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熔解(ヨウカイ)  ・・・  菊野大国外伝・乃菊の怪奇事件簿

作者: 賀洲貴

子供の頃、洋画が好きで、特にテレビで映画劇場を見ていました。そんな中に邦画と洋画の両方で、人間を溶かして大きくなっていく怪物の映画がありました。両方とも宇宙からの生物だったと思いますが、今考えたら、とても恐怖と呼べるような作りではなかった気がしますが、その頃には、そんなB級映画でもドキドキしながら見ていたような気がします。

そんな、人間が溶けてしまうような事が起こったら、その原因はなんだろう?

あなたは、その答えを知りたいと思いますか・・・?


- 焼ける -


1990年7月・・・。

期末試験の終わった教室に、丹藤香華ニトウキョウカが田沢美喜久と並んで座っていた。二人とも高校2年生だ。

「香華、これあげるよ」

美喜久がカバンから出したのは、ハンカチに包まれた塊である。

「なあに、これ?」

「先月の日曜日に岐阜に行って来たって言っただろ、その時、尾賀岳山て言う、何年か前に噴火した山に登って、山頂付近に落ちてた石なんだ」

「変わった石だね」

周りはゴツゴツしていて、中心部分だけ赤くなっている拳大の石だ。

「たぶん赤い石が、溶岩と一緒になって出来た石じゃないかな、綺麗だろ。外側は触り心地が悪いけど、赤いところは、磨いたらこんなに輝いて見えるようになったんだ」

嬉しそうに話す美喜久を笑顔で見つめる香華。二人は、高校1年の時から交際していて、クラスメイトも認める仲の良いカップルなのだ。

「いらない?」

「いるいる!美喜久がくれるものなら大事にするから」

「そうだろ、毎日磨けばもっと輝くよ。じゃ、部活に行くから・・・」

美喜久は、カバンを持って教室を出て行く。


「あの二人、遠慮がないわね。人前でイチャイチャして」

「香華の奴、ただじゃおかないから」

「昌流に呼び出すように頼んでおいたから、私たち自演のお化けで、泣きべそかかせてやるわ」

「私が予備校の試験じゃなかったら、思いっきり驚かせてやるのに、残念だわ」

「晴佳の分まで驚かせてやるから、報告待ってて・・・」

廊下で香華たちの様子をうかがっていた須々木晴佳と二場し穂、香華を陥れる策を用意していた。


日が暮れてから、美喜久が香華の家にやって来た。

「すみません、田城です」

呼んでみるが、返事がない。

「まだ帰ってないのかな、もうすぐ8時なのに・・・」

部活を終え、着替えてから香華の家に来た美喜久、留守だとは思いもしなかった。

「田城君、どうしてここに?」

香華の双子の姉、しの華が帰って来た。

「香華に会いに来たんだけど、返事がないし、おばさんたちもいないみたいなんだ」

「今日は、パパとママは、二人で食事に行く日だから、私も食事を済ませて来たんだよ。そうだ田城君、香華に変わった石をプレゼントしたでしょ、喜んで持ち歩いていたよ」

「うん、岐阜の土産なんだ。ところで、香華は?」

「え、香華は、田城君とあの廃屋を探検してから食事に行くって言うから、私は、一人さびしく食事をして来たのに・・・」

「そんな約束してないぞ」

「ホント?」

「ああ」

「昌流君がそう言って誘って来たから、一緒に行ったと思うけど・・・」

「どういうことなんだ!」

二人は、茫然とする。

「香華、騙されたのかも。だって昌流君となんか、仲良くないし、田城君や香華を目の敵にしているし穂や晴佳の使いっぱしりなのよ」

「行こう!」

「うん!」

二人は、廃屋へ向かった。


辺りはもう薄暗くなっている。香華は、昌流に連れられて、町内でも知られる、町外れの寂れたところにある廃屋に来ていた。

「こんなところに入っていいの・・・」

壊れた門を入り、アプローチを通って玄関の前に立った香華と昌流。

「中で待ってるって言ってたから、先に入りな」

香華が玄関の扉を開けると、中はかなり暗い。そのためか、ところどころに火のついた蝋燭が立っている。

「美喜久、どこにいるの?」

廊下をそろそろと歩いて行き、最初の部屋の扉を開けてみる香華。

ギギーッ、重い扉がゆっくり開く。

「誰、誰なの?」

薄暗い部屋に女の姿があった。

「誰かいるの?」

昌流が不思議そうな顔をしてき効く。

「女の人がいるの・・・」

昌流が香華に代わって、扉を全開いにして部屋の中を見る。

「誰もいないじゃないか」

香華ももう一度中を見る。

「でも、確かにいたよ・・・」

首を傾げる香華。しかし、昌流の方は、最初の部屋にはいないと言う打ち合わせのため、信じることが出来ない。

「ちょっと、外を見てくるから、先に行って、田城を探しておいて・・・」

昌流は、玄関に戻り、外へ出て勝手口を目指す。

香華は、一人にされてしまって、少し不安になる。ところどころに蝋燭の明かりがあるから、前に進むことには支障がない。


香華が次の部屋の扉に手をかける。

カチャッ!バサッ!

「キャアアアッ!」

生首が目の前に現れ、ブラブラと揺れている。香華は、びっくりして尻餅をつく。

しかし、実際には、作りものである。

「美喜久、助けて・・・」

香華は、何とか立ち上がり、奥へ走って行く。

「驚いてたぜ、香華の奴」

「うん、腰抜かしてたね」

生首担当の知場衣貢子と佐々丘忠樹が生首をぶら下げた棒を持って部屋を出る。

「東童君たちに驚かされてる時に、またこれを出そうよ」

「よし、行くぞ」

二人は、ふらふら歩いて行く香華の後をつける。

「美喜久、どこにいるの、出て来てお願い」

香華は、涙を流しながら壁を伝って廊下を進む。

「ウガアアアアッ!」

突き当たりで扉が急に開き、中から勢いよく怪物のかぶり物をした藤堂聡平が、唸り声を上げながら現れる。

「いやあ、来ないで!」

香華は、瞬間血の気が引いて、ヨロヨロと後ずさりする。

「殺してやるう・・・!」

振り向くと、長い髪の白い顔をした女が、牙をむき出し、包丁を振りかざして襲ってくる。

「いやああああ・・・」

香華は、気を失い、腰から崩れ落ち、廊下に倒れる。

「ちょっとやりすぎたかな」

怪物のかぶり物を外して、倒れている香華を笑いながら眺める聡平。

「いい気味だわ」

牙を口から外し、香華に向かってつばを吐く二場し穂。


「遅いな、まだ来ないかな・・・」

香華と別れ勝手口から、トイレの中で待機していた昌流。鬼のお面をかぶり出番を待っていた。しかし、蝋燭の明かりだけの狭い空間にいるだけで、昌流自身が気味の悪い思いをしている。

コン、コン。扉をノックする音だ。

「来たな・・・」

扉が、スーッと開く。

「だ、誰だ!」

目の前に立っている長い髪の女に驚き、昌流は、慌てて後ずさりした弾みで、蝋燭を倒してしまう。

「し、し穂か?冗談はよせよ!」

しかし、どう見てもし穂ではない、本物の恐ろしさが、その女にはあった。

「あっち行け!」

昌流は、鬼の面を女に投げつける。当たりはしなかったが、女は、スッとトイレから離れる。

恐る恐る壁伝いにトイレを出て、動かない女と目を合わさず、すぐに走り出した。とにかく一目散に・・・。

廊下を曲がると東童たちが集まっている。

「昌流、お前の出番が無くなったよ」

「ほら、気絶しちゃった」

倒れた香華を見る昌流。し穂も衣貢子もいる。

「やっぱり本物だ!」

「何が本物なんだよ、青い顔して」

「蝋燭一つじゃ、怖かったかな?」

昌流が震えているのが、みんなにもわかった。

「どうしたのよ?」

「だから、こんなことするのは嫌だったんだよ!」

昌流が急に走り出す。

「待てよ、何言ってんだよ!」

呼んでも振り向きもせず、走って行く昌流。

「何かあったのかしら・・・」

残った4人は、どたどたと走って行く昌流を、ただ見送るだけだった。

「何だか臭いぞ、何かが焦げた臭いみたいだ!」

「ほら!」

昌流が走って来た奥の方から、煙が回って来ていた。

「火事よ!」

「どうしよう、香華気絶してるし」

「消そうか・・・」

忠樹が、奥へ行こうとした。

「ウワッ!」

みんなが叫び声の方を見ると、忠樹がひっくり返っている。

「キャッ!」

「何だ!」

急に叫び声を上げた衣貢子に注目すると、手で顔を覆っていた右手で、廊下の奥を差す。

「あれ・・・」

聡平たちが、衣貢子のの指さす廊下の先を見ると、煙と炎を背に髪の長い女が立っている。

「だ、誰なんだ!」

女がスーッと尻餅をついている忠樹の前に立つ。

「ギャーッ!」

長い髪の間から見える不気味な眼に、男の忠樹でも悲鳴を上げた。

「た、助けてくれええー!」

忠樹は、這いながら東童たちのところへ来て、立ち上がる。

「な、お化けええ・・・!」

何とも情けない声を出して、一人先に玄関の方へ向かう忠樹。

「やだー、本物のお化けなの?」

「そ、そんな馬鹿な!」

信じられずに立ち尽くす3人の前に、音もなくスーッと女が近づく。

「本物だ!」

東童も目の前に来た女の姿に腰を抜かした。

「逃げよ!」

「香華は?」

「気がついたら自分で逃げるよ!」

東童も立ち上がって逃げようとする。3人がぶつかりあって、窓枠のところにあった蝋燭を衣貢子が倒してしまう。

玄関でも、我先に逃げようとするパニック状態の3人と追いつかれた忠樹が、押し合い圧し合いしているうちに、近くにあった蝋燭を倒してしまう。蝋燭の火は、次々と廊下に敷いてあるカーペットに引火していく。


「ううっ」

香華が気づいて起き上がる。

「痛い!」

足首に激痛が走る。意識を失って倒れる時、足首を捻挫してしまったのだ。

「美喜久・・・、ゴホッ」

廊下は、煙が充満している。そして、その奥も自分の前の廊下も、炎が上がっている。

「ゴホッ!」

煙でむせる香華。

「誰か・・・、ゴホッ!」

煙の中、自分の足元にある、作り物の生首や怪物のかぶり物、牙が落ちている。

「騙されたんだ、みんなに・・・」

香華は、涙を流しながら、肩にかけていたポーチから、美喜久にもらった石を取り出して眺める。

「一度も磨けなかったな・・・、ゴホッ、ゴホッ!」

煙で目も開けられなくなってきた香華。

「誰?」

石を握っていた香華の手を、誰かが包むように握った。

「誰ですか?ゴホッ!」

出来る限り目を開けてみると、女のようだった。

「逃げないと、ゴホッ!ゴホッ!死んじゃいますよ・・・、ゴホッ!」

女に手を握られていると、意識を失いそうな脳裏に、映像が浮かんでくる。

香華を陥れようと密談する須々木晴佳と二場し穂。気絶している香華の周りで笑う、東童聡平、二場し穂、佐々丘忠樹、知馬衣貢子。そして一目散に逃げる昌流。

「お前の恨みは、この石と共に、後世に残してやろう・・・」

「あな、た、は、誰、で・・・ゴホッ!」

香華は、意識を失った。


「煙が出てるぞ!」

「田城君、待って!」

美喜久は少し戻って、膝に手をついて立っているしの華の手を握り、再び走り出す。

「あっ!」

美喜久としの華の眼に映ったのは、廃屋の門を慌てて出てくる、昌流の姿だった。

「昌流君!」

しの華が声をかけても、見向きもせず走り去って行く昌流。そしてすぐその後、東童たち4人も血相を変えて飛び出してくる。

「東童!香華は?」

美喜久が声をかけても、誰ひとり返事をしなかった。

「香華は、まだ中なのよ!」

「うん、行こう!」

二人は、門をくぐり、廃屋のある敷地へ入って行く。

「火事だよ、燃えてる!」

「香華!」

アプローチを走り、玄関にたどり着いた美喜久としの華。

「助けなきゃ!」

「ああ」

美喜久が玄関の扉を開けると、一瞬勢いよく炎と煙が噴き出す。

「ウワッ!」

「キャッ!」

二人は、後ろに倒れる。

「僕が行って来るから、ここで人が来るのを待ってろ!」

「田城君、危ないよ」

「だからって、香華をほっとけないだろ!」

「田城君・・・」

炎の噴出が治まると、美喜久は、口を押さえながら中へ入って行く。

「香華!」

中は炎と煙で視界が悪い。美喜久は、炎を避けながら少しずつ前に進む。

「香華、どこだ!」

美喜久は、最初の扉を開ける。

「香華!いるか?」

返事がない。

「み、き、ひさ・・・」

微かに香華らしい声が聞こえた美喜久。

「香華!どこにいるんだ!」

廊下を進む美喜久。

「香華か?」

炎の向こうに、うずくまっている人の姿が見える。

「み、き、ひ、さ・・・、ゴホッ!ゴホッ!」

香華である。

「今助けに行くから!ゴホッ!」

美喜久も煙を吸って苦しくなっている。そして二人の間には、燃え落ちた天井板がいくつもあり、到底近寄ることは出来ない。

「来ないで!ゴホッ!もう無理、みき、ひさまで、ゴホッ!死んじゃうから、ゴホッ!逃げて・・・」

「絶対、助けるから!ゴホッ!」

壁伝いに前を進もうとする美喜久。

「ウワッ!」

次の扉の前にいた美喜久を、扉を突き破って来た炎が襲う。

「美喜久・・・」

美喜久は、倒れたまま動けない。

「きょう、か・・・」

前に進もうと動き出した美喜久だが、すぐに力尽きてしまった。

「み、き、ひ・・・」

香華も、美喜久にもらった石を手に握ったまま息絶え、炎の中に消えて行った・・・。


「香華!田城君!」

燃え上がる廃屋を茫然と眺めるしの華。何も出来ずにがっくりと膝を落とす。

やっと来た消防車も、集まっているだけの野次馬も二人を救い出すことはなかった。


- 避ける -


2014年7月・・・。

「ねえ乃菊、みんな行くって言ってるから、行こうよ」

高校2年生の百沢田薫は、クラスメイトの菊野乃菊に肝試し会の誘いをする。

「そんなことして、何が面白いの?」

「美なみのお兄さんも行くんだって、彼、カッコいいでしょ」

「趣味じゃないよ、あの先輩」

「うそお!そんな子いないよ」

薫は、友達ではあるが、乃菊を少し変わり者だと思っている。

「どこでやるの?」

「町外れの廃屋だよ。あそこなら何も準備しなくても、結構怖いって評判だから」

「じゃあ、やめた方がいいよ。後悔するから・・・」

「まあいいから、とりあえず7時に迎えに行くから」

強引な薫である。しかし心配なので、乃菊もついて行くことにした。


7時半、薄暗くなった頃、廃屋がある門の前に、舛田ユリカ、佐々丘千佳、河田北斗、東童美なみ、そして美なみの兄、東童幹一郎がいた。

「遅いじゃない薫。・・・来たんだね、乃菊」

美なみが薫の手を引く。

7人は、門を入って、玄関まで続くアプローチに立つ。

「ここは、駄目だよ」

乃菊がみんなに言う。この廃屋もそうだが、今ここにいる乃菊以外の人間にも、何かを感じる。それが何か分からないが、乃菊は、みんなを引き止めようとした。

「何を今さら言ってるのよ」

「そうよ、みんなでスリルを味わおうよ乃菊」

「薫、やめなさい」

薫だけでも入るのをやめてほしかったが、乃菊よりも他の仲間を選んでしまった。

「そいつは、臆病なだけだよ。ほっときな」

「そうよ、行きましょ」

誰一人、乃菊の忠告を聞く者がなかった。

「みんな、やめなさい!」

乃菊は、あらためてみんなを止める。しかし無駄に終わり、みんなが乃菊を無視して玄関の扉を開ける。

「何だよ、そんなに古くないじゃないか」

「長い間、使われてなかったからでしょ」

「そうよ、ここを買った人が一晩で出て行ったって噂があるんだから」

「じゃあ、二人ペアで探検しよう」

東童幹一郎と佐々丘千佳、河田北都と舛田ユリカ。そして百沢田薫と東童美なみがそれぞれ組んで、懐中電灯を手に、1階、2階へわかれて行く。


「先輩、腕を組んでいい?」

「怖いんだろ、いいよ」

千佳は、幹一郎の腕を掴んで歩く。

「この部屋へ入ろう」

ギギーッ。耳障りな音を立てて開く扉。

「気味悪いね、先輩」

より一層幹一郎に近づく千佳。

「そんなに近づくと、抱きたくなっちゃうだろ」

幹一郎は、最初からそれが目的だったのかもしれない。

「そうしたいなら、いいですよ」

幹一郎は、少しでも明るい窓際へ千佳を連れて行き、壁を背に千佳を立たせる。

「千佳、いいんだな」

幹一郎は、懐中電灯を持ったまま、両手で千佳の顔を掴み、唇を合わせる。

「先輩・・・」

千佳も幹一郎の腰に手を回し、身を委ねる。


「懐中電灯、もっと前に照らしてよ」

「何があるかわからないから、あちこっち照らしてるんだよ」

やはり、ユリカも北都の腕にしがみついて歩いている。

「ここは、風呂場みたいだぞ」

脱衣所があり、その奥が浴室になっている。

「どんなお風呂かなあ?」

「見たけりゃ、見ればいいだろ」

「開けてよ」

北都は、恐る恐る扉を開く。なぜか扉を開けると風が吹いてくる。

「風が来たよ、どうして?」

「窓が開いてんだろ」

北都が浴室の中を照らす。窓・・・閉まっている。

「開いてないじゃない」

二人は、寒気を感じる。

「思ったより綺麗だけど、何だか寒気がするね。もう行こう」

ユリカに促され、北都が懐中電灯を浴室から脱衣所の方へ向ける。

「今、誰かいたよ」

ユリカが、懐中電灯が浴室から脱衣所に向く前、浴室の壁側に白い人の姿を目にしたのだ。

「そんな馬鹿な」

ポチャン。もう一度浴室を照らそうとした時、水の上に滴が落ちるような音がした。

「キャッ!」

その音だけでも怖くなったユリカは、脱衣所からも出て行く。

「誰もいないし、水だって入っていないだろ」

浴槽の中を照らす北都。やはり水が入っていない。人の姿もない。

「じゃ、何で水の音がするの?」

外から声をかけるユリカ。

「知るか、そんなの・・・」

北都は、浴室の扉を閉めて振り返る。

「ギャーッ!」

北都は、悲鳴を上げて腰から崩れ落ち、そのまま後ろ向きに外へ出る。

「どうしたの、河田君?」

脱衣所から這うように出て来た北都。

「もう嫌だ、こんなとこもう嫌だ!」

「何があったの?」

「鏡に、白い服を着た女が映っていたんだよお・・・」

「懐中電灯はどうしたのよ、暗いじゃない、何とかしてよ」

「な、中にあるから取って来いよ。俺は、嫌だ!」

「私だって嫌よ」

それでも北都は、座ったまま動かない。

「菊野の言うとおりに、来なけりゃ良かった・・・」

泣きべそをかいている北都である。

「もお、役立たず!」

ユリカが伊を決して脱衣所に入る。

「こんなところにあるじゃない」

スイッチが入ったままの懐中電灯は、すぐに見つかった。

ユリカは、腰をおろして懐中電灯を掴む。

「キャーッ!」

懐中電灯を掴んだユリカの手を誰かが掴んだ。

ユリカは、懐中電灯を放り投げ、脱衣所を転がり出た。

「嫌!もう出よ!」


2階を探検していた美なみと薫。

「ここは、寝室みたいね」

「入ってみる?」

「うん」

薫が先に入り、美なみが薫の腰に手をやり、ついて行く。

「ベッドがある」

「他には、何がある?」

懐中電灯で照らすが、ベッドの横に棚があり、その隣にタンスがあるくらいだ。

「今、ベッドの下で何か光ったよ」

後ろから美なみが言う。

「どこ?」

薫は、美なみに言われて、もう一度照らして確認する。

「あっ!光った。ベッドの下だよ」

懐中電灯でベッドの下を照らすと、小さいながらも反射するものがあった。

「指輪かも?」

美なみが言う。確かにリングのようだ。

「そうね、懐中電灯で照らしてて、取るから・・・」

懐中電灯を見なみに渡し、ベッドの少し奥で光る指輪らしきものを取ろうと、かがんで手を伸ばす薫。

ガッ!

「キャーッ!」

突然、ベッドの下から白い手が現れ、薫の伸ばした右手の手首を掴んだ。

「助けて、助けて!」

薫が叫ぶが、それを見ていた美なみも驚いて後ずさりしている。

「美なみ、助けて!」

薫が、手を引こうとしてもビクともしない。

「誰か、助けて!」

ベッドの下の狭い場所に誰がいるのか?薫は、怖がりながらも覗いてみる。

「イヤッ!」

光る物が二つ見えた。暗い中、不気味に光る眼である。

「離して、離して、お願い!」

腹ばいのまま、左手でその手を外そうとするが、薫の力では、何ともならない。

「だ、誰か呼んでくる」

美なみは、寝室を出て行った。

「お前が、殺した・・・」

薫の耳に言葉が聞こえた。

「わ、私は、誰も殺したりしてない!」

必死でもがくが、白い手からは逃れられない。

「晴佳が、香華を殺した・・・」

「誰のことなの?私には関係ない!」

薫は、左手でその手を叩きながら外そうと必死になる。

「ギャッ!」

ドン!ベッドの下から、もう一つの手が現れ、薫の左手も掴むと、ものすごい力で引っ張った。

薫は、万歳の体勢で引っ張られ、ベッドの端で勢いよく頭を打ち付けた。

「た、す、け、て・・・」

意識がもうろうとなる薫。手をベッドの下まで引き込まれた状態でぐったりする。

「晴佳に殺された・・・」

薫は、もうろうとした意識の中で、その言葉に気づくことがあった。

「お、お母さん・・・?」

「熱いよお!なぜこんな酷いことをするの・・・」

「お母さんが、そんなことをするわけがない!離して!間違いよ!」

すっと、両手が軽くなった。

「誰か、助けて・・・」

薫は、泣きながら起き上がり、助けを呼ぶ。


「あ、つ、い、よお・・・」

幹一郎が夢中で千佳の胸元に唇を這わせている時、千佳は、誰かの声を耳にする。

「先輩、今の声聞こえた?」

「誰かが、怖くて悲鳴でも上げてんだろ・・・」

幹一郎は、気にすることなく続ける。

「たす、けて、あつい、よお・・・」

やはり声が聞こえる。しかし仲間の声ではない。

「ほら、また聞こえた」

幹一郎も気づいて、暗い部屋を見回す。

「ウワッ!」

「どうしたの先輩?」

「お前、俺の左手を掴んだか?」

「ううん、腰に回してる・・・」

そのはずだと思う幹一郎。二人は同時に幹一郎の左手を見る。

「キャーッ!」

千佳が悲鳴を上げる。幹一郎の左手首を、二人の手ではない、もう一つの白い手が掴んでいる。

「離せ!」

白い手に向かって叫ぶ幹一郎。壁と幹一郎の間にいた千佳は、幹一郎の腰を持ちながら回り込み、力いっぱい引っ張った。

「ウワッ!」

「キャッ!」

二人とももんどりうって倒れた。

「イタタタッ!」

「逃げよう先輩!」

千佳は、立てずにいた幹一郎を引っ張って起こし、部屋を出て行く。


幹一郎と千佳が廊下に出ると、北都とユリカが一目散に通り過ぎて行く。

「北都、どうした?」

返事がない。

「私たちも行こう」

幹一郎と千佳も、二人を追うように玄関へ向かった。

ガチャ、ガチャ!

「開かないぞ!」

「何してるのよ、早く開けて!」

北都が必死にノブを回しても、扉が開いてくれない。

「早く出ようぜ、ここは、お化けがいるんだ」

幹一郎たちも玄関まで来た。

「俺たちも見たよ。・・・扉が開かないんだ」

「代われ!」

幹一郎が、北都に代わって扉を開けようとする。

ガチャ、ガチャ!ドン、ドン!いくらノブを回しても、当然叩いても扉は開かない。

「くそっ!何でだよ!」

「ここは、呪われた家なのよ」

千佳が言う。

「お兄ちゃん!」

美なみが玄関にやって来た。

「薫は?」

「幽霊に捕まった」

「嘘だ!」

「ホントだよ」

「みんな見たってわけだ。間違いなくこの廃屋は、本当の幽霊屋敷だ!」

しかし、扉が開かない。


門のところでみんなを待っていた乃菊は、廃屋の中で悲鳴が聞こえたように感じる。

「行ってみようか・・・」

アプローチを進み、玄関の前にたどり着く乃菊。扉を叩く音や、ガチャガチャとノブが回されていることに気づく。

乃菊が玄関のノブを握る。

ガチャッ!中からは、ビクともしなかった扉が開いた。

「開いた!」

「早く逃げるぞ!」

「キャー!」

「早く、早く!」

幹一郎、北都、千佳、ユリカ、美なみと次々に血相を変えて飛び出してくる。そして誰も乃菊が眼に入らないまま、走り去る。

乃菊がみんなを見送ると、遅れて最後にフラフラと薫が玄関から出てくる。

「言うことを聞けば良かった・・・」

乃菊には、中で何があったのかはわからないが、予感通り、みんなにとって恐ろしいことが起こったであろうことは、容易に察することが出来た。

乃菊は、放心状態の薫を家まで送って行くことにした。


- 熔ける -


翌日、薫は学校を休んだ。

乃菊は、帰りに薫の家に寄った。

「ごめんなさいね、昨日から食事もしないのよ」

乃菊は、薫の母、百沢田晴佳に2階の薫の部屋へ案内された。

「薫、クラスメイトの菊野さんが来てくれたわよ」

返事がない。晴佳は、扉を開ける。

「どうぞ、入って。飲み物持って来るわね」

乃菊は、ベッドで横になったままの薫のところへ行く。

「薫、大丈夫?」

「乃菊、幽霊って、ホントにいるんだね・・・」

乃菊の方を見た薫は、眼の下に酷いくまを作っていた。

「私は見たことないけど、信じないわけじゃない。不思議なことは、いっぱい経験してきたから」

薫が手を伸ばし、乃菊の手を握る。

「私、祟られているのかもしれない・・・」

コンコン。ドアがノックされて、晴佳が入って来る。

「薫、起きたの。じゃあ、菊野さんと甘いものでも食べなさい」

晴佳は、おぼんに乗せて来たジュースと菓子を、乃菊の横に置いた。

「お母さん、“きょうか”って人知ってる?」

「きょうか?誰の事かしら、・・・!!」

返事をする晴佳の顔色が、途中で変わったことに、乃菊も薫も気づいた。

「知ってるの?」

「お母さんは、そんな人知らないわ。菊野さん、ゆっくりしていってね」

晴佳は、すぐに立ち上がって、部屋を出て行った。

「お母さん、知ってたね」

「その人がどうかしたの?」

「・・・」

薫は、口をつぐんだ。


舛田ユリカは、食事が喉を通らなかった。

「もういいわ。お風呂入って来る」

「じゃあ、後で着替え持ってくわね」

母、衣貢子がユリカの残したおかずを片づける。

脱衣所で、洋服、そして下着を脱ぐユリカ。浴室へ入り、身体を洗う。

浴室の外で物音がする。覗きかと思い、少し開いた窓を閉める。

湯船につかるユリカ。お湯で肩を温める。この時期にしては、妙に寒気を感じる。

静かだ。ユリカがお湯を動かす音が響くだけである。

カタン。脱衣所の方で物音がする。

「ママなの?」

返事がない。眼を閉じるユリカ。

「誰!」

やはり、脱衣所に誰かいる。

ガチャッ!

「キャッ!」

扉が開き、思わず声を上げるユリカ。

「ママよ、どうしたの?」

「驚かさないでよ、もお!」

「着替え、置いといたからね」

「はーい」

ユリカは、また肩に右手でお湯をかけ、眼を閉じる。

「ああ、気持ちいい・・・」

ボチャン。

「何?」

湯船に何かが落ちたようだ。

ユリカは、身体を端に寄せ、お湯の中を覗いてみる。何か黒っぽい物が沈んでいるようだが、泡が出ていてよく見えない。

「何だろう?」

よく見ると、たくさんの泡が出ているのと反比例するようにお湯が減っている。そしてお湯が減ってくると、黒い物の姿が見えて来た。石のような塊だ。

「タワシかな?」

ユリカは、手を伸ばして取ろうとする。お湯は、もうほとんどなくなっている。

「あっ!」

排水口のゴム栓が熔けたように無くなり、鎖だけになっている。

その時、ユリカの指先が、塊に触れていた。

「痛い!」

指先が喰いつかれたように塊に吸収された。そして黒い塊は熔けるように柔らかくなり、浴槽に広がった。

「イヤーッ!」

手を振っても塊は、離れない。それどころか、右手を這いあがるように浸食してくる。すぐに上腕まで達した。

「痛い!痛い!」

広がっていた塊が、足にも喰いついてくるように浸食する。

「ママ、ママ、助けて、痛いよお!」

涙を流して訴えるユリカ。

「た、たす、けて・・・」

もう右腕の原型は無くなり、足から浸食した塊は、ドロドロと腰、お腹、胸へと上がり、ユリカの身体の大部分が黒いドロドロとした塊になってしまった。

「う、うぐぐ・・・」

顔、頭も浸食され、ボトリと頭が塊の中へ落ち、浴槽の中には、黒い液体だけがうごめいている。

「ユリカ、まだ出ないの?」

衣貢子が、長湯をしているユリカを呼びに来た。しかし、中から返事がない。

ガチャ。扉を開けて衣貢子が浴室へ入る。

「ユリカ・・・、キャッ!」

浴槽の中に、黒い塊が不気味に動いている。

「何これ?」

衣貢子は、その塊をじっと見る。

「マ、マ・・・」

黒い塊の中から、ユリカの声が聞こえたように思う衣貢子。

「ユリカ、どこなの?」

浴室を見回しても、ユリカの姿は無い。

「マ、マ・・・」

やはり、黒い塊の中から聞こえる。

「ユリカ、ユリカなの?」

その塊の中に、ユリカの顔が見えたような気がした衣貢子は、塊に手を伸ばす。

「嫌っ!」

伸ばした右手が、引っ張られるように塊に吸い込まれる。

「何、これ、た、助けて・・」

どんどん衣貢子の身体は、浴槽の中へ入って行く。逆立ちをするような形で腕が浸食されている。

「た、助けて!・・・ブッ!」

顔が塊の中に浸かり、言葉を出せなくなった衣貢子。

浴槽から出ていた下半身も、しだいに浴槽の中に沈んで行く。

衣貢子も呑み込んだ黒い塊は、さらに緩い液体となり、排水口へと流れて行った。


黒い塊は、ユリカたちの家の前の側溝に流れ出て、側溝の中から這い出るように道路へ集まる。

しだいに液体が縮んでいき、また石のような塊になった。それを誰かが拾い上げ、その場を去って行く。


- 逃げる -


河田北都が予備校の帰り、暗い夜道を自転車で走っていた。

キキーッ!ブレーキの音が響く。

「やあ、乃菊じゃないか」

角を曲がると、菊野乃菊が歩いていた。

「お前の言うことを聞けば良かったよ。あそこは、お化け屋敷だ。ははは・・・」

「笑っていられればいいんだけど・・・」

乃菊の言葉に、北都は、背筋がゾッとする。

「嫌な言い方するなよ。結構後悔してるんだ、実は・・・」

「とにかく、気をつけて帰ってね」

「ああ、・・・そうだ。お前の家、そこのアパートだったよな。今度遊びに行ってもいいか?」

「いいけど、お父さんがいる時にね」

「け、それならいいよ。じゃあな、おやすみ」

「おやすみ・・・」

北都は、再び自転車をこぎ出し、自宅へ向かう。乃菊は、しばらくその姿を見送った。

しばらく走った北都は、少し先の街灯の下に水溜まりがあることに気づく。

「よし、行け!」

その水溜まりを走り抜けようとして、手前で両足をペダルから離し、水の跳ね返りを避けようとした。

「何だ?」

水溜まりかと思ったものは、通過する時、水のような感じがなく、跳ね返りもなかった。その代わり、タイヤの回転がすぐに鈍くなり、自転車は止まった。

「何だよ・・・」

北都は、振り返って道路を見るが、さっきの水溜まりが見当たらない。

「えっ?」

自転車を漕ごうとするが、前に進まない。北都は、自転車から降り、タイヤを見る。

「わっ!何だこれ!」

自転車の後部タイヤに、黒いドロドロしたものが巻きついていた。しかもその塊は、しだいに流れるようにタイヤから離れて、道路に広がる。

「何だ、何だ?」

北都は、不気味な液体に、思わず後ずさりする。そして一瞬、塊の中に見覚えのある女の姿を見た。

「ウワッ!」

あの廃屋の出来事を思い出した北都。自転車を残したままその場から逃げが、すぐにつまづいてしまう。

「あ、イタッ!」

転んだ北都は、振り返る。そして塊が自分に向かって来るように思う。

「来るな!」

這うようにして逃げる北都。手をつきながらバタバタと走る。

「は、はあ・・・」

少し走って、振り返ると黒い塊が見えない。


「良かった。それにしても気味が悪かったな、あれは何だろう?」

ちょうどさっきの街灯の次の街灯まで逃げて来た北都。安心してその場に座り込む。

「戻って、自転車を取って来るか・・・」

その時、街灯がチラチラと暗くなったり、明るくなったりした。

「何だよ・・・」

北都が上を向くと、すぐに視界が遮られ、目の前が真っ暗になる。

「ウワッ!」

声も出せたのも、ほんの一瞬だった。

頭にドロドロした液体を被った北都は、道路に倒れ、手足をばたばたさせるが、塊を取ろうとした手もすぐに呑み込まれ、しだいに足の動きも鈍くなり、やがて動かなくなるとともに、塊の中に消えていった。


胸騒ぎがした乃菊は、北都が走って行った道を辿っていた。

そして角を曲がったところで、人とぶつかって倒れてしまう。

「ご、ごめんなさい」

相手も倒れたが、無言で立ち上がり、そのまま去ろうとする。

「あ、これ、あなたのですか?」

乃菊は、黒い石のようなものを見つけて声をかけた。ぶつかった相手が振り返る。女である。・・・しかも乃菊と同じ制服を着ている。

「触っちゃ駄目!」

女学生が、大きな声を上げるが、すでに乃菊は、その塊に触れ、掴み上げて持ってくる。

「変わった石ですね」

乃菊は、女学生にその石を渡す。

「あ、ありがとう」

女学生は、不思議そうに乃菊の顔を見て、礼を言う。

「じゃ、失礼します」

すぐに乃菊は、走って行く。

次の辻までたどり着くと、乃菊は、左右を見る。

「あっ!」

街灯の近くに自転車が倒れていた。乃菊は、走ってそこまで行く。

「河田君・・・」

呼んでみるが、返事はない。

乃菊は、しばらくその場で北都が現れるのを待っていた。

結局、30分ほど待っても河田は現れず、しかたなく乃菊は、自転車を近くの交番へ届けた。

「家に電話して確認するから、もう帰っていいよ」

乃菊は、この町へは、高校に入ってから引っ越しして来たため、北都の家も知らない。警官に頼む他に思い当たることがなかったので、頼んで帰ることにしたのだ。

「暗いから、気をつけて行きなさいよ」

「はーい」

「可愛い子だね、家はどこ?」

「近くだけど、知らない人には、教えません・・・」

「それで良し、気をつけて帰りなさい」

乃菊は、頭を下げて交番を出て行った。


「北都なの?」

玄関で人の気配がした河田比ロ子は、ドアを開けて外を見る。しかし誰もいない。

「あら、主人のカバンだわ」

玄関の前に、カバンだけ落ちていた。

「まあ、こんなところへ置いて、また飲みに行ったのね」

比ロ子は、カバンを拾い上げ、家に入って行く。


- 食べる -


翌日、乃菊は、教室の席に座って、空いている北都の席とユリカの席を眺めていた。

「乃菊、知ってる?河田君と河田君のお父さん、行方不明なんだって。それにユリカもユリカのお母さんもいなくなっちゃったんだって」

隣の教室から東童美なみがやって来て、乃菊に話をする。

「やっぱりいなくなったんだ、河田君・・・」

「やっぱりって、乃菊、知ってたの?」

「昨日、河田君が予備校から帰る時に会ったんだ。でもその後、自転車だけ道に倒れてて、交番に届けたたの」

美なみは、不安そうな顔をする。

「ねえ乃菊、今晩、うちに泊まりに来てくれない?」

美なみが、手を合わせて拝むように言う。

「乃菊って、霊感みたいなのがあるでしょ。それで私を守ってくれない」

「霊感なんてないよ。それに、何から守るのよ」

「だって、河田君もユリカもあの廃屋に行ったじゃない。何かの祟りじゃないかな?」

「だからって、私は、役に立たないよ。陰陽師でも霊媒師でもないんだから」

「やっぱり、その方面に詳しいじゃない。お願い、来て!」

乃菊も少し興味があったため、断れなかった。

「今晩だけならいいよ。帰ってお父さんに連絡してから行くから、家を教えて」

「いいよ、迎えに行くから」

そんな約束をして、その日の授業を受けた。


「いらっしゃい。どうぞ入って、美なみがわがまま言ってごめんなさいね。お詫びにごちそう作るわ」

美なみの母、東童し穂だ。

「やあ、乃菊ちゃん、いらっしゃい」

この前、乃菊をそいつ呼ばわりしていた美なみの兄、東童幹一郎である。

「先輩早いんですね、部活は?」

「ああ、すぐに終わってすっ飛んで来たんだよ。美なみの友達が来るのに、俺がいなくちゃ話にならないよ」

どういうことなのかと、乃菊は思う。

「乃菊は、私の友達なんだから、お兄ちゃんは、出しゃばらないでよ」

美なみが先に玄関を上がって、乃菊を招き入れる。

「私の部屋へ行こう」

美なみは、乃菊の手を握り、2階の自分の部屋へ連れて行く。幹一郎とすれ違う時、なぜか美なみが幹一郎に目くばせする。


「美なみ、菊野さん、食事の用意が出来たから、いらっしゃい」

「はーい」

7時半ごろ、し穂に呼ばれて、二人は、1階のダイニングへ行く。

「こんばんは、お邪魔してます」

父親の東童聡平が、テーブルの上座に、新聞を持って座っている。

「こんばんは、美なみの友達だそうだね、名前は?」

「菊野、乃菊です」

「顔も名前も可愛いね。遠慮なく食べてくれたまえ」

「ありがとうございます」

テーブルには、たくさんの料理が並んでいる。乃菊の家は、父親と二人暮らしだから、こんなカタカナばかりの料理が並ぶ食卓は、見たことがない。

「さあ、座って」

乃菊は、美なみの隣に座る。

「おいしそうな料理だろ」

ダイニングに入って来た幹一郎が、そう言いながら乃菊の向かいに座る。

「さあ、食べて」

幹一郎の横へし穂が座る。

「いただきます・・・」

食事が始まる。乃菊は遠慮しながらも、し穂に勧められてあれこれ食べることになる。

「おいしい?」

「おいしいです、とっても」

し穂が笑顔になる。乃菊は、そんなし穂を見ると自分の母親を思い出す。

「デザートもあるからね」

美なみが乃菊の耳元で言う。

「ホント・・・」

乃菊は、甘いものに目がない。つい喜んでしまう。

テーブルが片付けられると、紅茶とチョコレートケーキが乃菊の前に置かれる。

「ところで、河田のところの北斗君がいなくなったそうじゃないか」

聡平が離し出す。乃菊は、黙々とケーキを食べながら聞く。

「そうなのよ、昌流もいなくなったのよ。昌流の奥さんも心配してたわ。北都君は、予備校の帰り道でいなくなったそうよ」

知り合いらしい。乃菊は、耳をそばだてて聞く。

「ユリカとユリカのお母さんもいなくなったって」

美なみが口を挟む。

「本当か!」

異常なくらい聡平が驚く。

「祟りかも・・・」

幹一郎が言う。

「何を言ってるんだ、バカバカしい」

しかし、バカバカしいと言うわりには、聡平の顔がひきつっている。

「だって、俺たちも北都もユリカも、あの廃屋に行ったんだよ」

「あなたたちもあそこに行ったの?」

し穂の顔も血の気が引いている。

「ちょっと、肝試しに行っただけだよ。祟りなんて冗談だよ」

「当たり前だろ、私たちだってこの年まで何もなかったんだ」

「え、お父さんたちも行ったことがあるの?」

「あなた、やめましょ、そんな話・・・」

何か行方不明と関係ありそうな家族だと、乃菊は思う。

「菊野さん、お風呂の準備が出来たら、先に入ってね」

「私が先でいいんですか?」

「いいのよ、お客様だから遠慮しないで」

「そうよ、遠慮しなくていいよ」

すごく恐縮してしまう乃菊である。


- 走る -

9時を過ぎた頃、乃菊が着替えを持って入浴に向かう。脱衣所も広くて綺麗だ。ついアパートと比べてしまう。

服を脱いで浴室に入る乃菊。これまたホテルのような広いお風呂である。ジャグジーまで付いている。

乃菊は、身体を洗って湯船に入る。

「ああ、気持ちいい。何だか温泉に来たみたい」

湯船に浸かって、食卓での話を思い出す乃菊。

「きっと、あの廃屋と行方不明になった4人とこの家の人たちとは、何かの縁で繋がっているんだ・・・」

乃菊は、眼を閉じる。・・・静かだ。

トン・・・。

「誰ですか?」

脱衣所の方で人の気配がして、乃菊が振り向く。しかし人の姿も返事もない。気のせいだろうか、座りなおしてお湯を肩にかける。

「何!」

窓ガラスに黒い影が映る。乃菊は立ち上がり、窓を開けて外を見る。辺りには何も見えない。

「確かに、何かが通ったような気がしたんだけど・・・」

その時、乃菊が見ていた外の死角だった壁側に、黒い影が動いていた。

「何だか、落ち着かないな・・・」

乃菊は、また湯船に浸かる。何かの気配がしても妙に静かである。お湯をすくい、指の間から流れ落ちる水の音しか聞こえない。

乃菊は、入浴を済ませ、パジャマに着替えて、居間でくつろぐ聡平たちに挨拶をして2階に上がる。

「どうだった、お風呂?」

「気持ち良かった。あんな素敵なお風呂、初めてだよ」

「おおげさね」

何だかそっけない返事をする美なみ。

「乃菊がベッドで寝てね。私が下で寝るから」

床に布団がたたんで置いてあったが、乃菊にベッドを進める美なみ。

「私が下でいいよ」

「いいから、たまには違うところで寝たいのよ」

二人は、しばらくパソコンを開いて、ファッションの話などをして過ごした。


誰もいない2階の廊下を、黒い塊が這っている。その塊は、広がったり集まったりしながら進んで行く。

そして階段を挟んで、美なみの部屋とは反対方向に進んだ塊は、一番端の部屋の扉を薄くなって、少しずつ中へ入って行く。

「あなた、明後日から出張でしょ。何を準備しておけばいいかしら?」

し穂は、鏡の前で髪を梳かしながら、ベッドで横になって本を読んでいる聡平に聞く。

「いつもと一緒だよ」

「そう、それならすぐに準備出来るわね」

ネグリジェに着替えているし穂は、年相応に色っぽさを醸し出す。

「夏なのに、何だか寒いわね」

聡平の返事はない。しかし構わず髪を梳かすし穂。

「ああ、シワが増えちゃったわ」

鏡に顔を寄せ、目じりのしわを気にする。

「キャッ!」

鏡に映る自分の顔の向こう側に、不気味な女の顔が見え、思わず声を上げるし穂。

「あなた、今・・・キャーッ!」

し穂が悲鳴を上げる。振り返って見ると、ベッドの上で聡平の下半身だけがもがくように動いていた。

そう、上半身は、黒い塊に覆われ、伸びたり縮んだりしている。

「あ、あなた!」

し穂はベッドへ行き、聡平の身体から黒い塊をはがそうとするが、聡平の上半身は、もう人の形ではない。

「だ、誰か!」

ベジャッ!

し穂の手に、黒い液体が伸びて来て喰いつくように付着した。

「キャッ!」

手が吸い込まれるように熔けて、塊と同化する。

「助けて、助けて!」

し穂の首まで黒い塊が浸食し、胴体の方へも進む。その時すでに聡平の姿はなく、し穂の下半身にも侵攻していた。

「あ、あ、う、う、ぶぐっ!」

塊は、し穂の首から顔へと浸食し、声も出なくなった。やがて黒い塊になったし穂の頭は、ボタリと落ちて、聡平も熔かした塊に吸収された。


「じゃあ、私、お風呂へ行ってくるから、ベッドで横になって寝てていいわよ」

美なみが、着替えをタンスから出し、抱えて部屋を出る。

廊下に出た美なみは、幹一郎の部屋の前で立ち止まり、扉を開ける。

「兄貴、お風呂に入ってくるから、上手くやんなさいよ・・・」

「サンキュウ!」

ベッドで本を読んでいた幹一郎が起き上る。


乃菊は、ベッドで横になった。

「ベッドも旅行に行った時以来だな・・・」

コンコン、ドアをノックする音が聞こえる。

「乃菊ちゃん、入っていいかな?」

幹一郎のようだ。乃菊は、起き上る。

「どうぞ・・・」

幹一郎が部屋に入って来て、机の椅子をベッドの脇に持って来て座る。

「どうだった、食事?」

「美味しかったですよ」

乃菊の返事に、笑顔を見せる幹一郎。

「こんな家に住んでみたいか?」

「そうですね・・・」

中途半端な返事をする乃菊。

「それより、何か用があるんですか?こんな時間にレディの部屋を訪れて来て・・・」

「ああ、そうだ、話があるんだ」

「何ですか?」

嫌な予感がする乃菊だが、顔には出さない。

「俺と付き合わないか?お前、彼氏いないだろ」

やっぱりそんなことかと思う乃菊。

「今は、誰とも付き合う気がないんです」

「どうして?」

「必要ないからです」

「じゃあ、必要にしてやるよ!」

「キャッ!」

幹一郎が急にベッドに飛び乗り、乃菊を押し倒して、両手を掴み覆い被さる。

「やめてください、大きな声を出しますよ!」

「出してみろよ。このうちの部屋は、防音が効いているんだ。ちっとやそっとじゃ外には聞こえないぞ」

最初からこんなことが仕組まれていたんだと、この時乃菊は気づいた。さほど仲良くしていない美なみが、家にまで泊まらせたのは・・・。

「やっちまえば、付き合う気になるだろ!」

幹一郎が顔を寄せてくる。乃菊は、もがいて必死に抵抗する。

「やめてください!」

「付き合うって言えよ!毎日美味しい食事をさせてやるぜ!」

「あんたみたいな人、大っ嫌い!」

バシッ!幹一郎が乃菊の頬を平手打ちした。

「大人しくしろ!」

「嫌だ、嫌だ!」

乃菊は、なおも諦めずに抵抗する。

「!!」

その時、乃菊の眼が、幹一郎の向こうに何か動いているものを発見する。そう、天井にだ。

「危ない!」

乃菊は、力一杯幹一郎を投げ飛ばす。その瞬間、乃菊の顔の上に黒い塊が落ちて来た。

「わわ、な、何だ!」

幹一郎は、目にした光景に、腰を抜かしそうなくらい驚いた。

黒い塊は、ペタリと乃菊の顔から上半身に張り付き、もがく乃菊から離れない。

呼吸が出来ないのか、苦しそうに足をバタつかせる乃菊。しかしどんなに抵抗しても、伸び縮みするだけで塊は剥がれない。

乃菊の動きが次第に弱くなり、やがて足がピクピクっと痙攣をおこして止まった。そして塊は、しだいに流れるように広がり、乃菊の身体をすべて包んだ。

「の、乃菊・・・」

幹一郎は、恐ろしさの余り、這いつくばりながら、何とか部屋を出て行った。

「兄貴、どうしたの?」

階段を上がって来た美なみが、廊下を這っている幹一郎を見て言う。

「の、乃菊が・・・」

「乃菊がどうしたの?」

「か、怪物に、こ、殺された!」

「何言ってるの、バカバカしい。そんな冗談通用すると思う」

美なみは、おかしなことを言う兄を放って置き、自分の部屋へ行く。

「あ、危ないぞ、美なみ!」

やはり、腰が抜けているのだろう、幹一郎は、立ち上がれないままだ。

「乃菊・・・」

扉を開けると乃菊がベッドで寝ていた。

「寝てるじゃない」

バサッ!美なみの頭の上に何かが落ちて来た。

「何っ!」

一言声を出しただけで、すぐに声が出せなくなった。

「美なみ、どうかしたか?」

ギーッ。扉が開いて美なみがよろけながら出て来た。

「美なみ!」

上半身がもう美なみではなかった。熔けて黒い塊になっている。

塊は、どんどん下の方へ浸食し、ドロりと廊下に広がった。

「た、助けてくれ!」

幹一郎は、必死で後ずさりする。そして黒い塊は、追いかけるように廊下を進む。


「ううっ、ゴホッ、ゴホッ!」

乃菊は、むせるように咳をして気がついた。

部屋を見渡すが、得体のしれない黒い塊も、強姦魔の幹一郎の姿もない。

乃菊は、起き上ってすぐに部屋を出る。誰もいない。

「助けてくれ!」

階段を降りようとしていると、1階で声がした。

乃菊が階段を下り、居間へ入ると、下半身が黒い塊に浸食された幹一郎が這っていた。

「た、助けてくれ・・・」

乃菊は、ソファのクッションで黒い塊を叩く。

「コラ!離れろ!」

そんなことで離れるはずがない。塊はどんどん階一郎を浸食していく。

「し、死にたく、ない・・・」

しかし、上半身も熔けて、最後は、伸ばした手の指がカーテンを掴んだ後、その指も塊に吸収された。

黒い塊は、ダイニングの方へ向かう。

「美なみ!」

乃菊は、とりあえず美なみや東童夫妻に知らせるため、居間を出て捜しに行く。

2階のすべての部屋を確認し、いないとわかると1階へ下り、全ての部屋を捜す。しかし誰もいない。

「ふうっ、どうしよう・・・」

少しダイニングの椅子に座って考える。あの得体のしれない怪物は?乃菊は、辺りを見回す。しかしどろどろとうごめく黒い塊も見えない。

「そうだ!」

乃菊は、ダイニングを出て廊下を走って玄関へ向かう。そして自分の靴を履きながら外へ飛び出す。

そのままの勢いで門を出て、道路で方向を確認するとまた走り出す。

「あっ!」

角を曲がると人とぶつかり、勢い余って転がってしまう乃菊。

「あたたたた・・・」

「大丈夫?」

ぶつかった相手が、乃菊に声をかける。

「あ、あなたは・・・」

乃菊は、見覚えがあった。と言うより、前回も同じシチュエーションでの遭遇だった。

「ごめんなさい、またぶつかっちゃった」

乃菊は、とりあえず謝ってから起きあがった。

「同じ学校だよね、その制服・・・」

「ええ、2年E組の南多紗穂里です」

「あ、私は・・・」

「2年B組の菊野乃菊さんでしょ」

「知ってるんだ、どうして?」

「薫に聞いてるから」

薫に聞いたことはないが、知り合いらしい。

「そうなんだ。・・・ごめん、ちょっと急いでるんだ。今度は、学校でお話ししましょ。じゃあ・・・」

乃菊は、また目的地へ向かって走り出す。とにかく夢中で走った。

若い乃菊だが、長距離選手でもないから、最後はフラフラしながら交番にたどり着いた。

「ハア、ハア・・・ごめんください、誰かいませんか?」

中へ入ったが、誰もいない。

「誰かいませんか!」

もう一度大きな声で呼んでみる。

「ごめん、ごめん・・・」

奥から人が出て来た。

「こんな時間だから、ちょっとお茶を飲んでたんだ」

あの時の警官だった。

「あれ、君は・・・」

「大変なんです、すぐ来てください!」

乃菊は、息を切らしながらも、しっかりと話す。

「どうしたんだ、そんなに慌てて」

「慌ててなんかいません」

「そうか?君、パジャマ姿だし、膝も怪我してるぞ。大丈夫か?」

「そんなのどうでもいいから、早く来て、美なみたちが熔けていなくなっちゃったの!」

「落ち着いて話しなさい。何のことかさっぱりわからないよ」

「だから、人が熔けてどこかに消えたの!」

警官は、乃菊の肩を掴む。

「とにかく落ち着きなさい。君がまともな女の子だって言うことは、僕も知っている。しかし何があったかは知らないけど、内容によっては、頭がおかしいのかと思われちゃうよ」

「何があったかって、さっきも言ったでしょ、人が熔けて・・・」

「そこがいけない、人が熔けるって言うこと自体がおかしいんだよ」

「何で信じてくれないの、ホントに人が熔けちゃったんです!」

「熔けるって、どんなふうに?」

「あの、こんな変な塊が、グニュグニュって動いて、ドロドロって溶けて、身体がグニョーンって伸びたり、縮んだりして、どこかに消えちゃったんです」

乃菊は、身振り手振りの説明するが、まったく伝わっていない。警官は、椅子に座って机を指で叩く。

「えーと、菊野さんだったよね。その椅子に座りなさい」

乃菊は、椅子に座る。

「嘘じゃないんです。とにかく来てください。昨日も人がいなくなったでしょ」

乃菊の睨む顔に少し怯んだ警官は、背筋を伸ばして座り直す。

「確かに人がいなくなったのは事実だ。そして君が知ってて当然の話だ。しかしいなくなった理由が、熔けちゃったじゃ、話にならないんだよ。そんな話を誰が信じると思う?」

「お巡りさん、名前は?」

「俺は、村田だ!」

「じゃあ、村田君。もし私の言ってることが本当だったら、信じなかったあなたは、非難されますよ!」

「誰に?」

「私に・・・」

「ブッ!」

噴き出して笑う村田。

「君、今、何気なく聞いていたら、僕のことを村田君って言っただろ。君は、高校生で、僕は・・・」

「お願い、1分でいいから私に付き合って!」

拝むように頼む乃菊。

「気味が、高校を卒業したら付き合ってあげるよ」

バシッ!村田は、乃菊にひっぱたかれた。

「何するんだ、公務執行妨害で逮捕するぞ!」

「逮捕しなさいよ!あなたに誘惑されたってわめくから」

「勘弁してくれよ、そんな話を聞いた僕に、何をしろと言うんだよ、まったく」

村田は、ハンカチを取り出し、汗を拭う。

「だから、どこへ行けばいいんだよ」

「クラスメイトの家・・・」

村田は、しかたなく立ち上がった。


町外れの廃屋に、制服を着た女学生が現れた。暗い中アプローチを進み、玄関の扉を開けて中へ入る。

全てが見えているかのように廊下を歩き、迷うことなくある場所を目指す。

ガチャッ。浴室の扉を開ける。女学生は、中へ入ると浴槽のふたを開ける。窓から差し込む月明かりが、浴槽の中でうごめく黒い液体をより一層不気味にする。

「た、す、け、て・・・」

「だ、し、て、く、れ・・・」

「こ、わ、い、よ、お・・・」

微かにそんなうめき声が聞こえる。

女学生は、ポケットから出した黒い塊を、浴槽の中に投げ入れた。

「あなたたちのお仲間よ・・・」

浴槽の中の液体が増えたようだ。その中から一部がわかれて、浴槽の縁を伝って外へ流れ出る。そしてその液体は、しだいに集まって小さくなって固まっていき、黒い石に戻った。

女学生がその石を拾い上げる。

「た、す、け、て・・・」

そんな声も聞こえないかのように、女学生は、無表情で浴室を出て行く。・・・その様子を、浴室の奥の壁を背にして立っていた髪の長い髪の女が、終始無言で眺めていた。


パトカーが、東堂家の門の前に停まった。

「君が、この家の美なみと言う同級生に誘われて、泊まりに来ていたと・・・」

二人は、門を抜け、玄関までのアプローチを進む。明かりは点いているが静かである。しかしこんな時間なら当然だと、村田は思う。

ピンポーン。村田がドアホンを押す。

「開いてるよ」

乃菊がそのまま出て来たから当然である。

「ホントだ。しかし人の家だから、一応確認はしないと・・・」

村田は、扉を開ける。

「ごめんください・・・」

「だから、みんな熔けちゃったからいないよ」

「まだ言うか」

村田は、丁寧に靴を脱いで上がって行く。

「こんな時間に、明りが全部点いてるぞ!」

「私が点けたの」

乃菊は、そろそろと進む村田に、少々疑惑を抱く。

「わっ!」

「うわっ!」

村田が急に背中を叩かれ、飛び上がりそうなくらい驚いた。

「村田君、怖いんですか?」

「そ、そんなことはない。もしも万が一、君の言ってることのほんの一部でも事実だった時のことを考えて、慎重に行動していただけだ。・・・村田君と言ったな、村田、さん、と言え」

「結局、怖いってことでしょ・・・」

乃菊は思う。

「いないな、おかしいな。・・・どこかへ旅行に行ったのかもしれない」

「夕食を一緒に食べました」

・・・とりあえず、前日の行方不明の件もあり、村田は、警察署に連絡した。

「人が熔けたなんて言うなよ。気がついたらいなくなっていたと言うんだ」

「私、嘘つけないよ」

「そんなことはいい、君が気がふれていると思われるか、容疑者として疑われるだけだぞ」

「わかったけど、この事件には、連鎖があると思うの」

「どんな?」

「今までにいなくなった人たちには、ほとんど繋がりがあって、まだ関係している人が他にもいる。このままだと、また誰かが熔けちゃうかも・・・」

「そうなのか、じゃあ、どうする」

「明日、学校が半日だから、午後付き合ってくれる?」

「僕は、警察官だぞ。・・・そうだ、明日は、非番だった」

「じゃあ、決まりだね」

乃菊がニコリと笑う。

やがて警察官たちがやって来て、検証が行われた。


- 見える -


翌日の午後、乃菊と村田は、例の廃屋の前に立っていた。

「どうして、ここなんだ」

村田が、この町の交番勤務になって、一番訪れたくなかったのが、この廃屋だった。

「いなくなった同級生たちは、みんなここに来たの」

「だから、それと行方不明と何の関係があるんだよ」

「それを調べに来たんじゃない・・・」

「こんなところに、行方不明になったみんなが、ぞろぞろと集まっているとでも思っているのか?」

「集まってるって、みんな熔けちゃったんだからいるわけないじゃない」

二人は、玄関の前に立った。

「そうだ、きっと鍵がかかってるだろ」

「開いてるよ・・・」

乃菊がノブを回して扉を開けた。

「どうぞ」

村田が、恐る恐る中へ入って行く。

「みんながいないなら、何がいるんだよ」

「幽霊!」

村田が、背筋に寒気を感じる。

「そ、そんなもん、いるもんか!それに、今、昼間だし・・・」

「夜なら出るの?じゃ、夜にしようか」

「いや、今調べよう・・・」

二人は、廊下を歩いて行く。

最初の部屋のドアが現れた。

「開けるぞ」

村田は、唾を飲み込み、意を決して扉のノブを回す。

ギギーッ!扉を押すと耳障りな音を立てながら開く。

「見えないぞ」

窓から光が差し込んでいて、中が見えにくい状態だ。

「私が入る」

乃菊が、村田の脇を抜け、ススッと中へ入って行く。

「何もいないか?」

「幽霊しかいない」

「ゆ、幽霊がいるのか、こんな時間に!」

「あ、紙袋だった」

「嘘ついただろ?」

「うん」

「昨日、嘘つけないって言ったよな」

「そうだっけ・・・、とりあえず入ってみれば」

乃菊に促され、村田が中へ入ろうとする。

「誰だ!」

「うわっ!」

後ろから急に声をかけられた村田は、驚いてひっくり返る。

「村田君、どうしたの?」

乃菊が顔を出して、村田の様子を見る。

「村田さんと言え!」

「あなたたちは、誰ですか?勝手に入っちゃいけないでしょ」

「そう言うあなたは?」

「ここを管理している不動産屋の大丸です」

「そうでしたか・・・」

なぜか村田はホッとする。


ダイニングに連れてこられた乃菊と村田は、椅子に座る。

「以前、この町に赴任した時、先輩から、ここは、幽霊屋敷だから、何かあっても調べに行くなよっていわれたんだ。ま、僕は、幽霊なんて信じないけど・・・」

「信じないなら、怖がらなくたっていいじゃない」

「こ、怖がってなんかない!」

「幽霊屋敷って呼ばれても仕方ないですね。ここは、いわくつきの物件ですから」

「これ、どうぞ」

乃菊が、首にかけていたバッグから、缶ジュースを3本取りだ出す。

「あ、どうも」

「準備がいいんだな、菊野さん」

「ピクニック気分で来たから、お菓子もあるよ」

「君は、怖くないのか、こんなところでも・・・」

「怖いよ。だからみんなが入っても、私一人入らなかったんだから・・・大丸さん話してください」

「じゃ、頂きながら話します」

3人は、缶のふたを開け、一口飲む。

「二十数年前、ここは一度焼失して、立て替えられているんです」

村田は、ゴクリと、喉に止まっていたジュースを呑み込む。

「その焼失した時に、あなたと同じくらいの学生さんが二人、焼死体で発見されたんです。そしてその場にいた、亡くなった学生さんの双子の姉が、同級生に殺されたって訴えたんだけど、聞き入れてもらえず、残された一家で引っ越したそうです。噂では、その子、気がふれたそうで、時々、立て替えられたここの前に立って、妹の名前を呼んでいたそうです」

「それが原因で、幽霊屋敷って呼ばれるようになったんだな。結局、幽霊が出るわけじゃないんだ」

村田は、腕を組んでうんうんと一人で頷いている。

「それもそうなんですけど、そもそも焼ける前から、女の幽霊が出るって言って、ここを借りた人が、数日も経たないうちに出て行くことが繰り返されて、幽霊屋敷だって呼ばれてたんです。焼けた後も、契約をしてもキャンセルばかりで、ずっとこの状態なんです。良かったら、買いませんか?」

「と、とんでもない!」

即答する村田。

「村田君」

乃菊が立ち上がる。

「買わないぞ!」

「この事件の真相は、幽霊屋敷で肝試ししようとここに入った人たちが、何かに祟られて、幽霊の配下の液体によって、熔けちゃったんだ」

村田は、がっくりする。

「また熔けちゃうって話か・・・」

しかし、大丸から気になる話が飛び出す。

「熔けちゃうって言えば、その焼けた時に、消防士さんが、建物のどこからか、ドロドロとした黒い液体が出て来て、すぐに固まって石になったって言う話をしたら、みんなに馬鹿にされたそうなんだけど、その石を双子の姉がもっていったとも言ってました」

「石?」

乃菊が頭に浮かんだことがあった。

「ドロドロなんて、君の言うこともまんざら嘘じゃないかもしれないね」

「だから、嘘じゃないってば、村田!」

「さんをつけろ」

乃菊が、大丸のところへ行く。

「ところで、同級生に殺されたって言ってた、その同級生の名前は、わかったんですか?」

「大きな声では言えないんですけど、その中に東堂さんの名前があったんです」

乃菊も村田も衝撃を受ける。

「知ってますか、東堂さん。その当時、父親が町の有力者だったんで、他の学生たちの分ももみ消したって言う噂でした」

「わかった!」

乃菊がポンと手を叩くが、今度は村田も真剣に聞こうとする。

「今回の熔けて行方不明になった人たちは、肝試しをした子供たちと、焼けた時に関わっていた親の人たちなんだよ。だから焼けた時に亡くなった人の幽霊が、人を熔かす石を使って、復讐してるのよ」

「本当にそんなことがあるんですかねえ」

大丸も半信半疑である。

「もう知らん!そんなこと警察が捜査出来る話じゃない。僕はお手上げです」

村田は、嘘でも本当でも関わりたくないのだ。

「あっ、いけない!そうすると、まだ残っている人がいるから、またドロドロにされちゃう」

乃菊は、村田を見る。

「な、何だよ」

村田は、横を向く。

「私、薫のところへ行って、復讐に加担してる石の持ち主を捜してくる。だから村田君、佐々丘千佳親子のところへ行って、親のどちらかが、東堂さんと同級生だったか聞いて、守ってあげて。次に狙われるのは、千佳か薫、それとも二人とも」

「僕は、佐々丘さん知らないし、当然家も知らないし・・・」

「お前、警察官やろ、そんなことしらべれんかー!」

「それに、守れって言っても、熔けちゃったら困るし・・・」

「大丈夫!私、熔けなかったから。熔ける人と熔けない人がいるんだと思う。・・・たぶん」

「たぶんじゃ困る。やっぱり、家知らないし・・・」

「はい」

大丸が手を上げる。

「大丸君、何でしょう?」

「佐々丘さんの家を知ってます」

「良かったね、村田君。行ってらっしゃい」

乃菊が行動を始める。

「じゃ、大丸さん、村田君を連れてってください」

「はい、わかりました」

村田も渋々動き出す。

「どころで、どうやってみなさんは、ここに入ってるんでしょう。いつも施錠してるのに」

「それは簡単です。中から幽霊が開けて、みんなを入れさせるんですよ」

乃菊が玄関で靴を履きながら答える。

「そうなんですか・・・」

村田は、二人の話が聞こえないように耳をふさいでいる。

「村田君!早く行った方がいいですよ。夜になったら出ますから」

乃菊は、そう言って外へ出て行った。

「行きましょう。ところで、村田さんは、本当に警察官なんですよね」

「そうです!今日は、非番だったんです。休まなきゃいけないのに、あの子のせいで・・・」

二人も外へ出た。


乃菊にも真相が徐々に見えて来た。しかし、助けられるか同課は、乃菊にもわからなかった。


- 倒れる -


乃菊が薫の家にやって来た。

「薫!おばさん!いませんか?」

何度ドアフォンで呼んでも応答がない。

「きっと、あの子が持っていた石が、みんなを熔かした液体になるんだ・・・」

薫から乃菊の名前を聞いたと言っていた南多紗穂里。薫に聞けば、居場所がわかると思ってやって来たが、思惑が外れてしまう。


日が暮れてしまった。村田の気持ちも暗くなる。いや、気が重くなる。

「留守ですかね、出ませんね」

村田と大丸も、佐々丘千佳の家のドアホンを何度も押している。

「どこかへ行っただけならいいんだけど」

「そう言えば、ここのご主人も、東堂さんと同級生だった・・・」

大丸の言葉に、村田は、背筋が寒くなった。

「すみません、仕事が途中何で、私は、ここで失礼します」

大丸が帰ってしまう。一人になった村田は、途方に暮れる。


佐々丘千佳が、死人のような顔をして乃菊の前に現れた。

「千佳、どうしてここに?警察の人行かなかった?」

「・・・」

乃菊は、涙を流し、放心状態の千佳の肩を揺する。

「しっかりして、何かあったの?」

「パパが・・・」

「お父さんがどうかしたの?」

千佳が返事をしない。

「き、菊野さん!」

乃菊は、千佳の向こうに、村田がいることに気づいた。

「村田君、どうしてここに?」

村田が、角の向こうの家を差しながら言う。

「佐々丘さん、そこの家なんだけど、留守なんだ」

千佳は、ここにいる。

「薫とは、近所だったんだ」

乃菊が話しかけても、千佳は、目がうつろで話すこともしない。

「菊野さん!!」

村田が腰を抜かしたかのように、道路で膝をついている。

「パパが、熔けちゃった・・・」

「お父さんが・・・?」

「ウウウッ!」

「どうしたの?」

千佳の顔色が変わった。

「菊野さん、危ない!」

村田が、また叫ぶ。

千佳の両肩を掴んでいた乃菊も異変に気づく。千佳の身体急に重くなった。いや、身体が下がって行くから重く感じるのだ。

「私も熔けてるみたい・・・」

乃菊は、千佳の肩を掴みながら自分も腰を下ろして行く。千佳の下半身があの黒い液体に浸食されているのだ。

「千佳!」

「離して、あなたも、熔けちゃうよ・・・」

ドロドロと浸食してきた液体が、胸の辺りまで来る。

「助けられなくて、ごめん・・・」

乃菊は、手を離す。千佳の肩から上が、黒い塊の上にボトンと落ち、涙を流した千佳の顔も黒い塊になる。

「千佳・・・」

乃菊は、助けられなかった自分に憤りを覚え、力なくその場にしゃがみ込んだ。

「だ、大丈夫か?」

村田がフラフラと近寄って、乃菊と同じようにしゃがみ込む。

「本当だったんだ、君の言ってたことが・・・」

「だから、信じないと非難されるって言ったでしょ」

「誰に?」

「私に・・・」

乃菊は、バタンと後ろに倒れた。


- 終わる -


「あっ!あの黒い塊は、どこ?」

乃菊は、起き上って辺りを見回す。

「どこへ行ったんだ」

村田も見回すが、どこにもいない。

「あっ!」

乃菊は、視線を感じて後ろを見る。数十メートル先の電柱のところに人がいた。

「あの子だ!」

「誰?」

「石を持ってた同級生!」

電柱の陰に南多紗穂里が立っている。

「石って?」

「さっきのドロドロした液体が固まった石なのよ」

「どうしてあの子が持ってるんだ」

「たぶん、双子のお姉さんの子」

「何でわかる?」

「勘!」

「そうか・・・」

村田が乃菊を立たせる。

「あっ、あの子がいない!」

電柱のところに、紗穂里の姿がなかった。

「行くよ、村田君」

「どこへ?」

「あの廃屋よ。薫もあの子もいる気がする・・・」

「こんな時間いかい・・・」

「出るなら、出て来い!・・・くらい言えない?」

乃菊が、村田の腕を掴み、歩きだす。


薫と母、晴佳が廃屋の玄関前にいた。

「お待ちどお様、中へ入って」

紗穂里がやって来て、二人を廃屋の中に入れる。

廊下を進む三人。静かな廊下は、板を踏む音だけが響く。

紗穂里が奥の部屋の扉を開ける。蝋燭の明かりがいくつかあり、何とか歩いて進める。

部屋の奥に人がいる。それも車椅子に座った女である。

薫たちを呼びだしていた紗穂里は、すでに車椅子の母、しの華を廃屋まで連れて来ていたのだ。

薫と晴香は、肩を抱き合いながら、何が始まるのかを不安な気持ちで待っている。

「もう少し待っててね、きっとお客さんが来るから・・・」


「またここに来てしまった・・・」

村田の呟きである。

「さあ、きっとここにいるから、入ろう」

乃菊が扉を開ける。

「どうかいないでくれ、どうか何も起こらないでくれ」

村田の願いは叶うのか。

二人が中に入ると、あちこちに蝋燭の明かりがある。

廊下を進む乃菊と村田。途中の部屋の扉を開け、中を確認する。

「ここにはいない」

次の部屋へ向かう。

「こっちよ、菊野さん」

奥の部屋の前に、紗穂里が立っていた。

「あなたなら、ここへ来ると思ったわ、どうぞ・・・」

「誘き出されたってこと?」

「ううん、来て欲しかっただけよ」

紗穂里が中へ入って行く。

「そう・・・村田君、お先にどうぞ」

廊下に残されるのは嫌だったので、村田は、そそくさと部屋へ入る。

「・・・」

部屋に入ろうとした乃菊は、強い視線を感じて、背筋に冷たいものが走る。こんな感覚は、珍しい。

乃菊は、その視線の先を目で探る。

「!!」

長い髪の女が、廊下の先に立っている。顔は判別出来ないが、乃菊を睨む眼だけが異常にはっきり見える。

「菊野さん、来てくださいよ」

村田に手を引っ張られ、乃菊は、部屋の中へ入る。

「集まってくれてありがとう。私の母です」

紗穂里が、蝋燭の明かりの前に車椅子を押してくる。

「あなたは、いったい誰なの?私たちをどうするつもりなの?」

「紗穂里、母の秘密を教えるって、どういうことなの?」

紗穂里が蝋燭立てをもう一つ持って来て、車椅子の横に置く。

「私、の、なま、えは、南、多、しの、か・・・」

「もしかして・・・」

「母は、丹藤香華の姉、しの華なの」

紗穂里が、言葉を上手く話せないしの華に代わり、言う。

「あなた、本当にしの華さんなの?」

痩せこけて、幽霊のような姿になっているしの華。高校生の頃の面影などまったくない。

「晴佳、あなたは、他のみんなを利用して、香華を死に追いやった張本人。やっと恨みを晴らす時が来たのよ」

「私は、香華が死んだ時、ここには来なかったのよ」

「来なくても、あなたとし穂が首謀者だったこと、知ってるわ」

話しているのは、紗穂里である。

「菊野さん、しの華さんの話なのに、なぜあの子が自分のことのように話せるんだろう?」

「あの子が話してるんじゃない、しの華さんが話してるのよ」

「そんなの変じゃないか、確かに話してるのは、あの・・・」

「生霊なのよ、きっと」

村田は、訳がわからなかったが、背筋だけは、凍りそうなくらい寒くなった。

「ごめんなさい、あれは、事故なのよ。みんなが慌ててたから、火を出しちゃったのよ」

「お母さん、あの幽霊が言ってたことは、本当だったのね」

「そうよ、あなたのお母さんが、24年前、ここで妹の香華と香華の恋人で私も好きだった田城美喜久を焼死させたのよ」

床を黒い影が流れるように動いている。しかし誰も気づかない。

「お母さん、どうしてそんな酷いことをしたの!」

薫は、涙を流して訴える。

「薫、私も田城君が好きだったの。なのに私の前で恋人気取りする香華が許せなかったの。でも、驚かすだけだったのよ、殺したんじゃないわ、信じて・・・」

「お母さん・・・」

薫は、ショックでしゃがみ込む。

「あっ!菊野さん、あれっ!」

村田が指さす先に、黒い塊がドロドロと流れながら進んで行くのが見えた。

「イヤッ!何なのこれ」

「触っちゃ駄目!離れなさい!」

乃菊が薫のところへ行こうとする。

「あっ!」

乃菊の身体が、吹き飛ばされたかのように後ろへ飛んで、壁にぶつかった。

「か、薫・・・」

「乃菊さん、大丈夫か?」

「村田、薫を助けて・・・」

「えっ!」

村田は、戸惑ったが、ここは、男である。いや、警察官であることを思い出した。

「こら待て!」

結果は、乃菊と同じだった。

「やめてください!」

乃菊が、しの華と紗穂里に向かって叫ぶ。

「ち、違う!」

乃菊は、二人の後ろに長い髪の女がいることに気づいた。

「いやあ!」

薫の足に、黒い塊が喰らいつくように被さり、うねうねと浸食を始める。

「薫!」

晴香は、立ったまま動くことも出来ない。

「お母さん、助けて!」

晴佳に向かって手を伸ばす薫。しかし、足、腰、胸と次々に黒い塊に浸食されていく。

「薫・・・」

乃菊も何も出来ない。

「おか、あ、さ、ん・・・グゴボッ!」

口から塊が噴き出す。黒くなった薫の頭が、ボタリと塊の中に落ちた。そして今度は、晴佳の足元に向かう。

「た、助けて、お願い!何でも言うこと聞くから・・・」

「じゃあ、娘と一緒になりなさい。母親でしょ」

「助けてと言ってるのよ!」

晴香は、壁まで下がるが、黒い塊は、広がって囲むように動く。

「私たちの両親は、子供を失った悲しみで、次々と亡くなったわ。あなたなんか生きる資格なんてないのよ!」

「しの華さんやめて!こんなことしてるのは、あなたじゃない!紗穂里さんもあなたも操られてるだけなのよ!」

ガタッ!ヒュン!

「イヤッ!」

蝋燭立てが倒れて回転して飛び、蝋燭のとれた先が、乃菊の腿に刺さった。

「乃菊さん!」

「キャアアアッ!」

晴佳の足を黒い塊が這いあがって行く。

「助けて、助けて!」

しかし、どんどん塊は浸食していき、あっと言う間に首まで達する。

「ウアガガッ!グボッ!」

口、目、鼻の穴から黒い塊が飛び出し、晴佳の頭は、破裂して無くなった。

「許さないぞお!」

乃菊が、腿に刺さった蝋燭立てを自分で引き抜き、やり投げのように投げる。

蝋燭立ては、しの華と紗穂里の間を抜けて、奥の壁際に立っている髪の長い女を貫通した。

ドン!しかし蝋燭立ては、壁に突き刺さり、同時に女の姿が消えた。

「畜生!」

「菊野さん、ちょっと言葉が・・・」

村田は、乃菊の肩を掴んで支える。

「何だか臭いぞ!」

煙が出ている。嫌、煙だけではなく、炎もだ。

「か、火事だ!」

村田は、乃菊を引きずるように、扉のところへ連れて行く。

「お二人も逃げてください!」

「村田君、あれ・・・」

激痛が走る乃菊は、そこまでしか言えない。

「何?」

薫と晴佳を呑み込んだ黒い塊が、炎の中、しの華のところへ向かっている。

その時、車椅子に座っていたしの華が、紗穂里を突き飛ばす。

壁にぶつかった紗穂里は、そこで正気に戻る。

「お母さん!」

しの華は、立ち上がった。

「紗穂里、ごめんなさい。今まであなたにつらい思いをさせて来たわ。私も母親失格ね」

「あなたは、復讐するために、生霊になって娘さんを操っていたんですか?本当にそんなことが出来るんですか?」

村田が聞く。

「私だけじゃないわ、きっと香華の例も私にとり憑いていたのよ。それにもう一人・・・」

「お母さん・・・」

「でもこれで、やっと妹たちのところへ行けるわ・・・」

「間違ってますよ、娘さんは、これからどうするんです」

村田が警察官らしくなった。いや、乃菊がとり憑いたのか?

「ごめんね、紗穂里、さようなら・・・」

「嫌よ!私もお母さんと一緒に行く!」

しかし、しの華の身体も黒い塊に呑み込まれていく。

「お母さん!」

紗穂里が塊に手を伸ばす。

「紗穂里さん、お母さんの分まで生きなさい」

這うように進んで、乃菊が紗穂里の手を握る。

「嫌よ、私も一緒に死ぬの・・・」

動こうとしない紗穂里。しかし炎の勢いは増すばかり。

「もう駄目だ、外へ出よう!」

「村田君、先に行ってて!」

「村田さんと言え、駄目だ一緒に行こう!」

「大丈夫だから、紗穂里さんを必ず助けたいの。早く行って、村田君も熔けちゃうよ」

そうまで言われると返す言葉がない。

「必ず、戻れよ!」

「うん」

仕方なく、村田は外へ出る。

「お母さん・・・」

部屋は激しく燃え上がるが、炎を遮るように、黒い塊が手を広げるように大きくなる。

「お母さん!」

黒い塊にも炎が移る。紗穂里は、乃菊の手を振りほどき、黒い塊の中に飛び込んで行く。

「駄目よ!」

乃菊も這いながら、黒い塊のところへ行き、まだ吸収されていない紗穂里の足を掴む。

「キャッ!」

燃え落ちた天井が、広がっていた黒い塊の上に落ち、乃菊と紗穂里にかぶさるように倒れた。


「菊野さん、早く出てくるんだ!」

村田は、建物の外をうろうろと走りまわり、中の乃菊に声をかける。


「た、す、け、て・・・」

「だ、し、て・・・」

「たす、け・・・」

浴槽の中にうごめく黒いドロドロした塊たちも、炎に包まれていた。


「あっ!」

勝手口に回っていた村田が、壊れた扉を押しのけて黒い塊が這い出して来るのを見つけた。

「菊野さん、熔けちゃったのか?」

流れ出る塊の中から手がはみ出している。

「菊野さんだ!」

村田は、近寄って恐る恐る乃菊の手を握る。

「わっ!」

乃菊の手が強く握り返して来た。驚いて腰が抜けそうだったが、生きているならばと両手で綱引きのように引っ張った。

「俺は、村田だああー!」

力一杯引っ張ると、ドロドロとした塊の中から乃菊の顔が現れた。そしてさらに引くと、乃菊に抱かれた紗穂里も見えて来た。

「二人分か、この重さは!」

男だけに、力だけはある村田が、ヨイショ、ヨイショと、二人を塊から引き出す。

塊の半分は、燃えていた。熱さにも耐えながら、村田が何とか二人を勝手口の外へ引きずって行く。

黒い塊は、それを確認したかのように、二人が助け出されると、また廃屋の中へ戻って行く。

炎の中をスルスルと燃えながら進み、浴室の中へ入って行き、燃え上がる他の塊が入っている浴槽の中へと、死に場所と決めていたかのように入って行き、燃える。


「お母さん!」

燃え上がる廃屋を見ながら紗穂里が叫ぶ。乃菊が包み込むように抱いている。

「良かった無事で・・・」

村田は、一安心だ。

「どう報告するつもり?」

「これは、誰にも解明できないミステリー、迷宮入りだよ。報告できることなんてないよ、まったく」

「駄目な警察官ね」

「君には、言われたくないよ」

消防自動車が、あちこちから集まって来た。


焼け落ちた廃屋を、三人は、見て回った。

「あっ!」

浴室があった場所に、あの石があった。紗穂里は、それを拾い上げる。

「熱くないのか?」

紗穂里は、それを握って涙を流す。

「紗穂里さん、その石は、私が処分する。あなたは、もう忘れなさい」

乃菊は、紗穂里から石を預かった。

「村田君、紗穂里さんの保護者になってね」

「えっ!」

「この人、これでも警察官だから、少しは頼りになるよ」

参院は、焼け落ちた廃屋を後にする。


- 眠る -


「お父さん、おやすみ」

乃菊は、部屋に戻って布団を敷く。

「イタタタッ!」

手当はしてもらったが、傷の痛みは消えない。

「結局、誰も助けられなかったな・・・」

乃菊は、掛け布団を被り、天井を見る。

「紗穂里さんと、友達になろうかな・・・」

乃菊は、横を向いて、机の上のあの石を見る。

「そうしよ・・・」

乃菊は、目を閉じる。


「!!」

足を掴まれた。乃菊は、掛け布団をはがす。

長い髪の女だ。

「私にとり憑くつもり!」

女は、例のごとく眼だけがはっきり見え、乃菊を睨んでいる。

「ここへ来たのは、間違いよ」

乃菊は、身体を回転させ、机のところまで行き、引き出しを開ける。

ガシャッ!女が勢いよく引き出しを閉める。

「アアッ!」

指が挟まれたままの乃菊。血が噴き出す。

「コラッ!指がちぎれるだろ!」

もう一度力一杯引き出して、中にあった布袋を握る。

今度は、後ろから乃菊の首を絞めた。

「ううっ!」

女の冷たい手が、乃菊の首に食い込んでくる。

「うひひ、うひひ・・・」

「わた、しは、うれし、く、なん、か、ない、よ・・・」

ゴン!女は、首を掴んだまま、乃菊の頭を机にぶつけた。

「イター!」

乃菊の額から血が流れ出る。

「コノー!もう許さん!」

乃菊は、力一杯回転して、肘を女の腕にぶつけた。女は、転がったがすぐに向き直って、乃菊と正対する。

「出て行け!」

乃菊は、窓を開ける。しかし、出て行くはずがない。

「うひひ、うひひ・・・」

女がまた飛びかかってくる。

乃菊は、持っていた布袋から、石のネックレスを取り出し握る。

「私のお守りよ」

首を絞める女の額に、乃菊は、ネックレスを持った手を押しつける。

「ウギャアアー!」

女は、つむじ風のように回転して、窓から飛び出して行った。

「はあ・・・」

乃菊は、乱れた布団の上で、大の字になる。

「乃菊、どうした?」

父親が、乃菊の部屋にやって来た。

「すごい寝相だな」

散らかっている枕や掛け布団を見て、父親が言う。

「トレーニングしてたら、事故っちゃって、救急箱取って来て」

「わかった。もう少し手加減して、トレーニングしろよ」

「はーい」

父親が部屋を出て行く。

「ああ、怖かった・・・」

乃菊は、そのまま眠った・・・。




                   おわり


















































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