ただいまログアウト中。
『格下狩っといて何ほざいてんのw』
「はぁぁぁぁっ!?」
千夜子 (ちやこ)は、彼女がメッセージを送ってから丸々一日以上経ってからようやく届いた相手からの返信に、思わず怒声を上げながら濡れ髪を拭っていたタオルを、ベッドの上に叩きつけていた。
現在時刻、夜の十時。
千夜子は無言のまま右手で操作していたケータイに、タオルを手放した左手を添えて改めて画面の中のメッセージ欄を読み直した。失礼極まりない台詞は相変わらずそのままだし、しばらく待っても続きのメッセージが書き込まれる気配さえ無い。
「……最っ悪……!」
悪態を吐きながらも、千夜子は相手と同じレベルに落ちてなるものかと、丁寧な言葉遣いのままでこのゲームの中で最後になるであろうメッセージを高速で認めた。
『あなたの行いはとても理不尽であり、迷惑な行為のせいで私は大変不愉快な思いをしました。
私は怒っているのだから、多弁になって当然であり、先のメッセージではあなたの行いのどの点がマナーに反する行為であったかを、分かり易く挙げました。
頻繁にオンライン状態を繰り返しながらメッセージを長らく無視し、正式な抗議をしてきた相手に対しての返答がその一言ですか』
正直なところ、苛立たしい相手の為を思って敢えて苦言を呈するだとか、諌めて学んで欲しいといった慈愛精神など、千夜子は持ち合わせていない。
その感情はいわば、納得のいかない商品を買ってしまったが故に、消費者サポートセンターにクレームのメールを送りつけて、それでようやく心を落ち着かせられる傍迷惑な駄々っ子のようなものだ。
鼻息も荒く高速で書き込み、そのまま他のプレイヤーに持っていた装備品をバラまいて退会処理の準備に勤しんでいた千夜子のメッセージ欄に、
『話ムダにながっwwwwww』
そんな一言が返ってきた。返信がきたからには読んでくれたのかと胸を撫で下ろすか、こんな一言であるのならば無い方がマシだと感じるか。千夜子は確実に後者である。最早言うべき言葉も見当たらずにそのまま退会ボタンをクリック。
「ゲームはゲームでも、画面の向こうには生身の人間が居るって、その当たり前な部分を理解して欲しいのよね」
『本当に退会しますか?』の確認の問い掛けに、コンマ0.1秒も躊躇わずに『はい』をクリックし、『退会処理が完了しました』の無機質な一文を流し読みして電源ボタンを押してネットワークを一旦切断。お気に入り画面を呼び出して登録してあったそのゲームのトップ画面を削減した。
数多あるネットの海の中、これでもう、千夜子が再びあのゲームの名前を見かける可能性は格段に下がる。
その名前を見たせいで、プレイ中に体験した忌まわしい出来事を思い出す事は無いし、間違えてクリックする可能性も減る。
ブックマークされていた期間は、僅かに一週間という儚い命であった。
「ま、PK戦メインの無料ゲームだし、こんな事もあるわ」
千夜子とて、向こうがただ一言、例え特有の軽い調子であろうとも非を認めて、
『メーワクかけてゴメン』
とでもサッサとメッセージを送ってくれていたならば、あのような嫌味ったらしくも長い文章は送らなかったし、
『いえいえ、誰だって勘違いはありますよ~。お互いに気を付けましょ?』
とでも、軽く返していた筈なのだ。
ゲーム内で拗れたトラブルとは、千夜子操るキャラが例の失礼発言のキャラクター……の、サブのプレイをワザと邪魔したと早合点し、『うちのサブを弱い者イジメしてきやがって、メインで仕返しに延々PKしたる』などと、いわゆる粘着をされたというお粗末なもの。
オンラインゲーム特有のラグにより、当人は意図せず他のプレイヤーの行動を阻害してしまう場合もあり、何よりもゲーム状況は刻一刻と変化するものである。試合結果と相手の現在Lvしか表示されぬゲームシステムに、対人戦を必ず仕掛けなくては先に進めない展開。自らの流儀である『集中的なLv上げに勤しむ』というプレイスタイルを貫いても大丈夫であろうかと、一抹の懸念を抱いていた千夜子であったが、案の定早合点する想像力欠如プレイヤーと行き合った。
どんな風に遊ぶかは人それぞれ。色んなゲーマーが遊ぶRPGなのだから、一思いにLvアップの工夫を考案するプレイヤーが居て当然であるという事が、何故思い浮かばないのだろう。
粘着に掛ける時間をほんの少し、対象の現在ステの観察に傾けて経過を見守っていれば、すぐに察せられる事象であるというのに。自らの目で事実確認をし、言葉によって責任の追及をする意志さえ放棄するなど、理性的な人間としてあるまじき諸行だ。
「無料で配信されてるモバイルゲームって、やっぱり私には合わないのかなあ……」
ケータイを充電器に挿した千夜子は、髪の毛をドライヤーで乾かしながら無意識のうちに呟いていた。
かといって有料であれば良い、という事でもない。楽しいと感じるゲーム環境は、月額ゲームであろうともそうそう発掘出来るものでもない。
ちょっとした時間を、ケータイで遊べるゲームを探しているのは、単なる通学時間の暇つぶしである。どちらかというとゲーマーである、と自覚している千夜子は、どうせ電車を利用する時間があるのならばゲームをしていたかった。
携帯ゲーム機を持ち運べたなら問題は簡単に解決するのだが、彼女の通う高校はゲーム機の類いは御法度。持ち込んでいる事がバレたら、容赦なく没収されてしまうのだ。高価で、精密機器で、今遊ぶからこそ楽しいゲームを!
立派な貴重品を奪い去られる危険を犯す訳にはいかないと、常に持ち歩いているツールに目を付けたまでは良かったのだが、ゲーマーである千夜子が今まで、モバイルゲームにさして食指を動かされなかったのは伊達ではない。
据え置き型テレビゲームや、一本のソフトに数千円も支払う携帯機と比較してはならないという事は理解していたが、モバイルゲームは楽しめるか否かがパッと見では分からない。
取り敢えず、無料で遊べるゲームを幾つかプレイしてみた千夜子だったのだが、プレイヤーのマナーに首を傾げてしまうようなサイトが非常に多い。何よりも、利用無料と掲げておきながらゲームそのものを殆ど遊ばせてくれず、焦れたユーザーに課金アイテムを買わせる下心が見え見えの運営サイト……
これはあくまでも、ゲームなのだ。
気分を害されたり、遊ぶ気が失せるようなゲームシステムを提供しているサイトにいつまでもアクセスしているほど、千夜子は暇では無い。
ゲームとは贅沢な時間の浪費であり、娯楽性に嫌悪感が紛れ込むようでは、費やされた彼女の時間がドブに捨てられるも同じ事。プレイヤーが『興味と時間と情熱』を傾けられるに値するゲームであるならば、課金アイテムだって気持ち良く買おうという気にもなる。
だがしかし。
「結局は消費者って、ワガママなのよね」
どんなゲームも、運営側にとっては商売なのだから採算がとれなくては提供出来ない。薄利多売が基本なのではと推察されるモバイルゲームでは、きっと広告費用だけでの遣り繰りは難しいのではなかろうか。
全国津々浦々の、クレームの対応に追われて神経をすり減らしているであろう窓口の方々に、千夜子はそっと心の中で両手を合わせた。
(でも世の中、好みは人それぞれとはいえ、これはヒドいと感じるゲームが多過ぎると思います)
だからこそ千夜子は、ここ数年間モバイルゲームからは遠ざかっていたのだけれど。すっぱり見切りを付けた方が良いのだろうか。
ドライヤーのスイッチを切って定位置に仕舞い、湿気が飛ばされてふんわりと柔らかくなった髪の毛を緩く編んだ千夜子は、ベッドに横になるとさして減ってもいなかったバッテリーの充電が完了しているケータイを取り上げ、ネットの海にダイブした。
インターネットの世界でも、モバイルからのアクセスへの対応が急速に進んでいる近年、千夜子が初めてケータイを手にした十年近く前と比較すると、本当に様々なモバイルサイトが増加してきたように感じる。
といっても当時は、千夜子がケータイを持つのは通話とGPS機能や迷子防止、一人での留守番を見越してであり、インターネットの機能や利便性を理解して頻繁にアクセスするようになったのは、小学校の中学年辺りからだが。
自分のパソコンを持っておらず、ケータイからネットにアクセスする学生は多い……と千夜子は想像している……が、寝る前に布団の上で転がりながらケータイをぽちぽちと弄るのは、なかなかに楽しいと思っている。
ゴロゴロしながらお気に入りのサイトを幾つか見て回っていた彼女は、美麗なイラストに思わず釣られて何気なく広告バナーをクリックしてしまった。
軽はずみに過ぎる、そんな行動は慎まなくてはいけないと思いつつも、これがなかなか抜けない癖だったりする。
そしてまたしても、開いたサイトはモバイルゲームの一種。千夜子が閲覧していたサイト自体が、若者受けをしていそうなWebコミックサイトだったのだから、広告として実に有り得る。
「んーと、ただ今キャンペーン中ねえ……」
ゲームのトップページを眺めてみたものの、イラストは千夜子の好むものだったが、如何せん対人戦を……多対多のチーム戦であろうが、他のプレイヤーとの対戦を推奨して煽るタイプのゲームであった。
人の好みや遊び方は千差万別、しかしすっかり今日のやり取りでPvPに嫌気が差した千夜子は、そのサイトのゲームは見なかった事にして、クリアキーで戻ろうとしたのだが、画面下部のマイページなる表示に目が止まった。
「……私、このゲームはプレイした事無い筈なんだけど……」
怪訝に思いながらもクリックしてみると、『瀬那さんのマイページ』と表示され、何か派手な服を着たアバターや、公開プロフィール等は真っ白なままのページが表れる。
「瀬那 (せな)?……ああ、ああ!
あのゲーム、SNSの配信ゲームだったのか」
中学時代に、友人に誘われてなんとなく登録してみたはいいが、他のユーザーと交流を図ったり日記を書くつもりにもなれず、すっかり忘れ去ってブックマークからも消されたサイト。
登録名が瀬那なのは確か、本名を晒すのは避ける為と、実名よりも『こんな名前の方が良かった』という憧れの気持ちからだった。
「いくら利用料が掛からないっていっても、使ってないならユーザー登録って抹消した方が良いのかな、やっぱり」
肝心の、誘ってきた友人もこのSNSに関しては何も口にしてこないのだから、あっちも三日坊主にでもなっているのだろうか。リア友なのだから、わざわざここを利用しなくとも連絡は幾らでも取れる。
しかし、千夜子が登録した時点では先ほどのようなゲームは存在しなかった筈だ。もしも当初からあったのならば、まだ対人戦への忌避感を抱いていなかった彼女がプレイしていない筈もない。
「えっと、配信ゲーム一覧は……うわっ、何この膨大さ!?」
好奇心に駆られて探してみると、その多種多様なゲームに思わず絶句してしまった千夜子であった。それも、大部分が無料。
一つ一つは、たわいのないゲームなのだろう。だがそれも百を超える数が集まれば、それは慣れていない者の目には圧巻だった。
「……ケータイでのネット生活も、とんでもない勢いで進化してたのね……」
千夜子の知らないところで、同じように様々なものが発展していっているのだろうし、今宵は自身の情報収集力の低さをも露呈した結果であった。
そろそろ就寝時間なのだが、せっかくの縁だと、無料RPGの類いを覗いて回ってみた千夜子は、ケータイでのMMORPGの数に驚いてしまう。
「やっぱり、MMOって対人戦とセットなのかなあ……」
PvPを求める人種と、本当に遠慮したい人種できっちり住み分けが出来ていればまだマシなのだが、トップページの説明ではその辺りが不透明で、実際にプレイしてみなくては分からない部分もある。
そして今日ブクマから削除ったゲームは、頻繁に対人戦を仕掛けなくてはゲームが進まないという仕様でありながら、一言もその旨が明記されていなかった。
せっかくのネット、せっかく同じ時間に同じゲームを遊んでいるプレイヤーが居るのならば、競うより楽しく和気あいあいと助け合いたいと、そういった冒険をMMORPGに求めているのだと、千夜子は今日強く実感したのだ。
(きっと、パソコンで配信されているようなMMOになら、そういう趣旨のゲームがあるに違いないのに)
モバイルゲームで楽しく時間を潰そう作戦は取り止めて、通学時間は漫画や小説サイトを眺めていた方がマシかも……などと思い始めていた千夜子は、とあるMMORPGのアプリに目を留めた。
『強敵とでくわしても……他のプレイヤーに助けを求められる!』
『戦闘中にアドバイスが出来るぞ』
『対人戦実装予定』
「……今後実装予定って事は、今はまだ無いって事よね?」
利用料が無料である事を確認し、「よしっ」と軽く気合いを入れた千夜子はサクサクとキャラクター登録を済ませる。どうやらSNSのユーザー名が反映されるらしく、キャラ名は『瀬那』になったがそこはスルーしておこう。
過剰な期待は禁物、タダで遊ばせてもらっている身の上で楽しくないと感じようが、運営側を恨みはしない。肌に合わなければスルー、これ常識。
自分にとうとうと言い聞かせてから、千夜子は『瀬那』を操ってサクサクとチュートリアルをスタートさせた。
ゲームの基本操作や進行方法を学ぶチュートリアルで、多少のコツを掴んだ千夜子は自らのゲーマー根性を発揮して『一気にLvアップして突き進もうぜ』を実行に移すべく、早速ダンジョンに移動した。
「このゲーム、パーティ組むとかじゃなくて基本は一人なのね、なるほど……」
千夜子が独り言を零している間に、彼女が操るキャラである瀬那は、早速モンスターとの戦闘に突入していた。猪っぽいビジュアルで、ネームはそのままズバリ、イノシシ。
ヒーラーなのだからタフな戦いが出来ると踏んでいたの、だが……
「ありゃ。ダンナ、ここのモンスター、なんぞや強くないですかい?」
思わず架空のアドバイザーに向かって愚痴ってしまうぐらい、敵からの攻勢にヒーラー・瀬那は防戦一方。自動修復するサンドバックと化していた。
確か、こんな時にはヘルプコールだったなと、そのボタンをポチッとなとしてみた千夜子は、しばらく成り行きを見守ってみる。
「えっ、えっ?」
そして、戦闘ターンは経過しないポーズ画面のまま更新を繰り返してみると、どんどん戦闘画面に増えてゆく他プレイヤーの操るキャラクター、そして彼らが書き込んだとおぼしき流れるテロップ。
『助けに来た@アラン』
『ちょっ、Lv2でカルナ平原は無謀っしょ(笑)@恭』
『初心者さんはっけーんっ@けーちゃん』
『ショートカットしちゃった?(笑)@ユズ』
そして、思わぬ展開に千夜子があわあわしている間に、救援に現れた四人がかりで袋叩きの憂き目に遭った猪モンスターはあっさりと退治されて、画面には『WIN!』の文字と獲得経験値や通貨、ドロップアイテムの表示。
今の嵐のような出来事は何事だったのだろうかと、戦闘終了画面を上から下までじっくり眺めてみると、戦闘参加者の表記があり、個々の与えたダメージなどが閲覧可能な他、それぞれのプレイヤーのステ画面が確認でき、メッセージが送れるようであった。
「と、とにかくお礼言うべきだよね……えっと、『助けてくれてありがとうございます』と……」
カチカチと可能な限り迅速なキータッチで、それぞれにメッセージを送ってみる。
『困った時はお互い様~@ユズ』
『ノシ@恭』
『どういたしまして。こっちが困ってたらその時はヨロシク(笑)@けーちゃん』
ほとんど間を空けずに、それぞれから気軽な調子で返信が返ってくる。
Q&Aを読み直してみると、どうやら救援に駆け付けた方にも経験値や通貨が付与され、彼らにも等しくアイテムがドロップされる可能性もあるらしく、他プレイヤーをお助けした場合は特殊なポイントが加算されていくので、どんどん助けに行こうと書いてあった。
「……って事は、レアモンと遭遇した時にヘルプコールを出せば、お互いにすんごくお得って事か。
なんか良いかも、こういうの」
このゲームなら相性も悪くなさそうだし、そこそこ楽しめるかもしれないと笑みを浮かべた千夜子は、更に新着メッセージが届いている事に気が付き、そっと開いた。
『初めまして、俺も昨日始めた初心者なんだけど、カルナ平原は今さっき来たばっかりだよ。
Lv2でいったいどうやって来たの?@アラン』
まさか、チュートリアルをクリアしてLv2になるなりゲームバランスを平然と無視しての強行突破を試み、他のプレイヤーに助けを求めた無謀さんであるとは白状しにくい。
『初めましてアランさん。街道のモンスターを避けて進んでたら、次の街じゃなくてダンジョンに辿り着いていました!(汗)@瀬那』
大慌てで書き込んだ返信に、件のアラン氏は一言、『(笑)』と愉快な感情を伝えてきてから、
『瀬那さんはヒーラーなんだ? 俺ファイターだから、この辺ちょっと2人で組んで回ってみない?@アラン』
と、初心者同士一緒に行動してみようと誘いを掛けてきた。
アランの現在Lvは10、思いがけずパワーレベリングのチャンスだ。
千夜子は是非ともお願いしたい旨を返信し、まず互いフレンド登録を済ませる。このゲームは基本的に単独で行動し、戦闘に突入すればヘルプコールで近隣のプレイヤーに助けを求められるシステムで、特にフレンドとなったプレイヤーに対しては、オンラインさえしていれば確実にヘルプ依頼が表示されるようになる。
フレンドとなったアランと、早速メッセージを交わし合っていた最中に、精力的にモンスターを探して平原のダンジョンを彷徨っていたアランが、早速戦闘に突入したらしく千夜子のメインページに大きく『フレンドからのヘルプが一件届いています!』の文字が。
クリックしてみると、アランがキャタピラというモンスターと戦闘中であるという事が簡潔に表示されて、戦闘に参加するか否かの問いが表れている。
千夜子が迷わず「はい」をクリックすると戦闘画面に切り替わり、敵モンスターとアランのキャラクターが表示され……
『って、何故に虫!?@瀬那』
『えー、第一声がそれ!?(笑)@アラン』
何故に第二遭遇モンスターがデフォルメされた芋虫なのかと、千夜子が思わず不満をカチカチと書き込むと、即座にアランからのそんなツッコミテロップが流れる。
『って、アランさんいきなりHPゲージ真っ赤じゃないですか!?@瀬那』
『うん、良かった気が付いてくれて(笑)@アラン』
『もう、私が来るまでちゃんと待ってないからですよ?(笑)@瀬那』
『回復頼みます(笑)@アラン』
という事で、救援に駆け付けた瀬那の第一行動はアランへのヒーリングを選択した千夜子の手にしたケータイの画面の中で、更新されてゆく戦闘状況が次々に表示されてゆく。
『何この青春空間!@恭』
『あたしらお邪魔だったかしらぁ?(笑)@ユズ』
『この虫やったら体力あるんです!助けて!(笑)@アラン』
ヘルプに気が付き駆けつけてくれたらしき、先ほどの面々がいつの間にか現れていた。恭とユズだけでなく、千夜子が初めて見るプレイヤーも更に2人現れており、画面の端っこには『最大人数ボーナス:攻撃力10%アップ』などという表示が点滅している。
とはいえそれらは本当に一瞬の事で、大勢に取り囲まれて集中砲火を浴びせられた芋虫は、哀れ次の瞬間には経験値と通貨に姿を変えていた。
助けようと駆け付けてくれた人達のお陰で、戦闘が終わるのは本当にあっという間。不思議と気分が高揚する、リアルでは顔も名前も知らない誰かだけれど、仲間と一緒にワイワイ遊んでいるという喜び。
『楽しいですね!@瀬那』
『ね? みんなで遊ぶの本当に楽しい@アラン』
ほんの数十分前に知り合ったばかりのアランと、こうして一緒にゲームを遊んでいるという楽しさ、オンラインゲームに人気が出る理由が、千夜子にもようやく心から納得がいったような気がした。
そしてその晩、時間を忘れてのめり込んでしまった千夜子は、うっかり深夜まで夜更かしをしてしまうのであった。
『それじゃ、お休み@アラン』
『お休みなさい!@瀬那』
けれど、何度もメッセージを交わし合ったアランと、今宵最後の挨拶を送った千夜子の胸には、不思議と満ち足りた心地良い温もりが溢れていた。
翌朝、遅刻ギリギリで目を覚ました千夜子は、バタバタと支度を整えながら室内を駆け回り、学校の授業を受けている間も、眠気に苛まれながらもなんとか本日の時間割りを無事に乗り切った。だがしかし、本日は委員会の活動が残っている。
フラついている彼女を、見かねたクラスメートが幾度か心配そうに声を掛けてくれたが、千夜子は至って健康である。ゲームをしていて睡眠不足だなんて、そんな自業自得な理由は決して口に出せれないので、『ちょっと寝不足なだけ』と、言葉を濁してやり過ごすのも些か心苦しい。
千夜子は優しい同級生達の眼差しを振り切るようにして、委員会の会議室に向かった。
クラスの中で予餞会の委員を割り振られた千夜子は、卒業シーズンが近づいているこの季節、会議室に集まって細々とした話し合いや作業に従事しなくてはならない。だから本来、夕べのような夜更かしは厳禁なのだが……ついつい、熱中して時間を忘れてしまったのだ。
今日彼女へと託されたお仕事は、予餞会に招く方へ出す招待状の宛名貼り。宛先はシールにプリントしてあるので、曲がらないよう真っ直ぐに貼り付ければ良い。
(……まず、眠い……)
だがしかし、本日丸一中眠気を堪えていた千夜子にとって、単調な作業は致命的であった。
「くぉーらお前ら、寝るなボケ!」
ふとした拍子にこっくりこっくりと船を漕いでいた千夜子は、そんな鋭い叱責と頭部に走った痛みによってハッと覚醒した。
慌てて周囲へと目をやってみると、プリントの束を抱えた怒れる生徒会長・二年生の美春 (みはる)先輩が彼女の傍らに立っており、真正面の席では副会長である同じく二年生の佐山 (さやま)先輩が瞼をしょぼつかせながら、後頭部をさすっていた。察するに、副会長は美春女史からのプリント殴打洗礼仲間であるらしい。
「すみません、会長」
「うんうん、俺も起きてるよ美春」
ギロリと睨み付けてくる生徒会長に、慌てて頭を下げる千夜子と、瞼を擦りながら再び作業に戻った副会長。因みに他の予餞委員会の委員は、多忙な仕事に終われてこちらへ何か口を挟んでくる事も無く。
チッと舌打ちした生徒会長は、千夜子の目の前に手にしていたプリントの束をドサドサと置き、
「一年、次の仕事はホッチキス留めだ」
新たなるお仕事の追加を宣言なされた。
他の委員達が時間内にきっちりと仕事を仕上げて下校してゆく中、睡魔から誘惑を仕掛けられてうとうとしてしまい、作業の能率が著しく低かった千夜子は、最終下校時刻まで居残る羽目になった。
割り振られた仕事の量は皆平等であるし、生徒会長が最後まで残ってバリバリ仕事をこなしている傍らでは、愚痴すら零せない。
「お疲れ様です」
「ああ、気を付けて帰れよ」
カタカタとパソコンのキーボードを叩いている美春女史は、千夜子へと一瞥さえしなかったが、後輩の言葉はしっかり耳に届いており、挨拶を返してくる。
(……やっぱり、美春先輩って格好良いなあ……)
こっそりそんな感想を漏らしつつ、画面に視線が固定されている会長の横顔に向かって、千夜子はぺこりと頭を下げて会議室を退室した。
コートを着込んで昇降口を出、夜道を真っ直ぐに最寄り駅まで歩いて行った千夜子は、電車が到着するまでの間だけでもと、ホームのベンチに腰を下ろした。帰宅ラッシュの時間と行き当たってしまったので、帰りの電車の中で座れるかどうか微妙なところだ。
駅の柱時計に目をやる。電車が到着するまでは、まだほんの少しばかり時間がある。ゴソゴソと通学鞄の中に手を突っ込み、千夜子はケータイを引っ張り出した。
「確か、この時間帯はログインボーナスがあるんだっけ……モンスター一匹ぐらいなら、狩れるかな?」
ついつい、夕べ始めたばかりのMMOへとログインしてしまう。特に急を要するメッセージが届いていない事を確認し、千夜子はキャラを操作して、手近な街道沿いでモンスターを探しに出た。ケータイのキーをタッチする手が、寒さでかじかむ。画面に釘付けになっていた千夜子は、
「あれ、君、委員会の……同じ方向だったんだ?」
彼女の傍らに誰かが立ち、声を掛けてきている事に全く気が付かなかった。「おーい?」と、軽く肩に手を置かれただけで、心底から驚いて思わずケータイを取り落としてしまった。
そちらに目をやった千夜子が動き出すよりも早く、屈み込んで彼女のケータイを拾い上げたのは、先ほど退室した際には会議室に姿が見えなかった副会長の佐山であった。
当然、千夜子は彼女のケータイを返してもらおうと「ありがとうございます」と口にしながら手を差し出したのだが、何故か佐山は呆けたように彼女のケータイ画面を凝視している。
「……あの、副会長?」
「あ、ああ、ああ~、ごめん。はい」
佐山は盛んに瞬きを繰り返してから、気まずそうに受け取るポーズを披露していたままの千夜子の両手にケータイを乗せた。
「あのさ、……もしかして、ヒーラーの瀬那さん?」
ポソりと呟かれた一言に、千夜子は怪訝な眼差しを向けた。
副会長は自らの鞄からケータイを取り出し、
「……アランです」
カチカチと手元でいじって、おもむろに千夜子の眼前にずいっと画面を突き付けてきた。佐山先輩のケータイ画面の中では、彼女がたった今ログインしているゲームのマイページ、『ファイターのアラン』のステータスが表示されていた。
千夜子が握った手のひらの中では丁度、最後に指示した行動が終了してモンスターを無事に退治した旨が表示されており。
だからつまり、副会長である佐山は、夕べ千夜子と夜更かししてゲームを遊んでいたプレイヤーで……
「副会長、MMOにリアル情報は厳禁ですよ?」
「いや、でも驚くだろこんな偶然!?」
そんな佐山の叫びは生憎、丁度ホームを通過していった車両の立てる大きな『プアーーーン』という音によって、見頃にかき消されていた。
「マナー違反だってのは分かってる。でもなんかすっげえ嬉しいんだけど、俺!」
「奇遇ですね、佐山先輩。私もです」
この広いネットの海の中で、出会って友達になった彼と、面と向かってリアルタイムでお喋りが出来る。外面の『副会長である先輩』としての態度から、昨夜のゲームを楽しんでいたフレンドである『アラン』と重なる。
これはとてつもなく低い確率の邂逅であり、きっとこんな偶然が無ければ一生知り得なかった事実と、佐山先輩の一面。
電車が到着するまで、そしてやってきてからも楽しげにMMOの話題を振ってくる佐山に応えつつ、千夜子は自らの唇が勝手に笑みを象るのが止められないのであった。
(先輩って結構、女の子は後ろに庇ってやるぜプレイが好きなのね……)
ファイターとしてバリバリ戦いつつ、後衛キャラを守るプレイに楽しみを見出しているらしい。
何やらフレンドは現在のスタイルが実に楽しそうであるし、このまま一緒に進めていくのも悪くはないかもしれない。Lv上げてナンボのもんじゃいプレイよりも、いっそ面白いかもしれない。
「じゃあチャコちゃん、今夜はダンジョンボスに突撃だな」
乗客の多い電車の中で吊革に捕まりつつ、すぐ隣に立っている佐山は笑顔で誘いかけてくる。
千夜子の本名が曖昧だった先輩に改めて自己紹介してみたところ、ご多分に漏れぬあだ名がすっかり定着してしまった。
千夜子はやれやれと肩を竦め、
「良いですけど……今夜はちゃんと寝かせて下さいよ?
先輩が煽るから、夕べはすっかり深夜までお互い熱中しちゃいましたし」
「あはは。だってチャコちゃんとの相性抜群だからさ、止めどころが見つからなくて」
「明日も委員会なんですから、ちゃんとセーブして下さらないと」
どうやら、夢中になると舞い上がってしまいがちな面があるらしき佐山に、しっかりと釘を刺しておいた。
翌日、千夜子と佐山副会長の電車内での会話が偶然聞こえてきた、部活帰りの同じ学校の生徒の一言によって、彼女らはカップルであるという噂がまことしやかに囁かれるようになるのだが、本人達は全く気が付かずに適度なゲーム仲間として学園生活を送ってゆくのである。