第二話
ここは天上界。
無数ある神殿の通路を、僕は歩いていた。
髭面のおっさんや高僧達の脇を通るけど、彼らは僕など気にも留めず箒やはたきを手に掃除をしている。邪魔をすると悪いので声をかけずに前に進むとしよう。前方から『おりゃぁぁぁぁぁぁぁ』と気合を入れながら、床を雑巾がけをするお兄さんとすれ違う。僕に気付いたお兄さんはニヤリと笑みを浮かべると、再び気合の声を上げながら雑巾がけを再開する。
あっという間のことで、声を駆ける間もなかった。
まあ、そのうち会うでしょう。
神殿の名はエテメンアンキ。
91メートルの高さと底面が91×91メートルで構成された、7層構造の建造物である。これだけ巨大な建造物となると日々の手入れは相当大変。天上界であろうとも、掃除を怠れば埃などで汚れてしまう。
これが結構大問題。
汚れは穢れに繋がり、神域の格が下がってしまうのさ。
神域としての格が下がるということは、その主の力が下がることを意味し、結果地上の民へ与える恩恵も減ってしまう。得られる恩恵が少なければ、御利益が少ないので信者が離れていく。信者が減れば神域に集まる信仰心が減り神格が下がる――という悪循環が発生してしまう。
これ、世の理。
信仰心の全てが恩恵目当てだとは思わないけど、人間は即物的な生き物なのさ。天上界に住まう神にとって、神域が穢れなきように掃除をすることは極めて重要な問題なのだ。
先ほどであった強面なおっさんや徳が高そうな高僧、あるいは気合を入れて雑巾をしていたお兄さんは、かつての偉大な王や信仰深い僧侶、あるいは戦場を駆け抜けた英雄たち。彼らは生前の行いを評価され、天上界に住まう栄誉を許されていた。そんな英雄豪傑も、いまでは日がな一日掃除に明け暮れている。
死後の世界での栄華を夢見た果てが、まさかこうだとは予想すらしなかったろうね。
今日も御掃除、ご苦労様です。
この無駄に巨大な神殿「エテメンアンキ」は、実のところ外壁に大理石を用いている。
ええ、ふんだんに。
財務担当者は泣いていいよ。
天上界広しといえど、ここまで採算度外視の建造物を創る馬鹿はいない。おかげでちょっとした観光スポットになっている。
無理もないだろうさ、猫である僕から見ても美しいのだから。
居住性を顧みなければ、最高の建材だろう。
馬鹿が見栄えばかり気にして建造したせいで、ここの床はやたら滑る。絨毯でも敷けば少しはマシだろうけど、「折角の大理石を隠すことないだろう?」と暴言を頂きました。いくら僕でも転倒でもしたら怪我くらいはするし、安全のために爪を立てて歩けば、大理石を傷つけたと怒られる。
酷いと思わない?
問題だらけのエテメンアンキだけど、実は地上にも同じものが存在していた。
……日干し煉瓦造りだけど。
そちらの方が安価だし、歩きやすく最高だと思うけど、僕の雇用者の感想は違うのだ。「安物で作りやがって!」と、事あるごとに愚痴をこぼす。そのたびに僕は、「天上界と同じ建材で造り上げたりしたら、人間の王国が財政破綻で崩壊しますよ。いいんですか?」と窘めている。
王国が崩壊すれば、内乱になり国土が荒廃する。
人心が乱れ、神への信仰も損なわれ――奉納が減ってしまい神の実入りが激減してしまう。
阿弥陀の光も金次第。
神と言えども、金の力と世の理には逆らえないのだ。
「信仰心は奉納へ姿を変えるけれど、残念ながらそれは無限の奉納を意味しないのか」
僕の雇用者たるマルドゥク様は、呟いて項垂れる。
これがいつもの構図なのだ。
「相変わらず不敬な想像しているようだな、ケイよ」
愚痴りながら歩いていたら、いつのまにか目の前にマルドゥク様がいた。
おかしい、まだ第7層まで来ていないのに。
相変わらずの神出鬼没さ。
流石は神である。
「にぁ」
どこまで心の内を読まれたかは不明なので、無難な返事をしておこう。
「にぁ、ではない。都合の良いときだけ猫のふりをするな」
「にぁ?」
僕はマルドゥク様の前に座ると、右足で耳元をカリカリと掻く。マルドゥク様は僕の首元をつかむと、むずりと持ち上げた。
知らぬ存ぜぬを通すのは無理らしい。
「今日は重要な話があるのだ、ケット・シーのケイよ」
口から炎を漏らしながら、4つもある目で凄まないでください。
マジ、怖いですから。
「ケット・シーであることを、あっさりばらさないで下さいよ。精霊である僕が天上界にいることが同族達に知られたら、どうなる思います?」
「知らぬ!」
「清々するくらい断言しないでください!!」
「至高神たる余にも知らぬことがあるとは。はっ、実に素晴らしい! 世界はいまだ未知に満ちていておる。ケイよ、余のために実体験でみせてはくれないか?」
「わかりました、わかりましたから。それだけはやめてください」
「つまらん――が、まあ良かろう。その方の訴えに耳を傾ける程度には余は善神なのだ。余の慈悲に感謝するがよいぞ」
はい、はい。
適当に相槌をうって、この話題を流すことにした。
「してその方、地上の情勢をどのように思う?」
「漠然とした質問ですね。エテメンアンキを完成させる程度には、信仰心を集められたと思いますよ。あれを造るのに二百年もかかったんですよね。健気――いえ、篤い信仰心です。その割にはエテメンアンキに汚れが目立つのが不思議が。信仰心は高まったままなら、そんなことは起きない筈なのに。地上でなにかありましたか?」
「なにかどころではない。愛しき子達の勢力圏が大きく減退しておるのだ」
「……愛しき子ですか」
かなり込み入った話らしい。
僕は思わず逃げ出しそうになるけど、通路にすぎなかった廊下は密室へと造り替えられていた。どうやら僕を逃がす気がないらしい。
マルドゥク様がここまで実力行使することは稀なので、今回はかなり本気で困っているらしい。
仕方ないので、相談くらいはのってあげるか。
まったく、僕はよくできた猫である。