10 侍従のお仕事1
一方。会場から逃げ出した新人官吏たちは、皇帝から隠れるために控え室へと戻っていた。
大半が動物の姿になってしまい、礼服を破いてしまった者も多い。人の姿へと戻るに戻れずにいる。
だいぶ恐怖も落ち着いたところで、話題に上がったのはやはりリーンハルト。
「リーンハルト。あの皇帝を前にして、平常心を保っていたよな……」
「カイですら、リスの姿になっていたのに……」
「アカデミー時代とは比べものにならないほど、堂々としていてびっくりした……」
「俺らもう、リーンハルトのことを女性扱いはできないよな」
「むしろ僕たちのほうが、女々しく見えたんじゃないか?」
「俺、リーンハルトになら抱かれてもいい!」
「馬鹿いうなよ~」
「なあ皆。これからは、リーンハルトを女扱いするのはやめようぜ」
「そうだな。俺たちの姫は、立派な王子に成長したよ」
全力で会場から逃げた彼らは、最終的にリーゼルが気絶したことは把握していない。だからこそ、あの場を堂々と乗り切った勇者のように見えていた。
可愛いものを愛でたい気持ちから、憧れへと変化しつつある。
その『憧れ』にどの程度、恋心が含まれているかは人それぞれだが。
それでも彼らは、リーンハルトを男性だと認め、敬意を払って接しようと約束し合った。
ただ一人。パウルを除いて。
彼はこの騒動よりも先に、床を濡らして会場から出されたので、リーンハルトの男らしさは見ていない。この集まりにすら参加していなかった。
翌日からリーゼルは、約束どおり皇帝陛下の侍従として働くことになった。
通常、侍従は皇宮に部屋を与えられ、住み込みで昼も夜も皇帝のお世話をする。
けれど、リーゼルの場合は期間限定なので、ほかの新人官吏と同じく朝に出勤して夜には帰るという、昼間だけの勤務時間が割り振られた。
主な仕事は、皇帝が専用で使用する各部屋の掃除や、衣装の管理。着替えの手伝いや、お茶をお出ししたりと、身の回りに関することならなんでも請け負う。
今日は午前中に、給仕の仕方を教わり練習したリーゼルは、ディートリヒの昼食時に早速、実践することとなった。
「今の所作は、とても綺麗でしたよ」
料理が盛られた皿をディートリヒに給仕して戻ってきたリーゼルに、侍従長がにこやかに合格点を出した。
リーゼルの侍従の先生は侍従長だ。初老の彼が優しく教えてくれるおかげで、今日の午前中は楽しく学べた。
「恐れ入ります」
「次は肉料理を陛下へお出ししてください。お皿が熱くなっていますから、落とさないように気をつけてくださいね」
「はいっ」
渡された皿を丁寧に受け取ったリーゼルは、そこに盛られている料理を見て目を見開いた。
(わあ……。もしかしてこれ、ラムチョップかしら?)
絵で見たことはあるが、実物を見るのは初めてだ。
羊族であるリーゼルも、人の姿でいる分には身体に負担なく、肉を食べられる。けれど本能的に植物を好むので、領地で肉料理を見ることはほとんどなかった。
だから初めは物珍しい気持ちで料理を見ていたリーゼルだが、次第に気分が悪くなってきた。
この世界は弱肉強食であると理解しているし、リーゼルも時には命の危険を感じる。
ましてや家畜は、食物連鎖では獣人よりも下に位置する。美味しく料理されるのは、普通のことなのに。
姿が似ているだけで、感情移入してしまった。
「陛下。肉料理でございます……」
「ありがとう。シャーフ卿……?」
先ほどまでと様子が違うリーンハルトに気がついたディートリヒは、彼の顔に視線を向けた。すると彼は、今にも倒れそうなほど青ざめた表情をしているではないか。
その姿を見て初めて、ディートリヒはこの肉料理がラムチョップであることに気がついた。
「おい! この皿をシャーフ卿に渡し者は誰だ。いや、これを作ったシェフを呼んでこい!」
「陛下。私は気にしておりませんから……。初めて実物を拝見したので、驚いただけでして……」
「そんなはずないだろう……! くそっ。俺の配慮が足りなかった」
今までディートリヒは、弱者に対して十分な配慮をしてきたつもりだった。けれどそれは、肉食獣人が思う配慮であり、弱者がどう思っているのか本音を聞き取ったものでは無かった。
リーンハルトのこのような姿を見るまで、それに気づきもしなかった。
ディートリヒは改めて、この場にいる者全員を見回した。血の気の多い肉食獣人の多くは軍人になるので、皇宮の中で働いている者の多くは、草食獣人か雑食獣人。
今までディートリヒは、彼らの前で気にすることもなく、彼らに似た家畜を食べていた。
リーンハルトが気づかせてくれなければ、ずっと彼らを不快にさせたままだった。
「皆にも今まで恐怖を与えてすまなかった。これからは、動物の肉は控える」
「それはいけません陛下!」
「栄養が偏ってしまいます!」
「どうか私どものことはお気になさらず召し上がってください!」
「しかし……」
使用人たちは口々にディートリヒを気遣うが、このままでは皇帝への恐怖心は変わらない。
「陛下。皆様がおっしゃるとおりです。どうか国民のために、健康を保ってください」
「シャーフ卿……」
このような目に遭っても、自分の健康を気遣ってくれるリーンハルトの姿に、愛おしささえ感じる。
彼のためにも、この問題をうやむやにはできない。
「では今後は、メニューによって給仕を変えることにする。これで、お互いにとって負担が減るはずだ」
週末になり、新人官吏たちも少しだけ職場に慣れた頃。毎年恒例である、新人官吏の歓迎パーティーが開かれた。
参加者のほとんどが皇宮で働く者や、軍に籍を置いている者たち。男性が多いので華やかさには欠けるが、活気はなかなかのものだ。
「今日は肉料理が一つもないな?」
「肉料理なら、あちらの衝立の裏にまとめられているらしい」
「なぜそんなことを?」
「陛下がご配慮してくださったそうだ」
「へー。肉料理に群がる肉食獣人を見るのは少し怖かったからありがたい」
「陛下はお優しい方だ」
皆、料理のテーブルの前でこの話ばかりしている。新人官吏にとっては気の利いた配慮程度の感想だが、何年も皇宮のパーティーに参加している者たちにとっては異例の対応のようだ。
そのような会話を聞いていたカイのもとへ、リーゼルがやって来た。
「カイ。お待たせ。何を見ていたの?」
「リーのおかげで、陛下の人気が上がったみたいだよ」