第6話 闇の祈りと血の断罪
深夜二つ時。
月は雲に隠れ、六つの村からなる集落は、息を潜めた獣のように静まり返っていた。
その静寂を破ったのは、清めの水を浴びて戻ってきた隣村の見張りたちの叫びだった。
「……いない……! 檻が……開いている……!」
松明の火が揺れ、男たちの顔に青ざめた影が走る。
縄は切られ、檻の扉は半ば開いたまま、夜風に軋んでいた。
「まずい……これはまずいぞ……!」
「どうする……? このままじゃ、俺たちは愚か者として裁かれる……!」
見張りたちは互いに顔を見合わせ、震える声で言い合った。
「……他の村には知らせるな。
まずは俺たちの村の長老様にだけ伝えるんだ。
“生贄を逃した”なんて集落全体に知れ渡れば……俺たちの村が責めを負う。」
「そうだ……まずは内々に探すんだ。
夜のうちに見つければ……誰にも知られずに済む……!」
彼らは慌てて足跡を追い、村の外れへ散っていった。
松明の光が闇を切り裂き、隣村の若者たちが次々と呼び出され、”秘密裏の捜索隊”が編成されていく。
「生贄を見つけ出せ!」
「夜のうちに捕まえろ、夜明けまでにだ!」
怒号は抑えられていたが、焦りと恐れがその声を震わせていた。
その混乱のただ中、イオルとガルンは、村境の森の茂みの影に身を潜めていた。
遠くで松明の光が揺れ、隣村の若者たちが走り回る気配が伝わってくる。
「……ガルン。」
イオルはかすれた声で言った。
「母と妹は、隣村の長老の屋敷に囚われていると言っていた。」
イオルの声は震えていたが、その奥には焦燥と決意があった。
「今なら、見張りは皆、俺たちを探すために外へ出ている。
屋敷の守りは、きっと手薄になっている。」
ガルンは短く頷いた。
「行くぞ。
隣村の連中は森と川を重点的に探している。
屋敷へ向かう道は、今がいちばん隙だらけだ。」
二人は闇に紛れ、村境を越えて隣村へと走った。
夜風が草を揺らし、遠くで捜索隊の松明がちらつく。
隣村の長老屋敷は、普段ならば厳重な見張りが立つ場所だった。
だが今は、門の前にひとりの若者が松明を握りしめて立っているだけだった。
その若者も、逃亡した生贄のことが気になっているのか、何度も落ち着きなく周囲を見回している。
ガルンはイオルの肩を軽く叩き、囁いた。
「俺が気を引く。
お前は裏手から入れ。」
イオルは息を呑み、頷いた。
ガルンがわざと足音を立てて茂みを揺らすと、若者は驚いてそちらへ走り出した。
その隙に、イオルは屋敷の裏手へ回り込む。
ほどなくしてガルンも合流し、二人は闇の中へと身を滑り込ませた。
こうして、隣村の若者たちが“秘密裏の捜索”に奔走する混乱の裏で、
イオルとガルンは静かに長老の屋敷へ侵入した。
母と妹の行方を求めて――
二人は影のように廊を進む。
奥の部屋に辿り着いたとき、そこには冷たく横たわる母の亡骸があった。
縄の痕が手足にくっきりと残り、その身は、懲罰という名の暴力の末に力尽きたことを物語っていた。
だが、その亡骸の周りでは、長老と従者たちが静かに祈りを捧げていた。
まるで自らの手で奪った命を、今さら神の前で取り繕おうとしているかのように。
その光景を見た瞬間、イオルの胸で何かが音を立てて崩れ落ちた。
怒りは言葉を奪い、悲嘆は理性を焼き尽くし、
彼はガルンの腰の短剣を抜き放つと、祈りの輪へと躊躇なく飛び込んだ。
祈りは悲鳴に変わり、悲鳴はやがて、重い沈黙へと沈んだ。
血の匂いが部屋を満たす中、イオルは母の亡骸を抱きしめ、喉の奥から絞り出すように天へと叫んだ。
「私は――
死者の国で、光の御方と出会った!
この身には、あの方から授かった使命がある!
闇の神の手先は私ではない……
闇の神に魅入られたのは――この者たちだ!」
短剣を握る手が震え、涙が頬を伝う。
「母様……!
あなたを穢した闇は、私が断った!
どうか――光の神の祝福を!」
その声は梁を震わせ、
血と偽りの祈りの残り香を切り裂いた。
ガルンはその肩に手を置き、静かに告げる。
「イオル、急げ。捕まる前に妹を探すんだ。
お前の母様のことは……悔しいが、今は進むしかない。
遺体は俺が家まで運ぶ。
だから、お前は先へ行け。」
イオルは震える息を吐き、かすれた声で言う。
「そんなことをすれば、お前が長老殺しと疑われる。
逃げろ、ガルン。今すぐに。」
だが、ガルンは静かに首を振った。
その瞳には、揺るぎなき覚悟が宿っていた。
「大丈夫だ。俺のことは気にするな。
お前には使命があるのだろう。
ならば、俺のことなど構うな。」
その言葉は、刃のようにまっすぐイオルの胸に刺さり、深く刻まれた。
彼は短く頷き、言葉を絞り出す。
「……すまない。この恩は永遠に忘れない。
うまく事が運んだら――
その時は、死者の門で落ち合おう。
母様を頼む。」
そう告げると、イオルは屋敷の階下へと消えた。
血と偽りの祈りを背に、
新たな闇の道へと。




