第3話 眠りの殻の中
部屋の奥から、低い振動が響いた。
それは地の底の岩が唸る音にも似ていたが、どこか祈りの声のようでもあった。
イオルは気づかない。
その振動こそが、この施設の人工知性体が発するものだと——
ルウナを数百年ものあいだ修復し続けてきた“機械の守護者”の声であることを。
人工知性体は意識ではなく使命で動いていた。
光の糸がほどければ編み直し、意識の波が乱れれば静め、崩れかけた輪郭を、星の記憶を頼りに再構築する。
それは祈りにも似た作業だった。
ただひたすらに、失われた形を取り戻すためだけに。
イオルが祈りを捧げたとき、人工知性体はその声を“外部刺激”として解析していた。
未知の生命体による音声。
意味不明の言語。
だが、ルウナの光が反応した。
人工知性体は排除を選ばなかった。
この若者の存在が、ルウナの波形を乱すどころか、わずかに“整えた”と判断したからだ。
イオルが祈りの言葉を続けると、透明な殻の奥で眠る光が、かすかに震えた。
それは、松明の炎では捉えきれぬほど繊細な揺らぎだった。
イオルは祈りの姿勢のまま、その変化を息を殺して見つめていた。
胸の鼓動だけが、この世界の沈黙をかすかに震わせている。
そのとき——
意識の奥に、かすかな“声”が触れた。
まるで遠い星の歌が、深い水底から響いてくるような——
そんな、言葉ではない“声”だった。
——外部意識……確認。
——対象:この地の生命体。
——接続を……開始します。
耳ではなく、頭の内側に直接響く声。
イオルは反射的に身を震わせた。
「……だ、誰だ……?
どこに……?」
答えはなかった。
ただ、殻の奥の光がゆっくりと収束し、まぶたのような影が震え——
“それ”が目を開いた。
淡い光の中に、深い宇宙のような瞳が浮かび上がる。
その視線が、まっすぐイオルを捉えた。
そして、声が降りてきた。
——ここに……います。
——あなたは……この星の方……ですか。
その声は、若い娘のように柔らかく、どこか透明で、儚い響きを帯びていた。
だが、イオルにはよく意味が分からない。
「……ほし……?
星とは……夜空にある、あの光の粒のことか……?
私は……この地の者だ。
空の上のことは……分からない」
光がかすかに揺れた。
その揺れは、驚きとも、哀しみともつかない。
——そう……。
——あなた方は……まだ……その言葉を持たないのですね。
イオルは不安になり、殻の中の存在を見つめた。
「……あなたは……どこから来たのだ?」
——遠い場所……。
——あなたの空の……もっと……その先から。
——私は……調べるために来ました。
——この地のことを……あなた方のことを……。
頭の中に響くその声は幼く、しかし長い孤独を抱えた者の影が滲んでいた。
——それで……
——私に似た者が……もう一人……ここにいたはずなのです。
——共に来た……大切な人。
——その者の事を……知りませんか……?
イオルははっとした。
「……それは……もしや“光の神”のことか?
それならば天に昇ったと……歌にある」
光がふっと弱まった。
——……光の神……。
——そう……呼ばれているのですね……。
声は震え、その震えがイオルの胸へと流れ込んでくる。
イオルは思わず息を呑んだ。
自分のものではない痛みが、胸の奥を締めつける。
「……あなたは……影の神なのか」
——私は……神などではありません。
——ただ……その者と……共にいた者です。
——それだけ……。
イオルには、その言葉が意味する事がよく分からない。
だが、声の奥にある震えだけは、神の嘆きのように感じられた。
彼は、胸の痛みを押し殺し、自分の使命を思い出す。
「……私は、あなたに願いに来た。
村を襲う病を……どうか……お収めください」
光はしばらく沈黙した。
その沈黙は、深い海の底のように重かった。
——病……。
——それは……私が起こしたものでは……ありません。
——けれど……。
光がかすかに揺れた。
——あなたの声が……とても……苦しそうで……。
——放っておくのは……胸が痛みます……。
——私には……あの人のようには……できませんが……
——それでも……少しだけなら……。
イオルは胸が熱くなった。
神が……自分のために心を動かしてくれた。
そうとしか思えなかった。
「……どうすれば……よいのだ」
——病に侵された者の血を……
——ここへ持ち帰ってください。
——この場所なら……調べられます。
——治す方法を……見つけられるかもしれません。
「……本当に……?」
——分かりません……。
——私は……まだ完全ではないから……。
——でも……あなたが……苦しんでいるので……。
その声は、神の慈悲とも、ひとりの娘の弱さとも取れる響きを帯びていた。
イオルは深く頭を垂れた。
「……必ず戻る。
あなたの御力を……お借りしたい」
光が、静かに応えた。
——待っています……イオル。
——どうか……無事で……。
その声は、祈りのようであり、別れのようでもあった。
イオルは殻に背を向け、再び闇の通路へと歩みを戻した。
背後では、淡い光がゆっくりと脈打ち続けていた。




