第二章 第四話 百足が来る! その3
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
五人はユリコに接近する。ユリコは彼らを威圧的に微笑む。
「大した度胸だな」
「そうでなければ交渉にならないからな」
「これでもか?」
そう言ってミカミがレオハルトのいる地点に指を刺す。すると百足の大群が彼に向かって一斉に群がってきた。
「ごめんあそばせ」
ユリコは不気味な笑みを浮かべる。
「レオハルトさん!!」
サブロウタが周りを見て叫ぶ。
だがレオハルトは跳ぶようにして身を翻す。青い残像と共にレオハルトは天井を一周する。そして彼は百足たちの追撃を回避した。
「レオハルト様!」
イェーガーが銃口をユリコへと向けそうになる。
「やめろ!」
「やめて!」
レオハルトとアオイが同時に叫ぶようにして制止する。
「その声、アオイか」
百足女郎を想起させる姿のユリコが懐かしそうな声を出す。
「……そうよ。久しぶりね」
アオイもどこか柔らかな声を発していた。
「よもやよもやだ。まさか貴女がいるとはね」
「それはこちらの言葉よ」
「人間とつるむとはどういう心変わりだ?」
「無論、恋人ができたの。サブロウタさんよ」
「……ど、どうもSIAのマツノです」
引き攣った笑顔でサブロウタは暗視ゴーグルを外す。
「あんたも人間の男に騙されてきただろうに。懲りないね」
「いい人よ」
「人間なんてどいつもこいつも腐ったやつらばかりよ。いいかげんわかりなさいな」
「全員じゃないわ……私のことも腐ったやつだなんて言うの?」
「……」
「貴女をずっと友達だと思ってる。貴方やサブロウタさんに出会ったから救われたことは多かったわ」
「貴女は運がいいのよ。私はずっとひとりぼっち。私はずっとそういう運命なのよ」
「その運命、破壊してやろうか」
シンが二人の会話に割って入る。思わぬ展開にサブロウタ以外もぎょっとした顔をしていた。
「なんだ人間」
「シン。シン・アラカワだ」
「お前には関係ない」
「ある」
「黙れ」
ユリコは百足たちをけしかけシンの全身に群がらせた。
だが、シンは狂った眼光のままユリコに説得を続ける。
「お前は親の風上に置けない外道と裏切り者どものせいで孤独と絶望を味わっている。俺の宿命は孤独と絶望を憎みそれを粉砕することだ」
「黙れ。死にたいか」
「アラカワ!?」
「アラカワ、無理するな。サブロウタと!」
「ユリコだめ!」
全員が狼狽した様子を見せる。
「気にするな」
アオイやレオハルトらが驚くが、シンは彼女を手で制止して口を開く。
「俺は……人を救うために奔走した人間が孤独と絶望を味わう不条理をひたすら憎んでいる」
「黙れ、偽善者!」
「俺には偶然出会った親友ミッシェルがいた。母マリがいた。両方が俺を庇って死んだ。俺はその不条理を今でも憎んでいる。俺は孤独と絶望を破壊する。孤独と絶望を破壊するためならあらゆる理不尽と悪人を直視しても構わない。だから言わせろ。人間を悪人ばかりだとクズばかりだと決めつけるな。俺はクズと悪人だけが人間ではないと実証してみせる。人には正義がある。いわゆる『正義』とは『孤独と絶望の牢獄から他人と自分とを救うべくあらゆる不条理に一線を画して抵抗する思想的概念』のはずだと」
「黙れ……黙って……」
激昂していたユリコの表情に変化が訪れる。彼女の目に溢れるものがあった。
「お前にも救いたい人間が……救いたかった人いただろう。幸い今のお前にも親友がそばにいる。たとえ毒虫の群れに放り込まれてでも半身を切り刻まれても成したい理想があっただろう。俺にも夢と信じる正義がある『孤独と絶望に苛まれた他者の苦難を食い物にする悪と理不尽を根絶すること』だ。俺は俺の正義のためにレオハルトの配下になった。お前もかつてはそうだろう。ユリコ・ミカミ、お前の理想を思い出せ!」
「黙ってよ……黙って……化け物の私になんて……構わないで」
「思い出せ、決して目を背けるな。邪悪になど負けるな。お前にも可能性がある。幸福に生きる権利がある!」
「嘘よ……私は人間じゃなくなった……う……私は……うう、……わあ、……あああああ!」
ユリコは泣き崩れ、それ以上言葉を紡ぐことは出来なくなった。
「ユリコ」
「ああああ、ああああああ!」
ユリコはただ泣いていた。その様子を見てシンは彼女に向かって決意を示す。
「だから、これは誓約だ」
「うう……ぐ……う……」
泣きじゃくるユリコにシンは宣誓する。
「お前を苦しめた外道の命をくれ。その代わり、俺たちSIAの配下になれ」
「…………嘘でしょ」
「しくじったなら。俺を殺せ」
「それは命令?」
「いいや。懇願だ」
「…………」
両目を手で覆い頬を涙で濡らし肩を震わせながら、ユリコは頷いた。レオハルトらはユリコを仲間にすることと彼女の長き復讐の因果に決着をもたらす約束する。
「レオハルト大尉。勝手な行動をお許しください」
「いい。僕も……救われたよ」
そう言ってレオハルトも涙を流していた。レオハルトはサブロウタとアオイに指示を飛ばした。
「サブロウタ、アオイ。ユリコを連れて近くの共和国軍駐在基地まで待っててくれ」
「了解です……レオハルト大尉はどうなさるのです」
レオハルトは刀を引き抜いてからこう言った。
「悪党を斬る」
そう言ってレオハルトとシン、イェーガーはミカミ村へ悠然と歩みを進めた。
それを見計らったかのように異常に筋肉が隆起した異形が立ちはだかる。
「なんだぁ誰だこいつ……来るのユリコじゃねえのかよ!?」
「……」
「まあいいかぁ、こいつを薬のモルモット……もるすぁ!?」
レオハルトの一刀は異形の首を両断した。異形の動体視力は人間のそれを凌駕してたがレオハルトの一刀はその異形の目をもってしてでも回避不能の領域に位置していた。
切断された異形はそのまま絶命する。
「外道よ。土に還れ」
レオハルトはそう言って刀の血を飛ばしてから納刀する。
そして三人は得物を構えてミカミ村だった生体兵器たちの巣窟に攻め入った。
「あぁあぁぁあぁあっ……!」
「肉だぁぁぁ肉だぁぁああ!」
「ひゃっひゃひゃ……あそぼぉぉああ!」
数は六十七体。敵はすべて体を非人道的な手段で強化した人間の枠を外れた猛獣に等しい異形の大群である。
「大尉、誰を潰せば?」
シンは登山服のコートを脱ぎ捨てる。軍用パワードスーツを一から組み直した初期開発型『鴉影』紫電機関装着三号外装に身を包んだ姿が露わになる。紫電機関の始動音が周囲に響く。
「資料によればミカミ製薬の会長のゴウゾウかその父サダマサが怪しいと踏んでる。だがハズレでもこの分では生体兵器の仲間入りだ」
レオハルトもシュタウフェンベルグ家仕様太刀型軍刀を引き抜く。軍刀には『世界を学び、希望に生きよ』という家訓が彫られていた。
「一二〇年にミカミ・サダマサは埋葬されたと聞きます。……生きてると?」
光学迷彩服のイェーガーはアタリア共和国製の狩猟用ライフルを構えた。
ベレト・イアソンEプロ。装弾数四発、ボルトアクション、電磁弾方式、スコープ付き。村の鉄砲店で彼は試射を済ませていた。
「その可能性は高い。メタビーングがらみの案件は通常の生物学の常識は通じないと思っていい」
「了解。潜伏します」
イェーガーの姿がほとんど消え失せる。
「先行します。大尉」
「ああ行こう。曹長」
二人は異形の群れに突撃する。
レオハルトは竜巻となった。死の風となった彼の前にあったのは肉片となった異形たちの骸だけだった。
速度に関してはレオハルトに完全に軍配があがるが、シンの突撃も目を見張るものがあった。三号鴉影で強化された身体能力は異形たちの脅威的な身体能力を持ってしても抑え切れるものではなく、立ちはだかる化物すべてを肉と血の潰れた物体に変貌させた。
シンは異形に攻撃される。それは通常の人間にとって致命的なものでなにより恐怖心を与えるに十分だった。だが、シンの狂気は生半可な恐怖心を簡単にねじ伏せてしまった。シンはただ異形たちをただ越えるべき敵と認知して突進する。
「きがねぐええええ!?」
「うりぃあああああ!?」
異形たちは雄叫びを上げて力づくでシンを殺そうとするが、逆にシンは彼らを力づくで轢殺した。荒れ狂う二つの風となった二人を止められるものはこの場に存在せず異形たちは悲鳴を上げながら血飛沫と肉の塊となった。
おびえながら逃げ出そうとする個体もいたがそれはイェーガーの獲物であった。
ちょうど四体いた異形どもは残らずイェーガーに潰された。
かくして六十七体の荒れ狂う異形たちはたった三人の手で永遠に動かなくなった。
「……助けてやれなくてすまない」
レオハルトが黙祷する。それに二人も続いた。
屋敷に向かおうとする彼らの前に巨大な肉の壁が立ちはだかる。
「おおぉぉ……うりぃぃいい……ぁぁ……」
肉塊には人の面影があった。
「ゴウゾウ・ミカミ……!」
「そうことか」
三人はすべての黒幕を察し、哀れな犠牲者であるゴウゾウの成れの果てを葬るべく攻撃を加えた。イェーガーは小銃に装弾を済ませ、ゴウゾウの頭部に一撃を加える。
「まだ倒れないか!?」
だが怪物は頭部の傷をもろともせず再生を始める。
「ぁぁ……ゆりぃ……こぉ……」
イェーガーが困惑するが、そこにレオハルトとシンが追加の猛攻を加えた。
「いやこれでいい」
「その通り」
レオハルトはゴウゾウだったものの周囲を回転し竜巻を作る。そこに無数の斬撃を加え死の竜巻を生み出した。斬撃でボロボロとなったところにシンが最後の一撃を加える。
「グリーフフォースの応用だ」
シンはタカオの戦い方を思い出しながらグリーフ・フォースで作られた球体をぶつける。
「ユリコ・ミカミは我々が救う」
そう言ってシンが飛び上がる。それは人の跳躍を超越した『鴉影』の動きである。
「ゆりぃぃ……ああぁぁ……」
「永遠に眠れ!」
そしてシンはゴウゾウだったものに球体をぶつける。
紫電の高濃度圧縮体は物体を凍結させる。ものが燃焼するのとは逆にグリーフエネルギーは触れた物体を凍結と劣化を加えるのだ。凍りながら砕けてゆくゴウゾウの肉体は弱い悲鳴と共に灰に似た物へ変貌していった。
「ぁぁ……うぉぁぁ……ぁ……ぁぁ……」
ゴウゾウだった肉体が消滅し、レオハルトはまた黙祷を捧げる。
「すまない」
「……」
「……」
それに合わせて二人も黙祷を捧げる。
そしてそれを終えたイェーガーの目は自分たち三人を見つめる老人らしきものの影を捉える。
「……大尉」
「どうした?」
「あなたが正しいようです」
イェーガーが指さすと人影が寂れた屋敷へと誘うように消えていった。三人は階段を登り屋敷へと到達する。屋敷のどこからか声がした。
「不届ものめ、ミカミの血族が住む地を荒らすとは……」
「貴様らはユリコ・ミカミを裏切った」
レオハルトは軍刀を構える。
「あの女の刺客だと?」
「ああ。楽に死ねると思うな」
シンの言葉に老人の声が笑う。
「あっはははは、子供などまた作ればいいだろう」
「……なんだと?」
レオハルトが憤激の形相を見せる。子孫を道具としか思わない非道な言葉に彼の怒りにも火がついていた。
「こんな寂れた山奥の大将など哀れだ。ミカミ・サダマサ」
心底軽蔑する目線を向けながらシンは露骨な挑発を口にする。
「き、貴様、わしの素性を知ってなお愚弄するか!?」
「そうだ。自分の孫を道具にし、自分の血族をモルモットにし、小山の大将で満足する自尊心だけの化物に生きる資格などない。ユリコはSIAが引き取る。潔く死ね」
「馬鹿めぇ死ぬのは貴様だ」
サダマサが屋敷から出る。彼は刀を持った四つの腕と巨大な百足の体節が付いていた。
過去と虚栄に囚われた悪を前に……情け無用の死闘が始まる……。
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