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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
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早まる者-1

次回バトル回

 日が暮れ、街の明かりも徐々に立ち消えていく頃。

空に輝く星々は美しいものだが森の中で息を潜めている少女には

そのきらめきが自分たちを監視する無数の瞳のように感じてならなかった。

土や草木の香りが立ち込める月夜の深緑も人の進行を阻むように痩せ枝を張り巡らし、

それが時折肩や頬をかすめるごとにソラハは小さな悲鳴を上げていた。


「下ろすぞ」

「う、うん」


 風呂に入ってなんとか臭いを消し、もう一度しっかりとした食事をとった後、

ソラハはアノスに背負われてここまでやってきた。

まだ体の調子がいいとは言えないが、肩から手を放し地面降り立った彼女の足取りは危なげないものだった。

丈の短いズボンと裾を結んだ大きなシャツに身を包んだその姿は、

少なくとも無条件に逆徒と疑われるみすぼらしさではなくなっていた。


「もう歩けるな」

「大丈夫」


 少女がふらついていないか確認したアノスは一度周囲を確認すると姿勢も落とさずに堂々と歩き出した。

まだ施設内ではないにしろ、その古びた石造りの外観が木々の間から垣間見える程度には目と鼻の先。

そうであるにも関わらず屋外の見張りを全く警戒していない彼の行動は最初から警備状況を把握しているかのようだった。


「誰かに見つからない?」

「ボラルが止めに来ないならそういうことだ。屋上の見張りも見当たらない」


 林をかき分け森が開ける手前まで拍子抜けするほど簡単に近づいた二人は、そこでようやくボラルの後姿を見つけた。

二人を待っていたのか地面に伏せっているその姿はまるで主の帰りを待つ忠犬のようだった。


「様子はどうだ?」

「ザルだな。あいつら見てみろよ」


 目を合わせるよりも前に二人は淡々と声を掛け合う。

ボラルの鼻先が指し示す方角に二人が目を向けると

そこには収容所の正面入り口と、その両脇をあくび交じりに警備する青い制服を着込んだ二人の騎士の姿があった。


時間はすでに日をまたぐほどになっているとはいえ、

眠気眼をこすりながら突っ立っているその姿は高潔な騎士とは言い難いものだった。

近頃、血走るほどの目をした騎士の候補生たちにずっと追いかけまわされていたソラハには

睡魔にふらつく目の前の者たちが彼らと同じ恐ろしい騎士だとは到底思えなかった。


「まあ、確かにここの警備は退屈な仕事だろう」

「え?」


 なぜか納得した様子のアノスに少女は声を上げるが、もうその時点で彼らは動き始めていた。

ボラルの背にアノスが続きその後ろをくっつくようにして歩くソラハは、

アノスがまとうコートをつまみながら仕切りに周囲へ気を配っていた。

その様子を見ていたボラルは鬱陶しそうに話す。


「お前もわかってんだろ。逆徒は国の厄介者。

そんなやつらをわざわざ助け出そうとやってくるもの好きは俺たちみたいなバカだけなんだよ」

「そもそも収容所の場所を知っている者が騎士団関係者以外だとだいぶ限られるからな。

同僚に敬礼ばかりをする仕事はさぞ退屈なんだろう」


 そういったアノス本人がこの場所を知っていたのはいったいなぜなのか。

この不思議な男に対する少女の疑問は増えるばかりだった。

しかしそれも彼らの事情ということなのだろうか。ソラハは開きかけた口を静かに結び直した。


「それでどのあたりなんだ?」

「都合のいいことに最上階だ。そうとうやらかしたみたいだなお前の親父は」


 まるで父が極悪人であるかのように語るボラルの言葉にソラハは眉をひそめた。

彼女の知る限り彼女の父親は誰にでも優しさを貫く男だった。

娘であるソラハには勿論、他の逆徒や路地に迷い込んだ信徒の子どもを助けたことすらあったのだから。


「窓は開くか?」

「鉄格子があって無理だな。錆びついちゃいるが、外せば音も響くだろうぜ」

「なら上からだな」


 収容施設の正面から裏手へ、外円を回ってきた彼らは巡回がないことを確認して森から飛び出した。

格子のついた施設の窓からはいくつかの明かりが漏れ出ているが、その中に外を監視する影は確認できない。

アノスは一気に壁ごしまで走り抜けると少し遅れてやってきたソラハに向き直った。


「登るぞ」

「え、どうやって……」


 短く告げられたその時にはすでに彼の片腕が少女の腰に回されていた。

唐突に抱き寄せられる形になったソラハは困惑の声を上げるがアノスはお構いなしにその力を強める。

彼はその胸に少女を包みながら、もう片方の腕をなにか空へ投げつけるようにしならせた。

その手のひらから伸びるのは黒い糸。

綱や縄と呼ぶにはあまりにも細いその黒糸は施設の屋上まで伸びていき、その床に貼りつくかのように結合した。


「ボラル、お前もくるか?」

「行かねえよ。人様と違って犬は繊細なんだ」


 遠目で二人の様子を眺めていたボラルにアノスが声をかける。

しかし彼は誘いを断ってこちらに背を向けると役目は終わったと言わんばかりに歩き出してしまった。

アノスはそれを苦笑いで見送ると胸の中で自分を見上げているソラハに目を落とす。


「掴まっていろ」


 それが合図だったのか、彼の手に握られた黒糸はなんの前触れもなく急激に収縮し始める。

二人は釣りあげられた魚のように施設の屋上まで恐ろしい速度で飛び上がっていく。

ソラハは叫び声を上げそうになる口を必死に噛みしめて、

轟々と吹き下がる突風の中、アノスの身体にしがみついていた。

全てはたった数秒のできごとだが、

その短い間に経験させられた恐怖の密度は騎士たちに追われた日々に次ぐものだった。


 着地の衝撃は思っていた以上に少なく、かすかな音のみを立てて二人は屋上へと降り立つ。


「大丈夫か?」


 胸の中で身体を強張らせている少女の肩をアノスは軽く揺らす。

ソラハはその口をいまだ食いしばったまま無言で頷き返した。

それを確認したアノスは唐突に少女の頭へその手を乗せる。


「な、なに?」


 彼が腕に力を込めると先ほどの黒糸と同じようなものが今度は霧のような形を成して彼女の頭にまとわりついた。

一瞬視界が失われたことで少女はそれを振り払おうとするが、

不定形だったその霧は一瞬にして顔を隠す頭巾のようなものへと姿を変えた。


「顔を見られた相手にまた会うこともないと思うが、まあ念のためだ」


 そう言いながらアノスもコートについていたフードを目深にかぶる。

その姿は彼が少女を助けた時の姿そのままで、ソラハはその黒衣が醸し出す不気味さに息を飲んだ。


 瞳にフードを被せた瞬間、彼がまとう雰囲気が一変したように少女には感じられた。

助けられた後、目を覚ましたあの部屋でアノスから感じた母のような柔らかさとも父のような頼もしさとも違う。

それは触れれば総て飲み込まれてしまいそうな不安感。

恩人に向けるにはふさわしくないだろうその不可思議な感情をソラハは頭を振って断ち切った。


「扉の鍵は開けたぞ。もう行けるか?」

「うん、平気」


 声をかけられソラハが顔を上げる間に少しの時間がたっていたのか、

半開きになった扉を背に、黒い鍵を持ったアノスが少女を見下ろし立っていた。

黒い鍵は彼の手の中で霧散し立ち消える。

そこで先ほどの糸やフードがアノスのバイソレッドによって創られたものなのだとようやく少女は理解した。


「中に入ったら私の後ろに隠れていろ。

もし誰かに見つかったとしても勝手に逃げ出さずに壁そばでしゃがんでいるんだ。わかったな」

「わかった」


 フードから覗くアノスの表情は落ち着いたもので、そこに滲む頼もしさは部屋で感じたものとなにも変わらなかった。

ソラハは先の不気味さを気のせいだと割り切りつつ彼の後に続いた。


 父親がさらわれて数日。それから少女は思いがけない体験をいくつもしてきた。

一人で生きることを強いられ、逆徒という罪から街を逃げ回り、そんな罪人を助けてくれた不思議な男に出会った。

父の言う通り自分たちを受け入れてくれる人物。

彼のことを父に再び会えたら真っ先に紹介しようと彼女は思った。


「お父さん。きっと助けられるよね」

「……あぁ」


 もうすぐ父親との生活が返ってくる。

路地裏の暮らしは厳しいが大切な人と過ごす毎日ほど幸せな時間はなかった。

ソラハはそれを取り戻すため歩き出す。

そしてアノスはもう取り戻せなくなってしまった大切な人との時間を胸に。

二人の影は暗い建物の中へと消えていった。



・・・



 監獄は静けさと暗闇に支配されていた。

壁にいくつも燭台が設けられているにも関わらず、そこに灯る光は一つもない。

頼れる光は老朽化した建物の亀裂から差し込んでくる月明りだけ。

石造りの冷たい壁が空間全体を冷やし、少女は思わず身震いした。


「寒いか?」

「うん、少し」


 二の腕をさすりながら、白い息を吐いて頷くソラハは暗闇に慣れつつある目で周囲を見回しながら父親の姿を探す。

狭苦しい通路が伸びるその両脇には鉄格子がはめ込まれた牢が見通せないほどに連なっていた。


「誰もいないね」


 極まる静けさから人の存在を感じられないソラハは

警備の騎士や虜囚の逆徒が誰もいないものと思って、そうポツリと呟いた。

誰もいないところに父親がいるわけもないと少女は足早に先へ進もうとするが、アノスはその肩を掴んで静止させる。


「どうしたの?」

「牢屋の中だ。よく見てみろ」


 彼が指さすのは先ほどソラハが確認した牢屋の一つだったが、

もう一度目を凝らしてみると壁の隅に小さく丸まっている人影が薄っすらと垣間見えた。

声も出さず、身じろぎすらせず、まるで死体のように横たわるその姿に少女は小さな悲鳴を上げた。


「あれがお前の父親か?」


 いたって冷静に話を進めようとするアノスに対しソラハは必死に首を横に振る。

こちらに背を向けてうずくまっている虜囚の顔は確認できないが、その小さな体つきは長身の父親とは似ても似つかなかった。


「そうか、なら次だ」


 少女の返答を聞くが否やアノスはさっさと歩き始める。

少女もその歩みに続くが後ろ髪を引かれるように時折振り返ってはもの言いたげな視線を彼の背に送った。


「なんだ?」


 その視線にどうやって気が付いたのか。不意に振り返ったアノスは視線の意図を問いただす。追及されたソラハは思いを口にしていいのか迷っているように目を左右に揺らしながら、たどたどしく口を開いた。


「その、あの人も助けられないかなって。

お父さんも助けたいけど、あの人だけそのままなのは可哀想……」


 人を思いやる心は美しい。

苛烈な環境で生きなければならないゆえに、逆徒は荒んだ心を持った者が大半だ。

そんな中この少女が優しさという美徳を保ち続けられたのも、彼女を守り続けた父親の功績なのだろう。

しかしその優しさは今この時、持ち込むべきものではなかった。


「周りを見てみろ。しっかりな」


 唐突にそう告げられたソラハはもう一度、通り過ぎた牢屋の中を格子の間を覗くようにして一つ一つ確認していった。

牢の中はみな暗く、一目見ただけでは空っぽの空室に見えてしまう。

しかし先ほどのように壁の隅へ目を凝らすとそのすべてに一人ずつ逆徒が横たわっている姿が見て取れた。


「嘘、これ全部……」


 隣の牢も、その隣の牢屋にも、一つの牢屋につき一人の逆徒が物言わぬ人形のように横たえられている。

動揺に震える少女の声にも反応を示さないその姿は死体のようですらあったが、その胸はかすかに上下している。


「皆が皆一人部屋とは贅沢な事だ」


 不謹慎にすぎる軽口を飛ばしながらアノスは入り口と同じ要領で鍵を外す。

小さな音を立ててあっさりと鍵は開き、彼らを閉じ込めていた扉は錆びついた蝶つがいをこすり合わせながらゆっくりと開いた。


しかし逆徒は出てこない。

扉の音に反応し顔をこちらに向けこそしたが、それきり、また動かなくなってしまう。

鍵を開けたアノスに礼を言うでもなく、彼を押しのけて逃げ出そうともしない。

力なく開かれた瞳は無感情に格子の向こう側に立つ二人をただ見つめているだけだった。


「こいつらを助けることがどれほど無意味かわかっただろ」


 逃げ出せる状況をつくられても、なお逆徒らは動かない。

その目は現状を受け入れているというより、関心を捨て去ってしまったものというのが正しいのだろう。

己の生死にすら執着しないその目は生ける屍の瞳だった。


「どうして? まだ逃げられるかもしれないのに」

「逃げ出して、その後どうする」


 先ほどからやけに冷たいアノスの言葉にソラハは何か言い返そうと振り返える。

しかし彼が逆徒らに向ける寂しげな表情は少女の不満を押しとどめるに十分な哀愁が漂っていた。


「彼らには生きる理由がない。

外に出ても人に虐げられ、同族とも食事や寝床を取り合って傷つけあうばかり。

そんな日々を続けてきた彼らには『生きていたい』という生存欲求そのものが失われているのさ」

「そんな……」


 アノスの言葉は逆徒であるソラハには納得のいかないものだった。

多くの人々に蔑まれても、時折逆徒同士でいさかいが起ころうとも、少女は生きる希望を失わなかった。

少なくとも父親がいなくなるまでは。


 殺してと、一度懇願してしまった今朝のできごとを思い出しソラハは反論の言葉を口にできなかった。

もし父親が最初からそばにいなかったとしたら、

降りかかる困難から自分を守ってくれる誰かがいなかったなら、ソラハも牢屋の彼らと同じようになっていたかもしれない。


父親を失った、たった数日の間に生きることを諦めかけてしまったのだから。

それは考えるだけでも恐ろしい毎日だった。


「時間がない、行くぞ」


押し黙った少女を見てアノスは足早に歩きだす。

その後ろ姿を見失わないよう、後ろ髪を引かれながらソラハも牢屋から離れる。

最後に一つだけ思い浮かんだ疑問を口にしながら。


「ねえ、この人たちは騎士たちになにかひどいことされるの?」


 それは聞いても仕方のない問いだった。

たとえなにをされようとも二人がここにいる逆徒たちを助けることなどできない。

いかに警備がずさんなものであろうとも、生を望まない者を生かそうとするには時間も人手も動機もたりない。


 少女の無為な質問にアノスはすぐには答えなかった。

この優しき少女に真実を伝えるべきか否か。その答えが彼女の足を止めてしまわないか。

それが今の彼にはわからなかった。


「……なにもされない。ただ死ぬまでここに閉じ込められるだけだ」

「……そう」


 その思いの中、彼が真実を口にしたのは彼女の望みを叶えてやれない罪悪感の表れだったのか。

ソラハはアノスの言葉に小さな返事をするとそれ以上何も言わなかった。

父親を見つけたら教えろという言葉にも頷き返すだけで、薄暗い監獄には再び静寂が立ち返える。

コートの裾を掴む力強さだけが少女の思いをアノスへ伝えていた。



・・・



 それからどれだけ歩いただろうか。

外観からはそれほど大きく見えなかった収容施設の通路は、息を殺して移動しているせいもあってか異様に長く感じられる。

通過する牢を一つずつ確認しながらも、一向に見つからない父親に少女の疲労は徐々に高まっていった。

唯一の救いはまだ一度も警備の巡回を見かけていないことか。


「待て」


 そんな沈黙の行進が続けられる中、歩みを遮るように差し出された腕と共にアノスのささやきがソラハに届く。

彼が指さすのはロウソクの灯る二本の燭台と、それが照らす木製の扉。

格子でできていない木製扉の倉庫は今までに何度か通りすがりに見かけたが、

それを照らすように火が灯されているのはここが初めてだった。


「ここにいろ」


 アノスは手のひらを見せソラハを静止させると姿勢を下げながら扉に近づいていく。

周囲の壁が格子でなく石造りになっており、範囲から見てもただの倉庫ではない。

そばに寄ってみると燭台だけではなく扉の隙間からも光が漏れているのがわかった。

アノスは扉に耳を当てると中の様子をうかがい始める。


「ならさっさと殺しちまえばいいでしょ。

逆徒でさえなければ、こんなとこで一人くらいくたばっても上は感知しませんよ」


 一人はこの陰気な監獄に似つかわしくないほど明るく能天気な口調でなにやら物騒なことをのたまっている。

逆徒でないなら殺してもいいという彼だが、逆徒の収容施設で逆賊以外のなにを殺そうというのか。


「どうやらそんな単純なものでもないらしい。

奇妙な話だが、その逆徒をかばったという男。上層部に知り合いがいるそうだ」


 もう一人は相方に比べると落ち着いた様子だが、

どことなく落ち着かない声色から彼らが不可解なできごとに遭遇したことを物語っていた。


「逆徒を……かばった?」


 信徒が逆徒に手を差し伸べる。

その禁忌を犯す異常性がどれほどのものかはソラハを助けたアノスもよくわかっている。

神の定めた規律に逆らうその行為は背信の意思とみなされ、

たとえどのような身分であろうとも市民権を失いかねないものだ。

神への信仰と罰への恐れ。その両方が逆徒を救済から遠ざけてきた。

アノスのように神を嫌い罰を恐れない者が彼の他に現れたとしたらそれは驚くべきことだろう。


「テキトー抜かして逃げ出そうとしてるだけじゃねえのか?」

「いや、実際に第三部隊長とその両親の名前を口にしたらしい。

流石に背信者を見逃すなんてことはないだろうが、少なくとも拷問は一旦中止だな」


 それきり部屋からの声は聞こえなくなった。

逆徒をかばった信徒の話は興味深いものだったが、今はソラハの父親を探すのが先だった。

中の二人が何か情報を持っているのなら突入の選択肢もあるが、少なくとも今の会話に少女の父親は登場していない。

そうアノスは踏んだ。


 しかし、指でソラハをこちらに呼び寄せながら、彼はカケラほどの可能性を見た。

出発の前に彼女から聞いた父親の特徴。

頼もしく心優しかったというその美点は逆徒には珍しい利他的な長所だった。


 思いやりとはある種、心の余裕から生まれるほどこしの精神。

毎日の生活に困窮する逆徒には極めて生まれにくい。

だがその父親に育てられたソラハはよい意味で逆徒らしさが感じられない。

牢に入ることを受け入れた者たちとは違い、少女は生きることを諦めなかったからこそアノスとの出会いに至った。

彼女のような娘を育てたのは本当に逆徒の男なのか。

逆徒の親は逆徒だという先入観からその類の追及をしていなかったことに彼は初めて気がついた。


「私としたことが……」


 恥じるように苦笑いを浮かべるアノスを近づいてきたソラハが不思議そうに眺めている。

灯る燭台に照らされ口元だけがあらわになった彼の表情は、か細い顎も相まっていつも以上に不気味な様相だった。


「どうしたの?」

「いや、一つ聞き忘れていたことがあった」


 扉の向こう側に聞き耳を立てながら、アノスはソラハの耳元に口を近づける。

たった一言の短い質問を受けた彼女は、今さら何を聞くのかと言わんばかりに眉を下げ、そして小さく頷くのだった。



・・・



 収容所の最上階。暗闇と冷たさが牢の隙間を飛び交う中、

監視を任されているはずの二人の騎士は暖かい暖炉を机で囲み、夜を明かすまでの暇つぶしに勤しんでいた。

一人は書籍の字面を指で追い、

もう一人は卓上に散らばったコインを一枚一枚垂直に立たせようと失敗しては業を煮やしている。


「……日の出まで後どれくらい?」


 コインが倒れ、ため息をつきながら机に突っ伏す男は騎士であることを証明する青い制服も銀の直剣も身に着けていない。

それらを壁にかけたまま、着崩したシワまみれのシャツで脱力する姿は非番のそれだった。


「少なくともこいつを読破する後なるんじゃないか」


 読書にふけるもう一人の男は制服こそ来ているものの鞘に納められた剣は机のわきに立てかけられている。

彼は机の上に積まれた数冊の本を指さしながら、嘆く相方に夜の長さを説く。


「冬の夜に男二人ってのは堪えるねぇ。

感謝祭も近いし、いったいどれだけの男女が夜の三層に消えていったのやら」

「そういう不毛な話に付き合いたくないから本の一冊でも持って来いと言ったんだ。

独り身を嘆くのは勝手だが、口に出して俺を巻き込まないでくれ」


 壁に設けられた窓の枠に身を乗り出しながら、一人はこらえきれない退屈さを軽口で紛らわす。

二人は先日、任務先でヘマをやらかし罰として収容所の警備を任された若い騎士たちだった。

仕事は退屈で食事も質素。

加えて女がほとんど顔を見せないこの職場は活気あふれる騎士たちからの悪評も高い。

逆徒と顔を合わせなければならない警備の仕事を臆面もなくサボれる環境だけが唯一の利点だが、

不必要な警備をさせられにわざわざ城壁近くまでやってきた徒労感が報われるわけではない。

二人の騎士は初日にしてここでの勤めが罰とされる所以を痛感していた。


「……さっきの話だけどさ」

「こんどはなんだ」


 しばらくの静寂の後、またこらえ切れなくなったかのように片方が口火を切る。

窓枠から離れ机の上に飛び乗るように座ると彼はもう一度先ほど聞いた話を蒸し返した。


「いや、逆徒をかばった信徒の話だよ」


 その言葉を聞いたもう一人はうんざりした様子で開いていた本を閉じると手を眉間に当て唸り声を上げた。

夕食が支給された時、小耳に挟んだ時から彼はこの話ばかり聞いてくる。


「知らないって。何日も前に第三部隊長との面会を要求して、それっきりだろ」

「面会を要求したってのは初めて聞いたぞ。

そうやって情報を小出しにするから何回も聞かれることになるんだ」


 そうからかうようにのたまう同僚に彼は面倒そうに肩を落とした。

彼は名も知らぬ虜囚の命運などよりも、手にした小説の展開の方がよっぽど気にかかっている。

毎度毎度絶妙な展開を迎えた頃に集中を乱してくるこの男に、彼はいよいよ我慢の限界を迎えようとしていた。


「まったくうるさいなお前は。

俺が知ってるのは近々部隊長の代理人がそいつを見にくるってことだけだ。

そんなに気になるんなら下の階で先輩方に直接聞きに行ってこいよ」

「そんなに怒んなよ。ここに飛ばされるような先輩たちだぞ? 一人じゃとてもとても」


 苛立ちをにじませた声にひるむ様子もなく、

いけしゃあしゃあと軽口を叩く同僚を見て膨らみかかった怒りもむなしくしぼんでいく。

この男に本気になったほうが負けなのだと彼は自分を戒めた。


 その時不意に入り口の扉が音を鳴らす。

堂々と鳴らされるノックは力強く何かを急かすように何度も繰り返された。


「なんだ? また先輩方の冷やかしか?」

「あの人たちがいちいちノックなんかするか? 

まあいいや、俺制服着るからとりあえずお前出ろ」


 言うが早いか、いそいそと制服を羽織り始めた同僚を尻目に男は緊張の面持ちで扉に近づいて行った。

いまだ鳴り続けているノックはなにか緊急を要する連絡を伝えるものなのか。

だとしたら自分たちはいきなり急務へと駆り出されることになるのか。

錯綜する想いを生唾とともに飲み込んで彼は扉を開けた。


 扉が開くと同時に放ったのは屋上に上がるときにも用いた黒い糸だった。

突然の黒衣の来訪者に見開かれた騎士の表情は一瞬にして覆われ、

一声上げる間もなく彼の顔は寄り集まった黒糸に塗り固められる。

声と視界を奪われた騎士はすぐさまそれを取り外そうとするが、侵入者を前にして晒したその隙はあまりにも大きい。


 アノスは彼の胸倉に掴みかかると抵抗も許さぬまま鳩尾に渾身の一撃を叩き込んだ。

骨すら砕く勢いで振り抜かれた正拳を無抵抗で食らった騎士は全身をくの字に曲げながら壁向こうまで吹き飛ばされていく。


「いったい何が……」


 その状況をはたから見ていたもうひとりの騎士は未だに事態を飲み込めていない。

中途半端に制服へ袖を通したまま、意識を飛ばされた同僚を茫然と眺めている。

アノスが視線を移し彼に近づくための一歩を踏み出した時、ようやく剣を持ち戦闘の構えを取ろうとするが、

もう何もかもが手遅れだった。


 騎士のバイスが発動する前にアノスの手から放たれたのは二の腕ほどもある巨大な杭。

糸や鍵と同じく赤黒く固められたその杭は風をも切り裂く速さで騎士の首筋をかすめると、

彼の背後に立つ石造りの壁へ深く突き刺さった。


 古い建築物とはいえ切り出した石を積み重ねた壁は強固なものだ。

それを難なく貫く一撃なら人の身を撃ち抜くことなど造作もない。

そして壁を穿ったその投擲が狙いを外したものであるとも騎士には思えなかった。


「聞きたいことがある」


 彼の頭を恐れが支配する中、抑揚のない冷たい声がその耳に響く。

足の力が抜けたように壁に背を擦りながら尻もちをつく騎士を、アノスは無表情で見下ろしていた。


「逆徒をかばった信徒というのは、どこにいる?」


 問いに対する拒否権はなく、一瞬にして決定づけられた力関係は騎士に抵抗の余地を与えなかった。

彼にできたのは自分の命を勝ち取るために同僚から聞き及んだ情報を全て話し、早急な解放を祈ることだけだった。


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