第二章 第二十一話 ルードヴィヒ・フォン・リッテンハイム、その5
セントセーヌ到着後のレオハルトが次に行う仕事はマリンスタァとマリアの会話と手助けすることであった。
それは現地のフランク人研究員や著名な大学教授などの協力の下に行われた。その実験ではマリンスタァとマリアの二人が『対話』を試みるシンプルなものだが実験には多くの安全措置が多く取られていた。
まずマリアの脱出装置は最新式で誤作動や機能不全がないように何重にも試運転が施されたものを使用していた。
そしてマリアの『対話』には国防軍の電脳技術のある特技兵と衛生兵がマリンの状態をモニタリングしていた。
それはマリンスタァが悪意ある挙動を万が一行った時に備えた防衛措置だった。だが、幸いにもその措置が有用である事態はなかった。マリンスタァとマリアとの間には和やかな情報交換と会話だけがやり取りされた。
「マリンスタァ!」
「マリア、マリンスタァ、ゲンキ」
「マリンスタァが元気でなによりよ」
「マリンスタァ、歓喜、理由、マリア、ウレシイ」
「うふふ!」
マリンスタァから発せられる音響は不思議な音色がした。それは人間の子供を思わせる声との高く心地いい電子音の中間のようなアンバランスな音色であった。人間の声とは違うものであったが聞くものを穏やかにさせるような不思議な声を発していた。
和やかな会話と共に始まった『対話』はいくつかの雑談を交えた後本題に入る。
「ねえ、マリンスタァ。少し聞きたいことあるの」
「マリンスタァ、肯定、マリア、質問、ウレシイ」
「良かった。最近、白い獣みたいな悪いやつがいるって言ってたよね」
「ウン、エクストラクター」
「そのこと、なにか知っていることがあったら教えて欲しいの」
「……エクストラクター、ワルイ、生物」
「うん、何をやっちゃったの?」
「……ミンナ、騙ス、死ナセル、ヒドイ、種族」
そう語るマリンスタァの声色に明らかな悲しみの音調が入っていた。泣きたい気持ちを隠すような低めの音色。葬送曲のような声色がマリンスタァから発せられる。
「マリア、意外と感情豊かだな」
「うん。でも悲しむことは珍しいわね」
「そうなのか?」
レオハルトの疑問にギュンターが答える。
「彼女は凄いよ。最新式AFと対等に張り合える戦闘力に加え、ごく短距離の次元跳躍機能が備わっている。さらに人間と同様の喜怒哀楽と人間でいうと七歳ほどの知性を有している。それでいて悲しみの感情を抑えることに長けているのも驚くべき点だ」
「彼女……女の子だったのか」
「そうだレオハルト。彼女のことでここの学者と会話してみたんだが興味深いことが多くわかっているんだってね。共和国のデータとも違う個体も発見されてて実に興味深いよ。あ、今度ね彼女以外の個体とも会話を……」
興奮気味のギュンター・ノイマンは早口でそう捲し立てていた。
「随分と嬉しそうじゃないか、ギュンター」
「だってこんな生物見たことないんだよ。凄いなぁ……」
その瞬間であった、唐突に二人の会話へと加わる人物が存在した。
「……それに関しては俺も賛成だ。こんな生物は漫画ぐらいでしか見たことがない」
タカオ・アラカワ。意外な人物がそこにいた。
「タカオ!?」
「よ、久しぶりだな」
「そういえば生物学の准教授でもあったな」
「いや、もう教授だ」
「…………何?」
レオハルトはタカオの言葉に耳を疑った。教授という言葉に対してレオハルトがイメージできるのは何十年と研究に関わった中高年の男性の姿である。タカオの年齢はまだ二十代の域を抜け出していない。なにせタカオはレオハルトと一歳しか違わないのである。
「君こそ今は大尉だったろう。しかも後少ししたらまた昇格すると聞いたぞ」
「正直大変だよ。昇格したらやることや学ぶことが増える。君は好きな分野を極めるだけだからまだ気楽だろう?」
「そうでもないぞ。俺も場合も政治の要素を考慮しないといけない。正直気が重い。裏も表も人の顔色を気にしないといけない。うんざりだな。研究よりも派閥ばかり気にする輩はけしからん」
「それは僕も同じだ。若造として上層部の中年や老人たちに煙たがれる未来しか見えないよ。元帥と大将にまだ理解がある人で助かるけども」
「元帥と大将?」
「アレン・A・スペンサー元帥とカリウス大将」
「ああ、会ったことある。どちらも素晴らしい方々だ。チェスもお強い」
「え、お会いしたことが?」
「ああ、最近は戦争で裏の方の業務も増えたからな。表向きの教授の仕事も大変なのだが」
「忙しそうだ」
レオハルトは酷く同情的な様子を見せる。
「こっちも国家の一大事だからな。やむなしだ。それに不在の時のことも考えてある。問題なしだ」
この辺の抜かりのなさはタカオらしいやり方だった。常に先を見据え冷静に行動することに関してはタカオ最大の長所と言えた。その証拠にタカオは仕事の面で非常に高い成果を上げることに定評がある。研究に関してもそうだが諜報員としても抜かりなく仕事を行うことで現場の評判は上々であるとレオハルトの耳にも届いていた。
「さて、今回の実験だが、安全性は万全だと聞く。問題があるなら……」
「外的要因か」
「そうだ。もしこの……マリンスタァが重要なことを知っているならの話だが」
「マリンスタァのことはどこまで?」
「エクストラクターにつながる手がかりの可能性……ぐらいだな。あとは珍しいタイプの有機巨人……プロジェニアンだったか?」
「そうだ」
「そんな子だと聞いている。卓越したものがあると」
「それは?」
「プロジェニアンには知能や自我のような存在が確認されているがこのプロジェニアンには卓越した知能に加えて特殊な知覚が備わっているとも判明している。……そうだな、ドクター・ギュンター?」
タカオの問いかけに嬉々としてギュンターが答える。
「その通り、彼女の素晴らしい点は惑星との距離や生命の有無を感じられることにある。有機生命体の有無、環境の変化、時空間の認知、酸素や水を生成する能力。動物でも植物でもある彼女の存在はアルルン人とのファーストコンタクト以来の驚くべき点だよ。しかもサイズも大きくて動植物を体内に抱えたまま宇宙空間を飛行できる。AFと小型船艇の要素を持った生物なんて前代未聞だ」
その言葉にはレオハルトもタカオも素直に感嘆していた。金属で構成された無機生命体ならともかく有機生命に分類されるにもかかわらず宇宙空間でも活動可能な存在である点は知識や見識の深い二人をして驚きを隠せずにいた。
「……聞いたことない生物だ。彼女が……」
「聞けば聞くほど前代未聞だ。僕はタカオと違って生物学は素人に過ぎないが驚くべき存在なのは分かる。しかしどうしてその情報が?」
「このレポートに書いてある。ある船舶が事故を起こした時に反応してこのプロジェニアンは救助活動を行ったんだ。そして、その後の調査で彼女の体内に清潔な水と空気を体内で生成している証拠が見つかったんだ」
そう言ってギュンターが書類の束を二人に差し出す。それを二人はしばらく黙読した後、タカオがまず答える。
「こいつはアニメの世界から来たのか?」
その言い分はもっともである。なにせタカオの目の前で鎮座する有機巨人はファンタジーのような振る舞いを行なっていたのである。その書類によればマリンスタァに救助された何人かの船員は下腹部にあるコックピットらしき部分に収容されたが宇宙放射線の被曝も窒息の兆しがないことが発覚していた。それどころか内部は快適で呼吸することも可能であると計器による調査で判明していた。その後、船員は医療機関で診断を受けたものの以前よりも健康という結果を出したものすら存在していた。
「喘息を抱えた船員がそこだと本当に楽だったと証言している。記録でもほら……」
「なんだろうな。こいつは……」
その一連の会話を聞いてマリアはニコニコと満面の笑みを浮かべていた。
「ね、優しい子でしょ!」
「マリンスタァ、褒ラレタ、ウレシイ!」
マリンスタァは子供のような笑みと電子音の中間の音を出す。
それに合わせるようにマリアも屈託のない笑みを見せる。
「ネエ、マリア」
「何?」
「エクストラクター、気ヲツケテ」
「どうしたの?」
「エクストラクター、ミンナノ命、スイトル、契約、ダメ」
「!!」
「!!」
レオハルトらが驚いてマリンスタァの方を向く。
「知っているのか!」
「ウン、映像」
そう言ってマリンスタァが何かを投影しようとする。目から穏やかな光が発せられ平たい壁に何かが映し出されようとしていた。
「記録!早く!」
レオハルトが周囲に叫ぶとフランク連合王国の軍人や科学者たちがカメラなどの機材を持ってその投影の映像を記録し始めた。
マリンスタァが平たい壁に投影した映像には驚くべきものが写っていた。
「これは!!」
「な……!?」
「え、これ、何……!?」
マリア、タカオ、レオハルトの三人は三者三様の驚愕を表す。なぜならそこに写っていたのは共和国、ひいては人類史上最も忌々しい惨劇である『血の一週間事件』の詳細がマリンスタァの目線で記録されていた。
最初に映されたのはとある少女の記録である。
その少女は当時のマリンスタァと出会った後、エクストラクターと魔装使い化の契約を結び、同じ境遇の少女たちの武装集団を結成していた。
当時のマリンスタァは魔装使いとなった彼女に不安を覚えつつもそれでも懸命に支えていたのだった。
宇宙を延命させると言われる純粋なエネルギーであるエントロピー。その抽出の副産物であるグリーフフォースによる侵食は訓練も適合もなしに常人に耐えられるものではなく、彼女の体を深刻に蝕んでいた。時に敵対する魔装使いやメタアクター、果ては政府から派遣された特殊部隊と交戦しつつ、彼女を懸命に支えた。
だが、長い戦いと親友への歪んだ愛情からその少女は暴走してしまう。
『血の一週間事件』の当日、彼女はどういうわけか二人存在していた。
一人は元々の少女。もう一人は別次元の少女である。別次元の少女はメタビーングとして覚醒し、親友である少女を自らの手で管理下に置くべく暴走していた。もう一人の少女と呼応するかのように元の世界の彼女も奥底に沈めた本性を剥き出しにしてゆく。
その様子がマリンスタァの目線であるものの映像記録として刻まれていた。
レオハルトはこの少女の素性に見覚えがあった。共和国の歴史の教科書に記載されていながら実在が疑問視されていた危険なテロリストのことは有名であった。共和国の歴史を愛好する者にとってその名前はもはや基礎教養である。
「……ヒカル・アケミ!?」
再興歴以前、アズマ国の起源となる島国で生まれた忌々しきテロリストの名前をレオハルトは思わず呟いていた。マリアはその意味を図りかねていたが博学強記のタカオ・アラカワはその意味を察して目を見開いていた。
意外な名前、葬られたはずの歴史の闇、ついに敵の悪行を暴くか……?
次回、事件は流転する




