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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
2/27

出会う者-1

戦いは次回から

 北の大地を納める魔の王国ガズラ。

神に与えられた『バイソレッド』と呼ばれる異能と

それを用いる信徒によって発展してきたこの国の都である王都マルカス。

地位や用途で五つの層に分けられたこの都市の構造はひどく単純なものだった。


 山なりとなった大地にそのまま街を作り、

頂上に王の血族と彼らを守る騎士団が住まう第一層が設けられている。

第二層には政治に携わり国を支える貴族たちが暮らし、

商いが盛んな第三層は大小さまざまな店が並ぶ流通断層。

ふもとである四層には平民たちが王都を囲む城壁に守られ暮らしている。


 その中でも流通を司る第三層には、冬の始まりを告げる風が吹き付けようとも

毎朝多くの人々が食物や衣服、嗜好品を求めて集う。

街の中心に線を引くように設けられた大通りには平民、商売人、使用人など、

全ての地位に精通する者たちで構成された波が絶えず流れていた。


 待ちゆく人々が鳴らす靴音、呼び込みや値切り交渉のために張られた声。

品物を載せた荷車を引く馬のいななき。そのすべてが国の繁栄を裏付けるように輝いていた。

しかし完全無欠の安寧などというものは決して存在しえない。

笑顔の絶えぬ人々であっても常に悩みの種となっている問題がこの王都には付きまとっている。


・・・


 通りから大きく外れた薄暗い路地裏。四層との境目に近い寂れた小道。

繁栄のざわめきも届かないこの場所を一人の少女、ソラハが白い息を吐きながら駆け抜けていく。

無造作に伸びた銀髪を揺らし、ボロボロの服を小さな体にまとって走る彼女は

しきりに背後の様子を気にしながら走り続ける。

その顔には涙が浮かび、愛らしい顔立ちは悲しみに歪んでいた。


「見つけたぞ逆徒ッ! いい加減あきらめろッ!」


 叫ぶ背後からの声はすぐ近くから聞こえてくる。

あふれ出そうになる涙を拭きとる余裕もなくソラハは入り組んだ路地を走っていく。

壁に立てかけてあったハシゴや立て看板を倒して道を塞ごうとするが、

そんなもので追っ手は止まってくれない。

次第に彼女を追う足音と怒鳴り声は近づいていき、ついに少女の足首をつかんだ。

しかしそれは追っ手本人の手ではなく地面から突き出た土状の腕。

信徒が使うバイソレッドにより生まれた魔の腕だった。


「クソ、ようやく一人目か。バイスも使えねえ逆徒のくせに、いちいち逃げ回んなよな」


 足元を引かれ倒れ込んでしまったソラハの耳に聞こえてきたのは苛立ちにまみれた若い男の声。

青い制服を着込んだ彼は起き上がろうと必死になる少女を忌々しそうに睨みつけている。

それまで一度も会ったこともなければ、声をかけられたこともない。

そんな者から向けられる憎悪の念に彼女は耐えられない。

ついに涙があふれだしこみ上げる嗚咽は止まらなかった。


 この数日、ソラハは休む間もなく同じ制服を身にまとった者たちに追われ続けていた。

そのたびに助けを求めることもできずに街を駆け回った。

誰に迷惑をかけたわけでもないというのに追い立てられる不条理さ。

それにつのる悲しみを押さえつけ、彼女はただ生き残るために走り続けた。

しかしついに追いつかれ取り押さえられた今、その感情はもはや抑えきれない。


「やめて、つれていかないでッ!」

「ふざけんな、散々手間取らせやがって。お前らを連れていくのが合格条件なんだ。

逃がすわけねえだろッ!」


 悲痛な叫びも若者には届かず、彼は少女の左手に掴みかかるとその手のひらを確認した。

そこには火傷の跡でできた紋様が浮き出ており、それを見た彼は満足げに笑う。


「咎の掌紋だな。聖石に拒まれた証だ」


 幼き頃につけられる信徒と逆徒とを識別するための『咎の掌紋』。

誕生して一年が経過した日に持たされる聖石は、

バイソレッドを持つ信徒が握ってもなんの影響もないが、

ひとたび逆徒が握れば、このような紋章が刻み付ける。

その傷跡は、その者が生前、神に仇なした反逆者の使徒であったことの証だとされていた。

少女は手を引いてなんとか隠し通そうとするが若者の力にはかなわない。


「抵抗しても無駄だ。国の秩序を乱すお前らの居場所はない」


 暴れるソラハの腕を引き、若者は彼女の顔を覗き込む。

その顔はとても澄んだものだった。悪意など微塵もない誠実な表情。

正しい行いをした自分を誇るように若者の顔は晴れやかだった。


「六巡りの五十一日、早朝。限定権限を用いこれより逆徒を連行する」


 それは少女に対する死刑宣告。

六つ目の季節が巡る頃になると逆徒を狩る騎士が多くなること。

そして連れていかれた者は二度と帰ってこないこと。

どちらもソラハは父に聞かされ以前から知っていた。

だからこそ隠れ、逃げ回り、息を潜めて毎日を生きてきたというのに。

非力な体では逃れる術もない。少女は抵抗をやめ、ぐったりと力なくへたり込んだ。


「子供の時から騎士に憧れてた。王に仕える感覚というのはまだわからんが、

こうやって信徒の生活を守れる仕事につけるのは嬉しいことだな」


 そう感慨にふけりながら少女を無理やり立たせる若者は、

張っていた表情を崩し一人話し始める。逆徒は信徒を脅かす存在。

それを排除する仕事は素晴らしいと語る若者の言葉を否定できる者はいない。

この国の誰もがその通りだと同意するだろう。

バイソレッドを使いこなす信徒が善であり、持たざる逆徒は悪である。

それはこの国の共通認識であり常識だった。


「みんなが迷惑してるんだ。ものを盗んだり、

人を傷つけたりするお前らが一人でもいなくなればここはもっといい都になる」


だが若者のその言葉に無抵抗になっていた少女が反応する。

最初は小さな呟きだったが徐々に大きくなっていき、その声は若者の耳に届いていく。


「……じゃあどうして?」

「なに?」


 俯き体を震わせる少女に若者は苛立ちながら聞き返す。

再び暴れ始めることを警戒して両腕を拘束する力を強めるが、

彼女は気にした様子もなく話し続ける。


「どうしてお父さんをつれていったの?」


 流れる涙に濡れるその言葉は彼女の小さな叫びだった。

確かに飢えから盗みを働く逆徒もいる。憎しみがつのり凶行に走る逆徒もいる。

しかし父は違ったのだと訴える。それはずっとため込んでいた不条理へのささやかな抵抗。


「物をけして盗まない、人を絶対に傷つけない。

それを守っていれば、いつかきっとみんなわたしたちがいい人だって気づいてくれるって、

受け入れてくれるってお父さんは言ってた。

だからずっと迷惑かけないように、頑張ってきてたのに……」

 

 飢えればゴミをあさり、不満や鬱憤も抑えてきた。

誰も傷つけなければ受け入れてくれる人が現れるはずだという父の言葉を信じて。


「……でもお父さんはつれていかれちゃった」


 風が冷たくなり、夜が長くなり始めた頃。

路地の片隅に眠っていた彼女たちは今と同じように逆徒狩りにあった。

父は少女を逃がす代わりに捕縛され、いまだ帰っていない。

最後に聞いた父の叫びは彼女の耳にこびりついていた。


「ねえ、どうして?」


 いつしか消え入りそうな声で問いかける少女。

吹けば消えてしまいそうな儚げなその問いを受け、

若者は少女の腕を放すと肩を掴み正面に向き直らせた。

涙に濡れる彼女の顔を一目見て彼は鼻を慣らす。


「汚ぇ顔だな」


 若者は唐突に言い放つと少女の腹を蹴り飛ばした。

型もなにもない無造作な蹴りだったが、未成熟な少女ひとりを吹き飛ばすのには十分だった。

石畳に投げ出された彼女は衝撃を受けた腹を抑えながら間隔の乱れた呼吸を繰り返す。


「どうして? そんなもんお前らが逆徒だからに決まってんだろ。

お前らがどれだけ誠実に生きてようがバイスを受け取らなかったのは事実だろうが。

神の恩恵を拒否した時点で、かけてやる情けなんかないんだよッ!」


 なんとか這いずって逃げようとする少女の背を踏みつけ、

若者は怒りの表情で彼女を見下ろす。

その視線は到底同じ人間に向けるようなものではない。

親の仇でも見るかのようなその瞳が少女に突き刺さる。


「受け入れてくれるだと? 

神に背いた分際で人並みに扱われようなんて、おこがましいんだよッ!」


 もう一度、球でも飛ばすかのように蹴り上げられた少女は、

胃液を吐き散らしながらのたうち回る。

その様子さえ忌まわしく映るのか、若者は大きく舌打ちした。


「……もう、ころしてよ」


 それは懇願するように。度重なる苦しみはその身を死に追いやっていく。

父という唯一のより所を失い、生きることに絶望し、少女は自死を望んだ。

苦しみから逃れ得られないのならなにも感じない体にしてほしいと。


「無論そうしたいのはやまやまだが、逆徒を直接殺害することは重大な禁忌だ。

蔑まれ生きることがお前たちへの罰だからな。

せいぜい神に弓を引いた浅はかさを悔やみながら汚泥にまみれて一生を費やせ」


 死ぬことすら許されない逆徒の定めは永遠に苦しみ続けることだけ。

疎まれ、差別され、人として認められないまま生の灯を絶やしていく。

それを断ち切る方法はたった一つだった。


 倒れ込む少女の目になにかが映り込む。

先ほどまでなにもなかったはずの道に落ちていたのは真っ黒なナイフ。

刃も柄も、すべてが血をかぶったように赤黒いナイフが抜身のまま

少女の手の届く位置に差し出されたように置いてあった。


 少女は反射的に掴み取る。

禍々しいナイフだが、それがなによりの贈り物のように彼女には思えた。

少女はその刃を自分の首に当てる。

今、手をひと思いに引いてしまえばもう誰にも苦しめられなくて済む。

人々に疎まれることもなく、誰かに傷つけられることもなく。

死んでしまえばなにも感じなくて済むと。


 しかしどうしてもソラハの腕は動かない。

不幸にまみれた人生が確定しているというのに、彼女は生への執着が捨てられなかった。


「いやだ……」


 とめどなくあふれる涙がナイフに零れ落ち、少女は柄から手を放した。

誰かに殺してもらうこともできず、自分で死を選ぶこともできず、ただ身に降りかかる苦しみに耐え続ける。

そんな未来に少女は納得できない。最愛の父が口にした言葉を今でも信じている。

小さな体に宿る小さな心が、いつかの幸せを捨てきらない。


「死にたくない」


 その時、若者に髪を掴まれ再び立ち上がらせられた少女は霞む視界の先に人影を見た。

薄暗い路地裏だというのにフードを目深にかぶった不思議な影。

丈長のコートに身を包んだその姿から彼の人物像を読みとることはできない。

たった今偶然近くを通りがかっただけなのかもしれないし、

今少女の腕をつかむ若者以上に逆徒を憎んでいる人物かもしれない。

しかし今口にしなければ彼女の運命は決定づけられてしまう。

二度とここに戻ってこられなくなってしまう。

それを少女はなにより恐ろしいと感じた。ゆえに震える口を動かした。


「たすけて……」


 小さな、小さな羽音のごとき声。

吹く風にすらかき消されてしまいそうなその声を常人が聞き取ることなどできない。

現に彼女を捕まえている若者でさえなにも聞こえていなかった。

それは届くはずのない救済の声。


「生きたいか?」


 だが影はその声に応えた。フードの奥は闇に包まれ、その表情も目になにを映しているのかもわからない。

しかしその低く冷たい声色はどこか不安げで、

正解を知らない問いに半信半疑の答えを出したかのような、かすかに震えた声だった。


「お通りですか? すみません、ちょうど今、騎士候補生の卒舎試験をやっておりまして」


 ソラハの髪を掴んだまま突如現れた闖入者に気がついた若者は優しく、へりくだるように呼びかける。

逆徒には容赦がない彼も信仰ゆえに敬虔な信徒には理性的な対応をとる。

騎士を目指しその夢を目前に控えた身であるならばなおさら、

相手が怪しい影であろうとも民衆を守るものとしてふさわしい対応をとらなければならない。

彼が騎士として剣を向けるのは神を裏切った逆徒共だけだった。


「あとはこれを連れていくだけなので、どうぞ安心してお通りください」

「……ああ、そうだな。通らせてもらおうか」


 そう言ったフードの男は下り坂の路地裏をゆっくりと下ってくる。

その身体はゆらゆらと左右に揺れ動き、不安定な足取りは彼の不気味さを際立たせた。

一歩一歩足元を確かめるように歩みを進める男の異常な雰囲気に若者は息を飲んだ。


 太陽の届かない薄暮れの路地裏。

しかしこの男の周囲だけ更にその闇が黒く染まっているように感じてならない。

まるで彼の身体から闇そのものが漏れ出しているかのように。

人が二人並んで通れるかどうかの細道であるからか、

すれ違うその存在は目に見えない質量を有しているかのように場を圧迫させていた。


「失礼」


 そうして肩が触れる。少女の肩に、彼の手が乗せられる。

驚いて顔を見上げる少女はフードに包まれた男の素顔を垣間見た。

一瞬の間で彼女が確認できたのは、その素顔がひどく美しかったこと。

声を聞いていなければ女性と見間違えるほどに中性的なその容姿は、

同じ女性であるソラハですら息を飲むほどだった。

しかし口がきけなかったわけはそれだけではなかった。


「あ……」


 瞳だ。赤色の瞳。夕日の赤でも、炎の赤でもない、鈍く輝く血潮の赤。

黒みを帯びた赤色は整った美顔を貫くようにして鈍い光を灯している。

その目がソラハを見ていた。それは秒に満たないほど短い間だったが決して少女の思い違いではない。

食い入るように、射貫くように。なにより求めていたものを見つけたように。瞳は見開かれていた。


「よろしいでしょうか」


 フードの男がソラハに乗せた手は若者によって素早くはたき落とされる。

先ほどまで男の雰囲気に呑まれかけていた若者だったが、

たった今、原因の分からぬ緊張感など気にならなくなるほどの疑念がわいていた。


「……こっちも試験の最中なので、触れられるのは少し困りますね。

助力は結構ですのでそのまま歩き続けてください」


 少女を自分の背後に隠すようにソラハの髪を引くと、若者は顔に警戒の色を浮かばせて男の様子をうかがう。

先ほど彼女の肩へ手を置いた時に男が嫌悪感を全く見せなかったことがどれほど異常な事か、

この王都で十八年もの間過ごしてきた若者にはよく理解できる。

誰しも穢れた存在に触れていたくはない。

この若者のような義務感、怒りや切迫感が逆徒らにいだく嫌悪感を上回らない限り、

信徒は好き好んでその肌に己の肌を重ねなどしない。いるとすればそれは、同族。


 そうであるならばと、若者は丁寧な言葉を崩さずに警告する。

目の前の男が同族を助けに参じた逆徒であるならば引けと。

たった今この時だけは見逃してやると、鋭い視線に覇気を宿らせる。

バイスを持たない逆徒は騎士に抵抗する術など持っていない。

連れ去られる同族を救いたいと健気な行動をしようとも、

こうして脅されれば大抵の逆徒は背を向け去っていくはずだった。


 しかしこの男は違う。はねのけられた腕で今度は若者の腕をつかむ。

ソラハの髪を掴んで離さない右腕を不気味なほど優しく。それは挑発のように。


「この女。俺がもらっていく」

「……本性みせたなッ!」


 発せられた言葉が宣戦布告の合図だった。


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