運命が動き出すとき
「あー、やっと外に出られた」
金色に輝く長い髪が靡いている。
高価なドレスとは対照的に足取りは軽い。
「アメリアの目をどうくぐり抜けようか考えていたけれど、上手くいってよかったわ」
彼女の後ろには荘厳な建物がそびえ立っている。その建物の反対側に彼女は足を進める。
まん丸の月が唯一の灯り。まっすぐに続く道をひたすら歩いて行く。
木々を越えると、そこには、大きな海があった。
「ふぅー。風が気持ちいい」
彼女は両手を広げながら風に当たっている。
「花嫁修業にはもううんざりよ……。しかも、外出禁止なんてやりすぎよね」
独り言を呟きながら、ストレスを発散する。
辺りはしんとして、波の音が静かに聞こえるだけ。
木々があった方からもカサカサと動物が動いた音が聞こえる。
歩き疲れたので、高価なドレスもお構いなしに砂浜に座り込む。
綺麗な月を見上げながら。
「この月を違う角度から見ている人たちもいるのよね。私のこの小さな世界よりも大きな世界が広がっているのよね」
ふう、と一息深呼吸して彼女は立ち上がった。
「くよくよしていちゃだめね。まだ頑張らないと!」
そうして踵を返した時、人の気配にやっと気がついた。
「よう、お嬢ちゃん」
「だ、だれ」
「こんな夜中に家を飛び出すなんて勇気あるじゃねぇか」
男の身なりはボロボロなのに、指には高そうな指輪が何個もしてある。
しかも、その指輪には見覚えがあった。
「……まさか、あなた」
彼女が自分の指を見たの確認して男は言った。
「そうさ、これはおまえさん家でかっさらってきた品物さ。ヒルトン家のお嬢ちゃん」
男の後ろからも仲間が数人出てきた。
ヒルトン家の令嬢は後ずさりするも、後ろは海だ。
どうしよう、ひとりならなんとかなったけれど、数人いたら太刀打ちのしようがない。
「ねえ、あなたたちの目的は何?」
「そりゃあ、お嬢ちゃんを捕まえることさ。令嬢は金になる」
歯を食いしばった。野蛮な奴らめ。
「だったら、これはどう?」
ヒルトン家の令嬢は履いていたハイヒールを両手に持った。
「ははは。笑わせるな。それだけで俺らが満足するとでも?」
ここは逃げて帰るしか……。逃げ足なら誰にも負けないし……。
考えているより、行動するしかない! と決め、ハイヒールを捨て、ヒルトン家の令嬢は走り出した。
「捕まえろ!」
さっきの男が叫んだが、彼らは走ってこなかった。さすがに、この速さには追いつけないとみたのね、と思った。
しかし、走り出してすぐヒルトン家のお嬢さんは捉えられてしまった。
「まだ、仲間がいたなんて……」
木々の方にはまだ仲間が隠れていた。
ヒルトン家の令嬢は両手を後ろで縛られ、海まで歩かされた。
「さて、今日は思わない収穫があったぜ」
さっきの男が嫌な笑顔を浮かべていた。
やっぱりちゃんとアメリアの言うことを聞いとけばよかったんだわ、と今さら思った。
海の方が何やら声が聞こえた。船がやって来た。
これはまずい。早くここから脱出しないと。でも、手が縛られているし、何よりこんな大人数を蹴散らすことができない。
でも!
「誰かー!」
声だけなら、なんとか発せられる。
「チッ。親分、このアマ叫んでるぜ」
「いいさ。ここは閑散としてるし、誰にも気付かれちゃしねぇよ。せいぜい叫ばせとけ」
それを聞いて、子分たちが見下しながら笑っていた。
「誰かー!いないのー!」
月も雲に隠れ、辺りは真っ暗となった。
すると、子分のひとりが倒れた。
「ウッ」
「おい、お前だいじょ……」
その子分を気遣おうとした子分もまた倒れた。そして次々に子分たちが倒れていく。
「お前ら、どうしたんだ?」
月が雲に隠れたことが幸いとなった。
暗闇の中、誰かが悪いやつらを倒してくれている。
そしてついに、親分も倒された。
倒れながら、親分が口を開いた。
「……おい、てめぇは誰だ」
「お前に名乗る筋合いはない」
男の子の声だった。
彼はヒルトン家の令嬢の縛られていたロープを切ってくれた。
「あの、ありがとう」
すると、彼はヒルトン家の令嬢の手を取った。
「走れる?」
「うん」
そう言うと、掴んだ手を引いて遠くに走り出した。
月が雲から再び顔を出していく。
だんだんと光が彼の姿が見えてくる。
ヒルトン家の令嬢と同じか少し高いくらいの背。肩くらいまである髪。頼もしい背中。
海辺で彼らが追いつけないくらい離れた場所へ移動した。
その頃にはまた満月が海を照らし、彼の顔はさっきより鮮明に見えた。
「あの、助けてくれて本当にありがとうございました」
「いや、俺も通りかかっただけだから」
静かに鳴る海の音が聞こえる。ヒルトン家の令嬢の心からはうるさい音が聞こえていた。
「じゃあ、気をつけて帰って」
「待って」
今度は、ヒルトン家の令嬢が彼の手を掴んだ。
「……名前。名前はなんて言うの?」
「俺に名前なんてないよ」
「えっ」
「捨てられたんだ。でも、周りからはリオンって呼ばれてる」
「そうなの……」
「あんた、その格好じゃあ、あそこのお嬢様とかなんだろ? 早く帰った方がいい。夜はゴロツキがよく来るから」
見た目からするとヒルトン家の令嬢と同じくらいか年下の男の子。
そんな壮絶な人生を歩んできたとは思わなかった。
「私はミラ。リオンがいうように、あのお城の者よ。あなたにお礼がしたいの」
リオンは少しムッとした。
「いいや、大丈夫。金持ちに世話になる筋合いはねぇよ」
リオンは手を離そうとするが、ミラがぎゅっと握ったまま離さない。
「やだ。リオンには助けてもらったんだもの。それにそういうのに、お金持ちだとかそうじゃないとか、関係ないから!」
しばらく、綱引きのようにお互いに引っ張り合った。
「手、離せよ。行かないって言ってるだろ」
「お礼もなしでなんて帰せません」
ミラの勢いの方が強かったのか、リオンが観念した。
「……わかったよ」
そう言ったのを聞いてミラが力を抜いたので、ミラは引っ張ったままのリオンの方に飛んでいった。
「……いたたた。ごめ……」
リオンの上に乗っかるような体勢になり、顔の距離は10㎝くらい。
リオンの瞳があまりにも綺麗で、思わず見とれてしまった。
ミラの瞳もまたリオンが見つめている。
輝く月の下、運命という歯車は回ってしまったのであった。




