第一話
僕は猫である名前はない―――というのがお約束らしいけど、生憎ケイというちゃんとした名前がある。お天道様と同じく人間観察を旨としている僕だけど、今日は迷宮に足を運んでいる。
猫ごときがなんの因果で迷宮に来たかなど、どうか聞かないで欲しい。
僕だって来たくて来たわけじゃない。
親と上司は選べないのだ。
迷宮は死と隣り合わせの世界と聞いてたけど、正にここは地獄の三丁目。薄明りで照らされたそこは、咽かえるほどの生と死の気配で満ちている。
死体、死体、死体。
災厄とまで称された高位の魔物も、いまでは壁を汚す染みの一つにすぎない。老いも若きも、弱者も強者も分け隔てなく、圧倒的ただ圧倒的なまでの武の前に押し潰された。
ある意味死の世界に最も近いといえるけど、それでもこの光景は異様。
左の肩から胴にかけて斜めに斬られた死体があるかと思えば、腹を鈍器かなにかで貫かれた死体。そうかと思えば、魔術かなにかで引きちぎられた死体まである。それらが通路の両脇に積み重なり、いつの間にか二人がどうにか並べる程度―――否、ここは元々ホールなのだ。
デスパレードと呼ばれる魔物の大襲来。
そのなれの果てが、これである。
咽るような屍臭に吐き気を催しながら、僕はこの惨事を引き起こした者達を見守り続けていた。
「大変だったけど、思ったより余裕だったね」
「「「いやいや、全然余裕ないから。何度も死ぬかと思ったから」」」
「そうかな? シオンはまだまだお替りいけるよ?」
人間の数は4人。
いずれも優れた技量の持ち主だけど、僕の関心はシオンと呼ばれた少女のみ。
幼さが残る顔立ち。
戦士とは思えない華奢な細腕。
銀糸で編み上げたような、艶やかで光沢のある長い髪。
10人中10人が振り返ってしまうような容姿を持っている。僕の雇用主はどうやればシオンをエテメンアンキに招待できるか、そればかりを考えている。この間など「お前がなんとかできないか?」と、何気なさを装いながら拒否を許さぬぞという感じで脅迫してきた。
まあ、軽くスルーしたけど。
雇用主の気持ちも理解できなくもない。
僕ですら種族など飛び越えて、シオンを御嫁さんにしたいと思うくらいだ。
でも、僕は猫。
よくて飼い主止まり。
いや、それでもいい!
……はっ!
彼女の容姿に騙されてはいけない。
シオンこそはデスパレードと呼ばれる魔物の大攻勢を、文字通り圧殺した人物。他の三人も悪くないけど、彼らが倒した数を合わせても彼女には到底及ばないだろう。
そのシオンだけど、未だ肩で息をしていない。
一体どういう体の造りをしているのだろう?
間違いなく一番の鉄火場にいたはずなのに。
僕の世界の論理が通じないのか不安になったけど、他のメンバーは疲労困憊で動けないのが見て取れる。
どうやら規格外なのはシオンだけらしい。
「ねえねえ、残りも倒しに行こう? シオンはまだまだお替りいけるよ」
「ほら」とシオンが視線を向けた先には、五割以上の損害を被った魔物の皆様。絶対数だけみればまだかなりの戦力を維持しているけど、戦意など最早ない。潰走寸前のところで留まっていれるのは、魔物としての意地とか矜持とかだと思う。
その意気や良しと評価するべきなんだろうけど、今回はそれが悪手。
「まだやる気十分みたいだよ~」
ギリギリで保っている矜持を、シオンは戦意ありと誤解する。
顔を引きつらせる魔物達。
「ねえねえアレク、行こうよ♡」
哀れ、魔物の命運もこれまで。
阿鼻叫喚の幕が上がるかと思われたが、アレクと呼ばれた男とその仲間二人は、シオンの意見に同意しなかった。いつもならシオンの愛らしい声に同意したのだろうけど、こうも疲弊しては話が別なのだろう。
(ここら辺で手打ちにしようぜ)
(ドウイ)
勝敗は決したのだ。
これ以上の戦闘は無意味。
アレクと呼ばれた戦士は、魔物のリーダーと思しき存在が目で語り合う。人と魔物の意思疎通は困難なはずだけど、共通の危機に対しては別らしい。
双方は呼吸を合わせるようにして後退を始めた。
「撤収!」
「「やったー、生き残ったぜー」」
「えーー、アレクのけち!」
不満の声を上げる少女の名は、佐伯詩音 15歳。
和風オンラインゲーム「日出ずる国 日ノ本オンライン」有数の戦士にして、白銀のシオンの異名を持つ有名プレイヤー。
彼女こそ僕の友達にして、世界を救うかもしれない人物なのである。