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第8話 ルヴィアの秘密

 ルヴィアの言葉が落ちた瞬間、焚き火の熾がぱちりと弾けた。

 聞き間違いであってほしい。そんなことを無意識に願ってから、ロウは喉が勝手に動くのを感じた。


「俺が……〝ドラゴンテイマー〟だって?」


 一瞬、またルヴィア特有の冗談か軽口だと思った。からかっているだけだ、と。

 けれど、向かいの黄金色の瞳に、からかいの色は微塵もない。炎の映り込みだけが、瞳の奥で揺れていた。


「待て、待ってくれ。何で俺がそんな凄い存在なんだよ? 有り得ないだろ」

「そんなの、あたしに訊かれても知るかよ」


 ルヴィアは肩を竦めてみせると、呆れたように息を吐いた。


「でも、あんた自分で言ってたろ? 『プチドラゴンしか従魔にできなかった』って。それこそが、あんたが〝ドラゴンテイマー〟の証なんだよ」

「どういうことだよ……」

「〝ドラゴンテイマー〟は、竜族を使役できる代わりに、竜族しか使役できない。それが、ルールというか……性質らしいぜ。詳しくはあたしも知らねーけど」


 言い終えると、彼女は木杯を傾け、喉を鳴らしてワインを流し込んだ。

 香りがふわりと広がり、冷えた夜気に溶けた。

 否定の言葉を探すほど、その答えが見つからなくなる。

 確かに、ロウはこれまで、プチ以外を従魔にできたことがなかった。スライムや狼、鳥……どれも首を傾げるように距離を取り、二、三歩下がって終わりだった。自分の腕が悪いから、或いは実力が足りず、魔物と心を通わせるに至らなかったと諦めていた。

 そもそも、ドラゴンと出会う機会など滅多にないのに、それでその能力を確認しろという方が無茶なのだ。Sランクパーティーに入ってからは、ドラゴンが絡む討伐にも名だけは並んだが、いつも馬車の荷台で荷物番。理由は「戦力外だから」。実物を目の当たりにしたドラゴンと言えば、結局プチだけだった。


「あと、もうひとつ。あんた、さっき〈暗視(ダーク・スコープ)〉を使ったろ」

「まあ、そうだな」

「〈索敵(プレセプション)〉も使えるんじゃねーか?」

「それも、まあ……」


 ロウは頷いた。暗闇で熱源を拾い、気配の濃淡を読む。ロウの数少ないスキルだった。

 だが、彼女の問いの先がわからず、眉が自然と寄る。


「……それは、どっちもプチドラゴンのスキルだ」

「え?」

「あいつらは弱ぇ代わりに、索敵やら暗視やら細々したスキルを持ってやがる。そうやって強い敵と出くわさないようにしながら生き長らえてる連中だからな。……あたしが何を言いたいか、わかるか?」


 言い切られるより早く、思考がそこへ辿り着く。

 焚き火の赤が、杯の水面をかすかに震わせた。


「〝ドラゴンテイマー〟は、従魔のスキルと力を一部、自分のものにできるんだよ。もともと非力な種族だからあんま実感なかったかもしれねーけど、あんた自身、プチドラゴンと契約してから多少は強くなっていたはずだ」

「そういえば……そうだったかもしれない」


 胸の奥で、忘れていた小さな違和感が次々に顔を出す。

 思い返せば、プチと契約したあの日から、確かに少しずつ変わっていた。重い水樽や梁を運んだとき、背骨が折れそうな重みが、持てる重さに変わっていった。リナに「いつの間にそんなに力持ちになったの?」と目を丸くされたのも、一度や二度ではない。毎日荷を運んで筋肉が付いたのだと納得していたけれど……違ったのかもしれない。あの小さな相棒の力が、ゆっくりと自分の骨や筋に沁みていたのだ。


「それから……強くなったのは、あんただけじゃない」

「もしかして……」

「そう。従魔の方も、あんたと契約を交わして力を得ていたのさ。何倍にもな」


 胸の奥が、きゅっと締まる。

 リナとふたりで請けた、冒険者の依頼。前衛はいつだってプチだった。小柄なのに不思議な粘りがあって、三匹、四匹と魔物を相手にしてもへこたれない。プチドラゴンにしては強いな、くらいにしか思っていなかったが……あれは、ふたりで分け合っていた力の結果だったのだ。

 ロウが荷を持てたのと同じように、プチもまた、ロウから何かを受け取って強くなっていた。

 誇らしく、そしてたまらなく切ない。

 

(……お前、俺のせいで強くなってたのかよ)


 今さら気付くなんて、と自分に呆れた。

 でも、プチとはもともと、戦って信頼関係を築いたわけではない。元の時点の強さを知らなかったのだから、こんなもんだと思っていたのだ。


「そんで……あたしの願いってのも、あんたのそれだ」

「へ?」

「あたしと、従魔の契約を交わしてほしい」

「はいいいい!?」


 木杯の縁がかたんと鳴った。心臓が一瞬、跳ね損なった。

 唐突すぎて、まともな言葉が出てこない。


「何でだよ? 君は十分に強いだろ。俺の力が必要とは思えない」


 問い返すと、ルヴィアは一瞬だけ顔を曇らせた。しばらく黙ったのち……小さく、ぽそりと答えた。


「……あたしはどこまでいっても所詮〝半竜〟だ。どうやっても〝竜化〟はできねえし、〝竜化〟した本物の竜人族にも勝てねえ。鍛えに鍛えてみたけどよ、これがあたしの限界だった」


 言い終えた口元から、ルヴィアは酒を一息に呷った。

 喉を落ちる熱の音が、焚き火の消えかけた音と重なる。


「でも……君にとって、人間の従魔になるのは本望じゃないだろ? そこまでして強さを求める理由は?」

「殺されないために決まってんだろ」


 言葉は短いのに、やけに重い。

 殺される? あれだけ強いルヴィアが? 信じられなかった。

 ロウは重ねて訊いた。


「殺されるって、誰に?」

「……本物の竜人サマ、だよ」


 そこから、ルヴィアは、ぽつりぽつりと生い立ちを紡いだ。

 竜人族の父、それから人間族の母。ふたりは恋に落ち、駆け落ちをしたそうだ。

 けれど、竜人族はそれを許さなかった。一族の名折れとして追われ、家族を庇って父は討たれた。追手の手はやがて娘にも伸びる。

 名折れから生まれた半竜も、彼らにとって『汚れ』だ。


「半竜のあたしも……当然、見つかれば殺される。異端は許されないのさ。竜人族っていうのは、そういう種族なんだ」


 静かな声だった。怒りや嘆きは表に出さない。その代わりに、言葉の端に諦観が張り付いている。

 なるほどな、と思った。彼女が居場所を定めないのも、これまで主を定めなかったのも、ようやくその理由がわかった。居場所を特定されないためだ。

 それでも、彼女は戦場に現れた。〝半竜のルヴィア〟の名が知れ渡ることを承知で、戦場を転々としていた。その理由も、今の話を聞けば見えてくる。


「戦場に出ていたのは……〝ドラゴンテイマー〟を見つけるため、か?」

「まあ、な」


 ルヴィアはそう呟き、同意を示した。

 金は傭兵稼業で稼ぎ、情報は戦場に集まる噂から拾う。どこかにいるはずの〝ドラゴンテイマー〟を見つけるために。合理的で、必死で、そして孤独な方法だった。


「何で君はそこまで詳しいんだ? 誰から聞いた? 父親か?」

「いんや……母親だよ。あたしの母親も、〝ドラゴンテイマー〟だった」


 焚き火の熾が、くぐもった音で崩れた。

 話の辻褄が、吸い込まれるように合っていく。竜人が人間の従魔になる──それが『一族の名折れ』だというのなら、追われた理由も、すべて説明がつく。

 竜人族が種に誇りを持っているなら、尚更だ。


「お母さんは?」

「もう何年も前に死んだよ。〝ドラゴンテイマー〟のくせに病気で呆気なくおっ()にやがった。笑えるだろ?」


 ルヴィアは自嘲めいた薄笑いを、ほんの一瞬だけ浮かべ、すぐに消した。

 父を失ったのち、母子は山から山へ。半竜を抱えていれば、人里には下りられない。飢えと寒さの中で病に罹り、母は逝った。

 その最期、母が娘に言い残した言葉が──


「〝ドラゴンテイマー〟を探しなさい、か」

「そ。あたしが救われるには、それしかないんだとさ」

「それで……ようやく俺を見つけた、と」


 彼女は小さく頷いた。

 プチが飛ばしたという、最後の念。


『ロウを助けて』

『ロウなら君の願いを叶えられる』


 あの小さな友人は、死の際にまで誰かのために力を使ったのだ。ロウと、そしてこの孤独な半竜を救うために。

 やはり、プチは最高の従魔だった。弱くても、小さくても……優しくて立派な相棒だ。


「そこで、さっきのお願いに辿り着くってわけさ。わかってもらえたかい?」


 ルヴィアはやや控えめな様子でそう言い、肩を竦めた。

 さっきのお願いとは、もちろん……従魔の契約を交わしてほしい、というものに他ならない。

 今日会ったばかりの相手に差し出すには、あまりに重たい頼みだ。けれど、その声には妙な虚勢がない。どちらかというと強がる癖がある女だと思っていたのだが、今はほんの少しだけ肩を落としていた。

 威勢のいい口ぶりの裏で、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。その仕草が、虚勢の下にある素直さを物語っていた。誇りは崩さずに、ほんの少しだけ頼ろうとしている――そんな不器用さが垣間見えた。

 ロウは気付けば、彼女のそういうところに惹かれ始めていた。命を救われたから、というだけではない。墓を掘る時も、土をかける時も、余計な言葉を挟まなかった。気が沈みそうな時、冗談で重さが沈み切らないようにしてくれた。彼女なりの気遣いが、確かにそこにあったのだ。

 ロウはふっと笑い、木杯を呷って空にすると、膝に手を当てて立ち上がった。


「こう見えて、俺は結構義理堅いんだ」

「あん? どういう──」

「命の恩人からの頼み事を、無碍にはできないってことさ」


 言って、ロウは拳を前に差し出した。

 暗がりの中、ルヴィアが一瞬きょとんとした顔をする。次の瞬間、意味を解したらしい笑みが、ぱっと灯った。

 唇の端が上がり、八重歯が覗く。獰猛さの影を宿したまま、それでも嬉しさを隠せていなかった。

 彼女も拳を突き出す。

 月が、その拳と拳の間に淡い輪郭を描いた。

 ふたりの拳が、静かに合わさった。

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