23 住み込みのリーゼル4
その夜。リーゼルが仕事を終えて部屋に戻り、寝る準備を整えた頃になっても、隣の部屋にディートリヒが戻った気配はない。
そっと扉を開けてみたが部屋の中は真っ暗。ベッドを使用した形跡もない。
(まだ、お部屋にお戻りになっていないわ)
心配になったリーゼルは、様子を見に行くことにした。
ディトーリヒからは夜は部屋から出るなと指示されているが、パウルの処遇はすでに皇宮中に知れ渡っている。簡単に襲われたりはしないだろう。
それでも陛下に心配をかけたくないリーゼルは、上着のフードを目深にかぶり、護身用の武器も持ち、こそこそと部屋を出た。
誰にも合わずに陛下の執務室へ到着すると、ドアの隙間から灯りが漏れていた。彼はまだ、この中にいるようだ。
ノックをしてみたが返事がない。
静かにドアを開けてみると、そこには執務机の上で伏せているディートリヒの姿が。
「陛下っ!」
慌ててリーゼルが駆け寄ると、彼は「……リーンハルトか」と確認しながら顔を上げた。
どうやら倒れていたわけではなさそうだ。
ほっとしつつディートリヒの顔を覗き込んだが、昼間よりも顔色が悪い。やはり具合が悪くて伏せていたのか。
「今すぐお医者様を呼んでまいりますね!」と部屋を出て行こうとしたリーゼルの腕を、ディートリヒが掴んで引き留めた。
「待て。俺はなんともない。うたた寝していただけだ」
「……本当ですか?」
そうは見えないが。疑いの目で見るリーゼルから、ディートリヒは視線を逸らした。
「それより、夜中に部屋を出たら危険だ。なぜここへ来たんだ?」
「陛下が心配だからです。近ごろいつもご体調がすぐれないご様子でしたので」
心配そうに見つめられて、ディートリヒは心臓がバクバクと波打つ。恐れられることは日常茶飯事だが、このように誰かから心配されたのは初めてだ。
よく見れば、ここまで来るために、彼自身もそれなりに身構えてきたようだ。
顔を隠すためのフードと、それに護身用の武器だろうか。
「……そのホウキは、護身用か?」
「はい。接近される前にこちらで、ひと突きにしようかと思いまして」
そこまでの勇気を持って、ここまで様子を見に来てくれたことが嬉しい。
ますますディートリヒは、リーンハルトに愛おしさを覚える。
「様子を見に来てくれて感謝する。部屋まで送るから、リーンハルトはもう休んでくれ」
「いいえ。陛下もどうか、寝室でお休みくださいませ」
「あ……いや。俺はこの机のほうが寝心地が良くてだな……」
「いけません! 今日は力づくでも寝室へお連れしますよ」
「待ってくれっ、リーンハルト……」
リーンハルトを振り払うことなどできないディートリヒは、なすすべもなく寝室へと連れ戻された。
ディートリヒの寝室へと戻ると、リーンハルトはテキパキと着替えを用意し始める。今日はどうしても寝室で寝なければいけないようだ。ディートリヒは徹夜を覚悟する。
「さあ、寝間着へお着替えしてください。お手伝いいたします」
「わかったから……。自分で着替えるからリーンハルトはもう下がれ」
こんな夜中に、リーンハルトがシャツのボタンを外している姿など、悠長に見ていられない。絶対に抱きしめてしまう。
ディートリヒは背を向けて着替えを始めた。
「では、陛下がぐっすりお眠りになれるよう準備をしてまいりますので、ベッドに入ってお待ちくださいね」
リーンハルトも無理に手伝おうとはせず、そう言い残して隣の部屋へと戻っていく。
(香でも焚いてくれるのだろうか……)
それなら番の香りも紛れて、眠れるかもしれない。
着替えを終えたディートリヒは、リーンハルトの指示どおりにベッドへと入り、彼を待った。
そしてすぐに戻って来たリーンハルトは、香の準備をしていたのではなく、なぜか羊の姿だった。
「お待たせいたしましたぁ」
「どうしたんだ、その姿は……?」
怖がらせた覚えはないし、リーンハルト自身も陽気な雰囲気だ。意味がわからずにいると、彼は「今夜だけ無礼をお許しくださいね」と断る。
そしてひょいっとベッドに上がると、ディートリヒの隣に座り込んだ。
「どうぞっ!」
つぶらな瞳をきらきらさせながらリーンハルトは、ディートリヒに何かをさせようとしている。
ふわふわの毛に覆われた、まるまるとしたフォルム。本能的に美味しそうという言葉が浮かんできた。
しかし食事として差し出されているはずがない。ますます意味がわからない。
「…………なにがだ?」
「私を抱きしめてお眠りください」
「はあっ……?」
ディートリヒは思わず間抜けな声を出した。
番の香りに当てられてうっかり襲ってしまわぬよう、苦悩してきたというのに。当のリーンハルトは呑気なものだ。
「皆、私を抱きしめて寝ると気持ちいいって言ってくれるんです。モフモフには自信がありますのでっ」
しかも自慢げ。
「皆とは一体、誰のことだ……」
そのご自慢のモフモフを、どの男に触らせていたというのだ。カイ・アイヒか。それともアカデミーの同級生たちか。
ディートリヒの頭の中は嫉妬で爆発しそうになる。
そんな気持ちにも気づかないリーンハルトは、きょとんとした顔で首をかしげる。
「もちろん家族ですよ?」
ばかばかしい妄想が一気に鎮火されて、ディートリヒはため息をついた。
完全にリーンハルトに振り回されている。
「リーンハルトは……、そのような無防備な姿をして、俺が怖くないのか?」
「陛下はいつも、お優しいですよ?」
「食べるための準備だったかもしれない」
「陛下は叙任式の際に、皆が怖がらないように気を遣っておられましたよね。そのような気遣いをしてくださる方が、獣人を食べるはずがございません」
まさかあの時の行動の意図に、気づく者がいたとは。
相手に恐怖を与えない努力は常にしてきたが、初対面で気がついてくれたのはリーンハルトが初めてだ。
ディートリヒは嬉しくて涙が出てきそうな顔を隠すため。いや。それを言い訳にして、リーンハルトに抱きついた。
「……確かに。家族が言うだけのことはあるな」
「お褒めくださりありがとうございます。お眠りになれそうですか?」
「ああ。もう夢の中にいるような気分だ」
ディートリヒは、この世の幸せを全て集めて抱いているような気分で、眠りについた。