嘲るカエル
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
む……また、どこかでカエルが鳴いてるか?
早いなあ、もう今年もそんな時期か。先んずれば人を制すというが、野生の世界ではどうなんだろうな?
相手を求めるにせよ、時期がばっちり合っていなきゃ効果は薄い。先走った結果、相手のいないうちから命を削り、果てる可能性もあるかもな。
「おめえ、早すぎんぞ」なんて、注意してくれる奴もいねえだろうし、自分を信じて無駄死にしていくしかねえんかな。
鳴き声は、異性へのアピール以外にも多くの意味を持つという。
相手への威嚇、仲間への連絡、あるいは自分の生体の関係上、声を出す必要に迫られているものなど、様々だ。
その意味を、俺たちはたいてい多くの研究を重ねてようやく判別に至るわけだが……中には身をもって味わい、知ることになるケースもあるらしい。
俺の昔の話なんだが、聞いてみないか?
人には、ときとして苦手とする生き物がいる。
当時の俺の身近にいた友達のひとりは、カエルが大の苦手だった。彼をのぞいた、俺を含む全員はカエルなぞなんのそので、自分たちのおもちゃにすることに、まったく抵抗がなかったよ。
だから、男のくせにカエルにびびるあいつが、おかしくてたまらなかった。
あいつの真ん前でカエルを放り投げるのはもちろん、呼びかけた直後や、肩を叩いて振り向かせたところの、目と鼻の先に鎮座したカエルをつきつけたり。
おびえ、すくんで、逃げ出す相手の反応を心底笑い飛ばしていた。振り返っても、子供ながらに酷なことをしたとは思うが、当時の当人たちにとっては面白くて仕方なかったんだな。
けれど、ある時。
いつものように脅かすにとどめるつもりで、友達のひとりがあいつにカエルを突き付けたんだ。
通学路途中にある、用水路わきでのことだ。ちょうど、そのタイミングで吹き寄せた風が、カエルにジャンプをうながしたのだろう。
ぴょん、と跳ねたカエルは前方へ。あいつの鼻の頭をぴっちり隠すようにして、張り付いて見せたんだ。
そこまでやるつもりじゃ、なかったんだろう。
カエルを持っていた本人も驚いた顔をしていたし、くっつけられた方は言葉にならない悲鳴とともに、夢中でカエルを払い飛ばした。
べしん、とカエルの矮躯が立てるとも思えない、重めの音が響く。その時にはもう、弾き飛ばされたカエルが、足元のコンクリートの上でひっくり返っていた。
異様だったよ。
なにせ、バンザイするかのような格好でひっくり返ったカエルの口からは、体長の倍ほどの長さはあろうかという舌が飛び出ていたんだから。
俺たちの知るカエルは、せいぜい体長の3分の1程度の長さの舌しかないと聞くし、実際にそう試して確かめてもいる。
ゆえに、この蛇のような舌を持つカエルの異常性が際立ったんだ。
「なめられる……みんな、命をなめられる……」
カエルをけしかけられ、それをはたき落した彼は、その様子に完全におびえきっていた。
そして俺たちが問いただすより先に、その場を逃げ出していたんだ。今にも転んでしまいそうな、なりふり構わない走りだった。
カエルはそこへのびたままで、動かない。死んでしまったのか。
どこか後味の悪いものを感じつつ、俺たちもその場を後にしたんだが、思うにもう不穏の気配はしていたんだ。
家に帰ったとき、いつもならこの時間に家族の誰かが犬のブラッシングをしていたんだが、俺を待っていたのは体中の毛が抜けに抜けて、地肌をさらすポメラニアンの姿だったのさ。
今って換毛期だっけか? と思いながらも、軽く撫でようと指を触れかけて、つい引っ込めてしまう。
白を基調としたその肌は、やたらぬめり気を帯びていて、ほんのわずか触っただけの俺の指が糸を引いてしまうほど。
あの感じはカエルの身体に触れた時に、そっくりだったのさ。
翌日の学校、あいつは休んだ。おそらく昨日のことが原因だろう。
あのおびえ方は尋常じゃなく、さすがに居合わせた者に気まずさが漂ったが、一コマ目の体育の時間に差し掛かると、そうも言っていられなくなる。
男子と女子で分かれる着替えスペース。廊下側を陣取る男子たちに、とまどいの声があがった。
服が、簡単に脱げない。肌がじかに触れる部分がべっとりと張り付いて、無理に引きはがそうとすると、ガムテープのような吸着力を発揮して、遠慮なく痛みを放ってくるんだ。
人の手を借り、涙を流しそうになる痛さをぐっとこらえ、べりべりと音を立ててはがした先に待つのは、ぬめり気。
生地と肌の間を、何本もの橋でつなぐかのようにして無数の糸が引いていたんだ。
教室の中からも女子たちの動揺する声が届く。おそらくは男子たちと同じような事態になっているのだろう。
上の着替えはまだどうにかなったが、下となるとまた大問題だ。
試しに個室に入ってズボンとパンツを脱ごうとして……激痛と戦うことになった。
デリケートな部位が張り付いていたりすると最悪で、小さい用を足すのでさえ、あの引きはがしに相当の覚悟が必要だった。
しかもテープのように、何度かやれば接着力が鈍るかというと、そうでもなく。やるたび真新しい力強さが、パンツを通じて出迎えてくれる。
男はまだ何とかなったかもだが、その日の女子トイレはほとんどの時間、顔を青くした女子の列ができていたよ。待つのも来るのも試練とは、たまらないだろう。
そうして、俺たちが悪戦苦闘の時間を過ごす中。
教室に、廊下に、開いた窓から飛び込んでくるのは、カエルたちの鳴き声だったんだ。
その響きたるや、ほとんどのものが窓を閉めて遮ろうとも、かすかに漏れ聞こえてくるほどの大きさがあった。
梅雨どきを迎えたなら、あり得なくもない光景かもしれない。だが、昨日の件を知る者としては、その喧々ごうごうぶりにただならぬものを感じたさ。
あいつの言葉を思い出したよ。
「みんな、命をなめられる……」て、あれさ。
だが悲劇はまだ終わらない。
体育が終わってから数時間も経つと、その新しい被害が顕在化してきた。
抜け毛だ。直接頭に触れずとも、手を洗うときやノートを取ろうとうつむいたとき、「はらり」ではなく、「ごそり」と抜ける。
お手入れに力を入れているだろう女子なんか、悲鳴をあげるほどのレベル。まとめたりして髪に圧力をかけている子たちはさほど被害がないこともあり、長い髪の持ち主はおおかた団子ヘアーになる始末。
男子のほうは被害軽微……と行きたいが、やはり突然の抜け毛はショックが大きかった。
俺もけっこうな量が抜け落ちてさ。隠れていた若白髪があきらかになって、いくらかネタを提供する羽目になったっけ。
カエルたちの声は、いまもなお断続的に響いてくる。
先ほどからずっと俺たちを、嘲っているかのように思えたさ。
被害にまったく合わない生徒も学校内じゃ多かったらしく、一連のことはちょっとした異常な騒ぎ程度で片づけられた。下校時間も、特に早まったりしたわけじゃなく、いささか残念ではある。
一刻も早く帰りたいと思ったのは、俺だけではなかったのだろう。実際、帰りのホームルームが終わると、みんなが我先にと急ぎ、昇降口はおろか廊下からして渋滞するという、めったに遭えないケースとなった。
他の階でも、同じような理由でごった返しているのだろう。窓際の俺は、これほど殺到するとは思っていなかったし、人ごみにもまれるのも好きじゃない。
数秒もすればはけるだろうと、変わらず響くカエルの声を聞き流しながら、その時を待っていたんだが。
うなじ全体が、にわかに冷えた。そのうえ、急にかかる圧力。
俺が振り返るより先に、その力は俺の身体をひと息に数十センチほど持ち上げてきたんだ。えりの中へ垂れ落ちてくるのは、あの脱ごうとするのを阻もうとした粘り気とよく似た、とろみを帯びていた。
俺が声をあげるのと、近くにいた何人かがこちらを見るの。そしてうなじの感触が消え去るのは、ほぼ同時のことだった。
ストンと、音を立てて教室の床に降り立つ俺は、先ほどまで触れられていたうなじへ手をやる。
これより前にもぬめっていたが、そこから更にもうひと塗りした、手が溺れるほどの水かさがそこにあった。
だが、その冷えとぬめりをもって拭いきれない、かすかなひりつきが新たに生まれている。
近くにいたクラスメートたちが、うなじをのぞき込んだ後、複数の手鏡を駆使してどうにか俺に首の後ろを映し出すようにしてくれた。
俺のうなじには、表面がうねるほどの粘液に埋もれて、赤い腫れができていたんだ。
その細さと長さ。俺には昨日見た、カエルの長い舌の形に思えたのさ。
警戒しながら過ごした一夜が明けて。
休んだあいつは登校してきたが、代わりにあいつへカエルをけしかけた奴は、学校へ来なかった。
あのとき、居合わせた面子に確かめると、時間帯のずれこそあれ、みんながあの舌なめられを味わっていたらしい。
あいつに謝って事情を尋ねるも、詳しいことは教えてくれなかった。ただ今日休んだあいつは数日後に戻ってくるだろう、とは話していたよ。
その言葉通り、三日後にあいつはやってきたんだが、もう別人かと思うほどやつれていてな。これまた、事情を尋ねる俺たちに首を振って、口をつぐんじまった。
ただカエルの姿を見るのはおろか、かすかな鳴き声を聞いただけで、算を乱して逃げ出すようになっちまったんだ。