11 侍従のお仕事2
カイはくいっと料理が並ぶテーブルへ親指を向ける。リーゼルは理解したように笑みを浮かべた。
あの一件があった後。ディートリヒは自分の食事だけでなく、皆が使用する食堂やこのようなパーティーにまで、新たなルールを設けた。それが、大勢の目に触れる場所に、肉料理を置かない。ということだった。
どのようにすれば恐怖心を和らげるかについては、リーゼルもいろいろと意見を聞かれた。
「陛下はもともとお優しいのよ。それより、私は自分が情けないわ……。物怖じしない性格だと、胸を張ったばかりだったのに……」
「仕方ないさ。領地では肉なんて見ることなかったし。これからいろいろ慣れなきゃね」
「そうね。給仕からは外されてしまったしこれ以上、仕事が減らないように頑張るわ」
陛下はメニューによって給仕を変えると決めたが、リーゼルは肉自体に慣れていないからと給仕を外されたのだ。
優しい性格だとは思っていたが、陛下は過保護なところがあるようだ。
リーゼルが決意を新たにしているところへ、皇帝の入場を知らせるラッパが鳴り響いた。
皆が注目する中、ディートリヒはユリアーネをパートナーにし、会場へと入って来た。
「素敵な衣装だね。リーが選んだの?」
「そうなの。陛下の衣装室はとても広くて、選ぶのが楽しいわ」
先ほどは陛下から、センスが良いと褒められたばかり。これからは、次の日の衣装を選んでから帰宅するようにと、新たな仕事を受けた。
「ところで、陛下のパートナーって番かな?」
「違うみたいよ。ほら、シュヴァルツとヴァイスは縁戚みたいなものでしょう? その関係で断れなかったそうよ」
「随分と詳しいんだね」
「陛下がお着替え中に教えてくださったの」
彼女とは婚約していないし、結婚する気もないと、なぜか熱心に説明された。少しの噂も立てられたくないのかもしれない。
陛下の挨拶が終わりパーティーが本格的に始まると、カイはすぐに農林省の上司に連れていかれてしまった。上司の知り合いでも紹介してくれるのだろう。
(私はどうしようかしら……)
本来ならリーゼルも、農林省の伝手で知り合いを作るはずだったが、陛下の侍従になってしまった。農林省関係の人脈作りはカイに頑張ってもらうしかない。
(私も、知り合いに話しかけに行こうかしら)
っと言ってもリーゼルが知っているのは、侍従の先輩か、同じ新人官吏くらい。この数日で、新人官吏とも何人か、話す機会があった。
叙任式の控え室で受けた印象とは異なり、気さくに話しかけてくれる人もいた。
カイからは気をつけるように言われたが、全員がリーンハルトと揉めたわけではないはずだ。
印象が良かった者に話しかけに行こうと移動していると、後ろから「リーンハルト!」と元気よく声を上げる者がいた。
振り返るとそこには、パウルの姿が。
「あ……。パウル卿」
控え室で会った時は、あの中で最も異常に見えた人。また詰め寄られないか心配していると、パウルは探るようにリーゼルの顔を覗き込んできた。
「一人? カイはいないの?」
「カイは挨拶まわりです」
そう答えると、パウルは何がそんなに嬉しいのか、頬を紅潮させながら笑みを浮かべた。
「良かったら、静かな場所へ行かない? リーンハルトは目立つのが嫌だろう?」
「あの……。でも今日は……」
誰かと話したいとは思っていたが、パウルと二人きりになるのはなぜか怖い。
またあの時のように詰め寄られたら、一人ではどうすることもできないから。
「シャーフ卿」
そこへなぜか、ディートリヒが嬉しそうな表情を浮かべながらやってきた。
「……陛下?」
「卿のおかげで、衣装を皆に褒められたよ。感謝する」
「陛下の着こなしが素敵だからです」
わざわざそのお礼に来たようだ。彼の温かい態度にほっとしたリーゼルは、ディートリヒに向けて笑みを浮かべた。
するとディートリヒは、パウルがいることに気がついた様子で、表情を曇らせる。
「そちらは。あ……。この前は怖がらせてすまなかったな」
申し訳なさそうに謝るディートリヒに対して、パウルは先ほどまでとは一転、青ざめた表情を浮かべて「とっとんでも……私はこれでっ!」と、走り去ってしまった。
(陛下に対して失礼だわ)
そう思いながらリーゼルは、ふと叙任式のことを思い出す。
恐怖のあまり床を濡らしてしまった令息は確か、パウルだった。
彼は皇帝が怖くて、この場を逃げ去ったようだ。また床を濡らさなかっただけ、誠意ある行動だったと思うべきか。
「友人か? 邪魔をして悪かった」
「大丈夫です。それより、私とお話ししていてよろしいのですか?」
「こういった場は苦手でな……。少し付き合ってくれないか」
ディートリヒに連れられてバルコニーへと出ると、風が心地良く流れてきた。リーゼルは、パウルへの恐怖心を風に流すように息を吐いた。
その隣では、ディートリヒも疲れたように手すりに身体を預けている。どうやらパーティーに息を詰まらせていたのは、リーゼルだけではなかったようだ。リーゼルも、彼と並んで手すりに背中を預けた。
「少し貴族と会話しただけでも、結婚、結婚、とうるさくてな」
今日は着替え中に、結婚に対する憤りみたいなものも、彼は口にしていた。
皇帝ともなれば一日も早く妃を迎えて、後継者を授かるのが責務。けれど彼は、『運命の番』を探し求めているようだ。
自分と同じ種族の子孫を確実に残すには、運命の番との出会いが必要だ。
この国は、シュヴァルツ・ヴォルフ家とヴァイス・ヴォルフ家が主権を取り合ってきた歴史がある。運命の番を求めるのは自然なことなのかもしれない。
ディートリヒは急に体勢をくるりと変えて、リーゼルを囲うように両手で手すりを掴んだ。
そして、彼はじっとリーゼルを見つめる。
「……リーンハルト。俺を見ても何も感じないか?」
「ふふ。そんなに近づいても、怖くありませんよ?」
(っというかむしろ、どきどきしてしまうわ……)
これほど素敵な人なのに。皆が恐怖している理由が、リーゼルには未だにわからない。
「そうか……」
リーゼルの答えに落胆した様子で、彼はリーゼルから離れた。
「陛下?」
「いや……。気にしないでくれ」
ディートリヒは、彼の態度を見て落胆した。
叙任式で出会って以来、ディートリヒにとってリーンハルトは特別な存在となっている。
やっと出会えた番のように、大切にしたい気持ちがこみ上げてくるというのに。そう感じているのはディートリヒだけで、彼は何も感じていないのか。
運命の番とは、お互いに惹かれ合うものだと言われている。
ならば、リーンハルトは運命の番ではないのか。
そう考えるだけで、胸が苦しくなる。
この気持ちそのものが、運命の番への想いのような気がしてならない。
なにせ相手は同性だ。リーンハルトも言い出せないだけかもしれない。
もっとそばにおいて、彼を観察する必要がある。