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ATTACK FROM THE UNKNOWN REGION:WONDERFUL PEOPLE#4

 一見人間と変わらぬにも関わらずこの上なく畸形なデリントン・フォレストの住人を撃退したジョージだったが、手ぶらで帰りたくない彼は手土産を求めてクラーケンズ・パームなる場所へと辿り着いた。そこで出会した名状しがたいもの…そしてデリントン・フォレスト森林地帯奥深くでジョージが見たものとは。

登場人物

ニューヨークの新聞社、ワンダフル・ピープル

―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。

〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズ…強大な悪魔、リヴァイアサンの一柱。



1975年4月:マサチューセッツ州、デリントン・フォレスト


 思わぬ寄り道で特に意味を持たぬ闘争へと巻き込まれ、そしてジョージ・ランキンはやはり黒のダッフル・コートを羽織っていてよかったと思い直しながら、微妙な気分を噛み締めた。

 デリントン・フォレストの悪臭漂う寒々しい通りからとにかく離れたかったが、しかしここまで来た以上は手ぶらで帰るわけにはいかない。ここには明らかに何かがある。でなければ、既に州か政府がこのような辺境など軽々しく蹂躙し、封鎖してしまっているはずであった。だが現場検証程度ならできる。それはつまり何を意味するのか? すなわち、デリントン・フォレストに外部の者が滞在できないわけではないはずなのだが、長期間ここにいると恐らく何か不都合があるのだろう。となれば、彼自身はもまた、ここへの滞在は日帰りで済ませるのが好ましいのだろう。

 既にこの世の中には、古来より歴史の一部として存在していた超能力者、先日の事件における未来から来た魔人、自称アーサー王伝説の騎士や自称魔法使い、そしてあのニューヨーク上空に居座る神格――あの肉塊じみた神の事を思い出すと、それだけで体が震えた――など、この世には想像さえ及び付かぬ実体が跋扈している事を思い知らされた。なればこそ、ここへの滞在が危険である事も簡単に受け入れる事ができた。何が現実的で何が非現実的か、今やそれらは非常に曖昧であった。

 ふと、ジョージは己の額が湿っている事に気が付いた。脇も湿り、尻がすうすうと冷える感じがした。手が発汗でじんわりと痛んだ。緊張と集中と…とにかくそれらは久しぶりの感覚であった。白状すると、彼は人を殺めた事があった。任務の必要性に応じて。今回は結局殺しはしなかった。さすがに目や喉までは潰さなかった。睾丸も潰れたわけではあるまい――あのような恐らく人を浚い殺してきたであろう尋常ならざるものどもにさえ手加減するとは、以前の己では考えられなかった。だが彼は、フィクションの登場人物のようにストイックに、冷酷に立ち回る事まではできなかった。


 通りを戻り、そして南端の家をも通り過ぎ、彼はふと振り返った。この異様に小さく理不尽な程グロテスクな街は、来た時と同様の悍ましさを保っているらしかった。彼は正直言ってもう戻りたいとは思えなかったが、いずれにしても何か手掛かりが必要であった。クオビンとその近辺を見て回ろうかと考え、それにはどれ程の危険が伴うのだろうかと予測した。

 2分程歩き、彼はデリントン・フォレストの中心街――そして今のところこの辺では唯一家屋があると思われた――の南端から何百ヤードも離れた。余程恐怖が勝ったのか、それとも余程あの街に嫌気が差したのか、そのいずれにしても、かなり速足で歩いていた事に気が付いた。ここまで来ると道の両端は森に囲まれ、そこらの木から脳を喰らう異界の生物などが飛び出して来そうに思えた。そうした妄想は先程の実際の脅威に際して感じた久方ぶりの感覚を少しは緩和させた。立ち止まって周囲を見渡すと、森の木々は夜中のようにその下を暗くし、しかしその向こうには蒼古たるマサチューセッツの森林地帯――真っ当な森林地帯――が広がっていると思いたかった。

 更に歩き、彼は最初通ったにも関わらずほとんど気にも止めなかった分岐へと差し掛かった。ここは北上するとデリントン・フォレストの中心街へと向かう道と、鬱蒼と生い茂る西側の森へと北西方向に分け入ってゆく、進もうにも気の進まない道――地図で確認したが西側の森の奥地には、これまでの事件が発生した現場がそれぞれあるらしい。先程はさらっと見て流したが、道の分岐点、『デリントン・フォレスト大通り』というこの滲みったれた街の住人にしては面白いセンスの看板の下に、『クラーケンズ・パーム』と書かれた別の看板があり、それはこの看板に書かれたおどろおどろしい内容のものがこの先にあるのではと思わせた。

 馬鹿馬鹿しい、ただの地名だろう。しかしクラーケンとは。リヴァイアサンの事が思い出されたが、関係があるとは思えない。一般的にクラーケンは蛸か何かのような怪物であり、リヴァイアサンは往々にして巨大魚のような姿で描かれる。

 そこまで考えて、彼は慄然たる『リヴァイアサンへの回帰』の英語版に掲載されていたリヴァイアサンの図が、蛸のような恐ろしい、そして美しい怪物であったことを思い出した。これはもしかすると…。

 ジョージには知る由もないが、ここから先はあの人間もどきと思わしきデリントン・フォレストの住人達でさえ近寄らぬ、呪われるべき悪魔の地であった。



数十分後:マサチューセッツ州、デリントン・フォレスト、クラーケンズ・パーム


 元々この付近の道はどれも未舗装であったが、中心街とその近辺は不思議と道に草一つ生えていなかった。しかしクラーケンズ・パームなる未知の場所へと近付くにつれ、徐々に雑草が目立つようになっていった。さわさわと風が草木を揺する音が不安を駆り立て、耳障りな鴉の鳴き声が彼の神経を逆撫でした。空は更に暗くなり、未だ雨が降らぬのが異常に思えてならなかった。ジョージがそうとは知りもしないサソグアの子らが無遠慮に合唱し、イグの子らが木の根本でごそごそと動いていたのが見えた。爬虫類の冷たい目が一瞬だけジョージと合い、何やら不安な気分にさせられた。

 これまたジョージの知らない事だが、イグやイオド、そしてかのトゥルーは未だ破壊されたアトランティスや壮麗なる神都ルリエーと共に、海中の奥深く、そのまた奥の地殻に遺跡ごと埋もれて封じられていた。発狂しかねぬ永劫の牢獄においても、それら神聖なる実体達は正気を保ち続けていたが、しかして神の名において、死せる王達の名において、死せる国々の名において、そして死せる民の名において報復を望んでいた。

 ジョージはそのような事は(つい)ぞ知る事はなかった。彼にとってはこの妙な冷風が吹き荒ぶ、不気味な森の奥にあるものを確認しなければならなかった。何せ手掛かりなど何も無く、手を考えなければ。その矢先にクラーケンズ・パームへの道を発見したため、彼はそれを現在の第一目標として定めたのだ。彼は自分が腕時計をしている事に今更気が付き、慌ててそれを確認した――思っていた以上に己が緊張し、普通では起きないようなミスをしていた事を思い知らされた。まだ日没までは5時間以上ある。だが道は車が擦れ違うに充分な広さから、徐々に狭まって今では道の両側で悪魔の禍々しい手のように伸びている無数の枝同士が不気味なアーチを作れる程に狭まっていた。何かの小動物が(くさむら)でがさがさと音を立てたか、あるいはただの風なのか、それさえ曖昧になってきた。己を脅かす何かなどまさか存在するまいと思いつつも、しかしあの内面的な畸形の住人達と同じ、グロテスクな実体がこのような不気味極まる森にいないとは言い切れなかった。(ひきがえる)や蛇よりも薄気味悪く、有害な生物がいたらどうだろうか? そこまで想像し、嫌気が差したジョージは目的地目掛けて走り始めた。あの案内看板はかなり古かったが、しかしそれでも目的地が消失しているとは思えない。急いで何があるか確認し、何も無ければ今日の所は撤退しよう。それ見たことか、既にこうして心理的な悪影響が出ているではないか。ジョージは己の心が落ち着かず、目まぐるしく移り変わっているのはこの土地の悪影響のせいだと勝手に結露付けた。


 ランニングをする程度の感覚で、しかし汗をかかない程度に力をセーブしながらジョージは走り続けた。やがて坂に差し掛かり、この先には小高い丘がある事がわかった。上を見上げると、大体8ヤード程登る事になるらしい。とにかく走り続け、己の心を騒がせるこの厭わしい森の影響を振り払おうとした。いるだけで明らか精神が消耗し、疲労してゆく以上は少しも時間を無駄にしたくない。

 やがて彼は突き当たりへと辿り着いた。そこは10ヤード程度しかない森の中の空き地であったが、不気味にも突き出た高さ7フィート程のおおよそ三角形をした花崗岩がその中央に聳えていた。ここにくるまで花崗岩は見かけなかったから、誰かがここに運び込んだのか、それとも地中から突き出たのか、判断はできなかった。花崗岩は黒ずんでおり、その周囲はここ――恐らくクラーケンズ・パームと思われる場所――に来るまでの道程(みちのり)とは違い、草は全く生えていなかった。ここに来るまで無数の草を踏み潰した事を思えば、些か奇妙にも思えた。

 ジョージは花崗岩へと接近し、その周囲を回って観察した。黒々としている点を除けば、何か変わった点などは見られなかった。人為的に加工された形跡も見られず、雨風で少しばかり浸食されているようだが、そもそもここに人が来た事さえ何十年ぶりなのかもわからなかった。ジョージは懐からメモ帳を取り出し、今日起きた事を纏めた。メモを書きながら、ここにはもう特に見るべきものはないと判断し、彼は今日のところはそろそろ撤退しようと考えた――その時、厭わしく吹き続けていた冷風がまるで怯えるかのようにして止み、木々が立てる騒音や動物の鳴き声さえも一斉に止まった。まるでラジオの音を消音したがごとく。ジョージは嫌な予感を覚え、はっとして顔を上げ、周囲を窺った。見れば曇天さえも遠慮しているがごとくどんどんその色を薄くしており、暗かった空が徐々に明るくなり始めた。これから何が起きるのか、ジョージには想像さえできなかったが、しかしてここへ来たのは完全な無駄足ではなかったのかも知れないと考えた。

 やがて花崗岩の表面が歪み、そこからけばけばしく輝く蒼い円が這い出るように出現した。直径20フィートにも及ぶ巨大な円の内側は複雑怪奇な模様で構成され、そういえば図書館で見た本にもこのような円があった事を思い出した。恐らくは超自然的現象の一瞬なのだろう。するうちその円の内側が完全な黯黒へと変貌し、それはどこかここではない異界への扉であるかのように思えた。円の下部から水がばしゃばしゃと落ち、毒々しい色合いの触腕が何本か這い出て、それからこの世のものならざる(かお)が出現した。彼はその異様に圧倒され、何も言葉を発する事ができなかった。

〘暫しお前を見ていた〙と悍ましさと美の入り混じった声が響き渡った。その声の残響が微かにデリントン・フォレストの家々にまで届き、人の姿をした畸形の怪物達は家の中で恐怖に打ち震えた。

〘偶然にもこの地へと足を踏み入れ、そして俺がけしかけた、異邦のものどもと人間の混血児どもを物理的に痛め付けた。驚嘆すべきかや?〙

 ジョージはその実体の想像を絶する恐ろしさと、それに匹敵する窮極的な美しさのせいで思考を麻痺させかけていたが、この実体が『リヴァイアサンへの回帰』で紹介されていたリヴァイアサンである事を朧気に理解した。そしてそのリヴァイアサンによれば、あのグロテスクな住人達はこの実体によって操られたか何かして襲い掛かったという。ふざけた話だ。

〘手間をかけさせて悪かった。しかし俺はお前の資質へと注目し、あるいは我が使徒となり、その力を振るうに値するやも――〙

「待て、私は悪魔の使徒になんかなりたくはないぞ」

 ジョージは幾ら美しかろうと、かような尋常ならざる実体に仕える事には忌避感を抱いた。その実体の貌は人間のそれと海に潜む怪物のそれを強引に合一させたかのごとき不思議なものであり、見ているだけで心が沸立つようであった。

「リヴァイアサンか?」

 ジョージは己の質問する声がぼうっと上の空のように聴こえたのを感じた。

〘いかにも。俺は〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズ、数多の短い生を目にしてきた。思うに…お前は俺の力を得た方が効率的に目的を達成できるはずだ〙

「いきなり何の話を?」

〘お前を脅かすこの森…かようなつまらぬものに、お前はいちいち精神的及び肉体的な影響を受ける。それは馬鹿馬鹿しい事だと思わぬか? お前は今起きている諸般を解き明かす使命を持っている。断言するが、お前は最終的にはもっと危険な場所へと向かう事になる。そのような時、俺の力を持っていれば必ず役に立つ〙

「お前はもしかして、これから何が起きるのか知っているのか?」

〘知っていようといまいと、お前に教える義理はない。それとも、追加の契約を結ぶか? 全てを解決したその瞬間、お前の魂を頂くという契約になるがな。それは許容できまい?〙

「そ、そうだな」

〘しかし俺がお前に力をくれてやろうというこの契約は別だ。お前は己の何かを差し出さなくともよいのだ。強いて言えば、お前の短い人生の時間を新たな使命に費やす事にはなろうがな〙

「何?」

 尋常ならざる実体は面白そうに笑った。

〘お前には霊体や先程戦ったような混血の落とし仔など、所謂超自然の実体へ特別な効力を発揮できる力を授けてやろう。簡単に言えば、お前の手足をそのようなものどもへと振るえば、それだけで簡単に傷付ける事ができる。本来物理的な干渉ができぬものにさえな。お前が手斧を振るえば奴らは斬り裂かれ、お前が火砲を放てば奴らは容易に血肉を撒き散らす。お前自身が奴らの弱点となるのだ。それを用いてそれらを狩れ。そのような雑多なものどもとて、俺の食卓に上がってみればなかなか美味なのだぞ?〙

 つまり霊を殴れるという事であるらしかった。まるで安い小説だ。

「それは随分便利で応用の効く力だな。つまりお前が言いたいのは、お前の力で使命を果たしつつ、現世に留まってる幽霊なんかを退治しろという事か。そしてお前はそいつらをばりばりと貪るわけだ」

〘理解が早い奴は好きだ。お前はこの力を手にした後、徐々にその力に引っ張られて精神も強健になってゆくだろう。初めは恐怖心を抱こうとも、徐々に恐怖を踏み躙る事ができるようになる。お前は肉体的にも精神的にも、恐怖を踏み越えられるようになるだろう。どうだ? あのけち臭いルリム・シャイコースなどはもっと旨みの無い契約しか持ち掛けまいし、俺の同族とてそのような契約はなかなか交わさぬぞ?〙

 ルリム・シャイコースが誰なのかは知らないが、この名状しがたい異界の邪悪との契約は、さして害が無いように思えた。本当の事を言っているならの話だが。

「お前が言っている事は一切の嘘偽りのない、真実なのか?」

 轟々とした声がそれに答えた。触腕が怒りによって打ち震え、その様とてどこまでも美しかった。

〘誰に物を言っている? 〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズがそのようなつまらぬ詐欺を働くとでも思ったか? 第一、金の卵を生む鶏を喰らう事が賢明か? 農耕の道具を薪にして暖を取るのが賢明か? さあ、その上で答えろ、お前はこの俺と契約を結ぶか?〙

 既に鬱陶しい曇天は散らされ、薄くなった雲間から陽光が降り注いでいた。

「わかった。お互い利用し合うわけだな。じゃあ契約するよ」



数十分後:マサチューセッツ州、デリントン・フォレスト、森林地帯


 あの悪魔が本当の事を言っているのかはともかくとして、既に契約は果たされた。あとはするべき事をするだけだ。親切にもあのリヴァイアサンは古代の隠された知識を教えてくれた――風や土に意識を集中させると、それらの流れが魔術的な儀式の事を教えてくれた。そうしたオカルトじみたものが大規模であればある程、感知するのは簡単であるらしい。そしてそれが今ちょうどクラーケンズ・パームから南西に3マイル行った辺りで実行されている事がある種の感覚として察知できた。かような能力や知識は、ジョージに己が得たものがどのようなものであるかを自覚させた。

「せっかくなら肉体も強化して欲しかったがな」

 ジョージは肉体的には特に以前と変わったもの感じなかった。恐らくは今まで通り普通の人間なのだろう。というわけで、森を3マイルも走るのは随分疲れるものであった。退役後も肉体を鍛えていた事が幸いした。しかしもしここが起伏の激しい山であれば、更に消耗しただろう。あるいはもっと下草が高くて濃いならば、走るのはまず不可能であった。真っ直ぐな落葉樹がある程度の感覚を開けて立ち並び、不気味な生温い霧が立ち込めていはいたが、しかしジョージはまるでコンパスに導かれるかのように走り続ける事ができた。跨いで渡れる小川を飛び越え、朽ちた倒木の脇を通り過ぎた。革靴ではなく運動靴を履いて来たのは正解であったようだ。靴自体はかなり汚れるとは思うが、これから得られるであろうものを思えば、それは必要経費だ。ジョージは五感以外のこの新しい感覚により、恐らく今までの3件と同様の事件が今まさに起きている事を知っていたから、それを目にして情報を持ち帰らなければならないと考えた。

 時折休みつつ朽ち果てた落葉の上を走り続け、恐らく1時間程度経った辺りで、前方から妙な声が聞こえてきた。さすがにこれにはどきりとしたが、声は出さずに済んだ。足を止めて息を潜め、恐らく儀式が行われているであろう場所へと近付いた。ゆっくりと歩き、己立てる足音が相手に聞こえなければいいがと願う他無かった。大きな倒木の後ろでしゃがみ、朽ちて開いた穴越しに前方を確認した。ジョージのダッフル・コートは派手な色ではないので、遠目からなら見られてもそれ程目立つ事はないように思われた。

 前方を見ると森の中に30ヤード以上はあろうかという空き地があって、そこに推定40人以上の妙な連中がいた。今日出会(でくわ)した連中とはまた別なのかも知れなかった――というのも、声や仕草がまだ人間的であったからだ。彼らは地味な私服姿であったが、妙な石の祭壇を2つ拵え、その上には鮮血が広がっていた。まさかと思って確認した。ものの、見たところ人間の犠牲者ではないらしかった。やはり彼が気付いた通り、連中は手に入れるのが面倒な人間の生け贄を諦めて動物を生け贄に捧げ、恐らく人間よりも動物の生け贄の方が安物であるからとかの理由によって、既に複数の動物を殺していた。動物は恐らくムースか何かではないかと思われ、違法な狩りである事は確かだ。いずれにしてもまずは情報を集めなければ。

 やがて詠唱するリーダーらしき黒いローブの男の声が大きくなり、激しい調子で何かを言った。いずれにしても何かの呪文なので内容はわからないが、ところどころラテン語やギリシャ語らしきものが聞こえた。するうちジョージから見て右の祭壇の上で、落ち葉が竜巻のような具合でゆっくりと渦巻き始めた。何かが起こる予兆である事は疑いようもなく、彼は用心深く隠れながらそれを見守った。やがて慄然たる異音が響き、ずるっと何かが祭壇へと落ちた。それは初め何であるのかさえ定かではなく、やがてそれが人間と同じような姿である事がわかったものの、人間を戯画化させた別の何かである事に気が付き、心がざわざわと騒いだ。喉の乾きを感じつつ凝視すると、その実体は恐らくあのニューヨークに現れた肉塊と同様の、何らかの神か天使の類であろうと思われた。その美し過ぎて心を破綻させかねない容姿こそが何よりの証拠だ。洞窟のように暗い前が開いたマントを着込み、その中から時折獰猛そうな蛇の群れが現れ、威嚇するような鳴き声を挙げていた。顔立ちはこの世のものと思えぬ爆発的な美を(たた)え、厳ついはずの造形がこの星最高の美人であるかのように輝いていた。蛇神からはじわじわ混沌が漏れているのが見えた気がしたが、何故そう思ったのかジョージは自分でもわからなかった。


 蛇の実体が姿を消し、その次に現れたのは、深々とコリント式兜を被り、その御姿を癌細胞に侵食されたかのごとく、ぶくぶくと膨れて変異しているように見える、見事な技巧で作り上げられた甲冑とマントとで隠していた。しかしそのあまりの美しさはほとんど隠せておらず、先程の蛇神を見た事によって身に着けた精神的強壮性が無ければ、恐らくは心が飽和して隔離病棟の廃人と化していたであろう事は想像に難しくなかった。この立派な甲冑によりて隠したるその本質は、恐らくは仄暗い闘争とそれが(もたら)す残酷極まる混沌絵図であろう。()に恐ろしきこの実体を前に、妙な邪教めいた連中は恭しく賛美の詩を捧げていた。連中の幽玄たる様はグロテスク極まりなく、胸がむかつくような非人間的様相を見せた。表情は恍惚とした狂気を湛え、今にも人を殺しそうな危なっかしささえ見えた。そのような危険な連中が屯しているところを覗くのは、心臓に悪い行為に思えてならなかった。耐えられる恐怖の上下が上がった気はしたもののそれにしてもこの狂気に彩られた邪教被れどもの声色と表情は人間とは全く別種の人間であるように思えて非常に不気味で、生理的嫌悪感を催した。先程のデリントン・フォレストの地元民は最初から非人間的であったから、まだましであった。だがこの連中は最初はまだ人間的であり、普通のカルト集団に思えたものだから、それを大きく逸脱した非人間的悍ましさはなかなかに耐えがたかった。


 美しい腫瘍の甲冑でその身を包んだいずこかの軍神らしき実体がその姿を消すと、最後に現れたのは本能が危険だと警告してくる程の、自由奔放な夢想家の思考にさえ登場さえしない恐るべきものどもであった――二神と呼ぶのが相応しく思えた。それらはあまりにも恐ろしいため、降臨する前から邪教被れどもは跪いて(こうべ)を垂れ、決して顔を合わそうとしなかった。あの狂気に苛まれた連中でさえ貌を見ようともせぬなれば、その危険性たるや考える事さえ恐ろしかった。ジョージは本能でその実体どもの胸から上を見ぬよう努めた。ゆっくりと降り立つその名状しがたい二神は、平安の日本の服とそれ以前の時代の服を織り交ぜたかのような不思議な服を身に纏い、並んだ二神は揃いに揃ってそれぞれ右手と左手で1フィート程の大きさの鉄扇を持ち、服の上からでさえ怪力無双の巨躯が存在感を主張していた。彼らの外側へと向けられる形となったその鉄扇は非ユークリッド幾何学的な模様が彫られ、もしもあれがばさりと開かれればその扇面にどのような悍ましい模様が描かれているかなどは、想像するだけでも動悸が止まらなかった。二神は絶望的なまでに穢らわしく、混沌そのものであった。

 彼は倒木の後ろで必死に息を整えつつ、決して二神の姿を見ぬようにしていたが、吹き荒ぶ冷風はダッフル・コートの下でじんわりとかいていた汗を否が応でも意識させた。不意に身震いし、己がいかに矮小か、この敵の本拠地で己が孤立している状況がいかに恐るべきか、そのおどろどろしさが身を凍えさせた。自分はここまで弱かったのか? 息子よ、今となってはお前がどうしようもなく恋しい。縋るもの無くしてどのようにして耐えればよい? この地で見たものは人の心に耐えられるようなものではなかったのだ。多少人ならざるものの力を得たとて、その程度で抗えるはずがなかったのだ、ああ…何たる恐怖か、喉が乾き切り、身はぶるぶると震え、心臓はかつてない速さで張り裂けんばかりに鼓動し、目が充血してずきずきと痛み、頭の中は恐怖で霞んだ。怖い、ごく単純に、どこまでも怖い。今すぐ逃げ出して家のベッドに潜り込み、仕事も辞めてしまいたい。何故そもそもこのような危険な仕事を始めたのだ? 安全なベッドの中で全てを塞ぎ込み、誰にも知られぬまま、何時間も眠り続けようではないか。さすれば恐怖とていずれは立ち去って…。

 だからどうした、その程度か?

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