プライマル コンクリート スレッジ
「ウギギギギギ。グブビビビビヒヒヒ……」
「エッホエホ……ボケが、白煙まみれにしよってからに」
いまだ視界をさえぎる白煙にむせながらも、カウンターの奥から這い出る那由他。
その際、視界の端に白い布が見えた。積み上げたP箱の脇に挟まるように横たわる黒い少女、レグバだった。どこかで頭を打ち付けたのか、意識を失っていた。
その姿を一瞥し、ため息をつくと、
「……頼りにならん女やな。なにが精霊やねん。さっきイキがっとったんはどこのどいつじゃ。人間みたいに意識失いよってからに……」
吐き捨てると、前方でさぞ可笑しそうに笑う巨漢を睨み付け、
「おい、生穂!」
「は、はは、はい!」
急にかけられた声に慌てて返事する。
「奥の控え室ってケガ人だらけなんやろ?あたしじゃ癒し効果ないから、あんたが変わりに見て来い。症状が悪くなっている奴がいたら世話したってくれ。」
「あ、う、うん。それはわかったけど、夏澄ちゃんと六価ちゃんは?」
寄越された返事に、那由他は視線を動かさず、
「大丈夫や。ただ、カスミンも六価も様子がおかしかったさかい、当て身食らわして眠らせた。カウンターの端に横たえてる。しばらく目を覚まさへん」
「わ、わわわかった……大丈夫なんだよね?」
「あたしを信じんかい。こっちは任せとけ」
「う、うん。信じる」
声に含まれた鬼気に圧倒されるように、控え室の方へと消える生穂。その背中をチラ目で確認して、安心したように小さく息を吐く。その様子を見ていた光が、
「結構優しいんだな」少しからかいの色を混ぜて呟くのに、
「何のことや?」とぼけた返事。
「生穂に気を使ったんだろ?あいつ見て、嫌なこと思い出さないように。六価に当て身食らわせたのも」
「ちゃう。的確な人事をしただけや。当て身食らわせたんは騒がれたらうっとうしいからや」突っぱねるような言葉。光は少し笑うと、
「……わかったよ。そういうことにしとく」
「……」無言で返す那由他。
那由他は急に声を張り上げると、
「えらい復讐に来んのが早いやんけ。ちょっとは我慢できひんのか、早漏デブ!」
からかうような言葉。だが、そこにふざけた調子はない。彼女自身、前方の巨漢から先ほどとは違う何かを感じ取っているようだった。
巨漢は首をコキコキと鳴らすと、
「本当はもう一つの用事を済ませに来ただけだったんだけど、でも、他に2つもおまけが付いてきて、僕ってとってもラッキー。普段の行いがいいからだね……グビビビビ」
「何が普段の行いじゃ……女犯して殺そうとした奴が、どの口でほたえてけつかんじゃい」
忌々しげに吐き捨てた。
続いたのは光。先ほどのことを思い出したのか、煮えくり返る怒りを押さえ込むように、
「……おまけってなんなんだよ?」
「あ、いけ好かないイケメン君じゃないか……君、えらく元気じゃない。おかしいなギギギギギ。肋骨数本は折ってやったと思ったのに。とっても気に食わない。ギリギリギリギリ」
「うるさいな。質問に答えろ、バケモノ野郎!」
爆発したその言葉に、ピクリと巨漢の眉が動いた。冷たい空気が流れる。
「おい、光。あんまり挑発すんな!」
「……でも」
「あんたの気持ちはわからんでもないけどな、今は、こいつの目的がわからん。あたしに任しとけ」
巨漢はなおも首をゴキゴキと鳴らしながら、2人を交互に見遣ると、
「ウギギギギギ。どうせ、君たちじゃ僕をとめることはできないから、教えてあげてもいいよ。ゲブブブ」
その言葉に、那由他は、ハッ!と鼻で笑う。
「よぉ言うな。さっきあたしにどつかれてノビとったんはどこのどいつじゃ?」
「グビビビビ。さっきの僕とは違うよ。ものすごいパワーアップを施してきたからね。エースストライカーズフォース仕様になったよ。ウッギギギギギ」
直後、那由他の目に怒りのトーチが灯る。
「アホなことほたえとったらあかんど、腐れデブ。おまけに、なんやその赤いシャツ。またあたしにどつきまわされて血まみれになるの前提でわざわざ着替えてきたんかい?」
「ギュギュギュ。パワーアップの証だよ。カッコいいでしょ?」
赤いシャツを見せ付けるように、自慢げに胸をそらす巨漢。
「その口閉じとけ、アホデブ!」
言うが早いか、目に見えないほどの速度で那由他が飛び出した。数度のフェイントをかけ、巨漢の懐に入り込む――が、
!!
巨漢は崩れた階段の上に移動していた。
……なに?
口内で那由他が呟く。
「おっと!まだ目的聞いてないじゃない。いいの?ブビブビブビ」
少し離れた位置で嘲るように笑う巨漢、ムロブチ。
カチカチと犬歯が鳴る。
那由他の目つきが変わった。
「……気が変わった。目的はおどれをぶちのめした後でゆっくり聞いたるわ――」
すべて言い切る前に、一気に階段を駆け上がる那由他。だが、
今度は階段の真下で、那由他を楽しそうに見上げていた。
……見えん……かった?
直後、ライブハウス内に響き渡るような甲高い哄笑。
「ブギュビヒヒヒ……ギュビヒヒヒヒ。残念。スカートだったら可愛いお尻が丸見えだったのに。ギュボギュボギュボ」
さぞおかしそうに唇を歪める。悪意と驕りに満ちた、誰もが生理的嫌悪を感じるような、そんな口調。
ひとしきり笑った後、その唇が更に可笑しそうに歪んだ。
「だぁから、パワーアップしてきたって言ったでしょ。3倍速だよ。3倍速!服も赤くなったしね。グビビビビ。せっかちな幼女は駄目だよ。最初はおしとやかにしてくれないと、陵辱する楽しみがなくなっちゃうじゃん。手足ちぎれないじゃん。鬱展開に持ち込めないじゃん。ゲブブブブ」
「おんどれ……性根まで腐りはてとんのか!」
吐き捨てると、崩れた階段から飛び降りる那由他。飛び降り際に階段の縁を思い切り蹴飛ばす。
落下速度を増したナユタの蹴り足が ムロブチの顔面に叩き込まれるはずだった。
だが、
ガツン!
何かが叩きつけられるような音。
直後、階段脇のトイレのドアがひしゃげた。
なにが起こったかわからず、呆然と見つめる光。
蝶番がもげた入り口から何か細いものが見えた。
それが那由他の足だと気づくのに数秒の時間を要した。
「那由他!」
叫ぶ光。
「ギュブビヒヒヒ……あんまり暴れないでよ。綺麗な形のまま手足ちぎりたいのに……」
那由他を弾き飛ばした裏拳を握りこんだまま、ムロブチが笑った。その直後、
「ガハッ……なにがおかしいねん……腐れデブ。一発目が当たったからて、ええ気になっとったらあかんど……」
那由他が立ち上がっていた。
「那由他!」駆け寄ろうとする光に、
「おまえこっち来んな!あたしに任せとけ!」
怒鳴る声。思わず足を止める光。その光を振り向く赤い目。
「今度は邪魔しないでよ。グビビヒヒヒ。先に君を殺しちゃっても良いんだけど、この子があんまり可愛いからさぁ。ツンツン幼女属性とか完全に僕の好みだよ。髪型はイケてないけど。グヒビギギギ。ギギギギギギギギ……早く泣き叫ばせたい。」
情欲と狂気に不気味に輝く赤い目で睨み付けられ、すくむ足。光は、情けなさと悔しさで奥歯を噛み締めていた。
ムロブチはもう一度那由他に向き直ると、感心したように目を見開き、
「へぇ……グブビギギギヒヒ……意外とタフなんだね」
那由他は乱れた息を整えるように、大きく呼吸すると、口内に溜まった血を床に吐き捨てた。
「さっきはあたしが一発目食らわしたからな……今度はおまえに譲っただけや」
額から流れている血を乱暴に手で拭い、何事もなかったように脇を締めて、目の真下で拳を構える。先ほどムロブチを倒した必殺のピーカブースタイルだ。
「でも、2発目も僕がもらうよ……グビヒギギギギ」
言ったと同時に、ムロブチが消えた。
ドコン!
何かを踏み鳴らす音と同時に、白煙がつむじを巻く。何かが飛び散った。
それは、踏み込みの圧力で粉砕したリノリウムの破片だった。
少しはなれた床でまたつむじが巻いた。
同時に、
ドコン!
再び床が鳴る。またしても飛び散るリノリウム。
飛び込む一歩が恐ろしく速い。
そして、3歩目の軌跡が那由他の前方で飛び散った。
読んだ!
左に踏み込む足。次いで、高く突き上げられるアッパーカット。
だが、
「甘いよ!」
直後、那由他の身体がクルクルと旋回しながら宙を舞った。
背中からカウンター脇に落ちる。
転がっていたリキュールのボトルがその衝撃で割れて四散した。
衝撃で跳ね上げられ、そのまま床の上をごろごろと転がる那由他の身体。
「那由他ッ!!」
「来んな!」
駆け寄ろうとした光を再び御する声!
「く、来んなゆうたやろ!そこでおとなしぃ見とけ、こいつはあたしがやる」
血にまみれた那由他が膝をついて起き上がろうとしていた。
「でも……」
悔しさに奥歯を噛み締める光。両目にうっすら涙がにじんでいた。悔しくてたまらなかった。
その顔を見て、ヘッと笑う那由他。
……なにがおかしいんだよ?瞬時に光の胸中に湧いた行き場のない怒り。那由他は、そのまま首を軽く振ると、
「悔し涙やから許したるけど、男が女の前で涙見せたらあかんで。男の涙で心揺れ動くような安い女とちゃうで、あたしは。基本的に、女に弱み見せる男は大嫌いや」
不敵な笑み。その眼光は全く衰えていない。
その様子を不満げに見ていたのはムロブチ。唇を尖らすと、
「僕を無視して話を進めないでほしいなギギギギ。イケメンはいつもいいとこ取りでムカつくんだよねギリギリギリギリ……」
那由他はムロブチの方へと視線を向け、
「……でもな、おどれみたいに驕り昂ぶってる男はもっと嫌いや」
その口に浮かぶのは、挑発するかのような獰猛な笑み。
「別に良いよギギギ。君の気持ちなんてどうでも良いんだグビビビビ。僕はただ……」
ムロブチの瞳が再び狂気に輝いた。
「君をバラバラにしてその血を啜りたいだけだよ!!!!」
「やれるもんやったらやってみぃ、ハッタリデブ!!!!」
バアン!と床が鳴る。
ムロブチの足が床を蹴った音。
那由他V.S.ムロブチ、ラストラウンドのゴングだった。