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魔女の恋が愛になるまで

作者: 富士壺

 むかしむかし、あるところに一人の魔女と一人の王子がおりました。


 幼少の折より親しくしていた二人は、それはそれは仲睦まじい姿でした。

 爽やかな風が頬を撫でる丘。新緑の草原を彩る花々。舞い上がる花びらの隙間に見え隠れする蝶々は、まるで二人を祝福しているよう。眼下に見える街並みは色とりどりの屋根が眩しく、どんな宝石にもまさる景色です。

 

 周りの人々は『王子のお妃様は彼女ではないか』『微笑み合う姿が愛らしい』『魔女の奇跡があればこの国は安泰だ』と口々に囁き合い、それはそれは平和な日々を送っておりました。

 


 しかしそんなある日、王子に婚約者が定められます。なんと相手は隣国のお姫様です。朗らかなかんばせと輝く金髪は、柔和で見目麗しい王子ととってもお似合いです。

 それは王国と隣国がいつまでも、いつまでも寄り添っていくために必要な婚姻でした。


 

 王子は愛しい魔女に告げます。


「君のことを誰よりも、どんな時だって愛している。

 でも。でも、この婚約は成し遂げられなければいけない。この国に生きる王子の責務として」


 魔女はそれにそっと頷きました。

 頬を切り裂く風は熱く乾燥していて、焼けこげた花弁が吹き荒び、まだ赤く光るそれが触れた外套は小さく悲鳴をあげました。いつもの丘から見下ろすいつもの街並みは、いつもと違うきらめきに満ちています。街は、国は、隣国のもたらした恐怖に溺れてしまいそうでした。


 王子はさらに言葉を重ねようとしますが、乾燥した空気に喉が詰まってしまいます。魔女の好きな柔らかい目元も引きつってしまっています。彼女がそっと手を伸ばして撫でてやると、彼はそれに甘えるように頬をすり寄せ口を開きました。


「……どうか私が再びこの地に戻ってくるまで、待っていてほしい」


 魔女はまた頷き、自分に恋と不死の呪いをかけました。

 この恋が続く限り肉体は欠けず、病に倒れず、老いに苦しむことはありません。


 王子が王子のまま戻ってこれる保証はありません。彼が産まれ変わった時、あらゆるしがらみがなくなったその時に再会できるように。願いを込めて丁寧に、丁寧にかけました。

 心の底から彼に恋していた彼女は、少しだって躊躇いはしませんでした。

 

 王子は泣いていました。魔女も泣いていました。もはや二人にその権利はありませんでしたが、それでもお互いしか見る者のいない今だけはと。ずっとずっと、二人で声を押し殺して泣いていました。

 

 

 王子はその願いがどれだけ酷なものか理解しています。魔女はそれを受け入れることがどれだけ厳しいことなのか理解しています。


 ――理解しているだけでした。

 二人は実際のところ、わかっているわけではなかったのです。当然のことでした。だって訪れるかも分からない再会を希望に、ながいながい時のなか生きたことなど無かったので。


 

   ◇


 

 ――大地に緑が戻る、花が咲く。陽光が命を照らす、木々の影が青く落とされる。風が枯葉を運ぶ、橙色の絨毯が敷かれる。冷たい結晶が降り積もる、深雪の下に新たな生命が芽吹く。

 星々は幾度となく巡り、それに伴い知った顔が次々と老いて、訪れてこなくなる。覚悟していた別れをそっと森の奥で惜しむ。頭上から降り注ぐ月明かりが優しく慰めてくるが、陽光を反射したそれに暖かさはなかった。


 寒くて、寂しくて心が折れてしまいそうになる。でも諦めることだけはしてはならないとよくよく理解していた。かの魔法は恋心が消滅した途端に解けてしまう。そうなればこの身はたちまち塵と消えてしまうだろう。

 そんなことは到底受け入れられなかった。この恋に報いが無いなどと考えたくもなかったのである。

 


 隣国との戦争、その停戦から長い時が過ぎた。魔女たる私は不穏因子として王都を追われ、国の外れの深い森、そのさらに奥でそっと息をしている。

 王配となった彼の死を風の噂で聞いたのは、もう数え切れないくらい何年も前のことだ。


 しかしそんな平坦で鬱屈した日々にもようやく終わりが訪れた。かの国に王子が産まれたのだ。

 魔法のせいだろうか。考えるまでもなくピンときた。彼だ。大切で恋しい彼がようやく戻ってきたのである。

 

 それからの行動は早かった。王都から遠く離れたこの地を経ち、魔法をふんだんに使って辿り着くはあの懐かしい丘。

 彼はまだ産まれたばかりできっと歩くこともできない。だからここで待っているのだ。いつか戻ると言った彼のことを。早ければほんの数年で戻ってきてくれるはずだ。優しいあの人はこれ以上私を待たせたりしないから。

 希望に満ちた世界は、いつかのように色付き輝いて見えた。


 

   ◇


 

「ここが貴方のお気に入りの場所?」

「うん。昔から好きな場所なんだ。貴女も気に入ってくれると、その、とても嬉しい」


 世界に色など付いてはいなかった。彼にかつての記憶などない。()()が大切にしていた思い出を、見知らぬ女と微笑みながら踏み潰す。沈み、薙ぎ、やっと待ち望んだ彼が戻ってきたことで浮き足立っていたはずの心に憎悪が渦巻いた。

 

 ……いや、そうではない。見知らぬ?そんなわけがない!彼の隣にいるあの女は隣国の姫だ。ああ。見れば分かる。忘れるはずもない忌々しい彼女だ。

 

 侵略者でありながらこの国を思いやり、心を痛め、王子を本気で愛し、そして最後には彼の情を得た女。私のことを思いやり、本国たる隣国に背いてまで王都に招こうとした女。誘いを断った私に、自分が死ぬまで支援し毎月欠かさず心を砕いた手紙を送ってきた女。


「ああ……ああ、何故。どうしてよりによって彼女なのですか!?」


 丘の麓、離れた場所からじっと眺める私に気付く気配もない。あんなに私を愛しく想ってくれていた彼も、あんなに健気な手紙を送ってきた彼女も!まるで振り向く様子が無い。


 惨めだ。隣国の姫、いいや、かつての妃が初めて我が家を訪れた時よりもずっとさもしい。嫉妬と寂しさでどうにかなってしまいそうだ。

 失意が両肩にのしかかる。それがそっと囁いてくるのだ。


『これ以上は耐えられない。こんな想いをするくらいならば二人ともこの場で完膚なきまでに傷つけてしまえば良い。どうせ誰も見ていやしない。無能な王子と醜い少女に変えてしまえ。二人が思いきり不幸になるのを見届けるのだ』


 最悪の気分だ。グルグルと恐ろしい言葉が身の内で暴れ回っている。考えたくもないのに、さあ思う存分暴れさせてくれと感情が爆発しそうだ。

 思わずその場に蹲る。暴走しそうな魔力を一握りの理性で押さえ込むが、限界は近かった。



「――お姉さん、大丈夫ですか?」


 ばっと顔を上げる。はじめに目に入ったのは二対の仕立ての良い靴。そのまま視線を上げれば、そこには幼い少年と少女がいる。丘の上で笑い合っていた二人が今は心配そうにこちらを覗き込んできていた。


 何故ここまで来てしまったのか。人が必死に耐えているところを笑いに来たのか。わざわざ火に油を注いで傷つくのは自分達だと考えもしていないのだ!


 ――そこでふと気がつく。目の前の彼等に違和感を抱いた。


 まじまじと二人を見つめてみる。よくよく見てみればかつての彼と彼女とは似ても似つかない。目元も、髪色も、顔立ちや声だって!

 

 一つだって懐かしいところなどないのだ。

 

 確かにこの身にかけた魔法は彼等こそが()()であると告げている。

 しかし違う。その魂以外の何もかもが異なっている。見て、声をかけられて、漸く理解した。再び産まれ落ちた二人は決してあの人達ではないのだ。

 

 ――知りたくもないことを今更になって知ってしまった。

 例え産まれ変わっても、死んだ人間は蘇らない。過ぎ去った過去は戻らず、無くした未来がこの手に収まることは決して無い。

 欲しいものがあるのならばその場で掴み取るしかなく、取りこぼしてしまったのであればまた別の希望を見出さなければならない。希望がなくとも、かつてを求めてはならないのだ。


 目が覚めるようだった。恋は美しく鮮やかだ。しかし色付きすぎたそれは酷く私の目を濁らせた。年を経るにつれ褪せる世界は寂しさではなく、他でもない始まりたる恋によってもたらされていた。

 


「……大丈夫。でも私、こう見えていい歳なんです。立ち上がるのが辛いから手を貸してくれるかしら」

「もちろんです」

「さあ、どうぞ」


 差し出された二人の手を取る。小さく暖かいそれは存外力強く引き上げてくる。ああ、そうだ。そういえばあの人達はもっと優しく控えめだった。接するほどに感じる違いに、思わず微笑みが漏れた。

 立ち上がって草葉を払う。丘の上から流れてくるそよ風だけがあの時と同じで、それ以外は何もかもが違っていた。もちろん、私自身も。


「ありがとう、助かりました。本当はちゃんとお礼をしたいのだけれど私はそろそろいきます。どうか、あなた達に良い未来がありますように」


 軽やかに礼を一つ取って踵を返し、足早にその場を去る。もう時間が残されていないことをよく分かっていた。なんせ魔女なので。

 急ぐ背中に一つ、声がかけられる。


「お姉さんにも!良い明日がありますように!」


 一度だけ。一度だけ振り向いて手を振る。遠くにはぶんぶんと振っていたであろう手を止めた二人の姿が見える。愕然とした表情で目を見開いているのが少しだけ愉快だ。ちょっとした意趣返し。ずっと待っていたのだからそれくらい許されたって良いだろう。

 

 じりじりと末端から解けていく身体には、もはや痛覚すら残ってはいない。このまま塵と消えゆく定めだ。恋の成就のためだけに生きてきたのに結局これだ。全く酷い結末である。

 なんて思いながらも唇が弧を描くのを感じる。彼と別れて以来の久々に良い気分だ。

 ……良い気分なので口も滑るというものだ。


 

「愛しています。心の底から!」

読んでくださりありがとうございました!

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