第二章 第四十話 ルードヴィヒ・フォン・リッテンハイム、その24
囮部隊の巡洋艦ハリソン級一隻が轟沈という知らせを受け、レオハルトは指揮所で命令を下した。
「ここまで。みんな全ての船から離れて」
レオハルトが落ち着いてそう告げる。
その時、指揮所に駆け込んでくる人物が大股の靴音と共に現れた。ルードヴィヒが何かを叫びながらレオハルトのそばへと急速に駆け寄る。そして、彼はレオハルトの胸ぐらを掴んだ。
「貴様! 船の乗員を見殺しにするか!」
レオハルトは呆れた様子で彼にこう言った。
「僕は言ったはずだ。この作戦は……」
「言い訳はいい! 貴様は大きなミスで戦友を見殺しにしている!」
「どこがです?」
レオハルトが首を傾げた様子となる。
「とぼけるな! ハリソン級巡洋艦には多くの将兵が……」
その瞬間にシンの相棒のユキ・クロカワが答えた。
「あれ無人で動くようにしてます。私のシステムで」
「……………………………………へ?」
ルードヴィヒはキョトンと呆然とした顔と変わる。その顔はドッキリ番組にこっそり参加させられた老練のお笑い芸人のような滑稽さすら漂わせていた。
「これは……」
レオハルトは苦笑いを浮かべながらルードヴィヒの背後を見る。ルードヴィヒはレオハルトの視線がほとんど動いていないことに奇妙な違和感を感じていた。
「ええ、ですが頭ごなしに自分のことを言うばかりでこちらに話をさせなかったもので……」
ルードヴィヒの背後から靴音を立てて長い黒髪と顔立ちの整った若い美女が現れる。共和国の軍服に身を包んだユキ・クロカワは呆れたようにため息をついた。ルードヴィヒは驚いた様子で背後を振り向いていた。
「予想はしてたよ」
レオハルトはどこか安堵した様子でそう発言した。ルードヴィヒは苛立った様子でレオハルトに説明を求める。
「つまりどういうことだこれは!?」
「はい。本作戦は艦隊を二つに分けます。本隊と囮です。ただし囮部隊の船は遠隔操作と簡易AIのみで駆動するように細工してあります」
「囮になぜAFの大部隊を割く必要があるのかね?」
「本隊と囮を逆であるように視認させる必要があるのです。囮部隊は全て軍艦で敵から遠くに見える座標に、本命は敵の近くを掻い潜るようにして動きます。構成は民間船と護衛艦の巡洋艦と戦艦シンシアだけに。敵から見れば今我々の部隊がブラフに見えるでしょう。なにせ民間船の火力は小規模な海賊を追い払う程度のものだけです」
「むぅ……つまり……?」
「囮の船は初めから人が乗ってないのです。必要がないのです」
「……」
「ようやくわかってくれましたか」
「そういうことは……早く言いたまえ……」
ひどく羞恥を感じた様子でルードヴィヒは副長席に座る。珍しく物分かりのいいルードヴィヒの様子を確認したレオハルトがようやく最後の命令を下す。
「十分だ。AF部隊はこっちまで撤退せよ」
レオハルトがAF部隊に撤退命令を下すと同時に目でユキに合図を送る。
彼女は遠隔操作で囮の軍艦全てに突撃と自爆のプログラムを送る。同時、AF部隊は急速離脱を試みる。その間、囮に敵が群がっていた。
「全員離脱。遅れるな」
「了解だ。言われなくてもだぜ」
「各機、アロー2とアロー9に続け」
「了解……うへ、群がった敵が巻き込まれてら」
シンとジョルジョが真っ先にその場を離脱し、ジョルジョやスチェイなど他の面々もそれに続く。その後に共和国正規軍の味方機も大急ぎで続いた。それとは反対に無人の軍艦が砲撃を続けながら敵艦隊へと突撃を敢行する。自動で操舵される軍艦と知らず敵軍は砲撃を集中させる。ツァーリン軍は皆やぶれかぶれの突撃を共和国軍は行っているものだと気楽に考えながら丁寧に共和国軍の無人船を潰した。
その直後だった。
船が爆散すると同時に無数の金属弾を打ち出してゆく。
「なんだこれは!?」
敵の提督がそう叫びながら味方や自艦の被害状況の報告を求めた。
「我が艦に被害なし。しかし味方艦の八パーセントに被害が出たとの報告が」
「罠か。しまった……」
その時点で敵は全てを悟り、囮と思われた真の本隊の捜索を命じる。しかし。稼いだ時間の間に共和国側とフランク側の避難民を乗せた船が戦域を遥か彼方を離脱することに成功していた。
「してやられたか……」
ツァーリン軍のボルコフ提督は苦虫を噛み潰した様子でレオハルトらの船団が戦域から消えるのを見ていることしかできなかった。そしてそれに続くようにAF部隊も急速な速度で線域から消える。
フランク連合の部隊は周辺の各地に散らばるようにして潜伏していった。彼らは首都を取り戻すべくゲリラ的に抵抗を続けるのが誰の目から明らかである。
「……くそぉ」
ボルコフ提督はツァーリン側の軍人としては保守的で慎重な性分であり、守りに適した戦いに関して意は非常に強かったが今回の作戦のように敵が守りや逃げを試みた時の戦いに関しては非常に不得手な部分が存在した。攻めどきと相手の心理・傾向を読み解くことにやや難があるためにボルコフは『亀のボルコフ』と揶揄されることも少なくなかった。
レオハルトらの船団はセントセーヌ脱出後は共和国の領域を目指して慎重な航海を続けていた。特に難関となるのは『セント・リーワード宙域』と呼ばれる領域が大変難儀な場所として知られていた。
貿易の海路が確立した宙域ではあるが小惑星帯が複数存在し、航行の難易度が難しい領域である。それに加えセント・リーワードは恐ろしい『奇想天外でやることなすこと無茶苦茶な女海賊が潜んでいる』という点に関しても航海者を悩ませる難所となっていた。
「……背に腹は、ということですね」
レオハルトは普段通り冷静であるがルードヴィヒに関してはそうはいかなかった。
「…………なんで、よりにもよって……」
ルードヴィヒはツァーリン宇宙軍の恐怖から解放された矢先、海賊に対する恐怖心に囚われていた。
「だが他に選択はないでしょう。追手が迫っている以上は相応のリスクを負う覚悟は必要です」
ガクガクと震えるルードヴィヒに対してスペンサーがそう提言する。結局、それ以外に逃走経路の確保が不能であることと、ツァーリン軍が迫っている状況下であるために船団および共和国軍第六方面軍第二二遠征打撃群の関係者からの反対意見は出ることはなかった。そのためSIAと正規軍は周囲を警戒しながら小惑星帯を経由して共和国へと向かう方針で迅速な行動を始めた。
ツァーリン軍艦隊は囮の艦船の爆破に巻き込まれたこととアラカワ含むAF部隊の足止めによって少なくない被害を出していた。
「提督……追跡部隊の用意はできています」
「やめておけ……これ以上の深追いに意味はない」
「はっ、承知しました」
「……してやられたわ」
「……なにか」
「独り言だ。それより伝達、徹底しておけ」
「はい、承知しました」
ツァーリン語で提督と幹部がそのようなやりとりを交わす。そして、レオハルトら遠征打撃群の船団に対する捜索はあまりにも呆気ないほど早く打ち切られていた。
そこからはひたすら静かに星間船が闇と星の中を進む時間だけであった。
しばらくして別働隊が巡洋艦の格納庫へと着艦する。その時のレオハルトは戦艦シンシアからアラカワらのいる巡洋艦の会議室へ場所を移動していた。
「ただいま戻りました」
敬礼と共にアラカワ含めたパイロットたちがレオハルトのいる会議室を訪ねて報告を行った。
「皆、無事でよかった。本作戦での奮戦、本当に感謝している」
「お気遣い、感謝します。しかし礼には及びません。仕事ですので」
アラカワはそう言ってレオハルトに謙遜の言葉を伝える。彼の表情は大きな作戦の後であるにもかかわらず平然とした様子そのものだった。
不変。シンの表情を端的に表現するならそれが最適であった。彼の表情から本音や感情につながるような揺らぎや変化を見出すことはレオハルトにすらできなかったのだった。
「アラカワの言う通りだな。仕事の範疇でできることを全力でやったってことさ。まぁ、数だけは多かったから何度かはやばかったがな。はっははは!」
サイトウが心底嬉しそうに笑った。彼の笑いは豪快であった。冷静な様子から大笑へと変化するのがシンとは対照的なものである。大らかで正直。彼の感情の発露は偽らざるものであり、つかみどころを感じさせないものでもあった。
「たわけが。自慢げに言うことか」
スチェイが憎まれ口を叩く。サイトウの背中を張り倒しながら片手で目を覆った。スチェイは疲れた様子だったが、仲の良い戦友と掛け合いをする気力は残っていた様子であった。
「まぁまぁ、上手くいったならいいじゃん。結果オーライだ」
「その通りだとも。この僕エドウィン・フィッツジェラルド・ラヒミもいたからね!」
「あははは、今日は別働隊の皆が主役だ!」
ジョルジョがサイトウに負けないほど大いに笑う。
「ラヒミ、ナルシシズムと無茶は控えろと」
「結果オーライでしょうが」
ジョルジョがゲラゲラ笑いながら、スチェイにツッコミの言葉を横から入れた。珍しいことだったがジョルジョは本来ボケる側でスチェイの言葉に下手に出ることが多いが、今回はどういうことかスチェイの毒舌にジョルジョがどこか優しげであった。
「…………」
一方でレオハルトは正体不明の違和感を内に抱えていた。それは暗雲の中に不定形の怪物がいることを感じ取ったような怖気であり、異様な感覚と共にレオハルトは一見順調に見える状況に言い知れぬ不安を感じ取っていた。
「中佐?」
「問題ないよ。ありがとう」
気遣うイェーガーにレオハルトが笑みを返す。
「何か用命があれば……」
「その時はそうさせてもらうな」
イェーガーの気遣いにサイトウも何かに気づく。
「その感覚は大事だ。レオハルト中佐」
「サイトウはなにか気がついたことが?」
「いいや。だがな……」
「なにか?」
サイトウらしからぬ歯切れの悪い言い回しにレオハルトが怪訝な顔をする。
「なんか……変なんだよな。大艦隊なのは間違い無いが……あっさりしすぎているというか……」
「……勘は鋭いようだな」
唐突にハイトーンの声が横から加わる。マーク・ウルフ・モートンはゆっくりとレオハルトらに歩み寄る。
「嫌な予感がするぜ。アンタがなにか言うたびにバッドニュースしかない」
「そういう時なだけだ。現実見ろ」
「……バッドニュースとは?」
「……ああ……俺たちの船に」
そのタイミングで艦内が大きく揺さぶられた。
「何事だ!」
レオハルトが内線を受話器を取ると艦内の水兵から報告があった。
「やられました! 海賊船がシンシアと無理やり接舷してきました!」
「な、なに、海賊船!?」
レオハルトも他も突然の急転に目を見開いていた。最新鋭の索敵システムを搭載しているはずの戦艦シンシアや巡洋艦の索敵網を掻い潜って至近距離に海賊船が潜伏していた。普段冷静なレオハルトもこの事実にはただ驚くばかりであった。
まさかの急襲!?
次回、思わぬ対決へ




