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影の神と光の大地  作者: 遊歩人
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第4話 反転する祈り

裂け目から若者が姿を現したのは、東雲の光が大地を静かに満たしはじめた頃だった。

見張りの者は、深い闇の底から呼び戻されたかのように揺れるその影を見て、息を呑んだ。


「……戻った……?

あの門へ入った若者が……」


死者の門へ入った者が何事もなくすぐに戻ってこれるなど、誰も想像すらしていなかった。


若者――イオルは、荒い息を整えながら言った。


「……長老たちを……すぐに呼んでくれ。

話さねばならぬことがある」


見張りの者は戸惑いながらもうなずき、集落へ向かって駆け出した。

そして、その動きはすぐに集落の全体へと広がっていった。


「門へ入った者が戻ったぞ……!」

「生きている……!」


その声は、朝の冷たい空気の中で、霧のように広がり、人々は自然と中央の焚き火の前へ集まり始めた。

ガルンが人々の後ろから歩み寄り、イオルの肩に手を置いた。


「……無事に戻ったか」


イオルは頷き、焚き火の前に立ち、集まった長老たちと村人たちを見渡した。


「皆に伝える。……死者の門は、開いていた。

そして、その奥は……

伝承にあるような暗いところではなく、白い光が満ちていた。

岩でも木でもない、つるりとした壁が続き……

影が生まれぬほど明るかった。

……それは、人の手では作れぬ場所だった」


人々は息を呑んだ。

イオルは続けた。


「そして……

我々が影の神と呼んでいる方は、恐ろしい存在ではなかった。

彼女は自らを影の神ではなく、光の神の傍らなる存在だと語った。

そこには、怒りも憎しみもなく……

ただ静かに、我らを見つめていた。

そして……あの方は、我らを助けてくださると仰った。

病を……治す手立てを探してくださると」


その言葉が落ちた瞬間、焚き火の周りに、歓喜の空気が広がった。


「おぉ!……神が助けてくださると……?」

「病が……消えるのか……?」

「子らは……まだ生きられるのか……?」


長老の一人が、涙をこらえるような声で呟いた。


「……ならば……

まだ我らの村々は……終わってはおらぬのだな……」


その場に、久しく忘れていた“希望”の匂いが満ちた。

イオルは、その空気を感じながら、自然な調子で言葉を継いだ。


「そのために……

あの御方は、病に侵された者の血が必要だとも仰った。

血を調べれば、病を治す道が見えるかもしれぬと」


——その瞬間だった。

焚き火の音だけが、やけに大きく響いた。

さっきまで希望に満ちていた輪が、まるで風を失った火のように、一瞬で静まり返った。


誰もが言葉を失い、イオルの顔を見つめた。

その目には、理解ではなく、“戸惑い”が浮かんでいた。


その静寂を破ったのは、伝承を重んじる長老だった。


「……血……とな……?」


その声は震え、次の瞬間には、恐怖に染まっていた。


「影の神は、獣の血だけでは足りず……

今度は我ら人の血をも求めるというのか……!」


その叫びが、乾いた薪に火を投げ込むように、村人たちの胸に恐怖を広げた。


「人の血を……?」

「影の神は……やはり血を喰らうのか……?」

「病を与えたのも……影の神の仕業なのでは……?」


声が重なり、ざわめきは波のように広がり、やがて怒号に変わった。

イオルは必死に声を張った。


「違う!

誤解だ!あの方は病を起こしたわけではない!

血が必要なのも治すために——」


だが、その声は群衆のざわめきに飲み込まれた。

人々の目が変わっていく。

さっきまで希望を求めていたその目が、今は恐怖と疑いに濁り、イオルを“異物”として見つめていた。


「門へ入った者は……魂を奪われる……!」

「戻ってきたのが……そもそもおかしい……!」

「影の神に操られているのだ……!」


その声が重なるたび、イオルの立つ場所が狭くなっていくようだった。


他の長老たちもまた、その空気に飲まれていった。

最年長の長老も最初は戸惑いの表情だったが、群衆の恐怖が高まるにつれ、その顔は“決断を迫られた者”の色に変わっていく。


そのとき——

誰が言い出したのか、はっきりとは分からなかった。


「……神が人の血を欲するというのなら……

まずは……

門へ入ったこの者の血を……捧げてみるべきではないか……?」


その声は、焚き火の煙のようにゆっくりと広がり、やがて別の声が重なった。


「そうだ……

この者は……影の神に触れた……」

「ならば……この者の血を……」

「神の怒りを鎮めるために……!」


その言葉が広がるにつれ、イオルを囲む輪は、もはや“話し合いの場”ではなくなっていた。


ガルンは輪の外側で、歯を食いしばり、ただイオルを見つめていた。


長老たちは、群衆の熱と恐怖に押されるように、ついに決断した。


「……この者を拘束する。

影の神に魂を奪われた者を野放しにはできぬ。

次の満月……この者の血を捧げ、神の怒りを鎮めるのだ」


数人の男たちがイオルに近づいた。

イオルは抵抗しなかった。

抵抗すれば、さらに村が混乱するだけだと分かっていた。

縄が手首に食い込み、足を引きずられ、村の中央にある古い木の檻へと連れて行かれる。


太い枝を組んだだけの粗い囲い。

獣を閉じ込めるために使われていた古い檻。

湿った木の匂いが、イオルの鼻を刺した。

木の格子が軋み、摩擦音を立てて閉じられる。


外では、まだざわめきが続いていた。


——影の神に捧げよ。

——この者の血を。


村には古くからの掟があった。

供物を捧げるのは満月の夜だけ。

それは数世紀破られたことのない決まりだった。

イオルは一週間後に訪れる満月の日に、生贄として捧げられることが決まった。


イオルは湿った地面に背を預け、闇の向こうにある“光の声”を思い出していた。


——待っています……イオル。

——どうか……無事で……。


その声だけが、闇の中でかすかに灯り続けていた。

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