タイムアップ
一ヶ月後。俺たちはまた、日常を取り戻そうとしていた。俺はというと以前働いていた職場で仕事をしながら週に一度、スターウィングの代表として見回りや支援を続けていた。後藤さんや一部のメンバーはスターウィングを辞めてしまったが、また新たなメンバーも加入しわずか数ヶ月前には悲惨な事故があって何人も亡くなったことが嘘かのように忙しくなっていった。
今まであった支援金の不正は、俺がスターウィングで代表を務めるようになったことでなくなり、当時の代表であった後藤さんがカメラの前にたったことで、俺たちへの批判も少なくなっていった。そんな中、夕空天音さんから連絡が入った。
「夕空天音さんから連絡が入る時って大体事件が絡んでる時じゃん!」
なんでツッコミを呟きつつメッセージを見ると、「まだ、スターウィングのトップは存命です。あの飛行機には登場していなかった可能性が高いです」とのメッセージが。
俺はすぐに夕空天音さんの新居へと駆けつけた。
「この家は、セキュリティを厳しくしているのでおそらく侵入はされませんよ」
家に入るなり夕空天音さんが笑いながら言った。
「ところでトップはまだいなくなっていないってどういうことですか?」
「あの後、ロイター通信が事故の報告書をまとめていたのですが、死亡者リストの中にマーティン・ブラックはいたものの、トップと見られる名前がありませんでした」
夕空天音さんは深刻そうに話を続ける。
「これは何か裏があると思い、かつての職場の同僚で航空会社に勤めている方に確認をとったところ、マーティン・ブラックが入国した時刻の日本への入国者履歴の中にも、トップと見られる名前はなかったそうです」
「偽名を使っている可能性は?」
俺が聞くと
「もちろんその可能性も調べましたが、調べた限りでは見つかりませんでした」
「いままでずっとトップは外国人かと思っていたのですが、もしかすると日本人なのかもしれません」
夕空天音さんは何かを掴んだかのような目つきでこちらを見つめ、話題を変えた。
「ブラックローズの日本法人の事務所の場所がわかりました。今からそこにいってみましょう」
俺はふと、勘づいた。
「もしかして、夕空天音さんこそがブラックローズのトップなのか?」
だとすれば、墜落した飛行機にトップが乗っていなかったことも、ブラックローズの情報を持っていたことも、ハッキングが容易だったことも説明がつく。
「では、行きましょうか」
俺は妙案を考えついた。もし夕空天音さんがトップなのだとしたら事務所に入ることも厭わないだろう。しかしトップが別にいるのだとしたら、堂々と入るはずがない。事務所に入ったときの対応によって何かがわかるかもしれない。俺は新たな一手にうって出た。
皇居の外堀沿いを車で走っていく。
「ここの十五階のフロアが事務所になっています」
夕空天音さんが指を指した事務所は、オフィスビルが立ち並ぶ中にある高層ビルの一室だった。
「せっかく来たので事務所の中まで行きましょう!」
「え?突然何を言っているのですか?」
「さすがに事務所に入っただけで殺されたりはしないでしょうからね。間違えたふりをすれば大丈夫でしょう」
俺は少しにやけて、夕空天音さんをみた。
「そうですね。では入ってみましょうか」
(「おいおいマジかよ。これはどうなんだ?」)
エレベーターが到着を知らせる。俺が恐る恐る外に出ると、そこには普通な見た目のオフィスの受付があった。
「どちら様ですか?」
受付の人が声をかける。俺は恐る恐る返事をした。
「ブラックローズの事務所はここですか?」
「少しお待ちください。担当者をお呼びします」
(「!?」)
これはどういう意味だろうか。ともかく夕空天音さんに話しかけようと後ろを振り向くと、そこに姿はなかった。
(「逃げられた・・・」)
しばらくすると、担当者が来た。
「よければ中までどうぞ。ご案内します」
担当者に連れられるがまま、会議室へと入った。部屋に入るなり鍵や窓のサンシェードも閉められた。
「もしかして、ブラックローズの関係者ですか?」
「いえ、違うのですが、そちらに夕空天音さんという方はいらっしゃいますか?」
俺はスマホから顔写真も見せた。さっき車に乗っている時、隠し撮りをした写真だ。
「いえ、私は知りません」
担当の男が不思議そうに言った。
「噂では、この人がトップと聞いたのですが」
「ところであなたは何者ですか?自分の身分を明かさずに情報を得ようとするのは礼節がないと思うのですが?」
あたりを見回すと、スーツにサングラス姿の屈強そうな男たちに囲まれていた。俺が怯えていると、その時警報が鳴った。
「なんだ!警備を呼べ!」
男が叫び、部屋を飛び出した。屈強な男たちも会議室の外へ出ていった。
「こっちです!上を見て!」
夕空天音さんの声がした。なんとダクトに彼がいた。
「強行突破するだなんて私も予想だにしませんでしたよ。慌てて避難経路を探していました」
「ここのダクトはしばらく進むと非常階段に繋がっていますので、タイミングを見計らって逃げ出しましょう」
俺は何とか危機一髪だった。そして夕空天音さんが裏切り者ではないこともおそらく事実だろう。なんてったってすぐに逃げ、俺を助けようとしたのだから。
ダクトを歩いているうちに、明かりが見えた。
「ここは何の部屋なんですかね?」
夕空天音さんが声を抑えながら聞いてきた。
「中に人がいますよ・・・って、あれは・・・!後藤さん・・・?!」
部屋の中にはスターウィングの騒動の頃行動を共にしていた後藤さんがいた。俺が声をかけようとすると、何やら会話が聞こえてきた。
「謎の男が侵入してきました。その時の顔写真がこちらです」
さっきの屈強な男の一人が後藤さんに話しかけている。
「ふーん。ついにここまできたか。まあいい。また戻るとしましょうか」
「最近、次期トップになるはずだったブラックが暗殺されたりと、危険が迫っていますから十分気をつけてください」
「ええ。今度は海自に掛け合って、船を使うので心配無用ですよ」
「五十嵐も一度暗殺に失敗しているのに、懲りない男ですね。一度爆弾が仕掛けられたら警戒するに決まってるじゃあないですか」
まさか、後藤さんがトップだったのか?俺はまだ、状況が飲み込めず、目の前の光景が信じられなかった。
「そういえば、ここの事務所にも盗聴器を仕組んどきました」
・・・夕空天音さん、一体何個盗聴器を持ってるんだよ。
☆
家につくなり、俺は夕空天音さんと話し合った。
「私は以前から後藤さんが怪しいのではないかと疑っていました」
「特に彼女が誘拐、監禁されていた時、数日も飲食できなかったのにも関わらず、救出した時には生きていたあたりで、何か裏があるような気がしていました。『内通者がいるんだな』と」
確かに言われてみれば不自然だ。それに、夕空天音さんの家が何者かによって侵入された時も家は機密性のかなり高いところにあったために無関係な人が特定するのは困難に近い。だとするとあの中に内通者がいると仮定するのは自然なことなのかもしれない。
「私たちは、行動を共にしてきた人を捕まえなければなりません。その心の準備はできていますか?」
夕空天音さんがいつになく真剣な顔つきで言った。
「ああ。もちろんだ」
俺は即答した。
「先ほどの後藤さんと男との会話で『船で逃げる』と言っていたのは覚えていますか?」
「もちろん、覚えているぞ」
「私が米国の銀行に勤めていた頃、同じ米国の大学を出ていたとあるFBIの捜査官と接点がありました。その人に連絡をしてみたところ、どうやら彼もまた、ブラックローズを追っているようでした」
「そんな都合のいいこと、本当にあるんですか?」
「私も少し疑いました。向こうは捜査官ですから、同情して情報だけ取ろうとしているのではないかと。会話を深めていくうちに、とある共通人物の名前が出てきました。とある北朝鮮のスパイの名前です。スパイにこちらも確認をとったところ、その捜査官のことをよく知っていると言っていました」
「その捜査官は信用していいんだな?」
俺が聞くと
「ええ。少なくとも米国当局に取り合ってくれて、ブラックローズのマネーロンダリング元の『クラウン&クレセントフィナンシャルグループ』の事務所に立ち入り検査を行っているそうです」
「もちろんこの立ち入り検査はうまく逃げおおせるでしょう。しかし、立ち入り検査中は資金が動かせず、別のマネーロンダリング先を見つけるまでは大きなお金の動きは妨げられます」
続けて夕空天音さんが話した。
「逃亡には多額の裏金が必要となるので、後藤さんを遠くまで逃亡させないことはできます。また、新たなマネーロンダリング先については北朝鮮のスパイと連携し、彼らに調査してもらっています」
なるほど。俺は頷いた。
「しかし後藤さんは一度、ブラックローズの本部のあるアラブに戻るはずです。隠し財産を処理するために。船でアラブに向かうには一度、中国のあたりを経由する必要があります。その時を狙って中国当局に逮捕を依頼しましょう」
「しかし中国当局もまた、ブラックローズの裏金に動じてしまうのではないですか?」
「もちろんその可能性もあります。しかし中国は北朝鮮との結びつきが強い。ブラックローズの墜落の一件は、北朝鮮への不法侵入と攻撃と取ることもできます。おそらく、少なくとも表向きは北朝鮮を守るという名目でブラックローズを許さないでしょう」
「今、北朝鮮当局が『ブラックローズという組織によって北朝鮮が危険にさらされた』と中国やロシア政府に声がけをしています。この成果がおそらく反映されるでしょう」
俺たちだけで潰すには強大すぎる。ただ各国が徒党を組めば倒せるかもしれない。大きな夢と希望を胸に抱いた。
「日本なんかあてにしちゃいけない」
俺はそう言って、死んだ富田元首相を鼻で嘲笑った。
☆
「これで頼みますよ」
年配の女がスーツケースを手渡した。相手は田所浩二。暗殺された富田尚人元首相の代わりに首相になった男だ。
「はい確かに。これで一億ですね。マネーロンダリング先が潰されたって聞いたのに、ご丁寧にありがとうございます」
「それではお気をつけて」
田所はスーツケースを秘書に預け、船に向かって手を振った。やがて船は岸から離れ、小さくなっていった。
漁船に乗り込んだ女とその部下たちは、しばらく船のデッキから大海原を望んでいた。
「これでやっと、日本から逃げられる」
「日本に来てからはろくな思い出がありませんでしたね」部下の一人が笑う。
「本当ですね。スターウィングの不正がバレたり、暗殺されかけたり・・・」
女が間髪を入れずに続ける。
「そういえば、中東で例の件は見つかりましたか?」
「ええ。とあるところがマネーロンダリングを受け付けてくれましたよ」
「面倒くさい時代になりましたね。昔はマネーロンダリングなんかしなくともバレなかったのに」
「本当にそうですね。結局海外ですからね」
船長のアナウンスする声が、スピーカーから聞こえた。
「この船は、一度中国で物資補給を行った後、目的のアラブへと向かいます」
「それでは少し休んでいますね」
「安心して休んでいてください。周りには、ブラックローズの警備船を配置しているので」
☆
都内某所。俺は急いで出国の準備をしていた。もしこの作戦がバレたら、計画は失敗するだけでなく俺らの命も危ない。
そのため、中国当局とFBIが掛け合った末に俺は中国の米国大使館内の施設で暮らすことになったのだ。
もちろん搭乗する飛行機は米国の軍用機だ。日本政府内にもブラックローズの内通者はいる。日本の航空機で行ったらそれこそ事故に見せかけた暗殺をされてしまうかもしれない。
「ではそろそろ向かいましょうか。最後の戦いへ」
夕空天音さんの声とともに、俺たちは米軍機へと搭乗した。米軍機といっても戦闘機ではない。極めて普通の飛行機と同じだ。
「今の状況はどんな感じですか?」
俺が聞くと、
「後藤さんらの船は先ほど横須賀海軍基地を出発しました。到着までは一週間くらいでしょう」
ふと窓から空を見上げると、どこかで見覚えのある戦闘機がよく目についた。夕空天音さんに伝えると、
「あれは日本の航空自衛隊じゃないですか?日の丸マークがありますし。おそらく我々が乗っていることがバレていますね。後は状況と日本国からの指示を見計らって撃ち落とすかどうかを判断しているところでしょう」
「ただ、こちらには米軍も中国当局もついています。それに米軍機を撃ち落としてしまうと国際問題に発展してしまうので攻撃はしてこないでしょうね」
俺はひとまず安心し、背もたれを傾けた。にしても米軍機最高だな。大統領とかも乗ってるのかな?
「・・・さん、五十嵐さん・・・到着しましたよ」
目を開けると夕空天音さんの声がした。機内を出ると、そこは空港だった。
「本来は米軍機が中国に止まるということは絶対にあり得ないのですが、中国当局の粋な計らいで許可をいただきました」
米軍機を出るや否や異常な、というよりも不思議な光景が広がっていた。
米国の国旗が描かれた航空機が中国の国旗の立っている飛行場に止まっている。
「なんだこれは・・・。たまげたなぁ」
驚嘆していると、米国大使館の日本語通訳の人が俺たちを案内した。
「これから大使館内へ移動するので、こちらの車にお乗りください」
連れられるがままにのった車はキャデラック・ワン。オバマ大統領も乗ったと言われる車だ。
窓は一面防弾ガラスで、車体も防弾仕様。銃撃を受けてタイヤがパンクしたとしても一定距離は走ることのできる超つよつよ仕様だ。車には米国の国旗が立てられ、ナンバープレートも大使館仕様だ。そして大使館への道も中国政府によって封鎖され、独占状態になっていた。
「流石にこれはやりすぎでは?」
夕空天音さんに聞くと
「これもきっと、『粋な計らい』なんでしょうね」
珍しく夕空天音さんが笑って答えた。
大使館につくなり、大使館の館長に歓迎された。
「日本国の代表として歓迎できないのは大変悲しいことですが、本来敵対状態にある中国がここまでの計らいを賜って下さったことは大変光栄に思います。日本にいるときはさぞかし騒がしかったでしょう。ここでどうぞ、落ち着いて過ごしていてください」
ここはここで落ちつかねぇよ!とは思いつつも、少なくとも身の安全は確保されるので、大変ありがたい。
部屋に戻るなり大使館の専用回線からメールをチェックしていると、スターウィングの人たちから連絡が来ていた。急にいなくなったからと心配している内容だったが俺が中国の米国大使館にいることは伝えられないし、ましてや後藤さんを捕まえようとしていることなんかもってのほかだ。少し体調が悪いから休んでいる、とだけ返信した。
数日後、俺たちに凶報が入った。日本のメディアが俺たちが中国国内にある米国大使館にいることを報じたのだ。しかも米国が日本人を誘拐したと、捏造して。すぐさま米国大使館は対応に追われた。
「俺たちが米国にいることをブラックローズの奴らに伝えようとしているのか」
「ええ。しかし船上、特に漁船の場合、電力に限りがありますし、スターリンクのような衛星通信も使っていないでしょう。このままバレなければいいのですが」
夕空天音さんが少し焦ったような口調で話した。
「日本政府としては私たちのニュースを報道することで、国民に対して中国や米国の印象を悪くしているのでしょう。そうすれば仮にブラックローズの船が中国当局によって捕まったときも日本の、ひいてはブラックローズの都合の良いように持っていくことができますし」
テレビをつけると日本政府が会議をしている様子が映し出されていた。
「日本政府としてはこれは誠に遺憾であります。現在、米国大使館が解放しない場合、徹底抗戦することも検討しています」
日本の首相、田所の声だ。
「これは極めて重大かつ国民の危険が脅かされる事態であり、日本は誘拐された国民を通じて間接的に攻撃されたと認識しています。そのため武力行使も辞さない姿勢をとっています」
そんな中、夕空天音さんが走ってこちらに向かってきた。
「船が、到着しました!!」
俺たちは中国軍の兵士に警護されながら大使館の外へ出て、車に乗り込んだ。
「今から現場へ向かいます」
しばらく車に揺られていると中国の港に着いた。
「あそこにいる白い船ですかね」
夕空天音さんが声を出す。
「ええ。おそらくそうです。付近は中国軍が囲んでいて、逃げ出せないようにしています。また、付近の海上も中国軍と米国軍が警備にあたっています」
そのとき、爆発音がなった。同乗していた中国軍の兵士らが俺たちを覆う。
「伏せて!」
運転手の声が鳴り響く。車体に衝撃が走る。
「おそらく船の人が爆弾をなげた模様です。一旦退避します」
そういって車は動き出した。
☆
「さっきは突然驚きましたね」
夕空天音さんがそう言うと、中国軍の兵士らが口々に話した。
「船上からの爆発に応戦して中国当局が発砲したところ、日本の航空機による攻撃があったと」
俺たちは大使館に戻るなり館長と話をした。
「どういうことですか?」
俺が聞くと、館長は落ち着いた声で答えた。
「おそらく、日本の航空自衛隊が中国の警察官に対して射撃を行ったようです。私もテレビを見ていて気づきました」
館長がテレビをつける。テレビでは首相らによる会見が行われていた。
「我々は、日本人が米国大使館によって誘拐されたことに加え、日本人らの乗った漁船が中国当局によって攻撃されました。これを日本国への攻撃とみなし、報復を行いました。漁船に乗っていた日本人らは全員中国軍に拘束されています」
「おそらく後藤さんらは中国当局に捕まったのでしょう。しかし日本政府はメディアを使って印象操作を行い、中国と米国を悪者に仕立て上げている」
館長は「どうすればいいんだ・・・」と悩んでいる。その時、俺のスマホに連絡が入った。スターウィングのメンバーからだった。
「私は以前、スターウィングに助けてもらった者です」
その声で思い出した。俺たちが以前スターウィングの避難シェルターを貸した子だった。
「お久しぶりです。NHKのプロデューサーの隅田羅砂と申します。この一件を放送したいと思っています!映像を頂けませんか?」
「夢を叶えたんですか!おめでとうございます」
「いえ、スターウィングのおかげです。後藤さんのことは悲しい限りですが・・・」
「わかりました、では今から大使館の方に確認を取ってみます」
大使館の館長に話すとすぐに話は進み、とんとん拍子に米国大使館への中継が決定した。
「それではカメラを回します、放送開始まで五、四、・・・」
やがてカメラは米国大使館の館長、中国の警察のトップ、中国軍の幹部、そして俺にも向けられた。視聴者数はうなぎ登りに増えていき、トレンドにも上がった。
「先日、ブラックローズという組織について報道しました。彼らは今、漁船に乗って日本から中国に逃亡しています。こちらが実際の映像です」
夕空天音さんが隠し撮りをしたという、動画を再生した。そこには田所首相と後藤さんとが現金と引き換えに漁船に登場している様子が映されていた。
「こちらが中国当局が拘束した写真です」
中国の警察と中国軍のトップが公開した。そこには確かに後藤さんが映っていた。
「しかし、日本政府、並びに日本のメディアは印象操作を行い、あたかも中国、米国が悪いかのように報道しています」
俺は星来から貰ったお守りを胸に、話を続けた。
「実際、私たちは誘拐されていませんし、中国当局が漁船に攻撃をしたのも、向こうが先に爆弾を仕掛けてきたからです」
夕空天音さんは爆弾が投げられた瞬間を撮影した動画を再生した。
「それにこちらの会話を聞いてください」
先日、高級料亭で盗聴した際の音声データを再生した。
「こちらは先日墜落『事故』によって亡くなった富田首相と平等党の党首、斉藤一郎による声です」
しばらく間を置き、俺は話を続けた。
「民主主義国家における自由において、国民は『その情報を信じるか、信じないか』の選択の自由があります。しかし、国が情報を統制し、判断材料を与えないことは、本当の『自由』と言えるでしょうか。それが本当に、メディアの役割と言えるでしょうか。国民の皆さんはより多くの意見を聞く必要があります。それが民主主義国家の決定的な違いです」
多少、中国を皮肉るように言った時は、後ろからの視線が痛かった。だが、これは俺の、紛れもない意見だ。
ふと周りを見渡すと、米国大使館の方々から拍手が沸いた。中国軍と警察トップの方には目を向けられなかったが。
驚いたことに、SNSには海外からのコメントが相次いだ。特に海外のインフルエンサーや多国籍企業の社長などから多く賞賛された。
しかし依然として日本からのコメントは少ない。日本のメディアが放送しているはずなのになぜだと不思議がっていると、やがて羅砂から連絡があった。
「放送を始めてすぐにスタジオに武装集団が乱入し、放送機器が破壊されました」
真っ暗な電気の中、散々に散らかった机などが写った写真も添付されていた。
(「まさか、これも政府のやつらか・・・?」)
その時、俺は何者かに声をかけられた。慌てて通訳を呼ぶと、
「私と、取引をしませんか?」
目の前に立つのは中国軍のトップだった。彼の鋭い目が俺を見据えていた。
「先ほどの攻撃によって犯人が逃げ出した可能性があります。そして今、中国国内の市中にいる可能性があります」
「本当ですか?それはまずい」
俺が慌てふためくと彼は冷静に言った。
「ええ。ですのであなたには犯人を捕まえてきていただきたい。そうすれば、中国が必ずや責任を持ってブラックローズを必ず撲滅することを約束しましょう」
その時、トップは少しにやけ、俺の耳に囁いた。
「その時はマネーロンダリング先も資金のありかも含めて」
俺は驚いて目を見開き、トップの目を見た。
「これは国際的な取引です。こんなに多くのいろんな立場の人がいる中で嘘はつきません。みんなが証言者です」
俺はしばらく考え、夕空天音さんと会話をした。夕空天音さんは
「おそらくこの中で一番近くにいたのは五十嵐さん、あなたです。一番行動パターンがわかっているはずです。この取引は受けるしかないんじゃないですかね」
そして俺はトップに言った。
「受けて立ちます」
「わかった。そしたら期限は大使館の時計で12時間。今午後六時だから明日の明け方六時まで。せいぜい頑張るように」
「あと、中国の警察の動員が必要であれば気軽に言ってくれ」
「わかりました。がんばります」
そして俺はすぐに夕空天音さんと作戦を立てた。
「取引にゴーサインを出したのは何か作戦のことがあってのことなんですよね?」
俺は夕空天音さんに問い詰めるが、意外な反応が返ってくる。
「いや、特にないですけど、あれは受ける以外にないと思ったので」
夕空天音さんは半笑いでいった。
「じゃあどうするんですか?」
「私に五分ください。何か案を考えます。その間五十嵐さんは後藤さんが行きそうな場所と趣味などをプロファイリングしてください」
(「逃亡してまず先に行くのは敵のアジトだよな」)
その時、夕空天音さんは中国軍のトップと話をしていた。
五分後、夕空天音さんは俺たちに与えられた部屋に戻ってきた。そして、少しにやけるように言った。
「確率は高くないですが、案が浮かびました」
夕空天音さんの声が静寂を破った。その瞳には微かな光が宿っていた。俺は思わず身を乗り出し、息を呑んだ。
「中国と日本の違いってなんですか?と聞きたいところですが時間がないので結論から。中国のシステムをお借りします」
夕空天音さんの言葉に、俺の頭の中で疑問符が踊った。
「具体的に言うと?」
真意を探るように、俺は尋ねた。天音さんは薄く微笑んだ。
「中国の電子決済や顔認証システムを利用するんです」
その瞬間、俺の脳裏に電球が走った。ピカーン!
「五十嵐さんには彼女の行動パターンを、私は端末識別子から後藤さんを追跡します」
天音さんの声には、冷静な決意が滲んでいた。俺は眉をひそめた。
「それって途方もない作業では...」
「そうかもしれません。しかし、それしか方法がないようにも思います。それと同時に、ロシア系ハッカーの知り合いにAppleとGoogleに対してウイルスを作ってもらっています。そうすれば顔写真も撮れますし」
「でもそれってかなり難しいのでは?」
「ええ。容易なことではありません。しかしこの案に、全ロシアのハッカーたちが乗ってきてくれています。脆弱性探しのために。彼らに任せましょう」
「特にiPhoneの場合はプライバシー情報はサードパーティのソフトウェアではアクセスできないようになっているのでiOSのrootレベルでの脆弱性をつかなければなりませんので」
俺は改めて、デジタル機器の恐ろしさを感じた。もしもスマホがハッキングされていて、私生活が見られていたら。購入履歴が見られていたら。行動パターンがバレていたら。そしてそれらすべての情報が一堂に会した時、最強の効力を発揮することに。
「運ゲーだな...」
俺は呟いた。だが、この取引のために世界中のハッカーが結集している。失敗は許されない。
俺は休む間もなく、送られてくるデータを必死に分析し続けた。
俺たちの命運を賭けた、壮大な捜索劇の幕が上がったのだ。
ダークウェブ上ではこのことが大いに盛り上がり、一時は一億近いハッカーたちが参戦した。しかしその中核を担っているのは俺と夕空天音さんだ。もし見逃してしまったら謝って済むどころではない。水も飲まずに作業を続けた。
時計の針が午後九時を告げると、後藤さんが声を上げた。
「ついにできました」
「今から後藤さんの行動範囲をAIで割り出し、その地域の中国のネットワークを使っている全スマホに位置情報アプリを配信します。名目は『新型コロナチェックアプリ』ということで」
「なるほど。日本で以前やっていた新型コロナのアプリだと、位置情報を共有する理由づけができる」
「ええ。ただアプリのインストール自体は任意ですし、後藤さんがインストールしてくれるかはわかりません。それにそもそもiPhoneの場合、自分が位置情報の許可をしない限り共有されません」
「ただ、やってみなきゃわからないじゃないですか!」
夕空天音さんはやけに陽気に言った。エナドリでも飲んでるのかよ!
そしてすぐに一斉配信するとともに、画面上の地図に印が現れた。
「これで特定の地域の人の位置情報が特定できます」
その時、俺たちは声をあげて言った。
「これってもしかして・・・後藤さんでは?」
現場となった港からずっと続いている位置情報があった。そして、今も点は動き続けていた。
「ええ、その可能性が高いかも知れません。五十嵐さんはすぐにこれを追ってください」
俺は急いで車を出してもらい、この印を追った。車が道路を走る中、持ち出したノートパソコンに映る点がまさに自分の位置情報と重なった。窓を開けて外を見ると、そこには黒塗りの高級車が走っていた。
「運転手さん、あの車を追ってください」
と告げると、俺は夕空天音さんに連絡を取った。
「夕空天音さん、車内の様子が見えました。後藤さんが確かに乗っています」
胸が高鳴る。
「本当ですか?」
「はい。しかし、何かに気づいたみたいです。急に車の進路を変更しています」
俺は運転手に少し距離を置くよう指示し、天音さんに複数台の車を出してもらうよう頼んだ。車は道路を抜け、繁華街へと走り続けた。突然、前の車がブレーキをかけ、横道に曲がった。俺も車から降り、叫んだ。
「後藤さん!」
振り返ったその人物は、後藤さんではなかった。混乱する俺をよそに、その人物は不敵な笑みを浮かべた。
「お探しの人物は、ここにはいませんよ」
その瞬間、周囲から数人の男たちが現れ、俺を取り囲んだ。
「やられた!」
俺は無線で夕空天音さんに叫んだ。
「彼らのうち誰かのスマホを抜き取ってください。それから特定します」
「わかった。やってみる」
「今、中国の警察をそちらに向かわせています。指示したタイミングで発砲させるので、その瞬間にスマホを奪ってください」
その瞬間、俺にはポケットに入ったスマホが見えた。
(「あれだ」)
そして夕空天音さんから指示が聞こえた瞬間、発砲音が響き、男たちは慌てて周りを見渡す。その時、俺はポケットからスマホを抜き取った。しかし、男のうちの一人が俺に拳銃を向ける。
「動くな!手から離せ」
構わず逃げようとした俺に拳銃のロックを外した瞬間、再び発砲音が鳴った。しかし倒れたのは俺ではなく男だった。
俺は走馬灯が云々とかツッコミを入れる間もなく死に物狂いで車まで戻り、無線で夕空天音さんに告げた。
「スマホを回収しました。いまからそちらに戻ります」
「いえ、戻ると時間がありません。車上で作業をします」
「でも俺はプログラミングとかわかんないし」
「今から簡易的に作ったソフトを送るので、それを操作してください」
ノートパソコンにソフトが送られ、それを実行するとプログラミング画面が現れた。
「そこに今から言う番号を入力してください」
十五桁の番号を入力すると、数字や英語が表示された。
「今表示されたものがこの端末が今まで行った活動すべてです。購入履歴、行動履歴などです。そのデータを私に送ってください。こちらでパターン化し、アジトを特定します」
俺は指示通りにデータを送信し、次の指示を待った。
「その後は、また別の場所に向かってください。今からその位置情報を送ります」
「わかった」
ノートパソコンを操作し、データを送信する。すると夕空天音さんからもデータが来ておりそれを運転手に伝える。
「先ほど送った位置情報は五十嵐さんにやっていただいた端末識別子を利用した行動パターンのうち、後藤さんが中国で活動したと思われる時間帯から行動を始めた人たちの位置情報です」
「あと一五〇人分あるので、それを全部まわってください」
疲労と焦りが募る中、時刻は十時三十分をまわっていた。
「マジで言ってるんですか?こんなん間に合うわけないじゃないですか!」
俺は大声を張り上げるが、それよりも大きな声で夕空天音さんが被せる。
「私だって不可能なことは言っていないつもりです!!」
(「これ、もしかすると十二時間で終わらないかも知れない」)
そんな不安が、脳裏を駆け巡った。
運転手から到着したことを告げられ、辺りを見るとそこはショッピングセンターだった。ノートパソコンを見ながら位置情報を辿っていくと、そこに女性の影があった。
しかし、俺は遠目に顔を伺うとそれは後藤さんではなく、ただの中国人女性だった。
落胆しながらも次のところへ向かう。
今度は都会のビルに位置情報があった。警備員に中国警察から許可をもらっていることを伝えると監視カメラを見せてくれた。しかしその影は全くなかった。
俺は気持ちが滅入っていた。二十人ほどを終えた頃、時刻はついに午前三時になり、焦りがより増していた。さらに疲れからか、運転手にも当たるようになっていた。
そんな中、夕空天音さんから無線が入った。
「ついにできました。スマホのハッキングシステムが」
「本当に!」
俺の目が輝く。
「iPhoneとAndroid両方に対応したモデルをハッカーが作り、ソフトウェアアップデートとして中国国内にのみ配布してもらいました。これでいままでの位置情報や購入履歴だけでなく顔写真も確認できます。五十嵐さんの方にもデータを共有しておくので引き続き車内で作業を続けてください」
「わかった」
「それに車内の方が移動もできるし、もし襲撃された時にも比較的安全ですので」
俺は送られた顔写真データを一つずつ確認していった。中にはプライベートなシーンの写真もあった。迷いもあったが一切を振り切って探した。そんな中、何枚か後藤さんらしき人の写真を見つけた瞬間、胸が高鳴った。
「もしかしたらこれかもしれません」
すぐに夕空天音さんに共有する。
「わかりました。リアルタイム位置情報をこちらから送信します。追ってください」
すぐに車は発進し、また一人一人、確認作業に入っていった。そのうちの多くは一般の住宅にあった。
しかし、残り二つだけは違った。一つは工場の跡地、もう一方はトラックの集配センター。時刻は四時を指している。
「運転手さん、ここからだとどちらが近いですか?」
「ここからだとトラックセンターの方が一時間三十分程度、工場の跡地が四十分程度です」
「では先に工場の跡地を寄ってください」
「しかし両方とも方向が反対ですので、往復しなければなりません」
(「クソっ!」)
俺は夕空天音さんに情報を伝えた。
「こちら側では引き続き可能性のある人たちの情報を集めます。五十嵐さんが判断してください」
朝焼けの空が赤く染まる中、俺の心臓が激しく鼓動を打つ。選択の時が来た。工場の跡地か、それともトラックの集配センターか。可能性は前者の方が高いが、後者で逃亡を図る可能性も捨てきれない。
俺は鞄からお守りを取り出し、静かに祈る。星来からもらった大切なお守りだ。
「これで星来の死が報われるかもしれない」
俺はサンシェードで締められた車窓から星を眺める。
(「よし、決めた」)
その瞬間、決断が下された。車はゆっくりと、しかし力強く動き出す。道中、俺は星来の言葉を思い出した。
「自分の進んだ道が正解に思える人生・・・か」
不安が胸をよぎる。もしかしたら、どちらも外れかもしれない。そんな時、夕空天音さんから無線が入った。
「工場の跡地の方に関する情報がわかりました。今から三日前、中国で買い物をしている履歴が見つかりました」
無線に沈黙が続く。そして沈黙を切り裂くように俺はマイクを口に当てた。
「そっか・・・わかりました。ありがとうございました」
俺は深く息を吐き出す。
(「くそ!でも諦められないよな」)
そう朝日が言っているような気がした。だんだん日が明けるにつれ、焦りは諦めに変わっていった。
しばらく車に揺られていると、現場に着いた。車のドアを勢いよく開け、俺は隈なく探す。やはり人影は見つからない。
(「やっぱだめだったか」)
空は果てしなく広がり、雲ひとつない青空が俺の心を映し出しているようだった。ふと顔をあげ、その青さに目を奪われる。
「予想がつくようなドラマは大抵起こらない」
誰の言葉だろうか。風に乗って、その言葉が俺の耳元で囁いた。
このまま時間がすぎれば俺は日本に帰れる。それは安全で、予測可能な未来だ。NPO法人の代表として敬意を集め、順風満帆の人生を歩む。しかしその選択は同時に、今までここまで築き上げてきたものを手放すことにもなる。
(「取捨選択・・・か」)
ブラックローズの野放し、後藤さんの逃亡。胸が締め付けられる思いに俺は目を閉じる。
「これが俺のゴールなのか?」
何度も自問自答を繰り返す。でも、答えはもう出ている。
泣き言なんて俺には似合わない。悩んだ時、いつだって気づけば走り出していたんだ。
ふと地面を見ると、土埃が舞う中、一本のつぼみが開花寸前で散らされていっていた。開花したとしても誰かに踏まれるかも知れない、冬を越せないかも知れない。度重なる試練が襲ってくるだろうと。でも俺にはわかる。花びらは散ってもその想いは消えやしないってことを。
(「たとえ道が閉ざされても、また別の道をこじ開ければいい。どんな困難だって必ず乗り越えられる。今までだってそうだったじゃないか」)
俺は夕空天音さんから連絡をもらった時、運命が味方してくれた気がした。二分の一の賭けに勝ったのだから。
この決断は絶対に後悔しない。いつかきっと、もっと強く、もっと美しい未来が待っているはずだ。それは疑いようのない俺の未来なんだから。
だから行くんだ、俺が俺でいるために。この道の先に、本当の俺がいるんだから。
「待ってろよ!星来!!」
俺は全てを振り切り走る。水たまり、ぬかるみさえも突き抜けて。向かい風すらも追い風になり、俺の背中を押す。
その時、聞き覚えのある声が聞こえた。
疲れてるからなのかと一瞬我を疑う。しかし、それは明らかだった。
夕空天音さんに状況を伝え、俺は突入を決心する。例え俺が撃たれてもいい。そう覚悟を決めて叫んだ。
「後藤さん!!」
周囲の人々が驚いて振り返る中、後藤さんの目が大きく見開かれた。そして、トラックのドアが閉まる音が響いた。
「ついに・・・ばれちゃったか」
後藤さんがそう言う。かつての仲間の姿はもうそこにはなかった。
「なんで後藤さんがブラックローズなんかに・・・」
「私にはもう、戻る場所なんてないんだよ」
その冷たい言葉に息が詰まる。
「いくらなんでも助けを必要としている子を餌に私服を肥やすことは許されません」
俺が叫ぶと後藤さんは冷笑を浮かべた。
「社会は綺麗事だけじゃやっていけないんだよ。この若造が」
「でも・・・」
言葉に詰まる俺。疲れで頭が回っていなかったのはもとより、確かにどれも事実ではある。それに否定できない自分が悔しい。
「活動をして人助けをしながら豪遊もできて社会的にも尊敬される。これほどまでに最高な人生他にないと思うのだが」
後藤さんがそう言い、俺はしばらく考えた。そして
「でも・・・でも!それでも犯罪は犯罪です!」
結局は実質的な意味の説明になっていないのかも知れない。しかし俺にはそれしか言葉が浮かばなかった。
後藤さんは呆れたように俺を見下ろした。後藤さんは俺をトラックの外へ蹴り飛ばそうとする。
「行きましょうか。こんな馬鹿と付き合ってる時間がもったいない」
トラックのエンジン音が轟く中、俺は必死の形相で後藤さんの足に掴みかかった。
「絶対に離さない!」
俺の声が夜明け前の空気を切り裂く。
「何よ!」
後藤さんの怒号が響き渡る。しかし、その声には僅かな動揺が混じっていた。
突然の衝撃を受け、俺の体が宙に浮く。後藤さんもろとも、トラックから転げ落ちる。ゴロゴロと転がる二人の姿。しかし、トラックは構わず走り去っていく。
後藤さんは大きなため息をつき、次第に強張った顔つきがスターウィングで見たときのような顔に変わってゆく。朝の冷たい空気が包み込む中、後藤さんは深く息を吸い込み、静かに語り始めた。
「私の子供時代は、まるで終わりのない悪夢だった。両親は私が完璧であることを求めた。勉強で少しでもミスをすると容赦なく叱責され、時には手が出ることもあった」
彼女の声は過去の痛みを思い出すかのように震えていた。
「毎日が恐怖で、家に帰るのが怖かった。誰かに助けを求めたかったけれど、恥ずかしさと恐怖で声を上げることもできなかったんだ」
彼女の目には涙が浮かんでいたが、それを拭おうとせず、話を続けた。
「だからこそ、私は大人になってからスターウィングを立ち上げた。自分と同じような思いをしている子供たちに救いの手を差し伸べたかった」
しかし、彼女の顔は暗くなった。
「でも活動を続けていくうちに資金が足りなくなった。そこで私はとある組織から支援をいただいたんです」
俺は間髪を入れずに後藤さんに聞く。
「その組織って・・・」
「ブラックローズです・・・。初めは慈善組織のような感じだった。ただ途中から徐々に暗い一面を見るようになりました。私の頂いた資金が、実は宗教の信者らから巻き上げた資金だったことを知って支援を断ろうと思いました」
その瞬間、その空間は静まり返る。後藤さんの言葉は俺の心に深く響いていた。
「支援を打ち切ってもらおうと連絡すると『スターウィングを潰すぞ』と脅されました。それで私はブラックローズの指示に従うしかありませんでした」
後藤さんは話を続けた。
「私はどうしたら良いのかが分からず、かと言って相談する相手もいない。自分で何とかするしかなかった」
その瞬間、周囲に何かが起こった。
「動くな!」
鋭い号令が飛ぶ。振り返ると、何十人もの警察官が我々を取り囲んでいた。中国の機動隊だろうか。その数は五十を超えている。
「くそっ!」
後藤さんの悔しげな叫び声が聞こえた。そして後藤さんは一瞬で観念したように両手を挙げた。その表情には、諦めと怒りが入り混じっていた。
警察官たちが素早く後藤さんに近づき、手錠をかける。その瞬間、俺の中で様々な感情が渦巻いた。安堵、達成感、そして...寂しさ。
かつての仲間を自らの手で逮捕に追い込んだ。それは正義のためとはいえ、複雑な思いだった。
俺は胸を撫で下ろしたが、すぐにあることに気づく。時計を見ると、午前6時5分。
「まずい!」
俺は慌てて夕空天音さんに連絡を入れる。
「後藤さんを確保しましたが、時間が...」
焦りと後悔が胸に押し寄せる。中国軍のトップに泣きつくことまで頭をよぎった。しかし、そんな無茶が通るはずもない。
(「後藤さんの話なんか聞かずにすぐに捕まえればよかった・・・」)
そんな俺の混乱を、夕空天音さんの冷静な声が遮った。
「五十嵐さん、時計を見てください。何時ですか?」
「は?午前六時九分だが?」
俺は苛を露わにする。
「では、運転手の方にも聞いてみてください」
俺は言われるがままに運転手に時間を聞く。
「今は、午前五時九分ですけど?」
混乱する俺。しかしスマホも、時計と同じ時刻を表示している。
「どういうことだよ!」
「時差ってわかりますか?」
俺はハッとした。俺のスマホも腕時計も日本時間で設定されていたのだ。そして中国の時差は一時間。
「ってことは・・・!」
「はい、そうです。すぐに戻ってきてください」
安堵の溜息が漏れる。まだ間に合っていたのだ。
俺はすぐに大使館に戻った。大使館に入るなり全員に囲まれ、拍手喝采を浴びた。そしてモニター越しには協力してくれた世界中のハッカーも俺を見ているそうだ。
大使館の館長からは見事と称賛され、中国軍のトップからはよくやったと言われた。
「では取引は成立とみなし、中国国内のマネーロンダリング先と資金先の一切の情報をお渡しします」
「それってどう言うことですか?」
「実はブラックローズの本拠地はアラブではなく本国です。なので一番の資金先も中国にあります。中国当局も極秘に捜査を進めていました」
俺は受け取った資料に目を通す。かなり緻密に綴られていた。中でも特に目を引いたのが十八兆円と記載されている額だった。夕空天音さんに見せると、驚いていた。
「これらには今、資金を凍結するように伝えています」
「・・・でもこれって別に俺が後藤さんを捕まえなかったとしても凍結できたのではないですか?」
「ええ。どうせ中国当局が捕まえることになったのでしょうね。ただあなたの本気が知りたかった」
「なんですか!」
俺は笑いながら、少し怒りも混ぜながら言った。
「それでは完全に解体が確認できたら、五十嵐さんにご連絡します」
《日常》
後藤さんらはと言うと、裁判によって無期懲役が言い渡された。ブラックローズの部下らも本部が摘発され、国際裁判にかけられた末に多くが刑罰を受けている。
俺は日本に帰国し、スターウィングの代表として、活動を継続している。
夕空天音さんは、今年、東京都知事選に立候補している。相変わらず顔出しはせず、名前も「夕空天音」と言う名前だ。
他方、テレビプロデューサーとして一件を報道した隅田羅砂は、NHK退職したのちに別のテレビ局にスカウトされ、プロデューサーとして働いているそうだ。
俺は事務所の窓をぼんやり覗きながら、沈思黙考する。
きっとこの世に金と権力がある以上、権力を使って金儲けをしている人が今、この瞬間もいるだろう。彼らはメディアすらも操作し、自分たちにとって都合の良い社会を作り上げようとしている。
そしてそれら「悪」を倒す「正義」とはなんだろうか。きっと「正義」は人それぞれ、価値観によって違うだろう。そして、時には「正義」が偏りすぎるあまり「悪」となってしまうこともあるだろう。
果たして悪を倒すという「正義」のためならば、暗殺は「罪」ではないのだろうか。
果たしてNPO法人という「正義」のためならば、反社会的組織と関係を持つことは「罪」ではないのだろうか。
一連の騒動で、とても考えさせられることとなった。
☆
「ところで『ジャーナリズム』には興味を持って頂けましたか?」
夕空天音さんが突然言い出す。
「どうした急に」
俺が聞くと、
「実は私、フリーランスでジャーナリストをやっておりまして。だから今回のブラックローズについての情報網があったわけなのですが・・・」
夕空さんは少し言葉を切り、窓の外を見つめた。そして再び俺に向き直ると、真剣な眼差しで続けた。
「五十嵐さん、私はあなたに大きな可能性を感じました」
俺は戸惑いながらも、夕空さんの言葉に耳を傾けた。
「私は今、大きなプロジェクトを計画しています。世界中に張り巡らされた、いわゆる「死の商人」を暴く、そんな仕事です。五十嵐さん、私と一緒に働いてみませんか?」
その提案は突然すぎて、俺はしばらく言葉を失った。しかし、心の奥底では何かが熱くなるのを感じていた。
「報道・・・ですか」俺は慎重に言葉を選んだ。
「そんなに大それたこと、俺には荷が重すぎますよ」
夕空さんは優しく微笑んだ。
「あなたの中にある真実を追い求める心、それこそがジャーナリストに必要な資質です。技術は経験でなんとでもなります」
俺は深く考え込んだ。高二の頃からは全く想像も至らないような、新しい人生を送るかもしれない。
「少し、考えさせてください」
俺はようやく口を開いた。夕空さんは頷いた。
「もちろんです。急ぐ必要はありません」
「そうだ、五十嵐さん。今回の一連の事件についての本を出版してみませんか?」
「もちろん、実名は伏せて、フィクションとして発表するんです」
俺は驚いて夕空さんを見つめた。
「それは・・・大丈夫なんですか?」
「もちろんです。物語という形で発信することも方法の一つです」
夕空さんの言葉に、俺は少しずつ心が動かされていくのを感じた。
「わかりました。やってみます」
夜が明け、窓からは光が差し込んでいた。新たな一日の始まりとともに、俺は新たな一歩を踏み出す決断を迫られていた。
「・・・ってやば!もう朝じゃん!会社じゃん!」




