第二章 第四十二話 大海賊カトリーナ、その一
砂浜と狂った太陽のある亜空間で仲間の思考が脅かされていた。
ライム、ペトラ、アポロ、ロビーの四人は虚な笑みを浮かべながら正気な仲間へとにじり寄る。ソニアが困惑した様子で二人に語りかける。
「ライム、ペトラ……気をしっかりしなさい!」
だが。ソニアの言葉に対しても二人はヘラヘラと笑いながら襲いかかってきた。
「えっへへへ、ソニアもあっそぼぉぉ。こんな真夏でも仏頂面なんてもったいないってぇぇ!」
「ソニアぁ、わたしは太陽の下では無敵って言ってるでしょぉぉ!」
二人の様子を見てソニアは身構える。二人の表情は異様な歓喜に支配されていた。到底正気とは思えない状態にあった。
彼女たち二人も女傑・英雄と呼ぶべき戦力で支配されたことが非常に厄介であったが、もっと厄介だったのがロビーとアポロの二人であった。
「夏といえば酒と喧嘩よぉ! もっと海水とビールもってこぉい!」
「あっはははは、ジェニーもここに連れてくるべきだったなぁぁ!」
二人は大声で歓喜の言葉を叫びながら周囲の人間に襲撃を仕掛ける。もっとも二人にその意図はないだろうが明らかに暴力や衝動へのリミッターが外れた状態に変貌していた。
普段ですら絵に描いたような豪傑と称される二人が理性の枷を外された状態で支配されたことは不利な状況といって間違いなかった。巨漢で勇猛な二人が敵の能力下に置かれたことで最初に起きたことは意外にも普段通りの酒盛りであった。
アズマ酒、ビール、ウィスキー、ウォッカ、白酒や老酒など多種多様な酒の瓶がなぜか並んでいた。彼はどこからか引っ張り出してきたクーラーボックスから酒を次々と取り出し始めた。
「さ、酒!?」
サイトウも口をあんぐり開けてその瓶の数々を二度見していた。
「ロビーさん、いつの間にそれほど酒を……」
レオハルトもこれには驚いていた。ロビーは大の酒好きでSIAでも屈指の酒豪として組織の内外で知られていた。正規軍の友人とも夜に出会っては酒に誘うほど酒を愛しており、彼がこっそりたくさんの酒の瓶を艦内に持ち込んだとしてもなんら不思議ではなかった。
「……」
しかし、それでもレオハルトは漠然とした違和感に苛まれていた。
これほど多くの酒を個人的に持ち込むことはなんら不自然ではなかった。しかし、問題はそのタイミングである。
果たして彼が持ってきている目の前の酒が本当に彼自身の酒なのか、そこに彼は強烈な違和感を感じていた。レオハルトは違和感の正体を即座に看破していた。
「わかっていると思うけど……これは飲んじゃダメだ」
レオハルトの言葉に全員が苦い顔をする。その理由は明確に二つあった。
一つはロビーが大の酒好きで大勢で楽しむことを是とするタイプにあった。無論、彼は道理を弁えた聡明な人物であり、無理やりアルハラじみたことをやることは皆無であった。
「……幸いにも『支配の能力』は個々人の人格までも改竄するタイプではないようだ」
スペンサーの指摘にスチェイが真っ先に賛同する。
「ええ、振る舞い自体は拡張されてますがライムやペトラの振る舞いの性質までは変わってないようです」
「まって、ライムやペトラは無闇に誰かを襲撃する子じゃないわ」
「それはそうだ。だが、人格そのものまでは改竄しなくても感情や衝動の部分に関してはむしろ積極的に増大させている。敵の狙いはまさしくそこだろうな」
スチェイの意見は的確であった。
ライムは普段から猫をかぶっているがSIA随一の戦闘狂であり、正面切っての喧嘩は彼女の好物である。ペトラは大好きな真夏の太陽に浮かれて普段以上に軽快な運動と日光浴を楽しんでいた。ロビーは早速ウィスキーのボトルを一本飲み干し、アポロはジェニーを連れて来れなかったことを悔しがりながら、いつの間にかカトリーナと料理対決を行っていた。真夏の砂浜を堪能できる開放感で気分が高揚しているためかアポロの一人称が普段の『僕ぁ』から『オイラ』に切り替わっていた。
ある一点を除き全てが普段通り夏季休暇でありのままの四人であった。無論それはカトリーナ・A・ドレイクの存在である。
「何やってんだ銀髪女海賊のお前ぇぇッ! アホかぁぁッ!?」
目を見開いたスチェイが思わず絶叫する。
「あぁ? 何言ってんだお前」
「こっちのセリフだッ!?」
ドレイクがさも当然のように答える。
「そりゃお前。寒冷化する惑星環境保全運動に憂いて常夏を守る会を開いてんだよ」
「意味わかんねぇわッ!」
「艦長じゃなくてアタシは海賊だって。それにさー、もうすぐおめーら嫌なことと現実を忘れて頭トロピカルモードになっからな。あーいいさいいさ気にすんなって、全員幸せなうちにいただくもんいただいて帰るからよ。きつい顔すんなって安心していいって。ここからの共和国軍は南国休暇編に突入してもらうだけだしー?」
「南国なのはおめーの頭だよ。ふざけた寝言も大概にせえや銀髪のフリーダム女ぁッ!」
女宇宙海賊のとぼけた受け答えにイラついたスチェイの毒舌ツッコミが何度も飛ぶ。
その瞬間だった。何者かがスチェイの両足を絡め取った。
「うわぁぁああ、なんだぁぁああああ!?」
スチェイを助けるべくミリアが手を伸ばす。だが彼はその手を振り払った。
「お兄ちゃん!?」
「任務に集中しろぉぉ、本体をぶちのめせばこの手の能力がわぁぁ!!」
スチェイは巨大なタコの触腕によって海中へと引き摺り込まれていった。
「お兄ちゃぁああん!」
ミリアが絶叫したタイミングでサイトウとジョルジョが集中砲火を巨大なタコに浴びせた。
「スチェイ! ちくしょう、これ完全にファンタジー小説の世界じゃねえかッ!」
「スチュワート・メイスン! どこだ!」
二人が巨大タコに有らん限りの銃火器や爆弾の火力をぶつけて撃退すると海面に浮かぶスチェイをジョルジョが見つける。
「いたぞ。心配させやがって!」
飛行用バックパックを背負ったジョルジョが矢のような速度でスチェイの浮かぶ海面へと向かう。親友の生存を確認した彼は安堵してスチェイを引き上げるべく接近した。
レオハルトはジョルジョを呼び止める。
「待て、いくな!」
「敵影なし、救助に向かう!」
レオハルトの言葉で冷静になったサイトウもジョルジョを必死に呼び止める。
「しまった! 罠だ、いくな!」
「ああん? だってスチェイが……え……?」
ジョルジョの足をスチェイが狂気じみた笑みで掴んだ。
「忍法、海水浴の術……おヌシも夏色に染まるといい……」
「スチェイ……あ……まさか……」
ジョルジョは親友の手から逃れるべく必死に上昇を試みる。だが、執拗に足を掴んだスチェイは『光る実体を生み出す』メタアクトで海底と自身を繋げる鎖と鎖を巻き取る揚錨機を作り出していた。
「さぁジョルジョ、口の悪い親友相手だからと嫌がることはない。海水を存分に味わおう」
「ちくしょう……ドジった……」
ジョルジョは致命的な判断ミスを犯した。
これは、彼に罪があるというよりも状況が『致命的な状況』を誘発するように仕向けられていた。それはスチェイがジョルジョにとって良くも悪くも幼馴染みの関係だったことにあった。彼は親しい友人に対して口が悪いが、本心は身近な人を想う側面があった。
親しい友や家族に慕われる。その美点が状況を悪化させる遠因と化した。ジョルジョは海水に沈む。そして、カトリーナの能力で意識を完全に侵略されていた。
「青い空……真夏……」
腰に浸かった時点で思考回路が異常な歓喜と興奮に染め上げられてゆく。
「ふへへ……ビキニの姉ちゃんの季節だぁ……」
肩の時点でジョルジョは惚けたような笑みを浮かべる。表情から正気が明らかに消えていた。
「そうだぁぁ、俺たちの季節だぁぁ、あっはははぁぁ……」
ジョルジョの目がギロリとレオハルトらの方を見る。既に二人は彼らを海水へと引き摺り込む算段を立て始めていた。
「お兄ちゃん! ジョルジョさん!」
ミリアが動揺した状態で二人に呼びかける。
「よせ、ダメだ。二人は……」
「言っちゃダメです!」
駆け寄ろうとするミリアをサイトウとランドルフが必死に押し留める。
「ドレイク……能力を解け」
ユリコが鋭利な目と口調で威圧する。彼女は猛者揃いのSIAのでも五本の指に入るレベルの危険な雰囲気を発していた。
「やーだよ。こっちとら部下に三食風呂付き福利厚生付きの海賊ライフを与えるポリシーしてるからなぁ……おっと近寄ったら危険とは考えなかったか?」
飄々とした口調と不適な笑みでカトリーナ・A・ドレイクは鎖分銅を振り回して牽制してきた。舌を出しながら挑発的な表情を彼女は見せびらかす。正気を保っている面々の大半がイラついた表情を隠すことはなかったが、四人ほど冷静さを保つ人物が存在した。
アルベルト・イェーガー、ロジャー・J・ダルトン、シン・アラカワ、そしてレオハルト・フォン・シュタウフェンベルグであった。カトリーナの周囲には異空間が作り出したであろう海賊風の風体をした男たちの実体が周囲を囲んでいた。
「誰がいく?」
「俺だ」
ダルトンの問いにアラカワが答えた。
「だろうな。援護する」
短い応答でアラカワがカトリーナに挑むことが決まる。シンとカトリーナが対峙する前提で全員が援護射撃の体勢に既に入っていた。
「くれぐれも慎重に。死なせないようにね」
「了解」
レオハルトの指示にシンは頷きを返した。シンはカトリーナへと歩みを進める。
「へえー」
「意外か?」
「いやー、砂浜でびっくり早撃ち大会始まると思ってよぉ。あ、優勝はこのケイティちゃんな?」
「近寄らなければ、ブチのめせないからな」
シンは能面を思わせる無表情とクレバスのように深い闇を宿した眼光と共に平然とそう発言した。そして、アラカワは歩みを早め、突進する体勢に差し掛かった。
だが、ある地点でアラカワは立ち止まる。
カトリーナは木々の方角に向かってなにかアイコンタクトを送っていた。そのことに気がついたシンがその方角に向かって呼びかける。
「いるのだろう。出てこい」
次の瞬間、木々の間から疾風のように鋭く矢が飛来する。アラカワは最小限度の動きで矢を回避するが、その後に木々の間を跳ねるようにして、若く色黒の女がアラカワへと木の上から一気に飛びかかった。アラカワは後ろに跳躍するようにして彼女の攻撃を回避した。
長い髪を結った南国の風体をした女戦士の手には狩猟用であろうナイフが握られていた。
そのタイミングでカトリーナがにっと不敵な笑みを女へと送る。
「頼むぜ。怪人カラスマンなんか獰猛すぎて相手にしてられねーからな」
「承知。しました」
女戦士は女海賊とは対照的に生真面目な物腰を滲ませる。彼女はシンに向けてナイフを構え、じっと攻める機会を伺っていた。対するシンも短く息を吐いてから特殊警棒を構える。
かくして、アラカワと謎の女戦士は熾烈な近接戦闘に突入してゆく。
アラカワを強襲する常夏の女戦士の正体や如何に?
次回、戦闘開始。




