06 叙任式1
新人官吏の控え室へと到着すると、カイはひそひそとリーゼルへと耳打ちした。
「リーはなるべく俺の後ろに隠れていて」
「うん……そうするわ」
言われたとおりにカイの背中へと隠れたリーゼルは、そこから少しだけ顔を覗かせて辺りの様子をうかがった。
「ここにいる者のほとんどがアカデミー出身だから、特に注意してね。話しかけられても俺が対処するから、リーは挨拶程度に留めておいて」
カイの注意事項を、リーゼルは真剣にうなずきながら聞く。
「――それから、一番注意しなければいけない人物が」
そうカイが言いかけた時、一人の男性が二人のもとへと近づいてきた。
「もしかして、カイ……?」
「久しぶりだな……パウル」
「久しぶり! アカデミーをすぐに退学してしまったから心配していたんだ。それじゃもしかして、後ろにいるのは……」
「ああ……。リーンハルトだ」
カイは難しい顔をしながら、リーゼルへと振り返った。
(リーンの知り合いみたい。挨拶したほうが良さそうね)
「久しぶりパウル」
とりあえすカイと同じように挨拶してみると、パウルは大好物でも発見したかのように瞳を輝かせながら、リーゼルの手を両手で握りしめた。
「リーンハルト! 俺のことを覚えていてくれたなんて嬉しい! あの時はごめんね。別に君を困らせたかったわけではないんだ。純粋に仲良くなりたくて、二人きりになろうとしただけで。あっ! 決してやましい考えがあったわけではないんだよ。ただ君があまりに魅力的すぎて俺も理性を保つのがやっとだったというか」
徐々に距離を詰められながら、まくし立てるように話し出すパウル。リーンハルトと再会できたことがよほど嬉しいのか、興奮しているようだ。
カイと挨拶を交わした際の彼とは別人のようで、リーゼルは急に怖くなる。
(この方。なぜ顔を真っ赤にしながら、私に迫ってくるの……)
「リーンハルトは変わらないな」
「相変わらず、なんというか……」
「俺、今でもいける気がする」
周りの反応も何か変だ。ただ注目を浴びているだけではない。なにか、嫌な視線が四方から突き刺さる。
リーゼルが今まで感じたことのない感覚。捕食者に狙われているのとはまた別の、不快に感じる視線だ。
これ以上は近づかないでほしいと思うところまでパウルが迫ってきたところで、カイが無理やり二人を引き離した。
「パウル卿。礼儀はわきまえてください。私たちは共に、家の名を背負ってこちらへ来ているはずですよ」
「あ……申し訳ないカイ卿」
「理解していただけたなら幸いです」
カイは再びリーゼルを背中に隠すと、室内にいる元クラスメイトたちを見回した。
「皆様にも申し上げておきます。学生の時のようにリーンハルト卿を困らせることのないよう、よろしくお願いします」
その言葉によって、上気しているようだった雰囲気は一気に鎮火するように静まり返る。元クラスメイトたちは、気まずそうにリーゼルたちから視線をそらした。
(男性だけの世界って、独特なのね……。とにかくカイがいてくれて良かったわ)
リーゼルがほっと息をはいていると、カイが振り返った。「カイ、ありが……」と礼を言いかけたリーゼルは、再び全身に緊張が走る。カイは笑みこそ浮かべているが、今まで見たことがないほど怒っているように見えたのだ。
「リーンハルト卿も、絶対に彼らと二人きりになってはいけませんよ。とっても危険ですからね」
「はっはい」
(今はカイが一番怖いんだけど……!)
それからしばらくして、皇宮の官吏が控え室へと入室してきた。彼は控え室の雰囲気など気にする様子もなく中央まで進むと、新人官吏たちを見回した。
「ではこれから、配属先を発表します」
その声に皆は、期待するような表情で官吏のもとへと集まり出した。
その中で一人、リーゼルだけは不安な表情でカイの隣にいた。
「カイと離れちゃったらどうしよう……」
さきほどの雰囲気だけでも、自分一人の手には負えなかったのに、あのような男性の輪に馴染める自信がない。
「大丈夫。同じ故郷の者は同じ部署になるらしいよ」
「そうなの? 良かったぁ……」
貴族の後継者を呼び寄せて官吏をさせる理由は、将来的に領地運営に役立てるため。それが理由なら、領地ごとにまとまっていたほうが良いようだ。
「カイ・アイヒ卿、農林省」
(シャーフ家の領地の大半は農地だものね。農林省の方とお知り合いになれるのはありがたいわ)
「――以上です」
(あら……。私の配属先が無かったわ)
てっきり、カイの次に呼ばれるものばかり思っていたリーゼルは、不思議に思いながらカイと顔を見合わせた。カイも困惑している様子で、官吏へと手を挙げる。
「すみません。リーンハルト・シャーフ卿が呼ばれておりません」
「リーンハルト・シャーフ卿……? リストには――」
リストを見返した官吏は、「あっ」と思い出したように、リーゼルへと笑みを浮かべた。
「良かった、歓迎しますよ。配属先は、カイ・アイヒ卿と同じく農林省で調整しておきますね」
「はい。ありがとうございます……」
良かった。とはどういう意味だろうか。
部屋を出て行く官吏を見送ってから、リーゼルはこてりと首を傾げながらカイに視線を向けた。
「今の、どういう意味かしら?」
「なんだろうな……?」
鼻歌交じりに軽やかな足取りで廊下を進んだレオンは、「陛下、朗報ですよ」と言いながら皇帝の執務室のドアを開けた。
このように気軽な態度で執務室へ入れる者は、彼と、あともう一人くらいだ。
「どうかしたか?」
そのような態度にも気分を悪くすることなく、ディートリヒは書類から視線を上げて尋ねた。
「官吏になるのを一年ほど先延ばしにしたいと嘆願書を送ってきていたリーンハルト・シャーフ卿が、叙任式へ来られました」