桜良の会話が主で、僕たちはその話に突っ込みをいれるだけだったが。
僕が食器洗いの仕事をしている間に、源とケンさんは風呂に入ってしまった。
僕が脱衣所に入ると、残った桜良は湯船に入っているみたいだった。
「勇太? タオル出すの忘れちゃったから、出しといてくれない?」
「いいですよ」
桜良の分のタオルと、自分のタオルを出し、彼女が出る前にと脱衣所を後にしようとした僕を、桜良が止めた。
「ちょっと付き合ってくれない?」
「はぁ、構いませんが」
パチャパチャと水の音がする。
今更幼馴染みの彼女に、そういう感情を持ったりはしないが、それでも異性が薄い磨りガラスの向こうに裸でいるのだ。多少意識してしまうのは避けられない。
僕はやましい気持ちを誤魔化すように、彼女を急かした。
「なにか、源がいないところで話したいことでもあるんですか?」
「・・別に、あいつがいないところでって訳じゃないんだけど・・まあいいわ。その、あんたたち2人はあたしのこと、女として見たことはあるわけ?」
いや、待て。
心が読まれているわけじゃないはずだ。
「えっと・・そうですね、源は知りませんが、僕は桜良を恋愛対象としては見てませんよ」
「そうよね、私も勇太と彼氏彼女になりたいとは思ってないわ」
「でも、女性的魅力を感じてないわけではないんですよ?」
できるだけ平静を装う。
すると、風呂場から動揺の『匂い』が伝わってきた。
「え、それは、その」
「・・正直言うと、この状況もあまり精神衛生上良くないんですが」
「・・ふぅ・・ま、まあわかったわ。別にあたしが女っぽくないとか、そういうわけじゃないってことでしょ?」
「そうですね」
変に意識しているわけではないが、桜良の容姿はそこそこ整っていると思う。
スタイルも平均より良い。
「もう出るわ」
「わかりました」
少し気まずいな、と思いながらも、僕は桜良とすれ違いで入浴し、寝室へ向かった。
「あの、もう夜も遅いんですが」
部屋に入ると、源と桜良がスナック菓子を開けて駄弁っていた。
「まあまあいいじゃない。合宿の醍醐味よ、醍醐味!」
「お前も座れよ。飲もうぜ」
未成年飲酒は、犯罪です。
僕は源の隣に腰を下ろし、コーラを開ける。
「そういえば、桜良は何故、突然うちに泊まりに来たんですか?」
「親父が突然、訪ねてくるって言い始めたのよ。まったく今更、なんの用があるんだか」
「ああ、それで」
「ま、そんなことより、あんたと詩織の話よ」
「そうだぜ。さっきも2人で話してたんだけどな」
下世話な話になると、2人は団結する。何故だ。
「好きでしょ? 詩織のこと」
「・・違いますよ。彼女は御影くんと付き合っているのでしょう?」
「いや、そういうことじゃねぇんだよ」
「じゃあ、どういうことなんですか?」
「あんたの本心を聞いてるんだけど」
「だから、本心から違いますよ。僕は彼女に恋愛感情を抱いてはいません」
僕は彼女が好きではない。
好きではないのだ。
「じゃあ、寝ますね」
「そうか・・しゃあねぇな」
「おやすみ」
コーラを飲み干し、僕は眠りについた。
ーーーーー
深夜。
誰もが寝静まるような時間に、目が覚めた。
「少し、夜風に当たろうかな」
訳もなく、外に出たくなった。
碧の純粋無垢なあの瞳が、無性に懐かしくなった。
皆を起こさないように家から出て、少し歩いてコンビニで水を買う。
心の乾きを癒すように喉を鳴らし、ふぅ、と息をついた。
夏の盛りほどの生温さも、冬の寒さも感じない、心地よい夜風のなか、僕は物思いに耽った。
源と桜良と、3人の思い出を振り返り、小学校入学前辺りまで記憶を遡っただろうか。
「大・・夫・・は僕が守るよ。絶対に・・い。必ず・・きる」
「うっ・・ぐすっ・・お母さん・・」
「大丈・・から。僕が君を・・」
「・・ちゃん?」
突如、耳の奥に声が響き、瞼の裏に燃え盛る炎が映る。
そして、鼻を強烈な『匂い』が襲った。
「うが・・ぁ!?」
なんの前触れもなく、夜の闇が動き出す。
いくつにも分かれ、それらは僕に覆い被さってくる。
なんとか避けようと身を捻り、『匂い』に鼻がもげそうになりながら、僕は必死に走って逃げた。
いつの間にか、辺り一面が燃えていた。
「だ、誰か助けて!」
走る、走る。
繋がる手を握りしめ、ただひたすらに夜の街を逃げ続けた。
「はぁ、はぁ、誰か! 助けて!」
自分の声が歪んで聞こえる。
誰か助けに来てくれるのだろうか。僕の声は届いているのだろうか。
弱気な心が隙間から入ってくる。
まるで、このねっとりと絡み付く夜闇のように、僕の中に入ってくる。
「うぁ・・ああ! なんだこれ! なんだよ!」
猛烈な痛みが鼻に走る。
耳鳴りは止まず、街の炎は勢いを増していく。
そして、ついに、繋いだはずの手が。
「碧ぃぃぃぃ!!!!」
パシュン、と気の抜けたような音が聞こえたきり、僕の意識はブラックアウトした。




