第二章 第七十三話 戦場の女傑、その4
惑星コルマルの戦いを終えた後のSIAはセントセーヌ奪還を見据え人員に休息を命じる。
当然、各々が寝室で思い思いの時間を過ごしていた。だが、アンジェラはある意味ではストイックな過ごし方をしていた。
「うふふふ……」
卑猥な笑みを満面に浮かべながら、アンジェラはGペンを原稿に走らせていた。彼女の絵は繊細でありながら精悍で淫靡な作風に満ちていた。知的な雰囲気のある将軍と伝説的な英雄が禁断の恋と肉欲を燃え上がらせる物語を情熱的で細密な筆使いで書き進められてゆく。
その官能的でフェチシズムに満ちた物語を描きあげてアンジェラは恍惚の笑みを浮かべていた。彼女は現在では主流から外れたアナログ派の創作者である。彼女の作品はパソコンを介さず全て手書きで描かれていた。
「ふふふ……渾身の出来ね」
そう言って彼女は書き上げた原稿を鍵付きの収納ボックスへと入れる。やりたい予定をすべて完了させたのち、アンジェラはインスタントコーヒーを堪能していた。
すると、一人の来訪者が寝室前で呼び出し音を鳴らした。
「誰?」
アンジェラが一度筆を置いて、拳銃に手を伸ばそうとする。
「やほー、アンジーいる?」
玄関先から底抜けに明るい返事が返ってくる。それを聞いてアンジェラは安堵の顔で一息着いた後、再び筆を取っていた。
「レイね。入って」
「はいはいはーい」
アンジェラが部屋の前にいるレイチェル・リードを招き入れた。任務中なので軍服姿で化粧もほとんどしてないが、物腰は相変わらずおおらかで陽気であった。
「あ、絶賛書き上げ中?」
「そ、こう言った隙間時間にやることやらないと夏と冬に間に合わないのよ」
「えー、アンジー原稿落としたことないじゃん。とりま遊ぼうよ」
「そうやって油断していると、地獄が待っているの。あるあるよ」
「ゲゲ……創作ってマジ大変なん?」
「楽しいけどね。毎日コツコツと書くのが大事なの」
「うへぇ……宿題の勉強みたい。あたしには無理ぽ」
「ある意味宿題ね。お披露目に備えて毎日ネタ帳に記しておくの」
「へぇー……」
そう言って原稿に向かうアンジェラの眼差しと筆遣いは真剣そのものだった。そして何より彼女の筆致は恐ろしく速い。絵心のある人物でも舌を巻くほど速筆のアンジェラの描画は次第に蠱惑的な禁断のラブロマンスを真っ白な原稿の上に浮かび上がらせていた。
描画に慣れた人間ですら恐ろしく速く精密なアンジェラの描画はレイチェルにとっては早回しも同然の早業を思わせる速度であると言えた。
「画力スゴ……てか、えっろ……」
アンジェラの作品は一部だけだがレイチェルを赤面させるには十分な中身と威力をしていた。
「ふふふふ……お楽しみに……っとここまでかしらね」
そう言ってアンジェラは恍惚の笑みと共に一度筆を置く。彼女の進捗状況は素人のレイチェルから見ても順調そうだとはっきり言えるものであった。書き終えた原稿をアンジェラは小型の金庫へと収納する。
「……んでさ。話あるんでしょ?」
「そそ、どうもやばたにえんな状況っぽい」
「やばい?」
「そー、どうもいるぽい。スパイ」
「……どこの勢力かわからないけど、深刻ね」
「そー、イェー様が鬼モード入っててビビるわぁ」
「……戦闘時のイェーガーおっかないからね」
「そー、こないだ怒鳴られてメンブレした」
「どうしてまた」
「……うっかりイェー様の背後に声かけちゃった」
「うへぇ、撃たれないだけマシね」
「うう……怖かったぁ……」
「……半分いたずら心あったでしょ?」
「い、いわんどいて……バレたら鬼えぐなお仕置きコースだからぁ……」
「分かった。その代わりなんかあったら手伝ってね」
「うへ……」
レイチェルは一度ガックリと肩を落とした。そんな彼女を見てアンジェラは飲み物の入ったペットボトルを差し出す。レモンティーのボトルであった。
「とりあえず飲んでけ。スパイが何かするかもしれないし。今のうちにね」
「あざっす。さすがアンジー」
「そうそう。もしスパイがこの場にいたら足音か物音でも立ててくれたら楽なんだけ……」
そう言ってレイチェルがレモンティーのボトルに口をつけようとしたタイミングだった。
音。
それは何かを落としたような音に近かった。
ゴトッとかガタッと称するべき硬質な物体の小さな衝突音である。
「……アンジー」
「……見てくる。あたしなら抑えられるから」
アンジェラは拳銃を抜いて、周辺のクリアリングを始める。レイチェルにはいつもの軽薄な笑みはなく、代わりに緊張感のある無表情でどこかを手で場所の説明をする。それを見たアンジェラが壁を背にするように慎重に移動を始めた。
アンジェラは音の付近へと近づく。
入り口近く。
なぜか扉が開いていた。
「……!?」
アンジェラは急に得体の知れない悪寒を感じる様子になった。
それはアマチュアとは言え創作者としての観察力の賜物なのか、彼女は異様な違和感を即座に感じ取った。
何かがいる。
そう思ったアンジェラは即座に拳銃に指をかけながら後方へと跳躍した。
するとアンジェラの腹部がさっきまであった場所に閃光のような金属の煌めきが走る。刃物の一閃であった。
「敵襲ぅ!!」
そう叫んだアンジェラが拳銃を前方に向かって三発撃ち込む。
だが弾丸はかろうじて敵の薄皮を掠める程度に留まる。そしてなにより敵の姿がなぜか存在しなかった。その場には弾丸で掠めた時に飛び散った血飛沫だけがわずかに残る。
アンジェラとレイチェルには二つの単語が脳裏を過ぎる。
光学迷彩、もしくはそれに準ずるメタアクト。
ならば、最初に動くべきはレイチェルであった。
レイチェルは近くにあった筆記用具の一つを床へと投げ込む。
音の反響を利用してレイチェルはメタアクトを発動する。レイチェルの能力は音を操ることにあった。本来は音や音声を用いて触れた生物を操ることを得意としたメタアクトであるが、音を利用して大まかな物体や生物の位置を把握することも可能であった。
レイチェルの強化された聴覚が透明人間の位置を把握する。わずかに遠い。微細な足音や金属の音がレイチェルに位置を教えてくれる。
五メートル前後。
レイチェルが分かるのはここまでだった。
ハンドサインで彼女はアンジェラにそれを伝達する。頷いたアンジェラが拳銃を構えながら慎重に周囲を警戒する。
コツン!
不意に何か落ちた音がする。それは円筒状の物体としてアンジェラの視覚に入る。それを見たアンジェラが叫ぶ。
「音響弾!!」
そう叫んだ時には遅かった。
常人でも耳をつんざくほどの大音量が鳴る。それは一瞬に過ぎなかったが、レイチェルを悶絶させるには十分な威力があった。
「がぁぁッ、耳ィィィィ!!」
メタアクトで強化された聴覚に不意の大音響は痛烈な一撃となる。鼓膜は破れていないが聴覚神経を犯す苦痛がレイチェルを大いに苦しめる。口から涎を出しながら悶絶する様子になったレイチェルにアンジェラは気を取られる。
「レイ!!」
アンジェラは空間が歪むような違和感を横に感じる。まずいと思ったのか肉体を可能な限り空間の光学的な歪みから遠のかせる。だがその判断は少し遅かった。右脇腹に明らかにナイフの一閃を思わせる銀の斬撃が飛んだ。
「痛ぁ!」
不意に走る痛覚にアンジェラは顔を歪ませる。内臓へのダメージはないが出血は浅くなかった。刃物傷を中心に軍服が血で赤く染まる。
「ぬああああっ!」
アンジェラが自分の前方に出鱈目に三発撃ち込む。敵への命中はないが敵から距離を取る時間は稼いだ。
「ちくしょう。斬られた!」
アンジェラが片手で脇腹を抑えながら後退する。そこにレイチェルが拳銃で援護を加えた。
「アンジーから離れろ!」
レイチェルが敵のいると思われる地点に銃撃を加える。だが、敵もかなり訓練されているためか掠った弾丸はあれど致命傷には程多かった。それよりアンジェラとの距離を引き離す時間を稼げたことは大きかった。物陰まで交代したアンジェラは拳銃の装填と止血を行うだけの余裕ができた。アンジェラは応急的ではあるが包帯とガーゼで切り傷の処置を行う。
「はぁ……どう?」
「ダメ。敵はガン逃げしてるし!」
「でも助かった。止血と装填やったから」
「りょ。援護する!」
アンジェラは少し息を吐いてから拳銃を構える。船内ではアンジェラのメタアクトは周囲や船への被害を危惧すべきものであった。一瞬、それも最小での行使であれば船の被害に影響は出にくいが、その場合はきちんと相手がピンポイントで位置がわかる必要があった。
「……レイ。相手を追い込める?」
「無理しょ。だって相手のおおよその位置は音で拾えるけど。あいつ透明じゃん……」
レイチェルがため息と共に愚痴っぽくそう呟いていた。
「……透明か」
アンジェラがスッと冷静な表情に切り替わる。それを見てレイチェルが呆然とした様子で質問を投げかけていた。
「……え、なに。なんかわかった系?」
「ええ……突破口がね」
「……マ?」
レイチェルがポカンとした顔でアンジェラの顔を見る。最初レイチェルは得心の得ない表情のままでいた。
「そこインク使っていいわ! あの辺に投げ込んで!」
その言葉を聞いたレイチェルは即座にインクを床へと投げ飛ばした。すると、不自然にインクの消える地点や不自然な足跡がその場に残る。
「ナイス!」
そう叫んだアンジェラが重力のメタアクトを最小出力で発動する。
「ざっと……六メートル!」
相手との距離をレイチェルが叫ぶ。
「引っ付け!!」
アンジェラが能力を発動させた地点には何もないように見えた。しかし、能力の発動と同時に何かが叩きつけられる音と男の声が響く。その地点は床が不自然に歪む形跡と足跡が残る。
「今だ! 抑えて!」
「さすがアンジー!」
アンジェラとレイチェルが見事な連携で透明な襲撃者を抑え込むことに成功する。
だが、敵も周到であった。
「一人も仕留められないか。見事……」
そういって透明男が何かを噛む音を響かせる。
二人はその音の正体を即座に連想した。それは直感的なものであるが正確な予測であった。実際その直感は正しかった。
「まずい!」
透明男のいる場所からは吐血したものと思わせる血飛沫が床に向かって吹き出す。そしてバタバタと体がもがくような音が響いたかと思うと透明男の遺体が徐々に霧が晴れるようにして出現した。
「……服毒ね」
「……」
「あー、ミスったかも……確保できれば……」
「しょうがないって、でも生き延びられてラッキーじゃね?」
「うん。ありがと」
事切れた男を捕虜にして情報を聞き出すことはできなかったが二人はどうにか死闘から生還することはできた。そしてその場には正体不明の遺体、ナイフ、遺体となった男の謎が残された。
思わぬ襲撃者の撃退に成功。しかし男の素性は如何に……?
次回へ




