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第13話 ロウの帰還

 朝の空気は澄んでいて、井戸の縁に置かれた桶の水面まで静かだった。村はずれの木戸のそばで、ロウは昨夜泊めてくれた少女と村長に頭を下げる。言葉は多くいらなかった。礼と、また来る約束と、健やかであれという願いだけを残して、ロウとルヴィアは村を発つ。

 背には、Sランクパーティー〝マッドドッグ〟の背嚢。

 昨日まではうんざりする重さだったが、今は肩に乗る重みが骨に素直に沿っていた。


「あたしが持ってやろうか?」


 ロウが背嚢を背負い直すのを見て、ルヴィアが言った。


「これくらい自分で持てるよ。せっかく誰かさんのパワーを分けてもらえてるんだからな。身体でも鍛えておかないと」

「そいつは熱心なことで」


 ルヴィアは肩を竦めて、フードを揺らした。

 今、彼女は肩から深いフード付きのローブを目深く被っている。町に行くと告げたら、「このままでは混乱を招く」と、昨夜泊めてくれた少女が眠い目をこすりながら縫ってくれたものだ。

 頭部は角を包めるよう縦に深く、裾は尻尾ごと隠せるほど長い。――とはいえ完璧ではない。布は角に押し上げられて盛り上がり、裾の縫い目も一箇所だけ不自然に膨らむ。遠目には変わった兜か何かに見えるだろうが、近づけばすぐ「何かがおかしい」と気づく程度の誤魔化しだった。


「抱えて飛んでいってやろうか? その方が半日は早く着くぜ」


 村外れの畑道で、ルヴィアがぼそっと言った。

 フードの奥で金の瞳がこちらを向く。彼女の背の小さな翼が、ローブ越しにぴくりと動いたのが見えた。

 ロウは足を止め、空を見上げる。晴れ。気流は穏やかだが、首を横に振った。


「いや、やめておこう。ずっと飛んでられないんだろ?」

「……まあな」


 ルヴィアは肩を竦めてみせた。フードのため外からは分かりづらいが、布の山がわずかに揺れている。

 半竜の羽は不完全──彼女自身が言った言葉だ。

 戦闘時などの短い時間は飛ぶことができるが、鳥のようにずっと飛べるわけではない。あの小さな翼に魔力を流し込み、その力で飛んでいるに過ぎないのだろう。

 いつ何があるかわからない。彼女に無駄な魔力を使わせるわけにはいかなかった。


「特に急いでるわけでもないんだ。途中で牛車が来たら乗せてもらえばいいさ」

「あいよ」


 そんな会話を交わして、数刻程歩いた頃。遠方の農道から車輪のかすかな軋みが風に乗ってきた。

 ロウが耳を澄ますまでもなく、ルヴィアは気づいていたのだろう。彼女は素早くフードの縁を引き下ろし、息をひとつ吐く。

 やがて、二頭立ての牛車が近づいてきた。荷台には麦束と、町へ出す卵の籠。御者台の男は日焼けした頬に皺が刻まれていて、目尻に疲れが残っている。

 ロウが声をかけると、男は一瞬ルヴィアのフードの奥を見て体を引いたが、昨夜村での一件を小耳に挟んでいたのか、すぐに表情を緩めた。


「町までかい? まあ乗んな。荷の上でよけりゃタダだ。人助けの礼だとでも思ってくれ」

「助かるよ」


 ロウは礼を言い、ルヴィアと並んで荷台に腰を下ろした。

 麦の匂いと牛の体温。軋む音がゆっくりと続いていく。村を離れ、街道へ入った。空はしだいに明るみ、朝露で草はきらきらと揺れていた。

 ほどなくして、ルヴィアは被っていたフードを取り、怠そうに頭を掻く。


「あーあー、かったりぃなぁ。何であたしがこんなもん被らないといけないんだよ」

「せっかく作ってもらったんだ。それに、あの子の言うことも尤もだろ?」

「そうだけどよー。どうせすぐにバレるだろ? これ」

「まあ、ないよりはマシさ」


 ロウは笑い、裾からのぞく尻尾の膨らみを指先で軽く叩いた。

 ルヴィアはふてくされたように鼻を鳴らすと、無言でローブの腹を押さえ、尻尾を収め直した。嫌がりながらも、慣れない『人の中を歩く』ための段取りを覚えようとしている……そんな風に見えなくもない。

 牛車は、緩やかな起伏をいくつも越えた。遠くで雲雀が鳴き、畦で子どもが犬と走っている。

 荷台で揺られながら、ロウは意識を内側へ落とした。

 結び目の線は、静かに温かい。昨日の戦いで暴れた魔力は、今は浅い呼吸に合わせてわずかに膨らみ縮んでいるだけだ。どこか不思議な安心感があった。

 横を見ると、ルヴィアは麦束を背凭れにし、フードを外したまま、爪を弄っていた。視界が遮られて、窮屈に感じるのだろう。あまり被っていたくはないらしい。

 そこで、前方から二人組の農夫が歩いてきた。ルヴィアはすっとフードを被り直し、顔を伏せる。農夫らは何気なくこちらを見て、ローブの奇妙な頭の膨らみを二度見したが、牛車とロウの顔を見て通り過ぎていった。御者台の男がさりげなく手を挙げてくれたのも、効いたのだろう。

 しばらくして、ルヴィアがぼそりと訊いてきた。


「で? 町には何をしにいくつもりなんだよ」

「こいつを返してやろうと思ってな」


 ロウはどでかいパーティーの荷物をぽんと叩いた。

 町に戻ったら、一旦ガリウスたちに荷物を返そうと思っていた。食べ物類は()()()で殆ど使ってしまったが、それ以外のものは残っている。彼らにとっても大切な荷も多かった。

 だが、もちろん納得できるルヴィアではない。


「はあ? お前を見捨てた連中の荷物だろ? 金とか使えそうなもんだけかっぱらって捨てちまえよ」

「まあ、それも考えたんだけどな。実際に、冒険者カードなんかはないと困るだろうし」


 ルヴィアが大きく息を吐く。

 フードの内側で耳が寝たのが、布の動きで分かった。


「あのなぁ、ロウ。お前の甘ちゃんっぷりはあたしも嫌いじゃねえが、さすがに今回のは度が過ぎてる。そいつらは、お前にとって大切な連中を殺したんだ。どこに情けをかける必要がある?」

「情けをかけるつもりはないさ。なんていうか……ケジメみたいなもんかな」

「ケジメ、ねえ?」

「そう。()()()()()()()()()()()()()()()、ケジメをつけにいくんだ」


 そう言ったとき、自分の声が思いのほか低く落ち着いているのにロウは気づいた。

 胸の奥で小さく鳴る鼓動が、昨日の戦の残響ではなく、別の輪郭を帯びている。怒りに任せて殴るのではなく、線を引き、約束を破ったツケを支払わせるための静かな熱。


「……なんだ、ビビってるわけじゃねえのか。なら安心だ」


 ルヴィアは一瞬きょとんとした顔をしてから、口角を上げた。


「当たり前だ。お前のお陰で、今や俺はあいつらよりも強いんだぞ。何でビビる必要があるんだよ」

「いや、なんか甘っちょろいこと言ってってから、てっきり……」

「大丈夫さ。舐めたこと言ったら、ブッ倒す」


 ロウは軽く拳を握る。

 まさか、自分の口からガリウスたちをブッ倒すという言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。

 でも、今のロウにはそれも可能だ。それも、とても容易に。()()()よりも、簡単なことだった。

 ルヴィアはパシッと自分の手のひらを拳で叩いた。


「面白くなってきたじゃねえか、ビッグボス。どうせならあたしにやらせろよ。あんたの従魔が〝半竜のルヴィア〟って知ったらどんな反応が見れるか、それも一興だろ?」

「それはそれで見物かもな。楽しみにしてるよ」


 御者の男が、くくっと喉の奥で笑った。会話の意味は分かっていないだろうが、空気で察したのだろう。

 牛車は、川にかかる古い石橋を渡った。朝日が川面にぎらりと跳ね、荷台の陰に複雑な模様を描いていく。

 正午が近づくにつれ、道は少しずつ人通りが増えて賑わっていった。行商の荷車、鍛冶屋の徒弟、修道服の若者、剣を吊るした旅人。視線がロウと荷へ向き、フードを被ったルヴィアで止まる。

 彼女は都度、やや深めにフードを引いていた。昨日の少女の言う通り、最初のうちは余計な混乱を招かないのが一番だ。

 プチと違い、彼女の容姿は()()()()()()()()()()()()()。竜の角や翼、尻尾といった異形の特徴。テイマーの従魔だと理屈で理解する前に、身構えてしまうのが人の性だ。

 途中、牛車は分岐で道を分かれ、御者の男とはそこで別れた。礼を言い、麦粒の混じった乾いた手を握る。

 徒歩に戻ってからの道のりは緩く長かったが、ロウの足取りは軽かった。肩の荷は重いが、心が支えられている。

 午後、町に近づくにつれて、土の匂いに石と糞の匂いが混じり始める。畑は牧草地に移り、遠くに白い城壁の稜線が見えた。見慣れた町のはずなのに、やけに久しぶりに見える。視界の端で、ルヴィアがフードの奥からじっと城壁を見つめている気配がした。

 門前には行列ができていた。商隊、農夫、冒険者、巡礼。荷の検めを受ける者、関税を払う者、役人に声を荒らげる者。いつもの喧噪がそこにはある。

 だが、ロウの胸に流れ込む風はどこか違って感じられた。きっと、隣に最強種の〝半竜のルヴィア〟がいるからだろう。自然と、自分に自信を持てている気がした。

 行列の最後尾につき、ロウはルヴィアのフードの位置を指先でそっと直してやった。角の形が浮き出にくくなるように、少しだけ余分を持たせる。彼女はむず痒そうに肩を揺らしたが、拒まなかった。


(……あの子に、礼を言わないとな)


 このローブがなければ、ここで騒動になっていたかもしれない。

 門が近づく。石と鉄の匂いが濃くなり、槍の先が陽を弾いた。番兵の視線は敏い。

 ロウは呼吸を整え、足を前へ出した。

 返すべきものを返しに行って、つけるべきケジメをつける。それだけだ。


「さて。あたしはバカどもの慌てふためく様でも拝んで楽しませてもらううよ」


 ルヴィアのほくそ笑む声が、微かに聞こえた。

 ロウも同じように笑い、返した。


「あまり期待するなよ。そんなにユーモアがわかる連中じゃないんだ」

「ああ、わかってる。どうせ、吟遊詩人が酒代欲しさに唄う三文叙事詩になるのが関の山だ」

 

 すぐ目の前には、冒険者ギルド。

 彼らがロウを目の当たりにした時、どんな顔をするだろう?

 今から楽しみでならなかった。

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