番外編 落ちぶれガリウスの新生活!
翌日も、雑用の取り合いは続いた。
掲示板の前に立つと、若いパーティーが「お先」と笑って札を剥がす。笑顔は礼儀のつもりだろうが、今のガリウスにとっては煽りにしか感じなかった。
港の荷下ろしと護衛の仕事は、力自慢の連中に持っていかれた。魔物の討伐依頼は、手際のいい女剣士の一団がさらっていく。
もはやガリウスたちに回ってくるのは、残り物のさらに残りの依頼だけだった。
結局受けられた依頼は、下水清掃の二巡目。
スライムの入った袋は重く、その代わり報酬の入った袋は軽い。
次の日も、その次の日も、依頼は取れなかった。
受付係は言いにくそうに口を開きかけては閉じ、ようやく口を開いた。
「もうすぐ昼の便が──」
「申し訳ありません、先ほど埋まりまして」
ガリウスの腹の中で、何かが削られる音がした。柔らかいものが硬いものに擦れて、粉になる音。
「ちょっと! 私たちがDランクだった時、もっと仕事あったわよ!?」
シーラが受付嬢に怒鳴る。
しかし、受付嬢は「申し訳ございません……」と謝るだけで、それ以上何も言わなかった。
そのことについて、ガリウスは何となく覚えがある。
結局冒険者ギルドとしては、新しいパーティーや新人のパーティーを育てたいのだ。そのため、新人がやり甲斐を感じつつ、そしてさらに危険度の少ない依頼を彼らのために囲っているのだろう。要するに、依頼はあっても〝マッドドッグ〟に回したくないのだ。
きっと、ガリウスたちも新人だった頃、そうした仕事を斡旋してもらっていたのだろう。
こうして地に落ちた今なら、色々見えてくることもある。というか、新人の頃から今ガリウスたちがやっているような依頼ばかりさせられていたら、冒険者などみんなやめてしまう。
(マジかよ……)
たった数日。たった数日で、ガリウス率いる〝マッドドッグ〟は町のトップスターパーティーから最下層パーティーになってしまった。
まさか、引く手数多だった〝マッドドッグ〟がここまで落ちぶれるとは思いもよらなかった。
そんな日が何日も続けば、当然金も尽きてくる。
まだ何日分かは生活できるが、この安宿だっていつ追い出されるかわかったものではなかった。
昼を過ぎても仕事が決まらない日が二日続くと、ガリウスはシーラを宿に帰し、ギルドの外、路地裏の口入屋に足を向けた。
ギルド非公認の仕事斡旋屋──密猟者の護衛や屠殺場の解体手伝い。どれも安い日当で、事故が起きても泣き寝入りだ。だが、選り好みできる立場ではない。
「夜明け前に城外の生け垣まで来い。弓持ちが二人、お前は前に出て臭いの濃い方へ歩け。獣は鉄の匂いを嫌う」
口入屋の親父は、油のついた手で札を差し出した。
札には「狩猟区外・猪一頭につき銀貨三枚」と雑な文字。銀貨三枚──三人で割れば端金だ。だが、手ぶらでいるよりはましだった。少なくとも、宿を追い出されるわけにはいかない。
明朝の未明、そっと宿を出ていこうとすると、シーラがめざとく身を起こした。
「ガリウス、どこいくの?」
「……仕事だ」
「それって、ギルドの仕事……じゃないわよね?」
「仕方ないだろ。野宿になりてぇのか? お前はギルドで依頼でも見つけてこい。今日は俺が外で稼いでくる」
そう返すと、シーラは何も言わなかった。
そして、明け方、指定された場所に向かう。
霧の低い野に立つ。鼻の奥に湿った草の匂いが張り付き、そのすぐ下で、鍛冶場の鉄とは違う、生ぐさい金属臭が眠っているのがわかる。鉄は鉄でも、今のそれは『勝利の血臭』ではない。ただ流れて固まって、地面に貼り付いた汚泥だ。
密猟者の若い弓持ちが、ガリウスの脇を通りざま吐き捨てた。
「前はSランクだったんだってな。それがこんなところで小遣い稼ぎたぁ……すげえな。同情するよ」
弓持ちが笑って言った。頬の柔らかさにまだ少年の影が残る。
ぶん殴ってやろうかと思った。
だが、ここで暴れればこの男は即冒険者ギルドにチクるだろう。それに、この男を殺してしまえばその小遣い稼ぎさえできなくなってしまう。今、収入源を失うのは得策ではなかった。
ガリウスは唇の裏まで噛み、無言で歩を進めていく。
結局、その日仕留められたのは小ぶりの雌の猪一頭だけだった。報酬を考えれば、ほとんど赤字だ。
午後は屠殺場だった。
鉄の匂いがあるが、鍛冶場のそれとは違っていた。ここでは鉄は鈍く沈み、凝り固まり、床の溝に詰まって黒い筋をつくる。皮を剥ぎ、腱を切るたびに、湯気に似た霧が上がって鼻の粘膜に貼り付いた。
勝利の匂いはどこにもない。ここにあるのは『仕事の臭い』だ。生と死を同時にひき肉にする作業。誰かがやらなければならない仕事ではある。だが、まさかそれを〝マッドドッグ〟の自分がやることになるとは思ってもいなかった。
(こういう仕事がやりたくなかったから、俺は冒険者になったんじゃなかったのかよ……!)
悔しさで頭がおかしくなりそうだ。
持たざる者がその実力だけで立場をひっくり返すには、冒険者しかない。ガリウスには、その才能があったはずだ。
それなのに……今、ガリウスは昔の自分が最も居たくなかった場所にいる。
そのうち、ガリウスの思考は止まっていた。正気を保てなくなりそうだったからだ。
掛け声に従って、ただ身体を動かす。刃は肉を裂き、関節を外し、骨から肉をはがした。やっていることは冒険者と似ているのに、これほどまで違うのかと、ガリウスはぼんやり思った。
休憩の鐘が鳴って、外で水を飲んでいると、通りがかった若い冒険者に声を掛けられた。肩から新品同様の革鎧をぶら下げ、腰には安物ながら柄が磨かれた短剣。顔の皮膚がまだ旅に慣れていない。確か、最近Cランクパーティーに昇格したばかりの新人パーティーのひとりだ。
「やあ、元Sランクのガリウスさん。治療薬、余ってない? さっきの討伐依頼でちょっと怪我しちゃってさ」
「……治療薬くらいテメェで準備しろや。それが冒険者ってもんだろうが」
ガリウスが睨みつけて、返した。
治療薬なら持っている。今朝の密猟で万が一怪我するかもしれないと思って買っておいたものだ。
だが、若造も怯まない。むしろ得意げに言葉を畳みかけてきた。
「つっても、あんた屠殺場で働いてんだろ? ほら、サービスしてよ。どうせ、その治療薬も使われないんだろうしな」
「…………」
ぎり、と奥歯を噛む。
その通りだ。屠殺場で怪我などするはずがない。仮にしたとしても、屠殺場には職員用の薬がある。自前の治療薬は必要なかった。
「説教するわけじゃないけどさ、投資って概念、知ってる? 僕に投資しといた方がいいと思うけどな~」
「はっ。テメェみてぇなガキに投資して何なるんだよ」
「わかってないな~。もし僕たちが苦戦する依頼があったら、助っ人を頼むかもしれないってこと。まあ、別にあんたじゃなくてもいいけどね? 〝半竜使い〟のロウさんなら助けてくれるかもだし。誰かと違って、あの人優しいしめっちゃ強いしな~。あ、誰かお漏らしさせられてたんだっけ?」
これ見よがしに、ロウの名前を出してこちらを見てにやにやと笑う。奥歯に、さらなる力が加わった。
殺してやりたいくらいムカついた。素手でも、こんなガキくらい簡単に殺せる。しかし──ガリウスは怒りを何とか抑え、腰から瓶を外し、彼に差し出した。
「……ほらよ。さっさとテメェで買えるようになれよ。銅貨二枚でいい」
「お、ありがと! 市場価格より安いじゃん。良心的だな。さすが元Sランク、投資先の意味わかってるぅ」
若造は嬉々として言うと、薬液を傷口に垂らした。
過剰に痛がって顔をしかめ、それから「んじゃ、何かあったら助っ人頼むよ」とだけ言い残し、笑って去って行った。
背を向けた瞬間、腹の底から何かがひっくり返るような音がした。吐き気か怒りか、判別がつかない。
本気で殺しそうになった。でも、冒険者同士の私闘は禁じられている。ここで暴れれば、ギルド追放の命令が即日に下されるだろう。今、ガリウスたちは一切の怒りも抱いてはならないのだ。
屠殺場での仕事を終えて、宿へと戻る途中。
通りを歩いていると、店の前で呼び込みをしている娼婦と目が合った。
今日、朝から一日中クソみたいな仕事をしていたせいだろうか。普段なら娼婦になぞ何とも思わないのに、今日はムラッと欲望が下半身を刺激した。
これまで、娼婦たちはこぞってガリウスと寝たがっていた。金にならなくてもいい、無料でいいから一回だけ、と腕を取ってきたくらいだ。金で買える女に価値などないと断っていたが……あの娼婦は、その中のひとりだ。今なら、相手をしてやらんでもない。
「よお、お前。そういや昔、無料でいいから相手してくれって言ってたよな? 今なら俺が相手を──」
「は、誰? キモ。何であんたみたいな臭い男に無料で相手しなきゃいけないの。死ねよ」
娼婦はゴミでも見るかのようにガリウスを一瞥してから軽く舌打ちをして、ガリウスの後ろにいた別の客を呼び込んだ。
「えっ……?」
娼婦に振られるとは思ってもいなくて、頭の歯車が一枚、軸から外れた。
その時、ふとガラスに映った自分を見る。
汚らしく、返り血でドロドロに汚れた服。見るからに臭いそうな外見。英雄ガリウスの姿には、到底思えなかった。
今の娼婦は、ガリウスだと認識さえしていなかったのだ。




