第二章 第四十一話 ルードヴィヒ・フォン・リッテンハイム、その25
即座にメタアクトを発動させたレオハルトは通信室まで疾走する。
「こちらハリソン級巡洋艦リトル・クラーク、当艦および戦艦シンシアはリトル・クラーク船内の敵勢力と交戦する。他の軍艦および民間船団は当艦周囲より離脱して航行されたし、繰り返す……」
レオハルトは無線で味方の艦船にそれを告げて、艦橋へと向かう。
壁を、床を、天井を三次元に駆け回る。レオハルトは蒼の旋風と化して目にも留まらぬ速度で艦内を走る。道中に少数ながら海賊らしき敵を見かけたが、圧倒的速度の差で相手にならなかった。レオハルトは彼らを丁寧に縛り上げてから艦橋へと走った。
「艦長! 艦内の……」
そこまで告げてからレオハルトは言葉を止めた。状況の説明を求めた彼は目の前の状況こそがそれを雄弁に告げていることを悟ったからだった。
「……へえ、おもしれーのいるじゃん。共和国軍」
美しい銀の髪をした危険な女がにっと微笑を浮かべていた。
鮫やワニを思わせる杭や牙のような白い複数の犬歯は真っ白に磨かれて銀髪女海賊の危険さと気品の両面を際立たせていた。女海賊は均衡の取れた彫刻が如き肉体をしていて、豊かな胸部と臀部とは対照的に腹や足は筋肉で美しく引き締まっていた。それでいて、剥き出しの両肩には花のタトゥーが彫られており自由を重んじアナキーさと野生的を持ちつつも生命力に溢れた内面を雄弁に表現されていた。
「共和国軍人って聞いたから初夏のヴィクトリア・グリズリーぐらい凶暴かと思ったけどよ。これじゃあアズマシカ相手に煉獄鬼ごっこするようなもんだよなぁ……って思ったんだよ。はえーな。ハリケーン四個分の風速してね?」
「君が……『ゴールデン・ケイティ』こと、『カトリーナ・A・ドレイク』だな。例えはわからないがお初にお目にかかります」
レオハルトの発言にカトリーナの反応がやや友好的になる。だがその一方で彼女の殺気が依然として部屋中を支配するような感覚をレオハルトは感じていた。
「お、知ってんじゃぁん。そ、銀河一おもしれー女海賊ことケイティちゃんだぞ?」
「そうですね。ある武闘派マフィアの120億クレジッタかかった八百長試合に乱入してめちゃめちゃにした挙句、戦艦で多数の追手の艦隊を返り討ちにしたとか、配下の暗殺者の髪をバリカンで面白おかしく剃りまくった挙句、豚の餌にしたとか」
「おー、知ってるねぇ。競争は爆発だぞって思ってたのにさぁ。あまりに八百長の中身がつまんねーから正面から出向いて演出したった。あれはケイティちゃんめっちゃ笑えたぜ。なはは!」
レオハルトはこのやりとりだけで彼女の奇天烈な性格と実力の両方を察していた。格好も紫を基調としたお洒落で目を惹く色彩をしていたが、それ以上にレオハルトの注意を引いたのは彼女の足捌きであった。
隙の無い動作と気品すら与えてくる立ち振る舞いが彼女という人間の武術に関する素養や実力の高さをレオハルトは察していた。
「あ、もしかして惚れちゃった? ほれほれもっとぉ」
「隙がないですね。素晴らしい立ち振る舞いだ」
レオハルトがにっと笑ってそう告げるとカトリーナの表情がスッと変わる。
「へえ……お主カンフーマスターか? いやそれとも……」
そう言ったタイミングでそれまでふざけていたカトリーナが態度を変える。
目を見開いたカトリーナが不意を突く形でサーベルを突き出す。それに合わせるようにしてレオハルトも愛用の軍刀でそれを去なす。
「剣術だな。しかもメタアクター。速度特化のスピード野郎か」
「目がいい。さすがです」
「当然さ。アタシは黄金の女ぁ!」
カトリーナがそう叫んでレオハルトに突撃するが、レオハルトは青い残像を伴うほど速くカトリーナの懐に入り込む。
「残念ですが、勝負有りです」
レオハルトがそう言ってカトリーナを斬ろうと軍刀を逆袈裟に斬りあげる。
「と、思うじゃん?」
「……むぅ、これは意外」
カトリーナは逆にレオハルトの頭部を跳び箱のようにして跳ねた。
「よっと……んじゃ、そういうことな」
そう言ってカトリーナは突然懐から鎖分銅を器用に取り出した。そしてレオハルトの側頭部にむけて投擲する。
「なにがそういうことです?」
レオハルトは残像と共に器用に分銅を回避しながらカトリーナの銃撃を加える。しかしカトリーナの動きは変幻自在であった。彼女は次になにをするかをレオハルトにすら完全に読ませない動きを披露した。器用かつ奇天烈に戦いながらカトリーナはヘラヘラと笑っていた。
「ぎゃっははは、おもしれーじゃんお前!」
「民間人もいるので面白くないですね。ヒヤリとしてますので」
「あー? そういう冗談いいって、もっと楽しめよお!?」
カトリーナはブレイクダンスをするかのように銃弾や斬撃を避けながらレオハルトを徐々に消耗させてゆく。レオハルトもそれなりに経験を積んだためにカトリーナ相手でも一歩も引かない戦いができた。その点で言えば、確かにレオハルトは急速かつ確実に成長していたと言える。しかし、若くして死線や激戦を経験した経験豊富な女大海賊の搦手や力押しを巧みに混ぜた戦い方は頭脳明晰であるレオハルトすらも翻弄してみせた。
「……なんという戦いかたでしょう。読めないですね」
レオハルトは翻弄されながらも笑っていた。
「おっし、第二ステージ。いってみよっぜ?」
「…………はい?」
レオハルトの呆然をよそにカトリーナがにっと邪悪な笑みを浮かべた。
「気にすんなって。ちょっとばっかし艦内を南国にすっから」
「……なにを言って━━━━」
その瞬間、レオハルトの表情が変わる。
カトリーナ・A・ドレイクはメタアクターであった。すなわち、彼女は強敵相手にここぞの切り札をずっと切らずに取っておいたのだった。
「━━━━何が来る!?」
レオハルトが彼女の言葉の意味を読めず攻めあぐねているのをよそにカトリーナが陽気に叫ぶ。
「お前もいいぞぉ! ちょっと本気なっから!」
「……はい、私する。頑張る、ます」
片言のAGU共通語がどこからか響く。その声がレオハルトの耳にわずかに聞こえていた。それと同時にカトリーナが船内の三次元空間全てを彼女自身の強烈な因子で埋め尽くした。
最初、レオハルトの双眸は強烈な陽光を認識していた。
白く強烈で熱を帯びた光。それは間違いなく南国の太陽の温かさであった。
「……んん……僕は……一体……」
レオハルトは手のひらで目を庇う。そして彼はその瞼をゆっくりと開く。
光と共にレオハルトの耳は音を認識していた。
波の音。カモメの声。
ありえないはずの音と視覚情報がレオハルトの五感を支配していた。
「……幻覚ですかこれは……?」
あまりの光景の変化にレオハルトは思わず呟いた。艦内にいたSIAの面々全員もまたレオハルトと同様に砂浜の上で困惑していた。
「……は?」
「あれ、休暇? 夢?」
「え?え?」
「なに……なにが?」
その場にいた全員が目を白黒させる。
「……あ、これ夢オチか」
「サイトウ。んなわけあるか、戦争しすぎてボケたか?」
「ひどい」
スチェイの唐突な毒舌にサイトウがくしゃくしゃにふざけた顔で哀愁に満ちた一言を発していた。
レオハルトは足元の砂を手で拾い上げる。
「本物だ……なんて能力だ」
砂はザラザラとした手触りや見た目は本物に違わぬが、手で掬い上げると崩れて消えてしまう。
「ねえこれ本物……?」
「そうみたい。あ、海水しょっぱ」
「太陽の感触まで……すごいわ」
ソニア、ライム、ペトラのトリオも目を白黒させて辺りを見回す。
ライムは人間の見た目をしているが元が粘液状の生物であるために全身で周囲の環境を感じることができた。そのためか足にかかった海水のしょっぱさに目をしぼめる。
ペトラに至っては植物と人類の特徴を併せ持つアルルン人であるがために日光の下で活力を増す体質であった。そのために背伸びを始める。心なしか彼女はどこか高揚した様子になり始めていた。
「……そこにいるな?」
不意にシンがペトラのそばで庇うように立つ。彼は底冷えするような低い声で草むらと木々のある一点に対して警戒心を向ける様子となっていた。
シンと同時にイェーガーも黙々とある一点に銃口を向ける。イェーガーも周囲に警戒しつつその一点に神経を研ぎ澄ませる。
「……!!」
二人が注視した一点の雰囲気が変わる。
その瞬間、二人が謎の攻撃を浴びせられる。
あまりにも理不尽な鎖の一撃はシンとイェーガーの肉体を軽々と吹き飛ばした。
「ごぉ……!?」
「がはぁ……!!」
イェーガーとシンは砂浜に叩きつけられるようにして海へと投げ込まれる形となる。
イェーガーはわずかに体勢を立て直して水辺の手前で止まるが、シンは水辺に四肢を浸す位置まで飛ばされていた。
「シン、早く出ろ!」
イェーガーがそう叫ぶ。
そのタイミングでシンの意識が『熱帯風味』に侵食されていた。
「……ご、がぁ……お母さん……僕ジュース……苺でいい……」
「早く、出ろ!」
イェーガーは危険を顧みず水辺からシンを引き上げる。
「……ミッシェル、とも、海水浴……、したいなぁぁ……家族旅行楽しいぃぃ……」
虚ろだが心底幸福そうな笑みを浮かべながらシンは震えながら海水から出ようともがいていた。
「くそ、やはりだ。この海水はまずい!」
「母さん……ジュース…………がぁ、くそ……頭が……」
うわ言でシンは何かを呟きながらイェーガーの指示にどうにか従っていた。海水から身を離したタイミングでシンはどうにか意識を戻していた。
「アラカワ……さっきどうしたの……」
アンジェラが心底、恐怖した様子で目を見開いていた。
「さっきのシン……水に触れてからなにかおかしかった……」
レイチェルの言葉に、全員が怯えた顔を浮かべる。
「なんだ……この状況……」
そのタイミングでルードヴィヒから情けない悲鳴が上がる。
「ちょ、ライム君……ぎゃあ、やめたまえ!」
「えへ、えへへへへへ…………」
海水に触れていたライムがケタケタ笑いながらルードヴィヒに襲いかかる。
「みんなぁぁ、ビーチバレーしようよぉぉぉぉ!!」
彼女は心身ともに精強であった。しかし、アラカワと精神的な素養は違っていた。そのためにあまりにあっけなくカトリーナの支配下に置かれた。
そしてそんな人物はライム以外にもいた。
「うふふふふふふふふ。太陽太陽太陽ぉ……うふふふふふふふ!」
「ガァッハハハハ。常夏の狂気を楽しんでぇ、なんぼぉぉぉぉ!」
「兄貴ぃぃ、オイラもぉぉ砂浜相撲で銀河一横綱を目指すだぁぁ!!」
ペトラ、ロビー、アポロの意識もまたトロピカル風に完全に染め上げられていた。残りの面々は仲間の唐突な変貌に対してただただ困惑と恐怖に耐えるしかなかった。
常夏が正気を蝕む……!
次回、奇想天外な激戦へ




