第23話 依頼完了!
それからは特に大きな問題が起きることなく、隣町には到着した。せいぜい、ロウの二日酔いが馬車揺れと酒の追加によって悪化したことぐらいだが──ロウにとっては重大な問題だが──依頼には関係がない。
峠を下りきるころには、陽はまだ高く、赤茶の屋根と石造りの塀が連なって見えてきた。門前の露店には乾いた草と薬草の束が吊され、油紙で包まれた膏薬の匂いが風に乗って鼻を擽る。
ロウたちは隊長に礼を言い、荷台から跳ね板を跨いで降りた。
「薬屋はこの通りを突きあたりを右に曲がったところだ。看板があるからすぐにわかる」
隊長は丁寧に薬屋の場所まで教えてくれた。
「あと、すまんが帰りは送ってやれない。うちで別の馬車を手配するから、そっちで帰ってくれないか? ここで待たせておくよ」
「ありがとう、助かるよ」
どうやら、隊商はすぐに別の町へ向かわないといけないらしい。鎧蜥蜴のせいでスケジュールに遅れが出ているので、大変だそうだ。
「それはじゃあな、〝半竜のルヴィア〟とそのご主人。また護衛を依頼させてくれ。あんたらなら、そこらの冒険者や傭兵よりも、全然頼りになる」
「酒を多めに積んでおいてくれるなら、あたしらはいつでも大歓迎だ。な、ロウ?」
「……酒は別になくてもいいけどな」
うっぷ、と吐き気が蘇ってきて、思わず口を覆う。
そんなロウを見て、隊長とルヴィアは呵々として笑っていた。
それから隊商と別れ、ロウたちは薬屋に向かった。
隊長に言われた通り、石畳の通りの突き当りを右に曲がる。すると、それと思しき店はすぐに目に入って来た。
店先の看板は木彫りで、臼と乳鉢の印。鈴を鳴らして入ると、棚には瓶と束と粉袋が規則正しく並んでいる。奥から白髪交じりの薬師が顔を出した。
ロウが薬の名前と事情を告げると、薬師は「ああ」と頷き、用意していたらしい包みを持ってきた。眼尻の皺を寄せ、すまなそうに言う。
「すまんね。こっちから届けに行く段どりだったんだが、峠に鎧蜥蜴が出たってんで、荷も人も足止めさ。おかげで待たせちまった。間に合うといいが……」
「大丈夫。間に合わせるさ」
ロウは即答した。包みは掌にずしりと重く、乾いた草の匂いに鉄のような苦味が混じっていた。
肩で振り返ると、入り口でフードを被って待っていたルヴィアが小さく頷く。
それから先ほどの場所に戻ると、隊長が手配してくれた馬車が、ロウたちを待ってくれていた。
礼を述べるとともに、ルヴィアとともに荷台へ飛び乗って町へと戻る。
帰り道は上り勾配がきついが、時間の方が厳しかった。馬の首元で鈴が短く鳴り、車輪の軋みと蹄の音が、焦る気持ちを一定の拍で押し鎮めてくれる。
峠では既に鎧蜥蜴の巨体が片付けられており、血の黒い跡だけが残っていた。
町の屋根が見えはじめると、ロウは膝の上の包みを確かめた。
間に合うだろうか? さすがに大丈夫だとは思うが、若干不安でもあった。
少年の顔が浮かぶ。泣き腫らした目、握りしめていた銅貨。胸の奥が、あの軽さの手触りを思い出して疼いた。
町に戻るや否や、ふたりはすぐに少年の家に向かった。
少年の家は、表通りから一本入った小さな長屋だ。戸口に辿り着いた瞬間、内側から小走りの足音がして、引き戸が勢いよく開く。少年が目を真っ赤にしたまま飛び出してきた。
「お兄ちゃん!」
呼ばれた名に、ロウは少しだけ戸惑う。兄ではないのだが──まあ、今はいい。
寝床に案内されると、薄い布団の上でひとりの女が上半身を起こしていた。頬は少しこけ、額には汗。だが、目ははっきりしている。女はロウたちを見るなり、息を呑んだ。
「あなたたちは……?」
「薬を持ってきただけさ。あんたの息子からの依頼で、隣町から届けに来た」
ロウが包みを少年に差し出すと、女は「まあ……うちの子が!」と驚いた様子で口を手で覆った。
「ほら、ぼっちゃま。さっさと水持ってきてやんな」
「あっ!」
ルヴィアに促され、少年が慌てて水と椀を用意する。
彼は慣れた手つきで手早く紙包みをほどき、粉を均し、湯で溶いた。
少年から薬を受け取ると、女は顔をしかめながらも、躊躇いなく飲み干した。喉が上下し、長く細い息が一つ落ちる。
しばらくして、苦味の残り香が薄れたころ、女の呼吸が少し楽になったのが見てとれた。肩の上がりが浅くなり、強張っていた眉間がほどける。少年が堪えきれないように母の手を握った。
「……助かりました。本当に、ありがとうございました」
女は絞るような声で言い、布団から身を起こした。
布団の脇に置いてあった巾着を探り、中から小さな銀貨を数枚取り出そうとする。
「お礼はこちらで……少なくて申し訳ありませんが」
「いらない。報酬はもう、頂いてるよ」
「頂いてる、とは?」
「あんたの息子から、銅貨何枚かでな」
ロウは肩を竦めて少年に笑ってみせると、少年がはっとこちらを見た。
「お兄ちゃん……ありがとう!」
︎少年はロウに抱きついた。肩口に小さな額が当たり、鼻をすする音が震えながら広がる。
続いて、ルヴィアのところまで行って──
「ドラゴンの姉ちゃんも、ありがとう」
彼女の腰に、そっと抱きついた。
ルヴィアはぎょっとしつつ気まずそうに視線を逸らし、窓のそとを見た。けれどその口元は、わずかに柔らかく歪んでいる。
彼女はどこかぎこちない様子で、少年の頭にぽん、と軽く手を乗せた。
「ばか野郎、男がそうピーピー泣くんじゃねえよ。お前は自分のできることをやったし、あたしらもできることをやった。それでオーライだ。そうだろ?」
「……はい」
少年は涙声で頷き、袖でごしごし目を拭った。
帰る時、女が深く頭を下げた。骨張った背中に、家の灯りが薄く差している。ロウは一礼を返し、戸の外へ出た。
玄関まで見送ってくれた少年も、ロウたちに改めて深々と頭を下げた。
「兄ちゃん、本当にありがとう。また遊びに来てね」
「ああ。お母さんを大事にな」
「うん。ドラゴンの姉ちゃんも、またね」
「……おう」
少年がにこにこと手を振ると、ルヴィアは照れ隠しなのか、顔を背けたまま尻尾で応えていた。
夕方の光は柔らかく、干し洗濯物の間に風が抜ける音がする。
「はあ……疲れた。飯食ってさっさと寝たい……」
これまで戦闘でも全く疲れた様子を見せなかったルヴィアが、珍しくぐったりと肩を落としていた。
「子供に懐かれるの慣れない、か?」
「……うっせぇ。あたしに子守りができるかよ。ベビーシッター代寄越せ」
ルヴィアはケッと毒づき、顔を背けた。ただ、その尖った耳が少し赤い。
子供が好きなのか嫌いなのか、きっと自分でもわかっていないのだろう。ただ、こうして向けられる人からの感謝に、まだ慣れていないだけだ。
これから人間の中で過ごすことで、彼女の新たな一面を知っていくのだろうか。それはそれで、少し楽しみだ。
「さて、それじゃあ帰るとするか」
「ああ。とにかく腹が減ったよ、あたしは」
ふたりは、どちらからともなく同じ方向に歩き始めた。
風に揺れる洗濯物の隙間に、月と蛇の看板が小さく覗く。ふたりの足は、自然とあの鈴の音へ向いていた。




