第二章 第八話 改造女神事件、その3
ミカミの名と悪しき因縁を持つペーパーカンパニーの追跡は、アズマ国から帰国したSIAの面々に多大な疲労を強いていた。
なぜならばその会社は実態がなく。事務所の捜索も捨て駒の社員と証拠になり得ない書類しか残されていなかった。
「戦争も目前だと言うのに……」
スペンサーが愚痴を言いながら書類を前に放心状態になっていた。
そのタイミングである。ドロシーとユキの二人が別件の調査から帰還したのは。
「ただいま」
「ごきげんよう」
二人はそう言ってその場にいる全員に声をかけた。
「ユキ、ドロシー教官」
「教官!」
僕やアラカワが二人に呼び声をかけた。
「大変なことがわかったわ」
「ユキは優秀だった。貴女がいてくれて大いに助かったわ。そっちも順調に優秀なエージェントを増やしているようね」
ユキの成果と増えた仲間の面々にドロシー大尉が満足げに頷いていた。
「そうだ。こっちはユリコ・ミカミ、そしてアルバート・ネイサン・イノウエ」
「よろしくお願いいたします」
「不束者だが……よろしく」
ユリコとアルバートはユキとドロシーに握手を交わす。
「ミカミ……かつて存在していたミカミ一族の?」
「そうだ。彼女は紆余曲折があってメタビーングになってる」
「自分に細胞を?」
「いや、原生巨大生物と交戦した末にその細胞を取り込んでそうなったようだ」
「ミカミ……巨大生物……ありえなくないわね」
「検査したようだけどどうなの?」
ドロシー大尉の言葉にレオハルト大尉が返答する。
「ギュンターの検査結果次第のようだ。僕の聞いた限りだとミカミの肉体に何らかの改造や仕掛けがあると伺ってます。彼が言うにはミカミの肉体が百足型巨大生物の細胞を取り込んで蘇生した可能性が現時点でも極めて高いと」
「そうなの? メタビーングの発生事由はつくづくブラックボックスの塊だと感じるわね」
ぎいぎいと機械の体を鳴らしながらドロシーは感嘆の声を上げた。
「はい。我々にとっても貴重だと感じます」
ドロシーとレオハルトの会話の最中でシンとユキも互いの情報交換を始めていた。
「そっちも繋がりがありそうだな」
「ええいろんなことが分かった」
「それで……『大変なこと』とは?」
「貴方たちも分かっているようだけど、秘密組織のフロント企業が共和国内に相当数潜伏しているようね。拠点も分かったわ」
「そっちは拠点もか」
「私たちの方は何らかの秘密組織が意図を引いていると分かったけどそれ以上は不明だったわ」
「こっちはその正体が分かった」
「え?」
「ブラッドクロス党だ。テロと改造人間の宝庫」
「げぇ……道理で」
「だろう。ツァーリンとの星間戦争にブラッドクロス党、ミカミの名を騙るフロント企業……この案件は闇が深いだろうな」
「同感ね。明らかにやばい」
「だが引き返す道はない」
「でしょうね……ならば、とことんやりましょう。フロント企業のいくつかをリストアップしたんだけど……」
「調べるなら一社でいい」
「というと?」
「ミカミ・コーポ」
「分かった。ちょっと待ってて」
そう言ってユキは奥の部屋へ走り去ってゆく。
そのタイミングでレオハルトはギュンターと会っていた。
「ギュンター。検査結果は?」
「思った通りだった。ミカミ女史は幼少期から肉体にメタビーングの因子を含んだ薬物を少しずつ投与されていた。経口摂取で少しずつね……そのためか消化器官系から変異の痕跡があった」
「そうか……」
これが語る事実は一つである。ミカミ一族、特にサダマサ・ミカミは自らの子供や親族に対しても人体実験を行なっていたということである。そのおぞましい現実にレオハルトは怒りを感じるばかりだった。
その様子を見ていたユリコ・ミカミがレオハルトに声をかける。
「大尉殿?」
「ミカミか。すまないな我々も仕事で」
「逆よ。むしろ調べてくれてありがとう」
「なぜだ。辛かっただろう」
「だからこそよ。私の肉体がどうなっているのかずっと恐ろしかったけど、今は知りたい。知って貴方やアラカワに恩を返したいの」
「……感謝する」
レオハルトが頭を下げるのを見つつもミカミはギュンターに検査結果の詳細な説明を求めた。
「というわけで詳しく話してちょうだいな」
「……到底下半身を巨大生物に食いちぎられたとは思えない状態ですよ。内臓は完全に再生してますし、肉体に痕跡がわからないレベルで治癒が完結してました」
「聞いているのはそこじゃないわ。私が人間以外になった大まかな特徴よ」
「え、あ……大きな特徴としては二つあります。まず貴方はムカデと人のハイブリッドの性質を得ています。それに加え貴方には人間を超えた身体能力や細胞強度、再生・治癒能力、DNAやミトコンドリアDNAの変異、細胞組織の変異に……」
「つまり?」
圧を込めてミカミはギュンターに明確な答えを問う。
「……細胞レベルで貴女は人間と超越してると言うことです。貴女は細胞レベルで百足型原生生物を取り込んだことで原生生物を原型・エネルギー源としながら貴女自身を再生したということです。ただ、そのためには貴方が人間の頃から何らかの薬物の類を少しずつ摂取したとしか考えられないのです。なにせ細胞そのものが人間のではなくメタビーングの細胞に完全に置き換わっているので」
「そうか」
そのタイミングでレオハルトがミカミに問う。
「すまない。ちょっといいだろうか」
「構わない」
「その薬物に思い当たる節があるよね」
「……ああ」
「その薬物についてくわしく教えて欲しい」
ミカミはレオハルトを見据えながらゆっくりと語る。
「……忌々しい私の故郷ミカミ村には因習があったのだ。巫女は就任の際にあるものを一瓶、毎日少しずつ飲むという古き慣例がな。巫女以外は飲んではならぬと言われていた」
「あるもの?」
「……」
ミカミはためらった様子を見せるが意を決したようにこう言った。
「酒だ。村では『女神の涙』あるいは『女神の甘露』とも呼ばれていた」
「今でもその酒が?」
「いいや。あれはもう村にはない」
「その理由は?」
「持ち去られた。あの日、サダマサや父と酒を飲み交わしていたあの男によってな」
「持ち去られた?」
「……博士」
「博士?」
「そう。博士と呼ばれていたわね。各国の軍隊のことや兵器の話題で盛り上がっていたわね」
「……」
レオハルトはその言葉からある可能性が脳裏をよぎっていた。
『女神の涙』と『改造女神信奉派』。
彼らが名乗る派閥の名前と持ち去られた酒の名前にレオハルトはいいしれぬ不吉な予感を感じていた。
「つまり、この事件はミカミ一族の技術が関わっていると?」
「その可能性は極めて高い」
レオハルトはアラカワ曹長の言葉に頷く。
「レオハルト大尉」
「どうした」
「……俺は正直、宗教に関しては疎い。だから女神と聞いて何を連想する」
「……見当もつかない。アズマ国にはヘイキョウに当たる場所に東方神話にいくつもの女神が出る、AGUの各惑星に存在する土着の神話にも女神は無数にいる、フランクには聖女の福音書、オズ連合では炎星教の聖人の伝記が残されている。だが共和国なら……女神というべき存在は『一柱』いる」
「それは……?」
「我が国の国歌の歌詞にもあるだろう?」
「……蒼穹の女神」
「そう、神樹教典の第二章には『天より舞い降りし災いの獣たち。奴らによってもたらされた邪悪なる契約によって始まりの地から平穏が奪われた。辛くも生き延びた人々は変わりゆく荒れ果て人から転じた魔獣に食い尽くされる地上の様を見て皆涙する。そして彼らは神樹に救いを求めた。その群衆の中から一人の乙女が』……」
「……『空を思わせる青き聖なる光を発する女神へ転じ、希望と宇宙への道を指し示した』とあるな」
レオハルト大尉の暗唱に合わせるようにスペンサー大尉もその内容に合わせて神樹教の内容を誦じていた。
「……まさかと思うが、敵は……ん?」
スペンサーが怪訝な顔をして振り返る。そこに泡を喰った様子の兵士が駆け寄ってきた。
「SIAの皆様ですね?」
「どうした?」
その後の報告を聞いてその場にいた全員が目を見開いた。
「報告します……大変なことが」
「……いったい何が?」
レオハルトは嫌な予感を抑えながら兵士に詳細の報告を促した。
「ホーエンハイム家令嬢のリーゼロッテ・ホーエンハイム氏とシュトルベルグ家令嬢のエリーゼ・シュトルベルグ氏とクラーラ・シュトルベルグ氏、我が軍のエリザベス・ノーズ中尉、アンジェリカ・デ・スパダ少佐両名が拉致されました……それに関してブラッドクロス党を名乗る集団から犯行声明が出ています!」
「な!?」
前代未聞であった。それまでの誘拐は散発的でターゲットを孤立した若い女性に限定して隠密に誘拐されていた。だが今回は狙い澄ましたかのように複数人の女性を、しかも共和国の女性軍人と名家出身者を狙って誘拐が行われている点で非常に特異であった。
「君、現場へ連れていってくれ」
「イェッサー」
兵士は緊張していたが案内はスムーズに行われた。
「まずここがノース中尉とリーゼロッテ氏の攫われた地点です」
そこはホーエンハイム家からそれほど離れてない地点である。現場は高級住宅街であるが駅に近く人通りは多い場所と言えた。
「大胆な犯行だ」
ダーティな手段に長けたアラカワ曹長ですらそう発言していた。なぜならこの場所は人の目の多い地点であり、誘拐すれば目撃者がいてもおかしくない場所と言えたからだった。だが、早朝での記憶があやふやな様子の市民が何人かその場に残されているだけだった。
「記憶を弄られたの?」
ユキがそう発言する。それは真っ先に疑われるべきことだったが意外な答えが返る。
「結果は陽性でした。我々が既に因子散布の有無を調べました」
警官の一人が敬礼して答える。
「ありがとう。にしてもなぜリーゼロッテを……ん?」
ユキが怪訝な顔をしたのでシンもその方角に目をやった。するとレオハルトのそばにシュトルベルグ家当主のジークフリード・フォン・シュトルベルグがレオハルトを見るなり神仏に祈るかのように仰々しく懇願を始めた。
「レオハルト殿、どうか我が愛娘を探してくれぇ!!」
「ジークフリード殿!?」
「我が娘がぁぁ、て、て、テロリストどもに攫われたのだ! 君の力がいるんだ! どうか助けてくれ!」
「け、警察は!?」
「通報した! だが、あっちだけではお手上げだ!」
「わ、わかりました。こちらでも全力で捜索します」
「ありがたい!!」
レオハルトの手をジークフリートは握り潰さんとばかりに握手していた。
彼の言い分ももっともだった。なぜならば相手がテロリストと判明している以上、娘の捜索には国内外の情報に長けた特務機関と警察の両方の連携が必須であった。それに加えて、家ぐるみで仲の良いシュトルベルグ氏の懇願をレオハルトは無視できなかったのだった。
誘拐事件、ブラッドクロス党、そしてペーパーカンパニー。事件は混迷を極めてゆく……!?
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