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第6話 ふたつの墓の前で

 どれほどの時間、泣いていたのか分からなかった。喉は焼け、胸は擦り切れ、涙はとうに枯れていたはずなのに、嗚咽だけがしつこく体の奥で続いた。

 それでも――ルヴィアは黙って隣にいてくれた。声も、慰めも、促しもない。ただ、隣に立って、風に深紅の髪を揺らしながら、ロウが落ち着くのを待ってくれていた。尾がときどき土を払う音と、黒い翼が小さく震える気配を、微かに感じた。

 やがて、ロウは自分で立ち上がった。足元はまだ覚束ない。だが、やらなければならないことは、わかっていた。

 冷たくなってしまったリナを抱え、ふたりで茂みを抜ける。焚き火の赤はもうとっくに消えており、月光の白さだけが道標だった。

 夜営地のすぐ近くにあるプチの墓は、夜露に濡れた薄い草に抱かれて、ひっそりとそこにあった。平たい石を二枚重ねただけの、ちっぽけな目印。先ほどの苦しみが蘇り、胸が詰まった。


(まさか……一晩で、全部亡くすなんてな)


 プチとリナ。どちらも、ロウの人生に於いて、最も大切と言っても過言ではないほどの存在だった。

 そのふたりを、一晩で亡くしてしまった。その絶望感は、想像を絶する。

 ロウは膝をつき、リナをそっと地面に横たえた。最後に彼女の指を胸の上で組ませる。

 プチの時と同じように、手で穴を掘ろうとすると──


「……手伝ってやるよ」


 ルヴィアが呆れたように言った。言葉の端に、無理やり押し殺した柔らかさが混ざっている。

 彼女は墓の脇に片手を翳すと、足元へ小さく息を吐いた。

 ぱち、と乾いた音。地面の一角が、内側から押し広げられるようにして崩れる。土が息を吐き、細かな砂煙がふわりと舞った。そこに穴が最初からあったかのように、すとんとやわらかく開く。

 魔力を使って、穴を掘ってくれたのだ。見掛けによらず、器用なことをする。こんなこと、シーラでもできなかった。

 それからルヴィアは、ナイフで自らの指先を切って、血を数滴土に垂らした。半竜と雖も、竜人族の血。こうしておくことで、魔物や動物が寄り付かなくなるらしい。墓が荒らされる心配もなさそうだ。


「ありがとう」


 ロウは改めて礼を言うと、両腕でリナの体を抱え直した。

 息を詰め、そのままゆっくりと穴に降ろす。長く使い込まれた布で頬を覆ってやり、そっと土をかけていった。

 ルヴィアはそれも手伝ってくれた。今度は魔法ではなく、ちゃんと手で。人間との混血だからか、人間の埋葬文化にも詳しいようだ。

 ルヴィアと共に土をかけ終えると、ロウは彼女の愛用していた鉄槌を両手で抱え、墓の中央に突き立てた。

 鈍い音を立てて大地に沈む鉄塊は、やがて静かな墓標となる。

 ロウの手には、リナが生涯手放さなかった〈聖印〉が握られていた。銀の小片には彼女の名が刻まれている。修道院から託され、彼女が祈りを捧げるたびに触れていたものだ。

 墓に残すことも考えたが、ロウはこれを持ち帰ることに決めた。これを彼女の親族……祖父に渡すことが、ロウの最後の役割のように思えたからだ。

 胸ポケットに〈聖印〉をしまい込むと、冷たさが心臓に直接届いた気がした。


(……あっちで、プチと仲良くやってくれ)


 墓に向け、ロウは声を落とす。

 礼と、最後の別れを。彼女が時間を稼いでくれたから、自分は生きている。〝半竜のルヴィア〟が助けに来てくれたのも──まだその理由はわからないが──リナが繋いだ一瞬のお陰だ。

 沈黙が落ち着くと、ルヴィアが口を開いた。


「……片思いしてたのかい?」

「え? 何で?」


 思ってもいなかった言葉に、思わずルヴィアを振り返った。


「言いにくいが……さっき埋める時、別の男の匂いがした」


 彼女は鼻先をわずかに寄せて言った。尾が小さく、申し訳なさそうに土を撫でる。


「あたしは人より鼻が利くからな。どうしても、わかっちまう」

「なるほど、そういうことか。片思いか……まあ、そうなるのかな。一応、付き合ってた時期もあるんだけど」


 ロウは自分でも驚くほど穏やかな声で答えていた。苦笑いが、唇の端に勝手に宿る。

 両想いだったはずだけれど、どこかで片思いに変わった──ほんのついさっきまで、そう思っていた。けれど、最後の言葉を思えば、違うのかもしれない。彼女は彼女なりのやり方で、ロウを守ろうとしてくれていただけで。気持ちは、昔と変わっていなかった。

 もしそうであれば、どんな思いでガリウスの女になっていたのだろう? 想像しただけで、胸の奥がじりと焼ける。

 感傷に浸るロウを横目に、ルヴィアは鼻で笑った。


「だったら、こいつの趣味は相当悪いな」

「え?」

「こいつの男、ろくな奴じゃねーだろ。豚小屋の糞みてぇな臭いがしてやがる。鼻がもげそうだ」


 ルヴィアは露骨に鼻を摘まみ、顔をしかめてみせた。

 あまりの遠慮のなさに、ロウは腹の奥から吹き出してしまう。涙と笑いは近いものだ。今は、彼女の軽口が妙にありがたかった。


「……それには、心から同意するよ」


 ロウは苦笑いのまま同意し、もう一度、墓前で手を組んだ。指を組む音すら、夜に吸い込まれていく。

 隣を見ると、ルヴィアがプチの墓の前に片膝をついていた。平たい石を、指の腹でそっと撫でる。冗談も毒舌も消えた横顔に、言葉にしがたい影が差していた。黄金の瞳はいつになく遠く、懐かしいものを思い出すように細められている。


(何だよ……その顔)


 胸がきゅっと縮んだ。彼女にも、墓に手を当てる理由があるのだろうか。しかも、プチの? どうして。

 尋ねかけて、やめる。今は、そんな詮索をしていいタイミングじゃない。

 やがて、ロウはゆっくりと立ち上がって、ルヴィアへ向き直った。


「……悪いな。色々手伝わせて」

「別にいいよ。どうせ暇だったし。お安い御用さ」


 肩を竦める仕草はいつも通り軽く、それでいて棘がない。

 気遣いの形を、彼女はたぶん知らない。だから、こういう言い方でしか差し出せないのだと感じた。


「じゃあ、行こうか。夜営地はすぐそこだ」

「ん?」


 きょとん、とその黄金色の瞳が瞬く。

 ロウの言葉が唐突に響いたのだろう。ロウは小さく息を整え、続けた。


「お茶会がしたいんだろ? 夜営地にパーティーの荷物が置きっぱなんだ。紅茶もあるし、食糧もたんまりある。放っておいても、どうせそこらの動物に食われるんだ。その前に俺たちで食っちまおう」

「おお!? 酒と肉もあるのかよ!?」


 ロウの提案に、ルヴィアの顔がぱっと明るくなった。

 これほどわかりやすい反応もない。思わず笑いそうになってしまった。


「ワインならあるぞ。肉は干し肉だけどな。他にも、パンとか保存が利くものなら結構ある」


 荷物の管理も、食事の用意も、ずっとロウの役目だった。どこに何が残っているか、指でなぞれるくらいに覚えている。

 ルヴィアがパチンと指を鳴らした。


「決まりだ! もちろん、吐くまで飲むんだよな?」

「……お茶会がしたかったんじゃないのか?」

「おいおい、冗談きついぜ? あたしにひらひらのドレス着せてお澄まししながら茶啜れってのかよ。肉と酒に決まってんだろ?」


 笑って、ルヴィアはくるりと踵を返した。尾が弧を描き、深紅の髪が夜の帳を撫でる。

 全く、困ったものだ。本来もっと感傷的な気分になってもおかしくないのに、彼女の軽いノリのせいで苦笑いが漏れてしまう。

 ロウは振り返り、もう一度だけ、並んだ小さな盛土を見た。

 石の目印と、鉄槌の柄。月光はどちらにも等しく降りかかっていた。

 無事だったとはいえ、胸に溜まったもの、それから後悔や無念さが消えるわけがない。

 けれど、ロウは生きている。生きているならば、前に進まなければならない。


「……じゃあな、ふたりとも」


 最後にそう呟き、ロウはルヴィアの背に続いた。

 茂みが擦れ、土がわずかに沈んだ。黒の森の夜は深い。だが、足元には確かな重さが戻っていた。

 隣で鳴る軽やかな足音に、少しだけ救われた気がした。

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