第19話 判決と決着
受付前の広間は、昨夜の酒の匂いがまだ石床の目地に残っているようだった。
観衆として冒険者たちが集まり、外套の裾と革鎧の肩が押し合いへし合いする。顔ぶれの半分は昨日一緒に杯を交わした連中だ。あれだけ潰れていて、また朝にはいつも通りギルドに顔を出す。そういうところはさすがだ、とロウは思った。
広間の中心に、天秤の紋章が掲げられた立ち会い台。その背にギルドマスター、手前に査定官。さらにその前に、ガリウスとサムソン、シーラが横一列に立たされていた。
ガリウスがこちらをぎろりと睨みつけ、獣のように鼻翼を鳴らす。サムソンは頑丈な顎を固く結び、ロウと目が合う寸前に視線を逸らした。シーラは肩を竦め、怯えた小鳥のように周囲の視線から逃げ回っている。
査定官が一歩前へ出て、声を張った。
「では、これから〝マッドドッグ〟への裁定結果、及びランク審査の結果を発表する」
ざわ、と周囲の視線が交わり、囁きが波紋のように広がった。昨夜から植え付けられた「秩序」の気配が、広間全体を薄く覆っている。
査定官は書板を一枚めくり、明瞭に読み上げた。
「冒険者ギルドは仲間を見捨てる行為を重罪と定めている」
短い一文が重しのように落ちる。
彼は続けてもう一枚を掲げ、同じ調子で言い渡した。
「虚偽報告も同じく、ギルド規律を揺るがす背信行為」
そこから先は、事実の列挙になる。
尋問の結果として、〝マッドドッグ〟がロウにだけ不当に報酬を分配していなかったことも明らかになった、と査定官は続けた。
ロウは肩の奥で小さく息を吐く。驚きはなかった。自分だけ報酬が少ないことには気付いてはいたが、言える立場ではなかっただけだ。
おそらく、サムソンあたりが口を割ったのだろう。彼の俯き加減の横顔が、僅かに強ばった。
査定官は視線を全員に巡らせ、淡々とした声音で結論を掲げた。
言い渡された罰は苛烈だった。
まずは金だ。ロウを死んだと偽り、リナを見捨てた罪状に対して、莫大な賠償金が科される。査定官の口から出た額は、〝マッドドッグ〟がこれまでに築いてきた財産の大半を根こそぎ奪う規模だった。さらに、依頼報酬の未払い分についても、残らずロウへ支払うよう命じられている。
続いて地位の剥奪。かつて唯一のSランクと持ち上げられた看板は、あっさりと剥がれ落ちた。彼らに残されたのはDランクパーティーという称号。殆ど新人冒険者パーティーに毛が生えたようなものだ。受けられる依頼も格段に減り、収入も見込めない。
そして監視の網もかけられた。今後、一度でも規律を破れば即刻ギルドを追放。その記録はギルド間で共有され、他の町に逃げようとしても無駄だと念押しされた。
要するに、〝マッドドッグ〟はゼロから──いや、信用が目減りしている分マイナスからのスタートになる。この処分で折れて、普通ならば冒険者を辞めるだろう。だが、ガリウスに冒険者以外の職が務まるとも思えなかった。やり直すしかないのだ。
「よっしゃぁ!」
「ざまぁみろ!」
「当然だ!」
歓声と罵声が混じり、鋭く響く。「ロウやリナちゃんが報われてよかった」と肩を叩いてくる者もいた。昨夜の杯の余熱がまだ残っていて、少し救われた気持ちになった。Sランクだからと特権で守られる秩序は、消え失せたのだ。
「もう終わりよ……」
シーラが半泣きの声で呟き、指先で目尻を抑えた。
サムソンは無言のまま、厚い胸板の陰で拳を握りしめている。
ただひとり、ガリウスだけが、歯噛みする音を隠そうともせず、屈辱と怒りで顔を歪めていた。
査定官が書板を閉じ、ロウの方へ目を向ける。
「ロウさん。異論はありますか?」
「特に」
ロウは肩を竦めて答えた。
十分すぎる罰だ。少なくとも彼らは、ここにいる冒険者たちの大半より下の扱いになる。今後、もうでかい顔はできない。
査定官が閉幕を告げようと、咳払いをした。
「では、これにて裁定結果、ランク審査結果発表を──」
「これで満足かよ、ロウさんよぉ……!」
査定官の声を遮って、憎々しげにガリウスがこちらを振り返った。
吐き捨てるように、彼は言葉を重ねた。
「まあ、満足だよなぁ!? 女寝取られて我慢ならなかったんだもんなぁ!?」
「ガリウス、もうやめろ!」
サムソンが低く制した。
だが、ガリウスは止まらない。彼に止まれる器がないことは、きっと誰もが知っていた。
「いやぁ、気持ちよかったぜぇ! お前の元カノの穴はよぉ! きっとお前の粗チンじゃ物足りなかったんだろうな? 気持ちよさげに喘いでよぉ! 俺のことが好きで好きで堪らなかったんだろうな!? 毎晩毎晩求めてき大変だったぜ、あの淫売!! なあ、あんな淫売女で童貞捨てたってどんな気分なんだ? まあ、どうせお前の粗チンじゃ奥まで届かなくて──」
床板が鳴る音より先に、ロウの身体が動いていた。
音速で間合いを詰め、胸倉を掴んで床へ叩きつける。腰のナイフを流れるように抜き、喉元へ突きつけた。刃先が皮膚を押し分け、血の玉がひとつ滲む。
「ぐあぁッ! ……い、痛ぇ。離しやがれ!」
ガリウスが暴れようとしたが、無駄だった。
ロウの左腕は石杭のように胸倉を押さえつけている。足が床を蹴っても、力は逃げなかった。
「おい、ロウ! やめないか」
「ロウさん、やめてください!」
ギルドマスターと査定官が同時に制止の声を飛ばし、観衆の冒険者たちの足がすくむ。
ただ、ルヴィアだけが肩を竦め、呆れたように口角を上げていた。
「ち、ちくしょう! な、何で雑魚ロウにこんな力が……!?」
ガリウスが涎を飛ばして呻く。
ロウは無視して、静かな声で重ねた。
「なあ、ガリウス。俺もそうであってほしいと祈っていたよ。そう、刃物を突き立てられて殺される直前まで神に救いを求めるシスターみたいに、心から、な」
「……は? な、何言ってんだ、テメェ!?」
ロウの言っている言葉がわからず、ガリウスの頭に疑問符が浮かび上がっていた。
気にせず続けた。
「リナがお前のことが心底好きで、愛していて、それで幸せだったなら。お前で満足していたら、どれだけ俺も救われていたかなって話さ」
「は、はあ? 満足してたに決まってんだろ? 俺との関係にな。テメェみてぇな粗チン早漏じゃ一生味わえねえような快楽に身悶えしてやがったよ。なんだ、悔しいのか? 女を喘がせられなくてよぉ!」
「かもな。でも、それなら……何でリナは、あの時俺を助けにきた?」
「──!? そ、それはッ」
ガリウスの目が泳いだ。
そう。もし、ガリウスの言葉通りなら。リナがガリウスに心底惚れていたならば、彼女のあの行動の説明がつかない。
ロウは胸の奥を掘り返すように、言葉を紡いだ。
「お前との時間に幸せを感じてたなら、あそこで俺のところに戻ってくる必要なんてなかった。そうだろ? あの時お前たち四人の正解は、俺を見捨てて生き残ることだったんだからな。なあ、どうしてだ? お前を愛していた女は、何で生きる道を捨てて俺を助けに来た? ひとりで残ったところで助からないことなんてわかっていたのに、何で助けに来たと思う? お前に満足している女が、わざわざ死ぬ覚悟であそこに残った理由は何だ?」
言いながら、掌にじんわりと熱が集まった。
怒りが、再び輪郭を得ていく。あの夜の砂の触感、血の匂い、リナの最後の声と言葉。
胸倉を掴む手に魔力が篭もり、布地が焦げる。焦げ臭が立ち上り、ガリウスの喉がひゅっと鳴った。
「ひ、ヒィッ」
「なあ、ガリウス。お前もだよ。あいつが気に入ったから欲しかったんだろ? 他の女じゃ代わりが利かないって思ってたから、わざわざ俺ごとパーティーに突っ込んだんだよな? それはいい。同じ男として、気持ち的にわからなくもないからな。でも、だ。じゃあ何であの時、無理矢理にでも引っぺがして連れて行かなかった? そうすりゃ、予定通り俺だけが死んで終わってた話だろ? なあ、どうしてだ? 教えろよ、ガリウス」
喉元の刃先を、さらにひと押し。赤が細く溢れ、つうと首筋に沿った。
周囲の音が消えている。誰も、ロウが纏う静かな殺気と怒気に割って入れなかった。査定官も、ギルドマスターも、シーラもサムソンも──声が出ない。ただ、ルヴィアだけがその光景を愉快げに眺めていた。
「お前は知らないと思うけどな。どうやら俺は、竜族と契約すると強くなるらしいんだ。半竜と契約したお陰で、今の俺はお前たちより強いし、お前らが小便撒き散らして逃げ果せた単眼巨人も素手で倒せる。人様の力のお陰でドヤるのは俺の主義じゃないんだが──まあ、そうせざるを得ない時もあるってことで。今は目を瞑ってくれ」
言いながら、ナイフの角度を紙一重で調整して、ほんの少し埋め込んでみせた。
ガリウスの瞳孔が開き、喉が乾いた音を立てる。
「お、おいロウ。やめ、やめてくれ……おい、おい!」
「なあ、ガリウス。今からお前のココに、もうひとつケツ穴をこさえてやってもいいんだが──俺は、どうすべきだ?」
ほんの数ミリ、切っ先をさらに沈めてやった瞬間──ガリウスの目がぐるりと白目を剥き、力が抜けた。
情けない水音が続き、股間からじょろじょろと温かいものが広がる。石床に薄い湖が広がっていった。
ロウはふっと笑みを浮かべ、殺気と怒気を霧のように解く。
「なーんて、な?」
肩を竦めて、おどけてみせる。握っていた胸倉を離し、刃を引いた。
張り詰めていた糸が切れ、査定官とギルドマスターが同時に安堵の息を吐く。
観衆の冒険者たちにも笑いが戻った。引き攣った笑みとともに、ガリウスのお漏らしを嘲笑する声が上がる。ただ、その目の奥に、わずかにロウへの恐怖が混じっていた。
「大した演技派じゃねえか、ロウ。ここにも名俳優がいたとは思わなかったよ」
すっ、とルヴィアがロウの肩に腕を回して言った。煙草の匂いが鼻孔を擽り、肩に柔らかな弾力を残す。
ロウは肩を竦めてみせた。
「ママが手作りパンケーキを作りたくなるぐらいには、か?」
「違ぇねえ。代わりにあたしが作ってやるよ。はちみつ代わりにテキーラぶっかけてな」
「勘弁してくれ。その単語だけで二日酔いが酷くなる」
「二日酔いには迎え酒が一番だ。そうだろ?」
ルヴィアが呵々として笑い、金の瞳が細くなる。
担架が運ばれてきて、気を失ったガリウスはそのまま乗せられた。ガリウスの小便が垂れるのを見て、職員が嫌そうな顔をしている。
シーラはそそくさとガリウスの後を追った。サムソンだけが一瞬こちらを見て、何か言いたげに唇を動かしてから、結局はシーラの後に続いた。
公開裁定は、そのままお開きとなった。
ざわめきが広場に流れ出し、誰かが鼻歌を口ずさむ。すぐさま、いつもの冒険者ギルドに戻っていた。
「なあ、ロウ」
担架が角を曲がって消えるのを見送っていると、ルヴィアが横で煙草を咥えたまま声をかけてきた。
「ん?」
「……ちょっとはスッキリしたかい?」
やけに優しい声だった。抱えているものを、ちゃんと見てくれている声音。
荒っぽくてガサツなくせに、こういうところに気が利くのが憎い。
「どうだかな」
ロウは苦笑し、首の後ろを指で掻いた。
「まあ、でも……スコーンって抜けた感じはあるかな?」
すっきり、とも、せいせいした、とも違う。
ただ、胸の底に粘っていたモヤモヤが薄くなり、呼吸が少し楽になった気がした。
「そいつは上々だ。そんくらいが丁度いい。何事もスッキリしすぎると、尾を引くからな」
そうなのだろうか? そうかもしれない。
怒りや苛立ちがスッキリし過ぎると、明日を生きるのも億劫になりそう、というのはある。ロウが復讐を生きる目的にしたくない理由がそれだった。
「──ほらよっ」
ルヴィアは楽しそうに言って、自分が吸っていた煙草をそのままロウの口へ咥えさせた。
「むぐっ。なんだよ、いきなり」
「ママからのご褒美だ。テキーラ仕込みのパンケーキは、お昼のデザートまで我慢しな」
「……そいつはどうも。パンケーキは、遠慮しとくかな」
唇に紙の感触、肺に薄い煙。
軽口を交わしながら、ロウはひと口吸い、空へ吐いた。
自分を虐げた相手に公的な裁きと私的な裁きを下した。心にひとつ、区切りがついたのは間違いない。
そこで、ふと煙草の吸口部分が僅かに濡れ、光が反射していることに気付いた。何かと考えてから彼女の唇を見て、一瞬ドキッとする。
(……バカか。童貞じゃあるまいし、こんなんで何を意識してるんだ)
ロウは呆れたような溜め息を吐いて、もう一口肺に煙を流し込む。
天井の高い広間の窓から、午後の光が斜めに差し始めていた。
これから、この半竜とどう生きていくのか。
ぼんやりと考えながら、ロウはもうひと筋、煙を空へ解いた。




