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第21話 小さな依頼

 路地裏は昼でも薄暗い。表通りの喧噪を厚い壁で遮ったように、音は痩せ細っていた。

 古い看板に月と蛇の意匠──〝ムーン・ドラッグ〟。二階が安宿、一階が酒場だ。鼻に抜けるのはラムと柑橘の皮、煮込みの香草、床板に沈んだアルコール。誰かが扉を押すと、鈴がしゃらりと鳴いた。

 時刻は昼前。客はまばらだ。壁際の卓で博打札を指でもてあそぶ男が二人、陽の筋から逃げるように、奥の席で酔っている男がひとり。柄はいいとは言えないが、刃物の匂いを隠すほどの騒ぎもない。

 さっきギルドの前でしゃくり上げていた少年は、今はテーブルの正面でガツガツと飯をかき込んでいる。空腹の時間が長すぎたせいか、飲み込むたびに喉が痛そうに動いた。

 ロウはその様子を眺めながら、深煎りのエスプレッソを啜る。鋭い苦味の奥に、かすかな甘みが残った。飲み過ぎた日の翌日は、これに限る。

 隣ではルヴィアが、野菜と炙った肉をパンで挟んだサンドに歯を立て、ラムで流し込んでいる。昼前から、だ。内心、まだ飲むのかと呆れた程だった。

 ここに来るまでの経緯は単純だ。ギルドの石段の陰で泣いていた少年に声を掛けたところ、返事より先に腹の虫が盛大に鳴った。訊いてみたところ、少年はもう丸二日ほど何も食べていないという。それでとりあえず、自分たちの腹ごしらえも兼ねて、ここ〝ムーン・ドラッグ〟まで連れてきたのだ。

 カウンターの内側から、ガラスの置き音と布巾のすれる音。バーテンダーのウェイバーが、にやにや笑いでこちらを覗いた。眉尻が下がっているのに、目は笑っていない。

 彼は牛乳を小鍋で温め、そのまま木盆に乗せて少年の前に置いた。


「よぉロウ。なんだ、新しく人身売買の商売でもしようってのか? ギルドで暴れたって話を聞いて一時間も経たねえってのに、随分と仕事熱心なこった」

「ンなわけあるか。ギルドの前でこの子が泣いてたから、話を聞こうってだけだよ」


 ロウは呆れて返した。

 このバーテンダーの口は、ルヴィアに引けを取らないくらい悪い。

 バーテンダーはルヴィアの方を見て、言った。


「なんだ、てっきり〝半竜のルヴィア〟の食糧にする気なのかと思ったよ。前のちっこいのよか、()()()が掛かりそうだしな」

「……期待通りのアホだな。どうせなら、あんたから喰ってやろうか?」


 ルヴィアが横目で睨むと、ウェイバーは肩を竦めて大袈裟に怯えて見せた。


「ひぇっ、怖ぇ怖ぇ。ドラゴンのクソになるのはごめんだぜ」


 下卑た笑いを喉の奥で揺らしながら、カウンターの影へ戻っていく。

 ルヴィアは小さく舌打ちをして、ロウに訊いた。


「あのバーテンは、あんたの友達かい?」

「そう見えるか?」

「いんや。ただ、知り合いにしちゃやけに馴れ馴れしいと思ってな。あたしにこれっぽっちもビビってやがらねえし。いけ好かない野郎だ」


 ルヴィアが煙草の箱を指で叩き、ちらりとカウンターを見やった。声を意図的に落としている。


「あいつは情報屋も兼ねてるんだ」


 ロウはカップの縁に唇を寄せたまま、短く答えた。


「ああ……なるほど」


 納得の吐息に、ラムの香りが混じった。

 ウェイバーの耳は早い。ロウが〝半竜のルヴィア〟を相棒にしたことも、ギルドで〝マッドドッグ〟と揉めたことも、そしておそらく、リナとプチが死んだことも、もう知っていたのだろう。

 その証拠に、ルヴィアと一緒に入店した時も、彼はほとんど驚かなかった。


「〝マッドドッグ〟にいた頃は、よく世話になってたよ。あいつの情報は固い。ここ〝ムーン・ドラッグ〟も、冒険者以外の人間と飲む時は使わせてもらってたしな」


 ロウはそこで「それに」と付け加え、指で天井を指した。


「上は俺の寝床でもあったんだ」


 この町にいる間、ずっと二階の安宿に寝起きしていた。〝マッドドッグ〟の邸宅は町内にあったが、入居が認められたのはリナだけで、ロウは門の外だったのだ。

 その理由は……今なら嫌になるほどよくわかる。


「さっき、ルヴィアの部屋も取ってもらったよ。馴染みの店は融通が利く。半竜だからって断られることもなし、さ」

「そいつはどうも。隣の部屋が獣人じゃないことを祈るとするよ。いびきが煩くて眠れやしねえ」


 ルヴィアはいつもの軽口を垂れると、バーカウンターの方に杯を掲げた。


「ヘイ、バーテンダー! ラムのお代わりだ。瓶ごと投げな」


 唐突な半竜の注文に、ウェイバーは顔を顰めた。

 

「落とすんじゃねえぞ、半竜。割りやがったらテメェの尻尾に雑巾を撒いて拭かせてやる」

「あいよ。如何様にでも」


 ルヴィアが軽く笑って応じると、ウェイバーは瓶を放ってよこした。もちろんルヴィアが落とすはずもなく、華麗にキャッチ。目の前の少年が、ルヴィアに気付かれないように小さく拍手をしていた。

 ちなみに……先ほどのウェイバーの『前のちっこいのよか、()()()が掛かりそう』という言葉は、ある意味正しい。ルヴィアの場合、酒代と煙草代が掛かり過ぎる。


「えっと……ご飯、ごちそうさまでした。おいしかったです」


 対面の少年が、ミルクの口を舐めてから器用に礼を言った。

 声はまだ小さい。ルヴィアの存在が、気になって仕方ないらしい。

 さっき石段で声を掛けた時も、半竜の姿を見て余計に泣き出した。今も、ラムの瓶と黄金色の瞳をなるべく見ないようにしているようだ。

 さっき拍手を送っていたところを見ると、興味は持っているのだろう。ただ、見慣れない種族ゆえに怖さも勝ってしまう──そんな様子だった。その気持ちは、わからなくもない。


「構わないさ。ちょうど俺らも飯を食おうと思ってたところだし」


 ロウが片方の肩だけ竦めてみせると、隣のルヴィアが「けっ」と小さく毒づいた。

 子供に怖がられたのが気に入らなかったらしい。尾の先が不満げに椅子の脚を突いている。ちょっと可愛いと思ったのはここだけの話だ。


「で、早速本題だけど……君がギルドの前で泣いてた理由は?」


 少年は匙を握ったまま、視線を落とした。言葉が喉でからまり、細く解けて出てくる。

 曰く、母親が病気なのだという。定期的に薬が必要だが、この町では手に入らない材料を使うそうだ。

 父親は王宮勤めの兵で、滅多に戻らない。薬師が本来なら町に来て薬を届けてくれるはずだったが、今月は何か問題があったのか、いつまで経っても来なかった。そうこうしているうちに母親の容態は悪化していき、急いで隣町の診療所へ取りに行かなければならないが、峠道は魔物が出る。だからギルドへ依頼を出した。

 ──けれど。


『報酬が安すぎる』

『危険度と釣り合わない』


窓口でそう突き返されたそうだ。

そこで、途方に暮れて泣いていた、というのがことの経緯らしい。


「いくらで依頼を出したんだ?」


 少年はおずおず、手のひらをひらく。そこに転がっているのは何枚かの銅貨。指の跡で曇った金属の色は、ここでの昼食代にも満たなかった。


「これだけです……薬代を残すことを考えると、払えるお金がなくて」

「なるほど、な」


 規約上、断られて当然の額だ。中抜きで食う冒険者ギルドからすれば、抜ける金がない依頼に意味はない。

 ルヴィアが銅貨を斜めから見下ろし、舌打ちを噛み殺した。視線が横へ逃げる。


(あれ、どうしたんだ? ……あっ)


 ロウはそこで、喉の奥で音をひとつ飲み込んだ。

 半竜の彼女は昔、母に薬を買ってやれなかった。村に降りることもできず、母は病に倒れた。

 似た色の痛みが、この銅貨に宿っているのだろう。

 エスプレッソの最後の一滴を舌で追ってから、ロウは息を浅く吐いた。少年の手のひらへ、そっと視線を戻す。


「……じゃあ、依頼成立だな」


 銅貨をつまむと、冷たい金属が爪先にひやりと触れた。


「え?」

「俺たちが引き受けるよ。薬を買って、帰ってくればいいだけだろ?」


 ルヴィアと少年が同時に目を見開く。向かいの椅子の脚が、驚きでぎっと鳴った。


「いいの?」

「ああ。どうせ、他にやることもないんだ。いいだろ、ルヴィア?」


 肩越しに問うと、ルヴィアは呆れたように笑った。だが、口の端の角度は機嫌がいい時のそれだ。


「……あたしはあんたの従魔だ。あんたに付き合うよ」


 言ってから立て続けにラムを一口やり、空の皿にパン屑を指で集める。集めながら、視線は少年から意識的に逸らされていた。

 何を想っているのだろうか。ふとそんなことを思うが、ロウは首を横に振る。今はそれどころではない。

 それからは、依頼内容の詳細の聴取だ。少年から薬の名と薬屋の名を聞き取った。文字を書けないと言うので、声で聞いたそれをロウが口の中で反芻し、記憶の棚の適当な引き出しにしまう。

 隣町の診療所の刻限、峠道の様子、最近の群れの出没。必要な断片をルヴィアと目配せで確認する。


「じゃあ、君は家に戻って母さんのとこで待ってろ。いいな?」


 少年は何度も頷いた。椅子から降りると、深く頭を下げて走り出した。

 扉の鈴がもう一度鳴る。月と蛇の絵が少年の背中に短く揺れて、消えた。


「さてと。じゃあ、俺たちも行くか。今日中に帰って来よう」

「あいよ」


 ロウたちも立ち上がり、勘定を済ませようとカウンターへ行った。

 財布に手をやるより先に、ウェイバーが言う。


「今日は俺の奢りだ」

「え? 何で」


 金にがめつい男が、奢りという。珍しい言葉だった。


「……俺からの手向けみてぇなもんだ。()()()は、たまにここにも来てくれてたからな」


 ちらりと横目でこちらを見て、すぐにグラスへ視線を落とす。

 磨く手は止まらない。声の温度が半歩だけ低かった。

 あの子とは……もちろん、リナのことだ。プチに残飯を分け与えてくれてもいた。ウェイバーとも、仲が良かったのだ。


「……悪いな」

「うっせ。とっととガキのお使いにでも行きやがれ」


 ウェイバーはいつもの調子でしっしと手を払った。

 手の甲に古い傷がいくつもある。そこに載っている感情は乱暴だが、刃は仕舞われていた。

 ルヴィアと視線が合い、思わずふたりで笑った。


「あんたがここを気に入る理由がわかったよ」

「だろ? この通り、口は悪いが人は悪くないんだ」

「いいからとっとと出てけって言ってんだろ!」


 背中に飛んできた怒鳴り声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 外の光が路地に斜めの帯を落とす。石畳の境目に砂が溜まり、猫がその端を歩いていく。

 ロウは銅貨を手のひらの中で転がしてみた。軽い。けれど、その軽さの中に、守らなければならない重みがある。

 そう、思った。

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