第12話 孤独に寄り添う者
ミラが目を覚ましてから、まだ一日も経っていなかった。
だが、地の底の空気は、まるで季節がひとつ移ろったかのように柔らかく変わっていた。
イオルはルウナの前に進み、深く頭を垂れた。
「……光の御方。
ミラを、妹を救ってくださり……本当に、ありがとうございました。」
その声は震えていたが、その奥には、光に触れた者だけが抱く、畏敬と親愛が溶け合う深い響きがあった。
ガルンもまた、静かに前へ出た。
一度息を整え、低く、しかし確かな声で告げた。
「我々にとって、あなたは……光の神だ。
決して影の神なんかではない。」
光の殻が淡く揺れ、ルウナの声が静かに満ちた。
――それはそもそも違います。アーシャも、そして私も神などではありません。
――けれど……あなた方の力になれたのなら……それだけで、ここに在る意味がある気がします。
イオルは続けた。
「この薬があれば……村の皆もきっと救える。
村の病は……もう恐れるものではない。」
しかし、ルウナは静かに光を揺らした。
――確かにこの薬は村の病を退けるでしょう。しかし薬には数の限りがあります。
――新たな薬を作るのにも長い時間がかかります。
――病の拡がりも止めていかなければ、すべての命は救えません。
ガルンが眉を寄せた。
「……病の拡がりを止める。……前に話していた、サルクトゥとヤルブのことか?」
――ええ。
――その後、人工知性体が詳しく調べましたが、サルクトゥが病の種を運んでいるのは確かです。
――そして、ヤルブが“病の根源”を抱えている可能性も高いとみます。
イオルは息を呑んだ。
「……どうすれば、あの小さな生き物達から村を守れる?」
ルウナの声は、記憶を手繰るようにゆっくりと答えた。
――サルクトゥはどうやら熱に弱いようです。
――衣を焚火の近くで燻すこと。
――熱した石の上にかざすこと。
――太陽の光に長くさらすこと。
――これらを試してみると良いでしょう。
――ヤルブはおそらく食物に集まります。
――食料を地面や地下ではなく、高い場所に保管してください。
――集落の周囲の草を刈り、隠れ場所を減らすのも良いでしょう。
ガルンは深く頷いた。
「……それならば、村の者たちでも出来そうだ。」
イオルもまた、決意を宿した目で言った。
「そのことを、すぐにでも知らせなければ。
……村を救わなければならぬ。」
ミラも弱い声で続けた。
「兄さま……私も一緒に行きます。
私も皆を……助けたい。」
イオルはしばらく沈黙し、光の殻を見つめた。
その奥に揺れる淡い光は、どこか心細げに見えた。
「……すまない。ミラ……私は、村には戻らぬ。」
ガルンが驚いたように顔を上げた。
ミラも息を呑んだ。
イオルは静かに続けた。
「私は光の御方と……約束をした。
光の御方が完全に治ったとき、光の神を呼ぶ手伝いをすると。
だから、私は光の御方のそばで彼女が治るのを待つ。」
その言葉に、光の殻がかすかに震えた。
ルウナの声は、どこかためらいを含んでいた。
――そのことですが……
――私は、思っていたよりも回復に時間がかかるようです。
――意識がはっきりしているので完治が近いかと思っていましたが……
――完治には、あなた方の時間では……あまりに長すぎる年月が必要です。
――だから……その約束は……もう忘れてください。
イオルは静かに首を振った。
「分かっています。
あなたが……内心無理だと思いながらも、私に頼んだことも。」
光が一瞬だけ揺れた。
それは、触れれば壊れてしまいそうな、かすかな脆さの震えだった。
「あなたは……孤独だった。
死の狭間と心の闇を、ひとりで耐えてきた。
私は……あなたに心を覗かれている内に、逆にあなたの心の内を感じ取ってしまったのです。」
ルウナは答えなかった。
ただ、光の奥で淡い波紋が広がり、静かに消えた。
イオルは続けた。
「それに、……もし薬と神託を持って村に戻れば、私は皆から英雄と呼ばれるかもしれない。
けれど、私にはそんな称号を受ける資格はない。
怒りに任せて奪った命の重さは、誰よりも私が知っている。
その罪は、どれほど時が経とうと消えはしない。
光の御方が罪の意識に苛まれているのなら……私は、その孤独を知っている者として、そばにいたい。
あなたが抱えてきた痛みを、他人事のように見過ごすことはできない。
そして私自身も、ここで向き合わなければならないのです。
報いを受ける場所として。
その為にもこの場所に、生涯わが身を縛る。
……だから私は、ここに残る。」
ミラは涙をこぼし、兄の手を握った。
「兄さま……」
イオルはその手を包み、優しく微笑んだ。
「ミラ。
お前には……果たしてほしいことがある。
私に代わり、母さまを……太陽の当たる場所へ埋葬してほしい。
安らかに光の元へ……」
ミラの瞳が震え、強く頷いた。
「……必ず……必ず、兄さまの代わりに……」
ガルンは拳を握りしめた。
「イオル……本当に、ここに残るのか?」
イオルは頷いた。
「ガルン。
集落のことはお前に託したい。
それからミラを守り、皆を救ってくれ。
薬と光の御方の神託を……皆に。」
ガルンは苦い顔をした。
「俺はお前を逃がした。 俺だって戻れば罰を受けるだろう。
そうなるとお前の妹を……守れぬかもしれん。」
イオルは首を振った。
「大丈夫だ。
お前は誰も殺したりはしていない。
薬と神託を持ち帰れば……必ず村はお前を必要とする。」
ガルンはしばらく沈黙し、やがて深く頷いた。
「……分かった。
お前の想いは、必ず村に届ける。」
そのとき、ルウナの光がそっと揺れた。
まるで、イオルの決意に触れて、言葉にならない感情が波紋となって広がったようだった。
――イオル。
その呼びかけに、イオルは静かに微笑んだ。
光の殻が、静かに脈動した。
それは、別れの光ではなく――
静かな祈りの光だった。




