真夏の夜の誘惑
カレンダーは七月二十八日を指している。そしてその隣には赤字で「夏祭り」と記されている。そう、ついに来たのだ。七月二十八日が!!
星来っちとは午後六時に、祭りの開催される八丁目駅前広場で待ち合わせだ。電車の中で、俺は何度もスマホをチェックする。
(まだメッセージは来てないか・・・)
心臓の鼓動が、電車の揺れに合わせて激しくなる。
やがて、目的の駅に到着した。人混みをかき分けながら、待ち合わせ場所へと急ぐ。そこで、俺は息を呑んだ。
夕陽に照らされた広場に、少女が立っていた。艶やかな浴衣に身を包み、髪を涼しげにアップにした姿は、浴衣の模様も相まってか、まるで天使のようだ。
(あれが・・・星来っちなのか?)
一歩歩くだけで周り中が振り返るほどの美麗さ、妖艶さ。言葉では言い表せないほどに本能と保護欲を刺激してくる。
「あ、流斗くん!こっちこっち!」
星来っちが手を振る。その仕草がかわいすぎて、俺は思わず目を逸してしまった。
「お、おう・・・」
緊張で声が裏返る。星来っちは、そんな俺の様子を見て、クスッと笑った。
「待たせちゃってごめんね。浴衣の着付けに時間がかかっちゃって!」
そう言って、星来っちが俺の腕に手を回す。
(うわっ、近い近い近い!!)
頭の中が真っ白になる。星来っちの匂いが鼻をくすぐる。
「あ、いや・・・全然!俺も今来たところだし・・・」
三十分以上も前から待っていたんだけど、そんなこと言えるわけがない。
「そっか、よかった!あ、そうだ!」
星来っちが急に何かを思い出したかのように、袖から小さな紙袋を取り出した。
「はい、これ。お守り。さっき神社で買ってきたんだ。流斗くんいつも勉強頑張ってる姿を見てたら、思わず買っちゃった!」
「ありがとう・・・大切にするよ」
俺は照れくさそうにそれを受け取った。うん、家宝にします。
「ほら、行こ?屋台がすごくいい匂いだよ」
星来っちに引っ張られるまま、俺たちは夏祭りの喧騒の中へと歩み出した。屋台よりも星来っちの方がいい匂いだななんて死んでも言えない・・・。
「古橋先生・・・今日は・・・『せいら』って呼んでもいいですか・・・?」
「ん?あたりまえじゃん!」
「え、ええと・・・せ、せいら・・・!!」
俺は顔を真っ赤にしながら、やっとの思いで言葉を絞り出した。心臓が爆発しそうなくらい激しく鼓動している。
「うん!」
「よーし、これからはずっと私のことせいらって呼ぶんだよ?約束だからね!」
俺は小さく頷いた。
「う、うん・・・約束・・・」
約束・・・か。いい響きだな。
☆
明るく照らす屋台の光、色とりどりの提灯。そして、隣で笑顔を見せる星来。マジ天使。
この夏の夜が、永遠に続けばいいのに。そんな願いを胸に、俺たちの夏祭りは始まったのだった。
屋台が立ち並ぶ通りを歩きながら、星来の目が輝いていく。
「わぁ!流斗くん、見て見て!金魚すくいだよ!」
俺たちは並んで金魚すくいに挑戦した。星来は意外と器用で、次々と金魚をすくっていく。一方の俺はというと・・・
「もう!全然すくえないよ〜」
文字通り、全くすくえなかった。
「ほら!こうやってやるんだよ」
星来が俺の手を取り、一緒にポイを動かす。その瞬間、俺の頭が真っ白になった。星来の柔らかい手、甘い香り、そして近すぎる距離。
「あ、取れた!」
星来が嬉しそうに声を上げる。俺はまだ夢見心地だった。
次は、射的。くじ引き。わたあめ・・・。屋台を巡るたびに、星来との距離が少しずつ縮まっていく。
ふと気がつくと、自然と手と手が触れ合っていた。
(このまま手、繋げるかな・・・?)
勇気を出して、そっと星来の手を握る。
「・・・・・・!」
星来が驚いた顔をする。でも、手を離さない。
「あれ食べようよ!」
かき氷の屋台だった。しかしただのかき氷屋ではなく、「カップル限定」だそうだ。「カップル限定」ってなんだよ!と突っ込みたくなったが必死に堪えた。
「暑いしちょうどいいね!でも『カップル限定』って書いてあるけど・・・」
俺がふと聞くと、
「私たち、カップルみたいなもんでしょ・・・っ!」
きっと星来も少し恥ずかしくなっていたのだろう。声が震えていた。
店員の人からかき氷をもらうと、一つのかき氷にストローが二つ、刺さっていた。おしゃれにも、ストローは、カップルのごとく複雑に絡み合っていて、先端は一つに繋がっておりハート型をなしている。これってもしかして、カップルストロー!?
にもかかわらず、星来は気にせず黙々と食べている。
「早くしないと溶けちゃうよ」
俺は意を決してストローに口をつける。その瞬間、星来の頬が当たって微かな体温を感じた。
「これって・・・間接キス・・・なのかな?」
星来の声に俺は驚く。かき氷を吹き出しそうになった。
かき氷を食べていると、星来が突然に言い出した。
「こんなこと・・・誰かにバレたらまずいよね・・・?」
星来の言葉に俺はドキドキする。もしかすると高校の知り合いも来てるかもしれない。バレたらまずいどころではなくなる。
「あ、流斗くん、口元にかき氷ついてるよ」
星来が言う。俺が慌てて拭こうとするも、星来がハンカチを取り出した。
「ほら、拭いてあげる」
星来の顔が近づいてくる。俺は息を止めた。
「はい、きれいになった!」
星来の優しい笑顔に俺の心臓は心室細動を起こしそうになる。
「あ、ありがとう・・・」
俺は顔を真っ赤にしながら言った。星来はくすくすと笑う。
「流斗くんって、本当に可愛いね」
その言葉に俺の頭の中がパニックになる。
(「可愛いって・・・俺のこと?」)
「え、えっと・・・星来こそ・・・今日すごく・・・綺麗だよ」
勇気を振り絞って言った言葉に星来は赤面する。
「もう、急に何言ってるの・・・」
星来が恥ずかしそうに顔を屈める。その仕草があまりにも愛らしくて、俺は思わず・・・
「好きだ」
言葉が口をついて出た。星来が驚いた表情で俺を見る。
「え・・・・・・・・・?」
「あ!いや・・・その・・・」
慌てて言い訳をしようとする俺を、星来が遮った。
「私も・・・好き・・・!」
星来の顔が真っ赤になる。
「本当に・・・?」
「うん・・・ずっと前から・・・」
その時、突然大きな花火の音が鳴り響いた。驚いて二人は顔を離す。
「わっ!びっくりした・・・」
星来が笑う。俺もつられて笑う。
「ねえ、花火見に行こう」
星来が立ち上がり、俺の手を取る。その温もりがとても心地よかった。
二人で花火を見上げていると、声が聞こえてきた。
「星来?久しぶり」
振り向くと、そこには背の高い男が立っていた。星来の顔が一瞬凍りついたのを俺は見逃さなかった。
「みーくんかっこいい〜」
瑞樹の彼女だろうか。瑞樹の横でブランドものの鞄を肩にかけた、いかにもチャラそうな女が言った。
「もう〜美咲も口が軽いんだから〜」
瑞樹がこちらをみながらに言う。
「あ、瑞樹くん・・・」
星来の声が震えていた。俺の胸に嫌な予感が走る。
(「元彼か・・・」)
瑞樹は俺を無視して星来に近づいた。
「久しぶり、元気にしてた?星来と別れてからは、女が吸い付くように寄ってきてさ。やっぱ星来、見る目ないね」
瑞樹が星来を嘲笑うように言う。星来が困ったように俺を見る。その目に助けを求める色が浮かんでいたのを感じ取った俺は、咄嗟に星来の手を取った。
「星来、あっち行こう」
俺は星来の手をぎゅっと握る。
「うん、行こう」
星来の安堵の混じった声が聞こえるなり、瑞樹の顔に驚きの色が浮かぶ。
「星来・・・こいつと・・・」
星来は瑞樹を睨み返し、はっきりとした口調で言った。
「ごめんね。瑞樹くん。私たち、デート中なの」
俺の心臓が跳ね上がる。星来の言葉に顔が熱くなるのを感じた。
美咲は笑いながら俺に向かって言った。
「なんだよ、こんなガキが星来の彼氏?星来ちゃん・・・だっけ?も可哀想だわ〜」
その言葉に俺は怒りを抑えきれなかった。
「星来を困らせるなよ。俺たちのことは関係ないだろ」
美咲は不機嫌そうに睨んでくるが、俺は一歩も引かない。
「みーくん!こいつにいじめられた〜!」
美咲は俺を蔑むように一瞬だけ目線を向け、すぐに瑞樹の方に顔を向ける。
「デート?お前みたいなガキが星来とデートだって?笑わせるな」
瑞樹が放ったその言葉に、俺の怒りが爆発した。
「星来が嫌がってるんだ。いい加減にしろ!」
「そういえばこいつ、昔は色んな男ホテルに連れ込んでたって噂だぜ?」
「また一緒に行こうぜ?昔みたいにさ」
瑞樹は俺を押し倒し、星来を強く引っ張った。星来は涙を浮かべながら叫んだ。
「瑞樹、やめて!」
その瞬間、俺は立ち上がり、瑞樹の腕を再び掴んだ。
「星来をはなせ!」
瑞樹は俺を睨みつけ、拳を振り上げた。その瞬間、星来が瑞樹の腕を掴んだ。
「もう、あんたとは終わったの。私のことは放っておいて」
瑞樹はしばらく黙っていたが、やがて苦々しい表情を浮かべ、立ち去った。
星来は俺の方に駆け寄り、涙を拭いながら言った。
「ごめんね、流斗くん」
「いや、俺は大丈夫。でも星来が無事でよかった」
星来っちは俺の手を握りしめ、優しく微笑んだ。
「ありがとう、流斗くん。君がいてくれて、本当に助かった」
星来っちは俺の頬にそっとキスをした。一瞬の出来事だったが、その柔らかさと温もりが鮮明に残っている。そしてその瞬間、最後の大きな花火が煌めいた。
「たとえ、星来が周りからなんと言われようと、俺は星来を愛し続ける」
星来の目に涙が光った。唇が小さく震えていた。夜空の散った花火の余韻が二人を包み込む。
しばらくすると、あたりが帰宅する人々で騒がしくなっていた。
「時間だし、もう、帰ろっか・・・」
「そうだね・・・」
こうして、俺と星来の夏祭りは、儚く散ってしまった。わけもなく?!
☆
「おい、嘘だろ・・・」
それからというものの、俺と星来はずっと手を繋いだまま最寄りの駅まで来た。しかし、ここでまさかの、まさかの事態が発生してしまったのだ。
「『全面運休』っ・・・!?」
星来の手を握る手に、汗が滲む。
「星来、ど、ど、ど、どうする!?もう、今日はずっと止まったままみたい」
「うーん、ここから家まで歩いて帰るには二時間以上かかるし・・・」
星来は困ったような顔を浮かべる。俺はスマホを見ながら母親に迎えに来てもらおうか迷っていた。しかし母親には「男友達と遊びに行く」と伝えてしまった手前、星来との関係をどう伝えようかとも悩んでいた。
駅の改札の前で多くの人がスマホを手に騒いでいる中、ふと、暗い夜道を照らす一本の光が差し込んだ。
「アパホテル・・・?!」
言葉が喉に詰まる。星来の頬が、今まで見たどんな色よりもよりも朱に染まっている。
「ね、流斗くん・・・今日は、その・・・仕方ない・・・よね?」
星来の声が、蜜のように甘く耳に届く。俺も、よこしまな気持ちを感じなかったわけではない。しかし当時の俺は疲れからか、了承してしまう。
「あ、ああ・・・そうだな」
なんて紳士的な返事だ。褒めてやりたい。
俺は母親に「友達の家に泊めさせてもらう」とだけ伝え、その場を後にした。俺の脳内にはアパホテルの某社長の派手な服装とやかましい様子が浮かぶ。
(「こんな時に何考えてんだ、俺は」)
自分にツッコミを入れつつも、少し気が楽になった気がした。
ホテルに入るとさらなるアクシデントが待っていた。
「ダブルルームしか・・・空いてない・・・?」
星来の言葉に、俺の理性が崩壊しそうになる。
「その・・・・・・どうする・・・?」
星来がこちらを向いた。
「俺は床で寝るから大丈夫・・・」
(おいおいマジかよ・・・こんな展開、某アニメでしかみたことねぇぞ!)
入り口にあった端末で部屋の予約を終え、最近はスマホですぐにチェックインできる。俺たちは館内図を見ながらエレベーターへと向かう。やがて自動音声が二〇階についたことを知らせる。
「すごい高いね!」
「最上階には露天風呂もあるみたいだよ!」
星来はこんな状況にも関わらずこっちまで楽しくさせてくれる。
部屋に入ると、真ん中には綺麗に整えられたダブルベッドが置かれていた。
「星来、俺は床で・・・」
「ダメだよ!それは!!私は・・・その・・・気にしないから・・・」
「それに、流斗くんのこと・・・信頼してる・・・から・・・!!」
星来っちの言葉に、俺の心臓が止まりそうになる。
「わ、わかった・・・」
冷静を装っているけど、内心はパニック状態だ。果たして俺の理性は朝まで持つのか。乞うご期待。
⭐︎
「そしたら、私露天風呂行ってくるね!」
「うん、楽しんでおいで」
飛び跳ねるように歩いて行った星来の後ろ姿を見送りながら、俺も露天風呂へ向かうことにした。
エレベーターで最上階に到着し、露天風呂の入り口に立つ。ドアを開けると、湯気がたちのぼり、心地よい匂いが鼻をくすぐる。夜空には星が瞬き、夜景が広がっていた。
(「こんな近くにこんなユートピアがあったのか」)
その様子は都会の喧騒と排気ガスの濁りから一切が隔絶された、プラネタリウムのようだった。遅い時間だったからか他の客もおらず、俺は優雅にその空間を楽しんだ。
温かさと肌寒さが組み合わさった、まさに「贅沢の極み」だ。
湯船に浸かりながら、彼女の楽しそうな声が耳に蘇る。夏祭りの夜、星来と一緒に屋台を巡って、かき氷を食べて、花火を見て・・・。トラブルだらけだったが楽しかった。
(「次は星来と一緒に花火を見ながらこの湯に浸かりたいな」)
・・・っていかんいかん。一部のアニメの「温泉回」とも称されるシーンのおかげでなんともいかがわしい期待が膨らんでしまったではないか。「膨らむのは妄想だけにしとけ」ってやかましいわ。別にどこも膨らんでねえよ!
星来が露天風呂から帰ってきたとき、部屋中には甘い香りがむんむんとした。髪を軽くタオルで拭きながら、星来は少し恥ずかしそうに「温泉、よかったね!」。そう言って髪を乾かしている星来は、普段の星来とは違い、少し大人びたような、感じだった。
☆
「流斗くん・・・こっちにおいで・・・!!」
星来は布団を少し上げて、俺を呼んだ。このままならワンチャンあるかも・・・なんて妄想が頭をよぎる。星来は俺が布団に入るなり、部屋の明かりを消した。
(「星来、マジで可愛すぎ!ここは天国か?」)
「ね、流斗くん・・・」
星来のとろけるような甘える声が、闇の中で聞こえた。
「ん?なに?」
俺は興奮の高まりがバレないよう、必死に抑えながら声を出した。
「今日は・・・すっごい楽しかったね!!」
「・・・俺も・・・」
二人との間に流れる時間。お互いは硬直し、点のような会話が続く。今まで感じたことのない独特な空気感だったが、全く悪いものではない。
星来と俺は、直線のごとく近い距離にいる。星来の艶かしいフェロモンの匂いに、激しく鼓動する心拍音、肩が重なって感じる体温、その全てがクリティカルヒットしてくる。
「ねえ運命って、信じてる?」
しばらく沈黙が続いた時間に、星来がふと真剣な眼差しで俺に問いかけてきた。
「どうした急に?」
俺は驚きながらも、彼女の目を見つめ直す。星来の表情には、何か重たいものが宿っているようだった。
「何でもない!」
彼女は慌てて言い訳をするが、その声は少し掠れていて、心の奥に潜む不安を隠しきれていないように感じた。
「星来と出会えたこと確率・・・これって運命じゃないかな?」
俺が真剣に答えると、少し間があいた後に星来は口をひらいた。
「そしたらさ、運命って・・・生まれた時にはもう決まってるのかな?覆せないのかな?」
星来の問いに、しばらく考え込んだ。運命という言葉が星来にとってどれほど重い意味を持つのか。そして俺は結論を出した。
「きっと、運命は変えることができる。未来は今の自分が作るものだから」
・・・それはきれいごとかもしれない。ただ自信を持って答えると、星来は少しだけ安心したように微笑んだ。
「そっか・・・そうだよね・・・」
「そしたらさ、私たちって来世でもまた会えるのかな?」
彼女の目が輝く。その瞬間、俺の心にも温かい感情が広がった。
「ああ、きっと会えるさ」
・・・・・・やがて、星来の寝言がきこえはじめる。彼女の顔は穏やかで、まるで運命を俺に委ねていた。
その光景は、まるで夜空に輝く二つの明るい星が寄り添うかのようだった。流斗の強い腕が星来を包み込み、彼女の柔らかな髪が彼の胸元に触れている。二人の呼吸は、ゆっくりと、しかし確かに同調していった。それは、遠い宇宙で二つの星が同じリズムで瞬くかのようだった。彼らの存在は、この小さな部屋の中で、しかし無限の宇宙のように広がっている。
時折、俺は無意識に星来を引き寄せる。重力に引かれて互いに近づく星のように。
窓の外では、夜空で寄り添う二つの星が静かに彼らを見守っている。朝が来ても、彼らはきっとこのままだろう。二つの星が、新しい一日を共に迎えるように。
朝になるときっといつもの日常が彼らに訪れるだろう。今日ほど刺激的な毎日ではないかもしれない。しかし、俺は確信する。そんな日々の小さな出来事の積み重ねこそが彼らの絆を更に深めていくのだろうと。
隣で眠る彼女の見ている夢を想像しながら、静かに目を閉じた。やっぱ寝顔かわいすぎ。
☆
翌朝、目を覚ますと、いつもの星来に戻っていた。
「今日も家庭教師の仕事あるから先に出てるねー」
「う、うん。がんばってね」
昨晩、同衾していたとは思えない、他愛もない会話が続く。
・・・そっか、そうだよね。だが、妙な背徳感を感じた。