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第16話 〝半竜のルヴィア〟VS〝マッドドッグ〟

 裏手に回る扉は、表の重さと違って拍子抜けするほど軽かった。

 冒険者ギルドの建物の影を抜けると、乾いた土の匂いがぶわりと肺に入る。石垣に囲まれた広場。砂混じりの地面は踏み固められて脛の高さほどに緩くすり鉢状に沈み、その中央だけ、盛り土でせり上がっていた。即席の闘技台──いや、ここでは武舞台と呼ぶのがしっくりとくる。

 壁沿いには、訓練用の槍や剣を模した棒、刃を丸めた斧、革の打撃袋、登り綱、跳び台。塵を吸った麻縄が風に擦れて、ささくれ立った音を立てた。

 ここは、新人が最初に「冒険者らしい痛み」を覚える場所で、依頼のない者が体を持て余して汗を落とす場所でもある。

 そして……ロウにとっては、良い思い出がある場所ではなかった。

 真ん中の武舞台の縁に、靴底のすり傷が帯のように残っている。そこに立つだけで、背中が疼いた。

 ここでは、訓練と称してガリウスに何度も()()()()()

 打撃の入り方、転ばせる手順、冷えた笑い声。音も匂いも、皮膚の裏にまで沁み付いている。

 今、その舞台に四人が上がっていた。

 向かい合うのは、ルヴィアひとりと〝マッドドッグ〟の三人。

 舞台下の土の斜面を、先ほどギルドの酒場にいた連中が肩を擦り合わせながら埋め尽くす。

 野次馬根性だけが理由ではないだろう。〝半竜のルヴィア〟の実力を、その眼で確かめたい──そんな疑念と熱意、それから好奇心が、吐息の白さに混じって揺れていた。

 審判は査定官がやることになったようだ。彼が声を張った。


「では、各々訓練用の武器を取って──」

「いらねーよ、ンなもん。あいつらにも自分の得物使わせてやりゃいいじゃねえか」


 ルヴィアが説明をなめらかに断ち切り、顎でガリウスたちの武器をしゃくった。

 場がざわつき、査定官の眉間に縦の筋が寄った。


「し、しかしそれではあなたの命が……」

「はあ? あたしが負けるわけねーだろ。舐めてんのか、このクソ眼鏡」


 あまりにも真顔で言うので、観衆の何人かが乾いた笑いを洩らした。

 査定官は咳払いで態勢を整える。


「ですが、これはあくまでも練習試合です。命のやり取りを認めたつもりはありません」

「わーってるよ。あたしはこいつらが死なねえように手ェ抜けばいいんだろ? ンなこと、乳臭いガキでもわかるぜ」

「ぐっ……」


 普段は冷徹に見える査定官の顔が、はっきりと押し負けた。

 自由奔放なルヴィアを前にすると、査定官でも手に負えないらしい。

 ロウは喉の奥で笑いを噛み殺した。


「せっかく〝半竜〟様がこう言ってくれてんだ。俺たちは遠慮なく自分の武器を使わせてもらうぜ?」


 ガリウスが口角だけで笑って剣帯を撫でた。


「あいよ。どうぞ、ご自由に」


 ルヴィアは肩をほぐし、尾の先で砂を軽く掃く。


「それから、半竜の雌犬。一応確認だけしときてぇんだが……万が一、俺たちがお前を殺しちまった時は、どうなる?」


 ガリウスはにたりと目を細めて言った。

 野次馬のざわめきが一瞬だけ止まり、冷気がすっと広がる。ロウが思わず眉をひそめたそのタイミングで、ルヴィアが腹の底から笑い、肩越しに振り向く。


「おい、ロウ。お前、コメディアンなんかとパーティー組んでたのか? なかなか腕がいいじゃねえか」

「……俺も知らなかったんだが、どうやら最近転職したらしい」


 ガリウスの言葉に一瞬苛立ってしまったが、ルヴィアの軽口でそんな気分も吹っ飛んでしまった。

 やっぱり、彼女がいると全然違う。そう思わせてくれた。


「ははっ、そいつはいい! なあ、お前。冒険者よかよっぽど向いてるぜ。クビんなった後の稼ぎ口があってよかったな」

「ぐっ……」


 ガリウスの首筋に浮かんだ血管が、ぴくりと跳ねた。

 彼は査定官へ顎を突き出す。


「……よお、査定官。本人が許可したんだ。もうルールだの規定だのは言わせねえ。さっさと始めろや」


 唇だけで笑っているが、目は燃えている。血の匂いを嗅いだ犬と同じだ。

 査定官は一拍遅れて怒気を噛み、手を振り下ろした。


「ええい、どうなっても知らんぞ! ──始め!」


 練習試合と言う名の決闘が始まった。

 先に飛び出したのは、やはりガリウスだった。柄を握る指に無駄な力が入っていた。剣が唸り、靴が砂を撒き散らす。


「おい、連携大事にしろって言ってんだろ!」

「うるせぇ!」

「ああ、もうっ!」


 サムソンが渋々食らい付くように並び、シーラは後衛に下がって詠唱へ入った。

 三人の動きがバラつきながらも、数で押し潰す算段だ。


「さあ、踊ろうぜ。足は踏まないように注意しろよ、ぼっちゃん?」

「黙れ!」


 早速ガリウスの剣が空ぶった。

 言葉通り、ルヴィアは踊るようにステップを踏んでいる。ブーツの底が砂の上を撫で、斜に抜け、つま先で舞台の縁を踏んでくるりと回る。その都度、ガリウスの横薙ぎも、サムソンの斧の起こりも、掠りもしなかった。


「おーおー、突っ走るねえ。息切れしねえか?」

「~~~~──ッ!」


 サムソンが苛立ち、肩口から大振りを叩き込む。

 ぶん、と空気が鳴った瞬間、ルヴィアがふわりと宙を舞い、降り立った場所はガリウスの目の前だった。手刀で額を小突ける距離。

 彼女は愉快そうに笑い、左の人差し指だけぴっと立てた。


「タイムセールだ。左手一本でやってやるぜ」

「ほ、ほざけ~!」


 ガリウスが噛み合わない怒号を上げて踏み込む。

 剣の縁が閃き、左へ、右へ。ルヴィアは人差し指だけでその刃を迎えた。

 彼女の爪と金属の擦過音が響き渡る。もちろん、彼女の指からは血ひとつ流れていない。


「な、なんだとォ……!?」

「俺がやる!」


 サムソンが前へ出て、戦斧を振り上げた。

 ルヴィアは一歩だけバックステップで間を切り、斧の軌跡を空に食わせると──返す刀で跳び上がり、サムソンの頬骨に裏拳を軽く当てた。


「ぐわああああああッ!」


 軽く──本当に軽く見えた。だが巨躯は拍子抜けするほど容易く飛び、舞台の外の壁にまで叩き付けられて、そのままずるずると座り込む。サムソンの意識は、そこで飛んだ。

 観衆が息を呑み、次の瞬間には歓声とも悲鳴とも付かないざわめきが渦を巻く。


「退いて、ガリウス!」


 背後からシーラの詠唱が鋭く切り込む。

 ガリウスは条件反射で横跳びに退いた。


「およ?」


 ルヴィアがきょとんと眉を上げて、シーラの方を振り向く。

 そこには、シーラを中心に炎の魔紋が広がっていた。


「根源の理、無窮の力……死ね、化け物! 〈劫火輪葬インフェルノ・アナテマ〉!」


 詠唱の末尾と同時に、武舞台一面に細密な赤黒の魔紋が花開いた。

 地脈を吸い上げるように空気の層がぺきりと剥がれ、室内の温度が跳ねる。


「あれは……!」


 まずい。シーラの究極にして最強の火炎魔法だ。

 まさかいきなり切り札を切ってくるとは思わなかった。

 音が一瞬だけ世界から失せ、次に訪れたのは飴を煮詰めた鍋を逆さにしたみたいな熱の落下。

 熱波が押し寄せ、観衆の睫毛が焦げた錯覚に震え、肺が外側から握られる。砂は瞬時に白く泡立ち、ところどころがガラスに変わって光を返す。木製の柱からは水分が爆ぜる音が連鎖し、圧が鼓膜を内側から殴った。

 それは柱ではなく面で、同時に波でもあった。灼けた海が武舞台を覆い、波頭が逆巻くたびに影が焼き抜かれて残光だけが地に貼りつく。舌に金属の味が乗り、ロウは無意識に奥歯を噛み締めた。

 あの距離で、人が立っていられるわけがない。

 しかし、ルヴィアはにやりと唇の端を上げると、胸を大きく開いた。そして──


「フゥゥゥゥゥゥーーーーーーッ」


 思いっきり、息を吐き出す。だが、ただの息ではなかった。

 肺活量という言葉の範疇から外れた圧が、火炎の奔流の中核を真綿みたいに潰していく。渦を逆流させ、炎をばらばらの舌へほどいて消した。

 熱の幕が剥がれ、舞台の空が澄む。


「そ、そんな……」


 シーラは口をぱくぱくさせ、言葉を失っていた。切り札を吐息で消されるなど思いもよらなかったのだろう。もはや、彼女は完全に茫然自失していた。

 そこでルヴィアははて、と首を傾げた。


「なあ、ロウ。蝋燭の火を消すのは、バースデーソングの後だったか?」


 ロウへ視線だけ投げて、そう訊いてくる。

 場違いな軽口に、笑うより先に沈黙が落ちた。

 皮肉にすらなっていない。そもそも、それを冗談だと解するのに、時間を要してしまった。


「残念ながら、今日はあたしの誕生日じゃないんだ。当日は、フルーツタルトを所望するよ」


 軽口を重ねたかと思うと、ルヴィアの輪郭が一度ぶれ、次の瞬間にはシーラの真正面にいた。

 間近で見る八重歯に、シーラの膝から力が抜ける。


「そういや、ヒス女(あんた)には()()()()の借りがあったよな? 色ツケて返してやるよ」

「ヒィッ……」

「ほら、よ!」


 パァン、と乾いた音が響いた。腰の入った掌底ではなく、頬を軽く払うような女のビンタ。そのはずなのに──シーラの身体は空を泳ぐ木の葉みたいに空中で数回転して舞い、ぱたりと地面に落ちて力を失った。

 舞台の砂が再びしん、とする。恐怖が、言葉を飲み込んだ。

 ルヴィアが振り返り、人の悪い笑みをガリウスへ向ける。


「さて。後は、あんただけみてぇだが……続けるかい?」

「く、クソ……ッ! どいつもこいつも、使えねえ!」

 

 ガリウスは剣を構え直すが、その刃先は細かく震えていた。

 喉仏が上下する。視界の端で観衆が固唾を呑んだ。

 そんなガリウスの様子を見て、半竜(ルヴィア)は可笑しそうに笑った。


「おいおい、まさかブルっちまったのかい? 笑えるぜ。さっきまでの威勢はどこいったよ? あたしは半竜じゃなくて、そこらの亜人なんだろ?」


 返す言葉もなく、ガリウスは後ずさる。

 ルヴィアは間合いを詰めながら、ポケットから煙草を一本抜き取った。巻紙の端を軽く咥えて──火を灯す。


「ほら、(さえず)れよ。お笑いは得意だろ? 上手くいけば、勝利の女神様が微笑んでくれるかもな」


 言ってから、彼女は肺にゆっくりと煙を満たし、吐いた。細い白が、彼女の肩越しに尾を引いていく。

 審判も、観衆も、その様子を食い入るように見ていた。ガリウスの勝ち目は、万に一つもない。それは誰が見ても明らかだった。

 ガリウスがどう動くのか。その一挙手一投足に、注目が集まっていた。

 すると──


「す……すまなかったぁ! ゆ、許してくれぇ!」


 ガリウスの膝が折れ、両手を床についた。頭を地に擦りつけるようにして、無様なまでに身を伏せた。


「お?」


 あまりの変わり身に、ルヴィアが目を丸くする。

 観衆も一斉にざわめいた。あのガリウスが、土下座。見たことのない構図だ。

 ロウの胸にも、ふと違和感が生じた。あのプライドの高いガリウスが土下座など、有り得ない。何か狙いがあるに違いなかった。

 ルヴィアは煙草をひと吸いしてから目を細めると、肩の力をほどいた。


「なあに。別に許す許さねえの話じゃねえさ。これは訓練。だろ? ぼっちゃん。棄権するなら──」


 土に額を擦り付けた男の前まで歩み寄る、その刹那。


「なわけ──ねえだろ!」


 跳ね上がる影。隠していた短刀がぎらりと光り、刃が一直線にルヴィアの腹を狙う。

 だが、短刀(それ)が届くことはなかった。ルヴィアの指が、さっきと同じようにガリウスの手首を掴んでいたのだ。


「……よくできました。大層いい演技だったよ。家に帰ったら、ママに手作りのパンケーキをご馳走してもらわないとね」


 ルヴィアが軽口を言いながら、手に力を込めた。掴まれたガリウスの手首からメキメキと骨の悲鳴が響く。


「ぐあああああああッ」


 ガリウスは耐えきれず膝をつき、無様に崩れ落ちていった。まるで、さっきのギルド内の光景の再現だ。


「俳優にコメディアン、稼ぎ口が豊富なこって何よりだ。なあ、ぼっちゃん。それよか……あたしにこんな舐めた真似をしたんだ。他の連中より、多少痛い目を見る覚悟はあるんだよな?」


 黄金色の瞳に、殺意が篭る。

 ガリウスの喉から「ヒィッ」と情けない音が漏れた。観衆が一斉に息を止めるのが肌でわかる。


「あたしからのご褒美だ。パンケーキ代わりに受け取りな」


 その軽い言葉とともに、掴んだ腕ごとガリウスの体を真上へ放る。

 人間の体が土嚢のように天へ浮き、武舞台の天井に跳ね返って落ちてくる。ルヴィアは半歩だけ後ろに下がり、左手を真横へ構えた。親指に中指を引っ掛ける、子供の遊びみたいな構え──デコピンだ。

 ガリウスが落ちてきた瞬間、指先が小さく弾けた。

 ぱちん。乾いた微音。だがガリウスの巨体は、横薙ぎの衝撃にさらわれたガラス玉のように、真横へ飛んだ。

 空間を切り裂く重低音と共に、壁へ。サムソンが沈んだすぐ隣に、ひしゃげた影がひとつ増え、ずるずると滑り落ちた。

 本気のデコピン。それから、静寂。砂埃が斜光の柱の中で踊り、遠くで誰かが喉を鳴らす。

 査定官が硬い靴音を二歩鳴らし、ルヴィアに手のひらを向けた。


「……勝者、〝半竜のルヴィア〟」


 名乗りを待つまでもない結末だった。

 こうして、〝半竜のルヴィア〟とSランクパーティー〝マッドドッグ〟の戦いは、終焉を迎えた。

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