第5話
眩い光が僕を未だ包み続ける。
時間の感覚はすでに無い。
光に包まれたといえばロマンティックに聞こえるけれど、それは大きな誤解。眩すぎる光は全てを白へと塗り替える。おかげで僕のいるこの部屋は、床も壁も天井も白一色の空間に変貌してしまった。全てが同一色に変貌した部屋に監禁されていると、自分という存在が徐々にわからなくなってしまう。色という存在は、生物が己を認識していく上で、欠かすことのできない要素なのだと思い知らされる。
そんな空間に僕は、24時間365日×年数だけ閉じ込めていた。
人々の囁きも、虫の声も、波の漣も、風の音すらも聞こえない、この空間にだ。
人ならば間違いなく発狂していただろう。
幸いというべきか、僕はそれほど苦にはしないけどね。
それはここが精霊界に似ているから。
ああ、愛しき我が故郷《糞つまらない世界》。
麗しき日々《退屈で死にそうになる日々》がなかったら、僕は間違いなく気が狂っていただろう。
ありがとう《くそったれな日々よ》。
そしてありがとう《二度と思い出したくなかったよ、くそったれめ!》。
変化に欠片もない空間に閉じ込められようとも、目的地に向かって移動している以上一応旅には違いない。窓でもあれば少しは違うのだろうけど、この環境では情緒とか旅情があるわけもなく只々暇である。
こうも暇だと、どうでもよいことに思考が飛んでしまう。
例えば向こうの世界についたらレバニラを食べようとか、秋刀魚の塩焼きも捨てがたいと、
まあ、そんな次元。
最初はマルドゥク様とか他の世界の神々に、脳内ネガキャンもしたよ。
けど、どうせ想像するのなら楽しいほうがいいよね?
寝ればいいと思うかもしれないけれど、こんな眩しい中で寝られる猫などいるはずがない。
自棄喰いしようにもご飯すらないときた。
飢えや喉の渇きを覚えないのだけは救いだけど、そういう話ではないのだ!
帰還したら断固抗議してやる!!
愚痴と妄想の日々は、唐突に終わりが訪れるのだけど。
◇
忌々しかった純白の幽閉場所はもう存在しない。
足元には草の感触。
咽るほどの濃い空気と緑の香り。
視力が回復するのに少し時間がかかったけど、あのような環境に置かれたのだから仕方がないさ。
五体満足。
よし、上々である。
マルドゥク様に言いたいことは多々あれど、儀式そのものは成功させたのは流石だな。50の称号を持つ至高神と豪語するは、伊達ではなかったというわけか。
僕は少しだけ彼を見直した。
視力が回復した僕の前に映し出されたのは、見渡す限りの青々と生い茂る木々と、鼻の前を飛びすぎていく蝶の姿。鳥の囀りも聞こえるけど、不意の侵入者を警戒したのか姿をみせない。別に取って食べないよ――必要に迫られなければ。
風景は綺麗だけど、残念ながら訪問者を歓迎する使者もレセプションはないのか……
そんなものある筈がないわかっていても、誰も迎えてくれないのはやはり少し寂しい。
友人も知り合いも誰もいない未知の世界。
友軍なし。
支援砲撃なし。
補給なし。
僕はたった一匹のヘッドハンター。
こんな感じで嘯いて、僕は自分を鼓舞する。
……やはり寂しい。
寂しさのあまり思わずふて寝しそうになったところで、目の前にいきなり文字が表示された。
なにこれ、怖いんですけど。
「おめでとうございます。ケット・シーのケイは、『日出ずる国 日ノ本オンライン』のプレイヤーキャラクターとして登録されました」
呆然とする僕を無視して、次から次へと文字が表示される。
ステータスだとか天職だとか、よく分からない単語が並ぶ選択肢が表示されたけど、まったく意味が理解できない。
下手な同意など御免蒙るので、「Yes or No」の二択では可能な限り「No」を選ぶ。
不同意の意志だけは示しておかないと、同意したと言質をとられかねない。その辺の用心深さを、僕はマルドゥク様から嫌というほど教わっているのだ。教わっているのだけど――今回は同意しないと前に進まない糞仕様が存在していた。
なにこれ?
内容が全く理解できないにもかかわらず、僕には不同意という選択肢はない。
……もしこれが隷属への同意書だとしたら?
人にしろ猫にしろ精霊にしろ、理性を持った存在は追い詰められたとき最悪のケースが頭に浮かぶものらしい。後になって冷静に考えてみればある筈がないにのに、このときの僕には、これが「隷属への同意書」にしか思えなかった。
マルドゥク様とは利害が一致しているはずだけれど、神という存在は時としてそのようなものを平気で無視する。「面白ければ良かろうなのだ!」というふざけた理由で、平気で陥れるのだ。藻掻き苦しむ様を、愉悦に浸りながら高みの見物を決め込む。救済と称する行為も愉悦に至る過程に過ぎない。
それが神という存在の業。
マルドゥク様は善神を決め込んでいるけど、その業からは抜け出せないと思う。
全てが茶番であり、壮大に仕組まれた罠でないと、どうして言えるだろう?
わからない。
わからない。
なにが正しいのか、間違っているのかも、それすらもわからない。
徐々に大きくなっていく猜疑心。
にもかかわらず、同意書の内容が全く理解できないのに、僕には不同意という選択肢のだ。
理不尽。
あまりに理不尽な現実。
地獄の悪魔でもこれほど理不尽で、恐ろしく一方的な要求などしないだろう。
……ゴクリ。
額から多量の汗が流れ落ちる。
血の気が急速に引いていき、体が震え始めた。抑えようとするほど振動はそれに逆らうように、体中に広がっていく。
怖いのだ。
精霊である僕が、恐怖という感情に飲み込まれようとしていた。
最早僕には祈るしかできない。
涙した。
心の底から叫んだ。
ケット・シーとしての誇りなど全て投げ捨てて、ただひたすらにマルドゥク様の加護に縋りついた。
この世に生まれ出でて500有余年、精霊ケット・シーのケイは、神の前に屈服したのだ。
……同意書は消えなかった。
全能の神も同意書の前には無力だった。
諦めの極致に至った僕は、隷属への同意書ではないことを祈りつつ、「同意」ボタンをポチる。
1秒経過。
5秒。
60秒経過。
なにも起きない?
僅かな時間であったけど僕には永遠のように思えた。安堵のあまり心から溜息を吐きだす。キョロキョロと辺りを見渡して、先ほどまでの僕の醜態を見つめていた奴がいない探す。
どうやら、誰もいないらしい。
よかった。
精霊ケット・シーのケイの名誉は守られた。
あれは恐らく入国への同意書なのだろう。
本当に何事もなくてよかった。
◇
読み込み動作が終了すると、オープニング動画が表示される。
オープニング動画がなにかは知らないけど、想像とはかなり違う世界のようだ。妖精界に近い存在と聞いていたので、てっきり無声無臭の世界かと思っていたけど、目の前に広がる光景は地上界といって差しさわりがないと思う。
地上人が造り上げた仮想世界と聞いていたけど、凄い技術だ。
神の偉業といってもいいかも。
オープニング動画の詳細は理解できなかったけど、美しい自然に恵まれた国、それを脅かす魔物達、そしてそれに立ち向かう戦士達の姿が映し出されていく。
数万もの魔物に単騎駆けする武将。
拳で海を二つに割る拳士。
空中を闊歩する魔術師。
映像のとおりならマルドゥク様が望む能力として申し分ないけど、この目で確認するまで保留としよう。
誇大妄想を喧伝するのは、古今東西どこも似たようなもの。
いくらなんでも誇張されているにきまっている。
最強種の誉れ高い竜族を剣を一振りしただけで一刀両断したのは、流石に盛りすぎだろう。
うんうん、ある筈がない。
このときの僕は『日出ずる国 日ノ本オンライン』がどういう世界なのかを、全く分かっていなかった。