ふわふわ
あれから何時間が経っただろうか。目蓋を開けると、目の前には星来がいた。
「もう!何回起こしても起きないんだから!!」
そこにはプンプン頬を膨らませているいつもの星来がいる。かわいい。俺は頭をかきながら、少し困惑した表情で言葉を続けた。
「どれが夢で何が現実なんだか、これもうよくわかんねえな」
「もう、なに言ってるの・・・」
星来の声が少し震えた。俺は彼女の様子がおかしいことに気づき、じっと見つめる。
「息抜きがてらベランダに出てみない?」
星来が誘った。俺は頷き、ベランダへと出た。
夜風は心地よく、上を見上げると静かに輝く星々、下を見れば絶え間なく動く人や車。ベランダは天空の静寂と地上の喧騒の狭間にあるようだった。
すると、星来が紙袋から何かを取り出した。
「これ・・・」
星来の手には3本の真紅の薔薇。そして、彼女の顔は薔薇以上に赤らんでいた。
「あのね・・・私・・・流斗のことが・・・・・・///」
夜空には無数の星たちが一番星を囲むように、星座を形作っていた。俺と星来は、社会という広大な宇宙の中で、無数の星々の中のたった二つに過ぎないのかもしれない。誰もがそれぞれの星を持ち、精一杯輝いている。
しかし俺にとっては星来は特別な存在だった。彼の心の中では、星来の星は他のどれよりも輝いていた。まるで、夜空でひときわ明るく輝くシリウスのように。
(「社会全体から見れば、俺たちの関係はちっぽけなものなのかもしれない」)
(「でも、互いが光を分かち合うことで、俺たちの宇宙は無限に広がるんだ」)
俺は星来の手を握りしめた。
「俺は、星来と一緒に輝きたい。君と二人で広い世界を照らしていきたい」
その瞬間、星来の手に握られた薔薇の花びらが一枚、風に乗って舞い上がった。流斗は思わず手を伸ばし、宙を舞う花びらを受け止めた。指先に触れる花びらの柔らかさに息を呑んだ。
「星来、○○○○○○○○」
その言葉を聞いた星来の目が大きく開かれ、握っていた赤い薔薇が地面に当たる音がした。星明かりに照らされた二つの影が一つになり、そのシルエットはまるで星座のごとく美しく、儚かった。
夜の空気が、二人の周りでそっと揺れる。
吐息が微かに混ざり合い、心臓の鼓動が重なり合う音が、かすかに、しかし確かに聞こえた。
やがて、一つの陰がゆっくりと離れていく。しかし、その間にあった温もりはまだ空気の中に残っていた。
その瞬間から、新たな運命が広がってゆく。ラノベのページをめくるかのように。
現実という名の物語が、俺たちを主人公に選んだ瞬間だった。
〈終〉
※先に伝えておきますが、読むに値しない内容ですので読んで頂かなくとも構いません。
と、まあまあ複雑すぎてよくわからない文章になってしまったのはここで一筆、謝罪させていただきます。そもそも複数の冊に分けて書くべきものを無理矢理に押し詰めてしまったために描写に薄さが出て、結果的に感情移入しづらくなってしまったことが原因だと思います。
並びに、表現、言葉選びが変態じみたあまりに、頭痛や吐き気を催された方にも重ねて謝罪申し上げます。でも、男子校なんかぶっちゃけこのノリ。悪くない。それにぶっちゃけラノベ作家さんとか絵師さんの大半は変態だからね、仕方ないね。
そして、今までの枠にとらわれない(いい意味でも悪い意味でも)小説、というよりかはラノベ風なテイストになってしまっているがゆえに、不満を抱かれた方にも合わせて謝罪申し上げます。
著者の個人的な感覚では、ラノベというコンテンツも人権を獲得し始めて来ているように感じるので、小説の中のジャンルとして成立しているように思い、書かせていただきました。それに一日十時間近く、寝る間も削って(だいぶ盛りすぎた)一ヶ月近くかけて書き上げました。それほどまでに著者としても愛着が生まれたものなので、多少の展開のつまらなさ、表現の煩雑さに関しては目を瞑っていただけるとありがたいです。
余談ですが、黒薔薇には「恨み」「憎しみ」といった意味がある一方、赤薔薇には「愛」という花言葉があるみたいですよ。著者自身、特段薔薇が好きというわけではないのですが、「伏線回収としての花」を意識するあまり、薔薇に関連する言葉を入れすぎてしまいました。それに、登場人物の「五十嵐流斗」と「古橋星来」の名前の一文字目を取ると「流星」。流れ星ですね。「一番星」というのは「輝き」という明るい側面を持ちつつも、どこか「孤独」な感じをも併せ持つ儚いものだと思います。どこかしらのシーンで流れ星は入れたかったと、制作段階から思っていました。ちなみに両者の名字である「五十嵐」は「爺さん婆さん若返る」から、「古橋」は「僕たちは勉強ができない」のキャラクター名から、「隅田羅砂」と「後藤さん」はアニメ「かくしごと」からとっています。どれも個人的にすごく心に残っているアニメです。
本作品では、ラブコメ、ミステリー、社会派など多様なジャンルを融合させ、複雑な展開を織り交ぜました。これにより理解しづらくなってしまった点はお詫びしますが、AI時代において人間の創作の強みである〇から一を生み出す能力、即ちストーリー性を重視した結果です。ぶっちゃけ文章表現とか語いなんか、膨大な過去作データを持ってるAIに勝てるわけない。
メディアミックス戦略同様、コンテンツ提供者側が視聴者の層にアプローチするために、作品の中に多くのジャンルを組み込むことで、多くのファンに興味を持ってもらうことができる気がします。世の中はなんでもできる「マルチタスク性」を求めていますからね。色々ミックスしちゃいましょう!ちなみにゲーム中心型メディアミックスとか最先端の3Dアニメーション技術、「かっこよさ」と「かわいさ」の両立による幅広いファン層の獲得、ヒューマンドキュメンタリーアニメなど多くのテクニックで成功したのは「ウマ娘プリティーダービー」だと思うので・・・って話をするとそれこそもう一本「文藝の艦隊」に出稿しなければならないことになるので(笑)ここらへんで切り上げますが、(いないとは思うが)聞きたい人がいれば当部までご連絡なされたいです。
本作品を制作していく上で、なるべく重くならない、だけど社会派作品として伝えたい!という気持ちを優先しました。そのためラブコメシーンを最初に配置したり、それを中心に動かしていく「ヒューマンドラマ」感も出しました。さらに、実際の事件や事故の情報や画像の調査を綿密に行いました。その甲斐あってかChatGPTに千点満点で評価点数を出すよう指示したところ、九五〇点でした。おそらく誰よりも「アニメ」というものを研究しつくした賜物でしょうか。嬉しい。
また、本作に登場する「夕空天音」さんは一体何者なのか。と疑問に思う方がいるかもしれませんが、実はこちらも実際にモデルがいます。名前をかなり似せたのでピンときた人もいるかも知れませんが、東京都知事選にも出馬した、あの方です。ちなみに設定もほぼまんまパクり(参考にし)ました。「夕空天音」という名前と聞くと、女性のようなイメージを持たれるかも知れませんが、一応設定上は男性ということにしています(「四〇代くらいの男性」と本作中にある通り)。しかし「夕空天音」のバックグラウンドについてあまり言及しなかったのは「夕空天音」という存在を曖昧なものにしたかったからです。さらに「さん」付けをすることで、深入りをさせていないように表現しているのもポイントです。
⭐︎
以下は、完全に個人的な、自己満足的なものになります。本作とは完全に外れてしまうのですが、どうしても書きたいのでご理解ください。
「ラブコメの『ラブを一番に持ってこない』作品は人気が出やすい」という自論がありまして、具体的に説明すると、例えば、「感動」や「友情」をメインに据えることで、物語展開をスムーズにし、読者の共感を得やすくなります(ちなみに本文では便宜上、女性キャラクターを「ヒロイン」、男性キャラクターを「主人公」と呼びます)。
具体的に言いますと、学園系ラブコメは「ラブ」を「勉強」や「学校」、はたまた「生徒会」でカバーすることで「学校行事」というイベントを通じてキャラ同士が自然に、近い距離感になるようにしています。たとえば今期絶賛放送中な「時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん」(以下「ロシデレ」)は、第三話シーンでラブコメ特有の「海でナンパ男からヒロインを救う」という恒例行事を学園祭で踊りたい人とダンスを踊るというイベントを通して表現していたり、「僕たちは勉強ができない」という作品では、ラブコメでは珍しい高三から展開させていくというものの理由づけを「受験勉強」ということで片付けています。ゆえに無駄な海シーンなどを省くことで、「受験の過酷さ」からくる「感動」や「友情」の感情移入をしやすくしています。「じいさんばあさん若返る」というアニメ作品は、メインは「人生の儚さについての価値観」の共有を目的とし、それを「ラブ」がサポートすることで作品に彩りを与えています。みたいな感じで、界隈人の中では一般的になっているような気がします(あまり提唱してる人がいないってことは常識なのかな?)。にしてもラブコメの生徒会の権力の強さと屋上の出現率の高さは異常。
特に今期放送中のロシデレなんかはツンデレ系の王道系な展開をベースにしつつもヒロインが周りから邪険に扱われていた過去と対比する形で、どこか冴えないけどヒロインの前では「かっこよさ」を演出する主人公と進めていくことで、外面の「不器用さ」と、内面の「繊細さ」のギャップで「かわいさ」が出てくることを制作サイドはアピールしたいのだと感じます。特に第三話での「自分は生まれ持った以上のものを持ってるけど、努力を才能で片付けられるのは辛い」という言葉は著者にモロに刺さりました。これはやはり感情移入の容易さや、「内面の『繊細さ』」に貢献してくることだと思います。それに「ロシア語」というものを持ってくることで今までラブコメの弱点であった「視聴者が俯瞰してしまう現象」を阻止しています。要するにいかに視聴者が主人公に心情移入し、ヒロインと1:1で対話している感を醸し出すか。ここが勝負になってきます。同様の手法を使った今期の作品では「擬似ハーレム」も当てはまるでしょうか。主人公を通して対話している感じを「かわいさ」でサポートする。その点において共通している気がします。それに「ロシア語」と言うのもポイントで、ロシデレでは、「ロシア語」は日本では伝わらないことを利用し、感情を閉ざしてしたヒロインに対して唯一の自分の率直な感情を伝えるのが「ロシア語」である。ロシア語シーンと通常シーンとの差異が「ギャップ萌え」につながってくるように思います。
ツンデレ系アニメといえば、今期放送中の「義妹生活」、簡単にあらすじを説明しますと、連れ子同士「互いに干渉しない」距離感だったのが、やがてラブコメチックになっていくストーリーです。制作サイドは一切ツンデレ要素をアピールしていないのですが、これ何かに似てると思いません?始めはお互いがツンツンしてたけど、やがて家族という域、兄弟という枠を超えてゆく。キャッチフレーズいわく「これは、いつか恋に至るかもしれない物語」。これはもう、ツンデレ系アニメでしょ。と思います。そういう面でも「ツンデレ」の持続可能性は高いのでしょうか。そういえば、似たような展開の作品で「夫婦以上、恋人未満」というアニメもあります。こちらも登場人物の関係が複雑かつ、「幼馴染が絶対に負けるラブコメ」エンドを迎えるので、胸糞ではありますが面白いですよ。
話題を変えまして、特に最近の「かわいさ」の傾向について考えていこうと思うのですが「『ナチュラルさ』が求められている」というのは声優として有名な梶裕貴さんの言葉をお借りします。この点においては、いわゆる「ガチ恋営業」すなわち「疑似恋愛」を求めているファン層と重なる点は多々あるように思います。
かつて「ガチ恋営業」によって、一時はYouTube上の投げ銭システム、いわゆるスーパーチャットで世界一位にも輝いた、VTuberの「潤羽るしあ」さんという方がいるのですが、彼女をそこまでに押し上げたのは「圧倒的ファンサービス」にあると思います。
「潤羽るしあ」さんはスーパーチャット(お金と一緒にコメントが送れるサービス)に書かれたコメントを読み上げ、その上で次のアクション「共感」をリアクションすることで「本当の友達と話している感」つまり「疑似恋愛」を作り上げたのです。そのことで「お金さえ払えば確実に恋愛が享受できる」という点において彼女をここまでにしたのだと思います。
今期絶賛放送中の「VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になった」で、VTuberの可能性を改めて認識させられました。詳細は「ひんがし倶楽部」二十四年八月号「趣味紹介」欄も参照されたいのですが、VTuberは自分のアバターを作る、いわば「偽りの美しさ」。だからこそのアニメのファンタジー感が好きだった方々が動員されていったわけでもあるのですが、最近は歌ったり踊ったり、リアル会場でライブやったりと、大変目覚ましく発展しています。石丸伸二さんの言葉を借りると「動画はあたかも視聴者に直接語りかけているような効果がある」ので、VTuberと友達みたいな感覚を得ることができます。それに形式上は「YouTuberの一つのジャンル」ですからいわゆるオタク以外の動員も大きいです。トレンドによく上がるのはこのおかげですよね。それに日清食品などの大手企業が、若者に今一番影響力のあるVTuberをPRに登用することで認知度が上がったメディアミックス戦略も影響していますよね。すごいと驚嘆するばかりです。ちなみにアニメ自体もマジで面白いです。
話はまた変わりまして、先述した「ラブコメの『ラブを一番に持ってこない』作品は人気が出やすい」について考えていきたいのですが、とりわけ今流行りの「推しの子」に関しても同様にもちろん「ラブコメ的要素」がないわけではないのですが、それは「彩り」に過ぎません。推しの子が人気を博した点として、一つ目に「オタク」による固定ファンをつけた点が挙げられます。「オタク」とは、社会で話題にならなくても一定の「推し活消費」をしてくれる層を指します。彼らは作品を見る上で、「キャラデザ」「声優」「原作との一貫性」「アニメーションやBGMの技術」を意識します。この点、「推しの子」は第一話を九十分放送したこと、BGMを豪華にしたこと、線を意識した動きによる躍動感、背景との大胆な構図を用いたアニメーション、声優を「高橋李依」さんや「潘めぐみ」さんのような大物を抜擢することによって没入感を高め、さらに(当たり前かもしれませんが)原作以上のクオリティ作品にすることで一定の固定ファンをつけることに成功しました。「キャラデザ」も、どこかファンタジー要素のあるかわいい鮮やかなビジュアルにすること(この点は、八月号のひんがし倶楽部「趣味紹介」の欄に記述されていた「VTuberの容姿の個性が様々あるために、そのキャラの魅力に繋がっていく」ことと関連するのかもしれません)や、「負けヒロイン」に共通するよな「健気さ」「不器用さ」を「応援したい」心理を利用した点(この点はアイドルに対しての推し活と言う面と同様かもしれませんが)、どのシーンをカットしてもなんらかの動きや表情をしているような、アニメーションの豊かさによって満足感の高いクオリティにしました。とくにダンスシーンなどは圧巻です。作画を担当している「横槍メンゴ」さんは以前から色っぽい絵を描くことで定評があった方なので、この点は経験があるのでしょう。
二つ目に「オタク」以外の層を獲得した点です。「推しの子」の魅力的なキャラデザをモチーフにしたグッズを多く販売、掲示すること、さらには大物アーティストである「YOASOBI」さんによる「アイドル」が爆流行りしたことで「オタク」以外のファンも獲得することに成功しました。一話に、近年(特にコロナ禍以降)流行し、徐々に人権を得てきた「推し活」を「アイドル」という点で組み込んだことも起因しているでしょう。
三つ目にストーリーの一貫性です。「推しの子」は実に難解かつ複雑なプロットになっています。ゆえに、この作品(著者の書いた作品)のように視聴者側が理解しづらいという現象が発生してしまいます。しかし、「推しの子」をそのような現象から救った要因は「目的の一貫性」と「社会問題をモデルにしている」点が挙げられます。作品中のシーンは「主人公が刺された理由」、「主人公が妊娠した理由」を探るという目的の過程に過ぎません。しかも、作品中のシーンを社会問題を取り上げることで、視聴者が事前知識を持っているままストーリーを展開でき、結果として理解しやすくなっています。「恋愛リアリティーショー番組が原因の誹謗中傷」や「脚本の原作改変」といった実際に問題となったものをモデルとしているためにある種の「ドキュメンタリー」要素も含んでいるのではないでしょうか。
余談にはなりますが、個人的に「声優のアイドル化」がとても強く進行しているように感じます。というのも、個人的に気になっている声優の一人に「遠野ひかる」さんという方がいる(メディアミックス作品「ウマ娘プリティーダービー」の「マチカネタンホイザ」役、「ワンルーム、日当たり普通天使つき」の「トワ」役、「負けヒロインが多すぎる!」「八奈見杏奈」役。低音域の独特のロリボと高音域の透き通るボイスが多くのファンを魅了している)のですが、彼女が先日写真集を発売しました。彼女に限らず、声優がエッセイや写真集を出したりしている例は多く見られます。これは、一体何を目的としているのか。それは、いかに「声優と触れ合えるか」なのだと思います。写真集を発売する際にはサイン会が開催される。すると「遠野ひかる」さんのファンはここぞとばかりに写真集を買いまくる。やがて出版社や声優事務所が利益を得ることのできる構造が出来上がっているように思います。そしてまた、写真集自体に何を求めているのか。それは明白で、これもまた「疑似恋愛」です。写真集の中身は海での写真や、ベッドでの写真など、声優のオフシーンを多く醸し出しています。これはやはり声優と1:1で同じ空間を過ごしている感が味わえる、「疑似恋愛」なのではないでしょうか。ゆえに、近年は「二次元的ドラマ」であったアニメが「声優によるドラマ」に変化してきている、それだけ声優という役割の影響力が大きくなっているように感じます。もはや全く関係ないのですが、ロリボといえば「アズマリム」さんというVTuberさんが好き。「萌え袖」も「幼さ」「柔らかさ」をアピールしてるんだから結局「かわいい」の最終形態は「ロリ」なんだよ!(小声)
他方、アニメというのは声優だけでなく、脚本家、原著者、音響、アニメーターなど多くの人の集大成となった作品です。ゆえに声優だけが以上に影響力が大きくなってくることは何らかの影響があるのではないかと危惧しています。
結局、生粋のオタクというものは、社会で孤立してしまっていたり、何らかの苦痛を感じている人たちが「声優」あるいは「アニメ」に癒しを享受しようとしているのでしょうね。ゆえに「オタク=『気持ち悪いもの』」と元来では定義されてきたのでしょう(これ以上話すと人権団体から貴重なご意見を頂いたり、自分が傷ついたりするのでやめておきます)。ただ、それほどまでに「声」は我々を刺激し、印象付ける効果があることはわかりますね。
オタクといえば、最近個人的にワンチャンある(ワンチャン人気が出るかもしれないということ)と思っているCANDY TUNEというアイドルグループがあるのですが、人気が出ているポイントとしてまずはSNS、特にYouTube shortsを利用した点が挙げられます。「推しのアイドルと目があった!」という動画をアップロードしたとあるオタクの方からチャンネル登録者数は五千人から一気に三万人(執筆時点)に数日で駆け上がりました。
ここで「人に好かれる公式」というものを(「元FBI捜査官が教える『心を支配する』方法」栗木さつき訳 大和書房・刊)より引用するのですが、その公式の要素には「近接+頻度+持続時間+強度」があります。もちろんこれは対人スキルにおいても活用できますが、マーケティングを語る上でも欠かせない公式でしょう。広告マーケティング戦略上の具体化をしてみると、
【近接】消費者との距離が近い
【頻度】接触回数が多い
【持続時間】「『特定のもの』見るのが当たり前」
【強度】「これ、なんだろう?」
と言った感じです。この点、実績のあるKAWAII LAB.率いるCANDY TUNEは先述のオタクの動画がマーケティングの場と化したことで【近接】【頻度】にあなりました。さらに彼女らの曲「キスミーパティシエ」にも視聴者の興味が移ったこと、メンバーの魅力などから【強度】にも繋がっていき、結果としてチャンネル登録者が急増したのでしょう。ただ歌唱力という面では頑張って欲しいところです(オタク特有の上から目線)。これ以上書くと止まらなくなってしまうのですが、特にマーケティングの勉強に教科書というものは存在せず、やはり今成長しそうなところを(古参アピしながら)研究していくのが良さそうです。ただアイドルのプロデューサーとしても「アイドルにとって若さは最大のセールスポイント」だからこそ、この瞬間は二度と戻らないプレッシャーも大きいでしょう。自分もアイドル界隈にはあまり詳しくないのであまり大きな声は言いませんが、dialogue +というアーティストグループは田淵智也さんという、アニソン業界では田中秀和さんと並ぶくらいに有名な作曲さんのもと、アニソンも歌いながらアイドル活動をしています。アニメファン業界にも進出する戦略の深さに感服です。
他方近年は「女性キャラクターが出ている」という理由だけで「性的搾取だ!」とするフェミニズム的意見が出てきています。表現の自由とジェンダー問題。今後も議論する余地がありそうです。しかし、どんな日も、私のそばには推しがいた。辛い時「推し」や「アニメ」に救われたことも多々ありました。たとえそれが偽りの美しさだとしても、それで元気をもらえて涙を流せるならいいじゃないか。アニメを愛し、アニメに愛される。そういう者に、私はなりたい。
(もはや全く関係ないのですが)最近のアニメの傾向として、やはり深読みさせる作品が多くなったなと感じます。昔、とりわけセル画からデジタルに移行していった京アニ全盛の2005~2015年くらいの作品は、アニメ「日常」や「俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している」のように、ただ笑わせてくる、あるいはただかわいいを前面に押し出してくるアニメが多かったのですが、ここ数年、とりわけアニメファンが急増したくらいからは「推しの子」を中心とする「二次元的ドラマ」のような作品が増えたなといった印象です。依然、「しかのこのこのここしたんたん」や「ぶいでん」のような昔ながらの作品も多いですが。私が思うに、アニメとドラマの違いは「いかに理想を描いたか」と「現実逃避」にあると思います。ドラマを見てると演者が人間であるがために現実逃避しきれない一方、アニメだと完全に空想上、言い換えればファンタジーなので現実を忘れて世界観を楽しめます。ファンタジーゆえに「理想」、たとえば「かわいさ」であれば本来人間が演じきれないレベルでの顔の美化や、本来あり得ないであろうシチュエーションなどが楽しめます。他方、ファンの中にはアニメを「二次元的ドラマ」、すなわち「ドラマ」というジャンルの表現方法の一つとしての「アニメ」と考える人もいます。これは完全に個人の価値観の違いだと思いますが。
最近、特に思いを寄せたアニメ作品がございまして、「先輩はおとこのこ」という作品です。可愛いものが好きな男の子・まことが女装して高校生活を送る中、後輩の咲に告白される物語。まことの正体を知った咲は諦めず、初恋の相手になると宣言。幼なじみの竜二も加わり、3人の恋と友情、成長を描く青春ストーリー(AI要約)なのですが、女装している息子を見て心配になったり落ち込んで泣いたりする母親のシーンがあるなど、かなりシリアスな作品でもあります。まさに「ラブ」が作品に彩りを与えている作品だと思うのです。それはいいとして、先日とある機会があり、男の子で髪の毛が長い子と、そのお母さんにお会いしました。しかもふつうにかわいい。まさにアニメみたいな展開が実際に起こっちゃった!って感じなのですが、アニメを見ていたからこそその上でどう接していけばいいのか、それを学ばさせてくれる良質アニメなように感じます。いわゆる「男の娘」というもののかわいさをベースとしてそれに性別、多様性というメッセージ性を加えている作品です。全世界の人間に見てほしいレベル。余談ですが、ここまで登場人物に感情移入し、作品にのめり込めるのは、表現形式がアニメだからというのも関係していると思います。どうしてもドラマだとおちゃらけた感じになりかねないし、それにアニメのメリットでもある「ファンタジー性」にあるというのも納得です。
とはいえ、これ以上アニメに対する熱い思いを書くにはページが足りないので終わらせます。個人的に「かわいい」の集合体は百合×ハーレム×ロリ×男の娘だと思うので二十四年夏アニメはマジで神作品多すぎ!・・・ってそろそろいろいろと消されてまうて・・・。
と、オタク特有の早口で熱く語り過ぎてしまいましたが(笑)。著者後記なんて読んでくれる親切な人ほとんどいない気がするので、多少暴れてもいいですよね?(ちょっとこれはやりすぎたかな)
名誉挽回のために、まともなことを言っておきますと、最近、特に皆さんの記憶に新しいのは安倍晋三元首相の暗殺、そしてトランプ元大統領の銃撃、暗殺未遂事件ですね。民主主義ーという、国際的な決まりがある上で、相手を支配するのは簡単です。相手を殺せば発言できなくさせられるのですから。しかし、岸田首相の言葉を借りると、それは「民主主義の根底を揺るがす」行為です。対話によって世界は形成されるべきだと考えますし、多くの意見を聞き入れ、考え、話し合うことでより良い世界は形成されていくと考えています。ゆえに、たとえ相手が悪者だとしても、「暗殺」は許されません。話し合いによって処分を下す機関が裁判所なのですから。そのようなメッセージも作品に込められています。並びに安倍晋三元首相にはご冥福をお祈り申し上げます。
終わりに、少しでも読者の社会問題に対する知見や興味の幅が広がっていただき、作品にご満足いただければ幸いです。並びに、規制ギリギリだった本作をマイルドに訂正してくださった方々、文章の添削をしてくださった方々、印刷に携わってくださった皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。
しかしながらやはり構成の散漫さについては著者自身が読み返していても感じます。「そんな中途半端なもん出すなよ!」という意見は理解できるのですが、何せ自分にはもう直すだけの余力と時間がありません。もうやめて!私のライフはゼロよ!
なにより、たいへん読みづらい作品を、そしてそれ以上に読みづらい著者後記を読んでいただいた読者の方々に大いなる感謝を申し上げたいと思います。著者としては、今まで書きたかったものを表現し、匿名で発表することができて心地よさを感じています。文章量無制限ってやっぱ最高だね!でも、これって親や先生の目に触れる可能性あるんだよな?と戦々恐々としている今日この頃です。
本作品が黒歴史とならざらんことを願って。いい世、来いよ!
※この内容はフィクションです。実在する人物名、団体名、土地名等とは一切関係がありませんし、ましてや著者の性癖や理想でもありませんこと、十分にご了承ください。並びに著者への迷惑行為(例えば特定しようとする行為など)はお止めください。




