第一章 二十五話 新たなる混沌・その3
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
レオハルトとスチェイは慎重に一歩一歩を踏み出していた。
目的は殺傷ではなく説得である。その上に、こちら側の人物が手中に収められるという不利な状況にあるため二人は慎重なやり方でアオイとサブロウタの追跡を行っていた。
「なぜ二人が襲ってくる?」
「分かりません。何か誤解しているようで」
「いずれにせよ不味い状況だ。どうにか穏便に済ませたい」
「全くです。せっかくアズマ国に来たというのに」
「警戒を。どこに罠があるか分かりませんので」
「了解」
レオハルトが一歩、それに合わせてスチェイが背中合わせで動く。
レオハルトは刀を、スチェイは小銃を構えていた。
スペンサーとギルバートを手中にしたアオイらの姿はどこにもなかった。
「止まって」
「え?」
「糸がある」
「頼みます」
「了解」
レオハルトはスッと息を吐いた。
一閃。
銀の刀光が、か細く強力な蜘蛛糸を一本切断する。
「……見事です。少尉」
「油断しないでくれ。スチュワート少尉、光を」
「了解。ソリッド出します」
スチェイが片腕を出して集中する。すると光る実体が四角いブロックを形作った。それをスチェイは操ると何か糸を千切るような音をある地点で発した。
「やはり罠が……」
「ペース早めるぞ、時間稼ぎの可能性がある」
「了解」
二人はそう言ってあたりを見渡した時である。
「広がれ!」
レオハルトが不意に叫んだ。二人は蜘蛛糸から辛くも逃れた。しかし、その代償に分断される結果となった。
「レオハルト少尉!狙いは!」
「僕だ!」
叫ぶレオハルトの眼前に蜘蛛糸が迫る。
レオハルトは集中する。メタアクトと剣術を組み合わせ目にも止まらぬ斬撃の壁を作り出す。高速で繰り出されるゼロコンマの斬撃はもはや線ではなく面として形作られていた。刹那の感覚で繰り出されたレオハルトの斬撃は異様な速度を伴っていた。
「よしてくれ、アオイ殿。僕は話に来ただけだ」
レオハルトは闇の中に呼びかける。すると木々の奥からカサカサと何かが蠢くような音が響く。
楕円の腹部、細長い脚部は黄色と暗い緑青色の横縞で彩られている。これだけならば巨大な蜘蛛だが、蜘蛛の頭部があるであろう場所には紫の着物を着た女性の上半身が存在していた。女は不敵な笑みを浮かべていた。
アオイ・ヤマノが闇より現れた。
不遜なまでに余裕の笑みを浮かべながらレオハルトの方をじっと見つめている。
「目の青いお侍さまとは珍しいわね。……うふふ」
「僕としても蜘蛛の姿をしたご婦人は初めてだ」
「あらあら……討伐隊にしては胆力と気品があるわね」
「討伐隊……?」
「とぼけなくてもいいわ。アスガルド共和国の使者なんて下手な誘い文句で私たちを誘いだしたのでしょう?ご丁寧に外国人の人員まで揃えてね?」
「本当だ。その証拠にこの軍服と身分証は本物だ」
レオハルトは必死でそう発言したが、横から口出しする物がいた。
「嘘に決まっている!こいつらを殺されたくなければとっとと出てけ!」
サブロウタである男が二つの糸の塊にナタを突きつけていた。糸の塊からはスペンサーとギルバートの頭部が覗いていた。
「私の名前に聞き覚えがあるだろう?我が名はレオハルト・フォン・シュタウフェンベルグ。この名前に聞き覚えは!?」
「……え?」
「……な、なに?」
「我はシュタウフェンベルグ家の関係者である!どうかお話し合いの機会をお与えいただく参上した!」
「……驚いたね。よりにもよってあの『シンシア・シティ大演説』の……」
サブロウタとアオイの二人の表情が完全に動揺していた。
レオハルトには変わった過去があった。
親友タカオ・アラカワと共に奇妙な冒険をしていた。三二〇年のことである。その奇妙な旅は短いものではあったが、危険で驚きに満ちた旅路であった。その旅路で戦争の危機に見舞われたアスガルドを救うべくレオハルトはある博打に等しい策を打って出た。
それが『シンシア・シティ大演説』である。
当時のシンシア・シティでは当時の大統領がAGUに対して宣戦布告の演説を行う直前であった。
だが、ある若者が大勢のマスメディアの前で長々と演説を行い、大統領の決定を取り下げさせた事件が起きる。その時の彼こそが当時のレオハルトである。
それは世間を驚かせたが、レオハルトの策によって後に最悪の事態を回避されたことが当時の共和国警察の調査で判明し、レオハルトは国内外で英雄的な若者として認知されていた。その影響力は大きく、レオハルトは一八歳で大戦争を止めた若者として認知される。そしてタカオもまたレオハルトの父カールと共に犯罪組織を壊滅させたヒーローとして世間の関心を集めた。
「その若者が軍人になっているなんて、驚きだわ」
「でも、驚くこともないだろうけどね。次はどんな悪党と?」
「父カール・フォン・シュタウフェンベルグ少将の仇です」
レオハルトの真っ直ぐな目を見てアオイとマツノの両者は頷いていた。
「はは、どうやらとんでもない勘違いをしたようだね……」
「そのようだ」
そう言ってアオイは蜘蛛糸の一部を引っ張る。すると、ギルバートとスペンサーの二人に巻きついていた糸がするりと解けていった。そしてアオイは蜘蛛の姿から人間と変わりない姿へと変貌してゆく。三対の歩脚と楕円の腹部がずるりと人の上半身へと収まったかと思うと一対の硬質な虫の歩脚がグネグネと肉付きながら人の綺麗な脚へと変わっていった。そしてアオイの赤い複眼がアズマ人離れした綺麗な青い虹彩の目となった。彼女の姿は人間になっていた。
それを見てレオハルトは軍刀を鞘へと収めた。
「みんなもういい。出てきてくれ」
草木の間からジョルジョとイェーガー、そしてなぜが鼻血を出しているサイトウが姿を現した。
「ようやく穏やかに……サイトウ、どこかに鼻ぶつけたのか?」
その場にいる全員がサイトウを見る。サイトウは持っていた白のハンカチで鼻を拭いながら口を開いた。
「いやはや」
「……?」
レオハルトも少し困惑の表情を浮かべていた。
「正直に言おう、蜘蛛女のお姿が美女に変化するのは……」
「抵抗があったようね」
「いえ!実にセクシーかつ蠱惑的で俺のストロングな領域が興奮……ガフォッ!?」
不埒な発言をしたためにサイトウはジョルジョに顔を張り倒されていた。サイトウの顔から血飛沫が飛ぶ。
「ツッコミやる気力ねえよ」
普段は毒舌で抑え役のスチェイは腰の抜けた状態でそう発言した。彼は疲れ切った状態でその場に座り込んでいた。
「なんだこれは」
「なんですこれ」
スペンサーとギルバートは顔を見合わせながらそう発言する。
二人はサイトウの相方であるジョルジョに視線を移す。
「俺は変態じゃねえよ!」
「男じゃ興奮しね……ガフュ!」
あまりにも締まらない状況ではあったが、敵意と緊張感がないことがアオイらには十分伝わっていた。
「あらあら……」
「おいおい……セクシーなのはわかるが、俺の恋人だぞ」
「そこかよ」
「それもどうなんだ、それも」
サブロウタの発言に思わずスチェイとジョルジョがツッコミを入れた。当の本人たちはどこか温和でほのぼのとした様子である。殺気は完全に消え失せていた。
「はははは……何はともあれ交渉のテーブルに付けてよかったよ」
「レオハルトさん、あなたには特に苦労をかけてすみません」
「仕事ですから、大丈夫ですよ」
「お詫びと言ってはなんですが、フルーツご馳走します」
「いえ、そんなに気を遣わないでも……」
「騒動を起こしたのは我々なので……どうかお詫びをさせてください」
「私からもお願いします。サブさんをお許しください」
サブロウタら二人は非常に紳士的な態度で謝罪の言葉を述べていた。レオハルトはそれに心を動かされつつも、彼らに余計な気遣いをさせまいとこう切り出した。
「職業柄よくあることですので……それより、我々はお二人にある協力を申し出ようと思います」
「協力とは?」
「特殊船団のエージェントとしてお二人には我が共和国へと来て頂きたいのです」
「理由は?」
「父の死の真相を私は知りたいと思っております。その調査にはお二人の協力が必要だと不肖ながら僕はそう思っております。その過程で犯罪組織か、もっと強大な存在につながっていると僕は思っているのです」
「これは驚きですね」
「……アオイさんは戦闘状態になると体の制御が効きづらくなると効きます。僕のツテで社会生活に必要な処置ができる可能性もあると思いますが……」
しばし黙った後、二人は頷いた。
「ええ、私らにできることであれば……協力させてください」
「お願いします。是非」
「……ありがとうございます」
レオハルトは丁寧に頭を下げた。
「アオイの知識は僕も驚かされているので、もしかすればそういう存在につながる可能性があると思っています。それに貴方には恩が二つもありますので」
「恩ですか」
「あの大演説によって、僕も僕の恩人も救われておりますので……今はこうしてアオイと暮らせているのは貴方のおかげですよ」
「我が共和国があなた方にもご迷惑を」
「それを止めてくれたのは貴方のおかげです」
そう言ってサブロウタは頭を下げる。
「今後ともよろしくお願いします。サブとお呼びください」
「ありがとう。よろしく」
レオハルトとサブが握手を交わした後、ギルバートは息を吐いてからこう言った。
「やれやれだ。一時はどうなるかと」
「中佐、私も同感であります」
「出国は早めた方がよさそうだな」
「ええ、すぐに連絡……ん?」
スペンサーが無線機を取り出し何やらやりとりをする。
「中佐」
「どうした?」
「良いニュースと悪いニュースが判明しました」
「良いニュースからだ」
「アオイの言う『討伐隊』の詳細がわかりました」
「悪いニュースは?」
一拍おいてスペンサーが言った。
「そのうちの一人が……、『ワイズマン』です」
「……なんてことだ」
ギルバートはため息をついた。
次の瞬間、日の落ちた野山のそばに何かが降着する。それはもはや降着と言うより落下に近いものであった。その地点レオハルトらに近く、全員がその衝撃のために身動きを取れなくなるほどの風圧が存在した。
「……まさか、お前がいるとは……レオハルト」
砂煙の中からレオハルトの知る声がする。
「こっちのセリフだ……タカオ」
レオハルトもすぐに軽口を返す。
おびただしい砂塵の中から何者かが現れる。紺色の紳士服に身を包んだ身長一七〇センチのアズマ人紳士が悠然と歩み寄ってきた。レオハルトはその知的な顔立ちの人物を知っていた。
唯一無二の親友、タカオ・アラカワ。
そして彼の戦闘力は最後に会った時より格段に上がっていることをレオハルトは否応なく理解することとなった。
討伐隊の尖兵はまさかの親友……!?
次回もよろしくお願いします




