METASOLDIER#3
ケインは完全な腑抜けとなった。死人のように生き、厄介払いされ、今ではクラブの用心棒。だがやがて、彼が喪ったものを取り戻す戦いのスタートラインに立つ機会が訪れ…。
登場人物
―ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士。
―マシュー・コンラッド(マット)・ギャリソン…『ワークショップ計画』責任者。
―神あるいは天使…ケインの前に現れた不思議な女。
1974年6月:ニューヨーク州、マンハッタン、イースト・ヴィレッジ
ケインは軍を辞めた――腑抜けの退役など誰も止めもしないのだろうと彼は己を笑った。手当てを貰いながら彼はクラブの用心棒をして慎ましい生活を送っていた。安物の酒を飲みながらスポーツ観戦をするのが彼の楽しみであった。
1972年:ニューメキシコ州、ロスアラモス国立研究所、『ワークショップ』
「残念だな。君が辞めると寂しくなる」
ギャリソンの私室には開いたブラインドの隙間越しに月明かりが入っていた。ギャリソンは地ビールの瓶を片手に、煙草を吸って椅子にどっかりと腰掛けていた。今日はもう他の職員はほとんど残っていないらしかった。
「軍も『ワークショップ計画』も私を必要としていないのだろう。いつまで経っても仲間の死から立ち直れない奴など」
今でも嫌な体験だったと心から思えた――恐らくは人生で最も。両親が死んで孤児になったが、その時は幼さ故によくわからなかった。だがこうして成長して、人並みの感性を得られた今となっては、あのような激烈な体験は体に煮え滾る熔岩をかけられたかのような苦痛であった。死んだレックスとミッキーは出征前に結婚していたから、それを思うといつも胸が張り裂けそうになった。あの時ブキャナン、あの忌々しい裏切り者を何としてでも行かせないべきだったかも知れないが、考えてみれば彼は以前から情報を流していた可能性もあった。一体いつから裏切っていたのか? それに全然気付く事ができなかった己がただただ憎かった。間違いを正し、彼を軍法会議に連れて行くべきだったのだ。しかし現実にはそうならず、部下をむざむざと死なせてしまった。ケインの心にその事実が重くのしかかった。
「まあ、別の被験者を探すさ。君が心配する必要はない」
それを聞いてケインは鼻で笑った。ラスベガスで一文無しになった中流の男のように、自分の置かれた状況を紛らわすためのわざとらしさが見てとれた。彼と共に野を賭けた戦友達は、あの川沿いのホテルで帰らぬ人となったのだ。あれ程卓越した兵士達でさえ、死ぬ時は本当に呆気なかった――それはどこまでも残酷で、尋常ならざる程にグロテスクだった。しかしケインは口とは裏腹に、己の居場所をこの計画に求め始めていた。暇を出されていた今までの数年はまさに死体同然だったから、何か拠り所が欲しかったのだ――要は引き留めて欲しかった。
「どうした?」
「あんたまで突き放すような言い方をしたものだから。私のが感染でもしたのかと思ってな」
「己惚れるな」『ワークショップ計画』の責任者はグラスをからからと手で弄び、目を細めて煙草を吸い、煙を吐き出した。「そうやって自分を責めようと嘆こうと、何も変わらん。君はヴェトナムで起きた事など忘れて新しい人生でも送れ」
ばんと大きな音が鳴り響き、ギャリソンの使っている木の立派な机の一部が折れた。
「忘れろ!? 無茶を言うな! 仲間が裏切って戦友を殺され、私自身もあともう少しで虫けら同然に葬られるところだったんだぞ! 私は怒りやら罪悪感やらで自分でも今どういう状態でこれからどうしたいのかわからん!」
いきなりの事でギャリソンは咽た。一瞬彼はケインが『己惚れるな』という言葉に怒ったのかと勘違いしたが、続く言葉でそれが間違っていた事がわかった。
「落ち着け」
「落ち着けるよう私を改造しておくべきだったな!」
この妙な目の男はすぐに冷静さを取り戻したらしかった。それに対してこれから退く予定だが引き留めて欲しくてこの部屋へやって来た超人兵士は、自分自身でさえもはや何をどうしたいのかわからず混乱していた。
「私の囁かな楽しみを台無しにしてくれてありがとう。君はもうあの地獄に行く必要はない。一生慎ましやかな程度には暮らせる程度の金を受給できるだろう。わかったらもう帰りたまえ」
ギャリソンの目ははっきりと言いたい事を言っていた――君にはもう用は無い。きっぱりとした拒絶、存在意義の消失。ヴェトナムで救助されて以降、あの存在しない事になっていた部隊が壊滅的な状態だったと知らされ、死体として過ごした無気力なこれまでが、今になって急に貴重な人生の時間を奪われてしまったかのように思えた。この4年程は本当に何のために生きているのかよくわからなかった。変な話だが彼はヴェトナムで死と隣合わせのスリリングな日々を過ごしていた時の方が充実を感じていた。朝鮮戦争で北朝鮮軍の攻撃によって重傷を負い、長い年月を眠って過ごしたが、寿命は消費していないように思われた。だがブキャナンの裏切りや、その協力者たるあのずっしりとしたロシア人、並びに4人いた外国人傭兵達によって、彼は『何か』を削がれ、腑抜けた彼を軍はビスマーク基地に送ってひとまずそこで飼い殺した。実に4年、一体何を希望に生きているのかもわからない日々だった。最適な人殺しの道具としてデザインされたはずの己が簡単な事務仕事でその殺人テクニックや素晴らしい肉体を無駄遣いしていた。それはもはや目を逸らしようもない程に肥大化し、まだ残っていたちっぽけなプライドが今更になって喪った物を取り戻せと猛抗議し始めた。軍は名誉除隊を約束したが、それは単なる厄介払いに他ならなかった。
ケインは今まで疎んできたはずのギャリソンに縋らなければならない己を心の中で卑下したが、しかし他に宛ては無かったのだ。しかしギャリソンは今、はっきりと彼の存在を否定した――本人に自覚があろうと無かろうと。
「私は…」
「さあ、もう戦う必要は無い。君は安らかに暮らせるんだ」
これからは安らかに、泥濘の中で虚無感に浸りながら暮らすのだ。『何か』とは何だろうか? だがそれが無ければこれからも無気力な日々を過ごすだろう。
1974年7月3日:ニューヨーク州、マンハッタン、イースト・ヴィレッジ
明日は独立記念日だった。クラブ内では黒い下着だけを着ている男性客が、腕を後ろで縛られた状態でテーブルに上半身をうつ伏せに載せ、フェムドムの女性に射精管理されているのが目に入った。首輪は服従と飼い主が存在している事の左証だった。腕の拘束と貞操帯によってもどかしさを感じているらしく、見たところではそれこそがその客の望みであるらしかった――スパンキングを受けていたが、喘息のように呼吸が荒かった。そこそこマニアックなプレイもこのクラブでは行われてるが、もっと深淵を望む客はその手の専門店に行くと聞かされていた。
たまに勘違いした阿呆がトラブルを起こしに来る程度で、店はその行為の内容を除けば至って平和だった。ケインは明日が独立記念日だというのに自分はこの倒錯した店で一体何をしているのだろうと溜め息を吐いた。店内を目だけ動かして観察したが、現在厄介者はいないらしい。尻や背中を叩く音や、男女の悲鳴、そしてその飼い主の罵倒が聞こえるだけだった。
数時間後、7月4日深夜:ニューヨーク州、マンハッタン、イースト・ヴィレッジ
12時を回って独立記念日当日になった。クラブでは独立記念日に因んだプレイも実施されていた。ケインは勤務を終え、する事も無く街を歩いていた。ケインの肉体は48時間連続で軍事行動に従事して、常人にとっての8時間働いた程度の疲労が溜まる。故に今の生活は疲れる事があまりなかった。
世間ではニュー・ドーン・アライアンスとかいう連中の話や収束に向かうヴェトナム戦争からの帰還兵に関する問題などが騒がれていたが、それらがケインにとっては己とは関わりのないどこか遠い彼方で起きている事象に思えてならなかった。退役後に支給されている金と用心棒代で生活は賄えるから、ケインは自宅かバーで酔いもしないバド・アイス2本かスコッチでも飲みながら、スポーツ観戦するのがほぼ唯一の娯楽だった。
仕方無くケインは走る事にした。ランニングなどのトレーニングは体を鈍らせない効果があるだろうと考えていた。朝までならパークを何十周も走れるだろうから、暇潰しになる。現在2時10分で、数分あればセントラル・パークに着くだろう。そして公園内にある一番外側のコースを宛ても無しに爆走するのだ。
2時間後:ニューヨーク州、マンハッタン、セントラル・パーク
空が白く染まり始めた。明け方が近付き涼しくなってきたが、夜のこの公園はそれ程感じのよい場所ではない。度々事件も起きているが、幸い彼はこのようなランニング中にはまだ遭遇した事は無かった。まるで特急列車のように彼は延々と走り続け、走るにつれてコース取りなども洗練されていった。奪われた『何か』を探し求め、思案を続けて来たが、何も発見できなかった。既にあれから6年が過ぎ、無為の中で藻掻き続けたのだ。たかが6年、されど6年、随分と貴重な時間を無駄にしてしまった。変わらなければと思い続けたが、結局何もできないまま時を刻んできた。どうすればいいのだろうか? 住んでいた孤児院は彼が眠っている間に廃され、帰る場所も無かった。孤児の身では交友関係も限られ、今や相談できる程深い関係の者もおらず、孤独は彼を着実に苛んでいた。長年の眠りとヴェトナムへの出征で、彼はこの街、州、そしてアメリカ合衆国におけるある種のアウトサイダーであった。自分がこの時代の住人ではないような気がして、世代的な違和感をゆっくりと暮らせる今になって感じ始めていた。
もしもあと数週間何も変わらなければ、貯金でクルーズの安客室でも予約するつもりだった。世界の各所を表層だけでも見物すれば、喪った『何か』を発見できるかも知れない。運がよければ。
それは突然の事であり、しかして躰は自然に反応した。まるで自動機械のように。
簡単な話だった――30代程の女性が茂みで少し肥えた男に押し倒されて襲われているのが見え、悲鳴は男の手で押し殺された。ニューヨークは性犯罪も多く、このまま見過ごすわけには行かないと思った。先程の周回では見えなかったから、恐らくここを先程通り過ぎた後の事だろう。あと少し遅ければ危なかったが、彼は己が今まで『何か』とやらを探し求め続けていた事など綺麗さっぱり忘却し、己のすべき事を悟って突進したのだ。女性の敗れた
「何をやっている!」と叫んで注意を逸らし、相手が振り向いた隙に距離を詰め、男と女性の間に足を挟み込むような形で蹴り上げた。加減したが男の肉体は宙に浮いて横へと吹き飛び、苦しそうに息をしていた。
「ち、畜生! 違うんだ、この女が誘ってきたんだよ!」と東欧系らしきその小太りは誤魔化そうとした。態度がわざとらしかった。女性は恐怖と安堵の混ざった号泣を始めていた。傍から見ればケイン自体もレイプ魔であるように思えた。
「警察に連絡する。言っておくが逃げようとしたらラグビーのようにお前を押さえ込む」
そこまで言ってケインはこの男を拘束すべきかそれとも女性の保護を優先すべきかで悩んだ。後ろで髪を括っている被害者の黒人女性は長袖のシャツを破られ、顔には痛々しい引っ掻き傷もあった。幸いきつくベルトを締めたタイトジーンズだったから下を脱がすのに男は手間取ったらしかった。男はまだ倒れて呻いている。どうしたものかと10秒程悩みつつ状況を窺っていたが、するうち警官が通り掛かった。恐らく女性の泣き声でも聞こえたのだろう。
「膝をついて手を頭の後ろに回せ!」
泣き叫ぶ黒人女性と2人の白人男性。駆け付けたがっしりとした体躯の白人警官は厄介なヘイトクライムの類ではないかと一瞬で判断し、彼らの両方を容疑者と見做したらしかった。無理も無いのでケインは落ち着いて支持に従った。自動拳銃を抜いて接近して来た警官の体捌きは荒削りだが充分に洗練されており、まずケインに手錠を掛けた。見れば彼の相方は闇に紛れて本当のレイプ魔――この事件に関しては未遂だが――に手錠を掛けていた。足音や夜目のお陰でケインには見えていたが、いい手際だった。そうして人事のように事を観察していたが、ケインは漸く己が弁明しなければならない事を思い出した。
「待ってくれ、私は通り掛かってその男を捕まえようとしただけだ」
しかし警官はそれを無視してミランダ権利を読み上げ始めた。冗談ではない。
「嘘言え、お前も共犯じゃねぇか!」
真犯人がケインに罪を被せてきた。随分なものだ。恐らく次は蹴られた事も『抜け駆けだ』などと言い訳するだろう。そうやって次の手をケインが考えていると、被害者の女性が涙声で話し辛そうにしながらもケインを弁護してくれた。
「待って! 待って…」
「どうしました?」最初に現れた方のがっしりとした警官が答えた。
「その人は、その背の高くて体の大きな人は、その人は私をあの男から助けてくれました…」
女性は『あの男』の件を忌むように強調し、嫌悪を示した。
午前8時:ニューヨーク州、マンハッタン、セントラル・パーク
ケインは今までで一番意義のある独立記念日を過ごしたような気がしていた。誤解が解けると警官達は素直に謝罪し、女性も感謝の意を示した。スーパーマンになるのは大変な事だという事がよくわかった。コミックのスーパーマンも実際に色々な人間社会のあれこれに悩まされていると、ビスマークにいた兵士から聞いた事があった。だが大変な分だけ、達成感は素晴らしいものがあった。人殺しの道具に作り変えられた己の能力が人助けの役に立つというのは、何とも不思議で清々しく思えた。『何か』が少しだけ取り戻せたような気がした――少しだけ無為な人生に意味が付加された。
「私は…」とケインは突っ立ったままぼんやりと呟いた。人の数も増え始め、記憶が上がり始めた。今日は多くのセールがあり、恐らく多くの商戦的ドラマがアメリカ各地で起きるのだろう。それらの全貌を知る事はできないが、しかし価値あるものを手に入れる事ができたのはここ数年で初めてだった。ある意味で充実していたあのヴェトナムの日々のような、己に存在価値を見出す事のできる日々がそう遠くないところまで来ている風に感じられた。
「ケイン・ウォルコット」
不思議な声が背後から聞こえた。まるでついさっきそこに現れたかのような唐突さで、一体誰なのかと思いケインは振り返った。
「漸く足掛かりができたようだ。君はまだ、かつての己へと戻る事ができるはずだ」
黒いパンツスーツの女がいた。栗色のボブカットが7月4日の朝日を浴びて煌めき、白い顔はどこか人ならざる美しさであった。
「君は『何か』を喪っていた。しかしそれを少しだけ取り戻せたのだ。そう、その『何か』とは――」
1975年4月、『リターン・トゥ・センダー事件』追悼式当日:ニューヨーク州、マンハッタン、ミッドタウン、タイムズ・スクエア
『リターン・トゥ・センダー事件』の際に、ケインもあの場に居合わせた。戦いの渦中にはいなかったが、離れた所でたまたま避難誘導を手伝った。その経験は彼に更なる充足を与えた――自分に存在意義があると思えるようになった。用心棒業を辞め、ネイバーフッズの門戸を叩いた。
そして彼は事件を追悼する式典におけるネイバーフッズに割り当てられた会見で己の加入、そして話せる限りのこれまでの人生を話した。話しながらテレビ中継の向こうでギャリソンや軍の連中がどうなっているか、それを思うと少し愉快だった。
「お時間頂きありがとうございます。私はケイン・ウォルコット。先日の事件では私も通り掛かって避難誘導を手伝わせてもらったのですが、あのような戦場じみた狂乱の様は私も深く心を痛め、そしてあの邪悪に対して強い怒りを覚えました。
「私は孤児として育ち、その後朝鮮戦争に行っていました。そこで私は重傷を負い、次に起きると1965年の1月でした。軍や研究機関が進めていた『ワークショップ計画』とかいう超人兵士の計画により、私は超人兵士として蘇りました。まるで鋼のような肉体と機械のような俊敏さを得て、私が一介の無名戦士だった頃には知る由もなかった様々な技術を訓練で叩き込まれました。そして私はヴェトナムで政府が存在を否定している部隊に配属され…様々な仕事をしました。破壊工作、北側要人の誘拐・暗殺、市街戦…どれも物騒なものでした。ですが孤児として育ち、起きると10年以上経っていたためか、私はこの時代やこの国に対してどこかアウトサイダーな部分があったのです。そうやって馴染めなかったせいか、孤独な私はヴェトナム戦争に己の存在意義を見出したのです――いえ、当時は自分でも気が付きませんでしたが」
人々の反応は様々だった。こんな時に場違いだとでも言いたそうに野次を飛ばす声も少数あった。記者達は突然の裏計画の告白に固唾を呑んでメモや撮影を行なった。
「ですが私の部隊はあのテト攻勢、終わりの始まりであるあの戦いで壊滅的な損害を受けました。仲間を喪ったためあまり詳しくは言いたくないのですが…」
ケインはウォードに尋ねられた時の事を思い出していた。あの時もヴェトナムでの体験は答えがたかった。しかしやはり前に進み、己を取り戻すための戦いを始めるには、乗り越えなければならなかった。
「私の率いた分隊も私を残して戦死し…」ブキャナンの事が脳裡に浮かんだ。だがあの裏切り者にも妻がおり、政府が保護しているとは言えどこれ以上は言及しないべきに思えた。また、ソ連軍人や傭兵への言及もソ連との関係悪化に繋がる風に思えた。
「私自身も重傷を負いました。しかしどうせ私の傷はすぐに治ります、少なくとも肉体の傷は。ですが戦死した戦友や、部隊の他の分隊の兵士達にも家族がいました。孤独な私とは違って。私の目の届く範囲でさえ、それ程の兵士達が死にました。市民も巻き添えになり、あそこは地獄のような戦場でした。もしもあの時一緒に戦った南ヴェトナムのとある兵士が生きていれば、また彼に会いたいです。
「私はあの体験で戦意を喪い、不要となった私は西ドイツへ流されました。自分が惨めで仕方なかった日々でした。ですが」
気が付くと人々はじっと聞き入っていた。俄に信じがたかったが、現実だった。
「ですが、私はセントラル・パークで暴漢からある女性を助けました。去年の独立記念日でした。私は腑抜けになってからの6年で初めて、自分の存在意義が感じられました…私はかつて人殺しの機械でしたが、これからは誰かを助けるためにこの力を使いたい。私を嫌う人もいるでしょうが、私を嫌う人も助けられればいいなと考えております」
どうにもちぐはぐなスピーチだったと、言い終えてから恥ずかしくなった。少し勢いに任せて喋り過ぎたように思えた。だが、既に匙は投げられたらしかった。
4月末:ニューヨーク州、マンハッタン、ネイバーフッズ・ホームベース
ここ数週間は妙な邪教との戦いであったが、その結末はニューヨークへの攻撃であった。ケインもまた、猿人種族の襲来に巻き込まれる事となった。
「ケイン、今回はあんたもいるから心強いぜ」
リボルバーをホルスターに仕舞いながらリードが言った。前回の『リターン・トゥ・センダー事件』からまだ大して時間は経っていない。
「私一人加わったところであの軍勢相手に何ができるのか、よくわからないけどね」
ケインは今ではまともに笑えるようになった。
「心配すんな、力を合わせりゃなんとかなる」
「そうだな、行こうか!」
邪教の次は異星人――どこまでやれるかわからないが、ケインは己や見知らぬ大勢のために戦えそうな自信が出てきたのを感じた。
1974年7月4日、午前8時:ニューヨーク州、マンハッタン、セントラル・パーク
女はケインに優しく告げた。
「君のための戦いを始めようではないか。君自身の意志で、君自身の手で」
「あなたは?」
「私は神とも呼ばれ、あるいは天使とも呼ばれた。まあ、それは重要ではない」
不思議と精神病であるとは思えなかった。
「そう、か。私は何を喪ったのかな。あなたはそれをお見通しらしいが」
この女が神や天使ならそれが把握できていても不思議ではなかった。少なくともこの世界にはエクステンデッドやヴァリアントという超常的な存在がいた。
「君が喪ったものは必ず取り戻せる。そのためには君自身ももっと強くならなければならないがな」
「私が喪ったものとは?」
女はどこまでも美しく、宇宙的なものが見えた。
「尊厳だ」
「尊厳?」
「そう、尊厳だ。生命が持つ尊厳は核となる要素でもある。君はそれをこれから取り戻すための戦いをいつでも始められる。尊厳はあらゆる手段で常に奪われ続けている。例えばより強大な力による蹂躙、そして己の内にいる精神的な反抗者――人によっては自堕落や無気力などで尊厳を自らに奪われてしまう。尊厳無くして、生命としての充足は得られない」
ケインは天を仰いだ。空は朝日で煌めき、緑が風に揺られていた。
「そういう事だったのか。じゃあ私もこれからは希望を持ってみるよ」
「それでよい。いずれ、君のような力を持つ者達が世の中の表舞台に現れるだろう。所謂ヒーローだな。悪のヴァリアントと戦う正義のヴァリアントはもういるようだが、それとは別に」
多分アライアンスと戦っているヴァリアントの事だろう。だがそれとは別となると、ヴァリアントに限らずあらゆる者達が集うのだろうか?
「しかしアメリカ政府はそれを許可するだろうか?」
「ふむ。私が働きかけてみよう」
「本当に?」
ケインは少し笑った。久しぶりに笑えた。
「ああ。なればこそ、君自身の戦う遺志が必要なのだ。君の人生、君の存在、君のこれから。それらを取り戻す時が来たのだ」