episode.4 イフのおはなし~とある娼婦の恋~
「ねぇ、ビートくん」
「どうしたの?」
ライラが声をかけてきて、オレは読んでいた本から顔を上げる。今日は気温が高いせいか、ライラは薄着だった。ライラの白く美しい肌が、いつもより面積を増やしてオレの目に飛び込んでくる。オレとしては大歓迎だったが、同時にドキドキしてしまう。
結婚してかなり日が経っているのに、どうしてライラを見ると、いつもドキドキしてしまうのだろう?
毎日顔を合わせているのに、不思議だ。
「もしも……もしもなんだけど……わたしがビートくんと出会っていなかったら、どうなっていたと思う?」
ライラの言葉は、誰しもが一度は考える内容だった。
婚約してからも3年同棲し、結婚した今では想像もつかないことだ。確かに、オレとライラがグレーザー孤児院で出会っていなかったとしたら、どうなっていたのだろう?
オレは丁稚奉公をすることになったり、見習いとして職人になっていただろう。鉄道貨物組合でずっとクエストを請け負っていたかもしれない。もしかしたら、冒険者になっていたかもしれない。いずれにしても、オレは何らかの形で仕事をしながら暮らしていたに違いない。それにもし、トキオ国が滅ぼされなかったら、国王だったかもしれない。
しかし、ライラはどうなっていたのか?
珍しい銀狼族であり、美しい銀髪。
美少女であることを証明するような、あどけなさを残しつつも整った美しい顔。
そして男をひきつける大きな胸と、くびれた身体に、子供を産める身体の証明である大きなお尻。
オレはあまり考えたくなかったが、ライラがどうなっていたのかは、だいたい想像がついた。
「……想像したくないけど、運が良ければ貴族が正妻としたか、妾に迎え入れられたかな。それとも娼婦か、運が悪かったら、性奴隷になっていたかもしれない。ライラ、ごめんね。こんなことしか想像できなくて……」
そう思ってオレは、ライラに謝った。
こんなことを云われたら、きっと怒るよな。真正面から「あなたの価値は身体以外にありません」と云っているのとほぼ等しいことだ。もちろんこれは、あくまでもオレと出会わなかった時の話だ。今のオレにとって、ライラは大切な女性だ。オレはライラを、かけがえのない最愛の女性だと思っている。どれだけ大金貨を積まれても、別れることはない。
「……ううん。ビートくん、わたしは怒っていないよ」
ライラはそう云うと、オレの隣に座った。
「わたしも、そうなっていたと思うの。わたしは何の取り柄も無いから、ビートくんと出会えなかったら、きっと今頃は娼館で身体を売っていたかもしれない。師匠と同じように、もしかしたら有名になっていたかもしれないね……」
師匠とは、メラさんのことか。
オレは東大陸で出会った、黒狼族の娼婦メラのことを、思い出した。
ライラが、メラさんのような評判の娼婦になる。
うん、もしもオレと出会っていなかったら、なっていたかもしれない。
しかしそうなると、もしもオレが銀狼族の娼婦と聞いて娼館に足を運ぶことになったのだろうか?
あり得ないことだろうか?
……いや、十分にあり得る!!
「そうなったら、オレがライラの客になっていたかもしれないなぁ」
「えっ、ビートくんがわたしの!?」
「こうなったかも、しれないよ?」
オレの頭の中には、その光景が浮かび上がってきていた。
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「あら、いらっしゃい。ビート」
見知った女主人が、オレに声をかけてくる。
オレは娼館に、足を踏み入れた。これまでに何度も娼館に足を運んできたが、今日ほど娼館が待ち遠しかった日はない。
この娼館に、銀狼族の娼婦が入ったと聞いてきた。
銀狼族なんて、北大陸の奥地まで行かないと出会えない、獣人族の中でもとんでもなく珍しい存在だ。しかも美男美女が多いとなると、きっと上玉の娼婦に間違いない。
銀狼族と一晩共に過ごせるなんて、自慢できないわけがない!
オレは受付まで行き、女主人に声を掛けた。
「噂で聞いたよ、マギー。銀狼族の娼婦が入ったって?」
オレが尋ねると、マギーは頷いた。
「大きな声じゃ言えないけど、本当に入ったんだよ。まだ知っている人が少ないから、内密にね。さては……銀狼族目当てだね?」
「もちろん、そうだよ。やっぱり高い?」
「まぁ金貨7枚ってところね。どうする?」
「もちろん!」
オレは金貨7枚を、そっと置いた。
美しい娼婦と楽しくて刺激的な夜を過ごすために、オレは金を稼いでいるんだ! 他の娼婦が金貨4枚くらいのところ、倍近い値段がしていようが、どうってことはない。珍しい銀狼族を抱けるのなら、それだけの価値はある。
「ここまで来て逃げたら、男が廃る!」
「決まりね。はい、これが鍵よ」
金貨7枚を受け取ったマギーはオレに、銀色の鍵を手渡した。
まさに別世界への扉の鍵だ。
「今夜は、楽しい夜になるといいわね」
「ありがとう」
はやる心を抑えながら、オレは鍵についた番号の部屋に向かった。
そっと開錠して、オレは部屋の中に入り、ドアを閉めた。
もちろん、間違って入ってこないように、ちゃんと内側から鍵を閉める。
部屋の中には、1人の娼婦がいた。
美しい腰辺りまで伸びた美しい白銀の髪の毛。そして同じ色の、狼の耳と尻尾を持つ娼婦。年はオレと同じくらいだろうか。高級娼婦であることを示す、フリルが多めについたドレスを着ている。そしてドレスの胸元からは、溢れんばかりの巨乳が覗いている。
噂には聞いていたが、これが銀狼族か。
確かに美人だ。性奴隷として大金をはたいてでも買う奴の気持ちが、分かるような気がする。
すると、銀狼族の娼婦がそっとオレにお辞儀をした。
「初めまして、銀狼族のライラと申します。なんと素敵なお方でしょう。今夜は、どうぞよろしくお願いいたします」
ライラと名乗った娼婦が、スカートのすそを少しだけ挙げて、自己紹介した。
娼婦の典型的な挨拶だったが、オレはこれまでに感じたことのない気持ちを感じた。
身体が、熱い。
ライラという娼婦の声を聴くだけで、心臓が高鳴る。
こんな気持ちになったことは、一度もなかった。
それほどまでに、銀狼族が魅力的だからだろうか?
分からない。
「……あの、どうかなさいましたか?」
ライラが声をかけてきて、オレは現実に引き戻される。
「あ……いや、大丈夫だ。なんでもない」
オレがそう云うと、ライラは穏やかな表情を見せた。
「疲れているのでしたら、無理はなさらないでくださいね」
「大丈夫、大丈夫。ただ、あまりにも美しいから、つい見とれてしまって……」
「ありがとうございます。素敵なお方にそう云っていただけて、嬉しいです」
ライラのその言葉に、再び心臓が高鳴った。
緊張して、うまく動けなくなってしまう。
しかし、まずはベッドまで行かないことには、何もできない!
オレはぎこちない足取りで、ベッドに向かい、そっと腰掛けた。
こんなこと、今まで無かった。
何度か娼館に足を運んでいるのに、どうしてだろう?
すると、オレの隣にライラが腰掛けた。
「すみません、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「えっ……オレのこと?」
「はい。本名でなくても構いません。あだ名でもご職業名でも、何でも構いません」
「……ビートだ」
「素敵なお名前ですね。ビートさん、今夜はよろしくお願いします」
ライラは微笑んでそう云うと、そっとオレの二の腕を触ってきた。
「わっ!!」
驚いたオレは、反射的にライラから離れてしまう。
「あっ、ごめんなさい! 敏感なところですかっ?」
「いや、突然触られたから……」
オレの心臓は、かつてないほど高鳴っていた。
二の腕を触られることは、時折あった。それなりに筋肉がついているからか、からかわれるように触られることは、ままある。だから触られても、何かを感じたりすることはほとんどなかった。
しかし、ライラに触られると、ドキッとしてしまう。
どうすれば、いいのだろう?
オレが困っていると、突然柔らかいものがオレに当てられた。
見ると、ライラがいつの間にかドレスから覗く白い胸を、オレの身体に押し当てていた。
「たくましいお身体……ご立派なものをお持ちですね」
「はっ……放せっ!!」
思わず、オレはライラを振り払った。
これまでにも、娼館で娼婦たちから抱き着かれたことはあった。そうなると、自然にオレも娼婦の身体に触れたものだ。しかし、どういうわけか、ライラから触れられた時は違った。
こんなに美人なのに、どうしてオレは素直に喜べなかったのだろう。
「あっ……!」
オレはすぐに、自分のしたことを後悔した。
ライラが驚きと怯えが混ざった視線で、オレを見つめていた。
「ごっ……ごめんなさい。お気分を害されたのでしたら、謝ります!」
ライラはそう云って、床の上に両ひざをつくと、地面に額を付けた。
「申し訳ございませんでした!」
「い、いや……その……こちらこそ、ごめん」
オレは気まずさを感じながら、そっとライラの肩に手を置いた。
「その……怒っているわけじゃないんだ」
「は……はい」
「今日は……その、そういうことは無しで、ちょっと話をしたかったんだ」
そう云うと、ライラは目を丸くした。オレの言葉が、信じられないという顔になった。
そりゃそうだろうなぁ。わざわざ娼館に、娼婦と話をするだけに来る物好きなんて、滅多にいないだろう。ほとんどの男は、娼婦と一晩の間に刺激と快楽に満ちた時間を過ごすために、娼館に来て高い金を払っているのだから。
「話……ですか?」
「そうなんだ。お願いできる……?」
「はい……」
ライラが頷いた。
その日、オレはライラと会話をしてから眠り、翌朝になってから娼館を後にした。
共に過ごしている間、オレは1回も、ライラを抱くことは無かった。
それから、数日後のことだった。
オレは再び、娼館を訪れた。
「マギー、ライラを指名したいんだ」
「あら、ビート。もうすっかり、ファンになっちゃったねぇ」
マギーがころころと笑い、オレは金貨7枚を差し出した。
それを受け取ると、マギーは鍵を取り出した。
「はい、この部屋で待っているわ。それにしてもビート、ライラと何かあったの? あんたが帰った後、ライラは沈んでたわよ? あんたが乱暴したわけじゃないし、暴言を吐いたわけでもないみたいだけど……?」
「い、いや……なんでもないよ!」
オレはそう答え、ライラが待つ部屋へと向かった。
「あ……先日来ていただいた、ビートさん……」
「この前は、どうも……」
部屋に入ると、ライラがオレの顔を見て、目を丸くした。
こんな短期間でまた会いに来るとは、思っていなかったんだろう。
「名前……憶えていてくれたんだ」
「は、はい……」
どうしよう、会話が続かない。
オレは少し焦っていた。ライラを目の前にすると、会話がなぜか続かなくなってしまう。他の娼婦たちでは、こんなことは今までなかったというのに……。
すると、ライラがオレを真正面から見上げた。
「あの……わたし、魅力がありませんか?」
「えっ?」
魅力がない?
どうしてライラはそう思ったのだろう?
美しい白銀の長い髪に、まるで女神を彷彿とさせる顔立ちの美少女だ。
滅多にお目に掛かれない、珍しい銀狼族の美少女が、どうして魅力が無いと思ってしまうのだろう?
オレは首をかしげることしかできなかった。
「初めてなんです。わたしのことを、一度も抱いて下さらなかったお方は……」
「あぁ、あの日のことか……」
初めて、ライラと対面した日。
オレはライラと共に過ごしながら、ライラを抱くことはしなかった。ライラはどうやら、そのことをずっと気にしていたようだ。
そうか、マギーが云っていたのは、このことだったのか。
オレが納得していると、ライラが突然抱き着いてきた。
「わっ!?」
「わたしって、そんなに魅力がありませんか!?」
見上げながらそう訴えてくるライラ。
その目は、決して娼婦が男を誘惑するために用意した、つくりものではなかった。目に浮かんだ涙とその表情が、本心からのものであると、オレは分かった。
そうか。
男に、抱きたいという思いを抱いてもらえない。それは娼婦からすれば、男を誘惑できる魅力がないことを意味している。娼婦は多くの男と寝るが、一度きりの男ばかりになっては、収入が不安定になる。だからこそどの娼婦も、必死に魅力を振りまいて、根強いリピーターとなる固定客の男を作ろうと必死だ。
一度でも抱かれなかったという噂が広まれば、それは娼婦にとって致命的だ。噂が尾ひれをつけて広まってしまうと、最悪の場合、娼館に納めるお金さえ稼げなくなってしまう。そうなると、私娼として危ない橋を渡ることもしなくちゃならなくなる。
幸いにも、ライラはまだそうはなっていない。もしも噂が広まってしまったら、その責任はオレにもある。
オレにできることは、ライラの固定客になることだろう。固定客になれば、ライラはきっと喜んでくれるに違いない。
「あの時は……申し訳なかった。どうしても、抱きたいという気持ちになれなかったんだ。だけど、今日はそんなことはない。ライラを抱きたくて、来たんだ」
オレは抱き着いているライラを、そっと抱きしめた。
「すまなかった」
「いえ、いいんです……ところで、これからどうしますか?」
「あと少しだけ……このままで……それから、シャワーを浴びたい」
「はい……」
どれくらい時間が流れただろう。
オレはライラの体温を堪能してから、共にシャワーを浴びた。
そしてシャワーを浴びてから……オレはライラと共に、ベッドに向かった。
「……ありがとう、ライラ」
全てが終わった後。
オレとライラは月明かりを浴びながら、会話を楽しんでいた。
「久しぶりに、とてもいい夜になった」
「本当ですか?」
「うん。ライラはどうだった? 痛かったりしなかった?」
「大丈夫です。わたしも……すごく良かったです」
その言葉にオレは安心し、そっとライラの頭を撫でた。
「え……?」
「ライラ、オレと出会ってくれて、ありがとう。なんだか……ライラのことをもっと知りたくなってきちゃったんだ。また会いに来るし、その時は何かプレゼントも持ってくるよ」
「ありがとうございます……」
ライラはそう云うと、ポロポロと涙を零していく。
「あっ……す、すみません……」
「えっ、ごめん! 何か、気に障るようなこと、云っちゃった!?」
オレは慌てて、ライラに尋ねた。
どうもオレは、女性の気持ちに鈍感なところがある。それは昔から指摘されてきたけど、オレは未だに何を云ったらいけないのか、よく理解できていないみたいだ。
「いえ、違います……嬉しいんです……」
「嬉しい……?」
涙を零しながら、そう告げたライラ。
オレはなぜか分からず、首をかしげた。
「男性から……純粋な優しさを向けられたのって、初めてなんです。男の人にも、こんな優しいお方がいたんだって思うと……嬉しくて。これまで出会ってきた男の人は、終わったらわたしのことはお構いなしという方が、多かったので……」
ライラの言葉は、これまでどんな男たちと会ってきたのかを、物語っていた。
その美しさと、銀狼族という希少さから、どんな男たちだったのか察しが付く。ライラを欲望のはけ口にして、その希少さと美しい身体以外には、興味が無かったのかもしれない。自分たちの欲望さえ満たせれば、それでいいと思っていたのだろう。
こんな他愛のない会話で、ライラがそう感じてしまうほどに、ひどい男たちだったに違いない。だが、娼館に来る男にはそんな奴が多い。珍しくも無い話だ。
それなら――。
「ライラ……」
「あっ……!」
オレはベッドの中で、ライラをそっと抱きしめた。
優しく、だけど腕には少しだけ力を込めた。
「今だけは、オレだけの女になってくれないか? オレだけの、特別な女に……」
「……いやです」
ライラはそう云うと、同じようにオレを抱きしめてきた。
「今だけなんて、いやです! わたしは……ずっとずっと、ビートさんの特別な女性でいたいです!」
「……ありがとう、ライラ」
あぁ、そうか。そうだったんだ。
オレはやっと、なぜあの時にあんなことをしてしまったのか、理解できた。
抱き着いてきたライラを、振り払った理由。
オレは最初から、ライラに惚れていたんだ。娼婦だと分かっていながらも、本気でオレはライラのことが好きになっていたんだ。
好きだからこそ、緊張していて、他の娼婦のように動けなかったんだ。
だけど、もうそんなことは起こらないだろう。
娼婦と客が、恋愛関係になってはいけないことは、分かっている。
あくまでもそれは、一時的なものだ。本当の恋愛ではない。金銭が間に介在しているからこそ、成り立っているだけなんだ。
しかし、オレとライラは、金銭なんかどうでも良くなっていた。
2人で一緒に居たい。いつまでも、そしてどこでも。
お金が無かったとしても、ライラと居られるのなら、気にならないようにさえ思えた。
それからオレとライラは、頻繫に娼館で愛し合うようになっていった。
オレは働く時間を増やしてお金を貯め、ライラと手紙のやり取りをして、オレは週に2回以上は娼館に訪れることを約束した。ライラはオレと会う日は、なるべく他の客を断って働く時間を減らし、オレとの時間を増やしてくれた。
ライラと過ごす時間は、オレにとって夢のような時間になった。
「……身請け、できたらなぁ」
ある日の夜。ライラが眠った後で、オレはそんなことを考えていた。
娼館には、身請け制度があることは、オレも知っていた。
身請け制度を使えば、自分の希望する娼婦を辞めさせることができる。しかしそれには、莫大な金額が必要だ。大商人や領主といった金持ちでも、娼婦の身請けをすることは少ない。
ライラと会う前に、ダメ元でマギーにライラの身請け金額について尋ねたが、途方もない金額を提示された。オレにとっては、一生かかっても稼げるか分からないような大金だった。
しかし、それから少し経ったある日。
オレは思いもよらない情報を手に入れた。
娼館の受付でマギーと、再度身請けについて話していた時だった。
「ビート。あまり知られていないんだけど、実は身請け制度って、ローンもあるのよ」
「ローン?」
目を丸くしたオレに、マギーは声を潜めて告げた。
「ある程度の頭金を用意して、一旦は身請けする。その後は、毎月一定の金額を娼館に納めていくのさ。それで全ての金額を納め終えた時、晴れて正式に身請けしたことになるの。これがあると知られたら、娼婦に惚れ込んだ物好きな輩が、次々に身請けしようとするかもしれない。そうなると困るから、あまり公表していないのよ」
「そっ、それは本当!?」
「もちろん。ちなみに、ライラの頭金となると……」
マギーは、パチパチと計算器のアバカスを弾き、計算していく。
そして指が止まると、マギーはオレにアバカスを見せた。
「これくらいね。後はローンが10~20年くらいかしら」
「なるほど……これくらいなら、なんとかなりそうだな」
その金額は、オレでも用意ができる金額だった。
もちろん大きな出費に変わりはない。支払ったとしてもローンがあるし、生活が苦しくなるのは目に見えていた。しかし、オレはそれ以上にライラを身請けしたかった。愛しているライラが、これ以上他の男と肌を重ね、男たちの体液で穢されていくのが、オレには耐え難かった。
アバカスから顔を上げると、オレはマギーに向き直った。
「マギー……オレ、金を作る。金ができたら、ライラをローンで身請けしたい」
「わかったわ。だけど、急いでね。他にもライラのことを身請けしたい輩は、出てくるかもしれない。善は急げよ」
オレはマギーから聞いたことを、ライラにも話した。
「……というわけなんだ。オレ、ライラを身請けしたい!」
「ほ……本当ですか!?」
ライラは信じられないという顔で、オレを見つめる。
「こんな娼婦のわたしを……本当に、身請けしてくれるんですか!?」
「オレは、本気なんだ。愛しているライラが、これ以上他の男と一緒に寝るなんて、オレは耐えられない! ライラを身請けして、一緒に暮らしたいんだ!」
「ビートさん……!」
口に手を当て、ライラはポロポロと涙を零す。
もう一生涯、娼館から出ることは無いと思っていたライラにとっては、希望の光に違いないだろう。
「だけど、今すぐにというわけにはいかないんだ。オレの全財産を合わせても、頭金にはちょっと足りない」
「そうなんですか……」
ライラが、残念そうに云う。頭の獣耳も、垂れ下がっていた。
「そこでなんだけど……オレ、その足りない分を稼いで来ようと思っているんだ」
「足りない分を……?」
「うん。だから、ひと月くらいの間……ライラとは会えない」
「えっ!?」
オレの言葉に、ライラが目を見張る。
ひと月会えない。それは、オレにとっても辛かった。同じように、ライラにとっても辛いことかもしれない。
「必ず、ライラを身請けするために戻ってくる。だから……それまで、待っていてくれる?」
「……はい!」
ライラは少ししてから、頷いた。
「待っています! ビートさんが帰ってくるまで、わたしは待ちます!」
「ありがとう……ライラ!」
オレは少し力強く、ライラを抱きしめた。
そしてひと月後。
オレはやっとの思いで用意できた頭金を手に、ライラが待つ娼館へと向かった。
ひと月の間、必死になって働いた。
昼も夜も働き、寝る時間を削り、食費も削って働いた。
それでも足りないから、空いた時間や休日にも、副業をした。
そこまで頑張ってやっと、頭金ができた。
やっと、ライラを身請けできる――!!
その思いで、オレは娼館に向かった。
しかしその先で待ち受けていたのは、予想外の出来事だった。
「ライラが、辞めた!?」
「そうだよ、ビート」
オレの叫びに、マギーは答える。
ライラが、娼館を辞めていた。待っていてくれると約束してくれたのに、ライラは娼館を辞めていた。
オレは頭金が入った袋を、落としそうになる。
しかし、オレは気を持ち直した。
「だっ、誰かが身請けしたのか!?」
「いいや、そうじゃない」
マギーは否定すると、周囲を確認した。
近くに人が居ないことを確認すると、マギーはオレに小声で伝えてくれた。
「ライラは、救貧院にいるんだよ」
「救貧院――!?」
救貧院にいる。
それが何を意味しているのか、オレはすぐに分かった。
「ウソだと思うなら、行ってみるといいさ。オススメはしないけど……」
「……わかった。マギー、ありがとう!」
オレはマギーにお礼を云うと、娼館を後にした。
そのまま、オレはこの街の救貧院に向かい、駆け出した。
そんな……ライラが……!!
ウソであってほしい。
そう思いながら、救貧院を目指して一直線に進んだ。
「こちらです」
救貧院の看護婦に案内された部屋に、オレは足を踏み入れた。
救貧院に入った途端、汚物と薬品の混ざった臭いが、オレの鼻を突いた。お世辞にもいい匂いとはいえない、嫌な臭いだ。
いくつもの汚れたベッドが並ぶ中を進んでいくと、一番奥のベッドに、案内された。
「お探しの方は、こちらですか?」
「……間違いありません」
ベッドのネームプレート、そしてベッドで横になっている人物を見て、オレは頷いた。
マギーの云った通り、ライラは救貧院にいた。
そしてライラの身体には、いくつもの赤い斑点が浮かんでいた。
――救貧院にいる。
娼館においてその言葉は、性病に罹って治療もできず仕事もできなくなり、辞めたという意味になる。客から移されて性病になってしまうと、どんなに人気の娼婦でも客は取れなくなってしまう。それまで足しげく通って会いに来ていた固定客も、性病になったと知った途端、手のひらを返すように離れていく。性病になった時点で、娼婦としての生命はその時に、絶たれてしまうためだ。
当然、性病になった娼婦を身請けするような者もいない。治療ができればいいが、治療には莫大なお金がかかるし、一度性病になった者に対する視線は厳しい。それに娼婦上がりとなると、他の仕事を探すのも難しくなる。だからほとんどの娼婦は、満足な治療も受けられずに、救貧院にいくしかない。
ここでできるのは、死を待つことだけだ。
「では、私はこれにて……」
看護婦がそう云って立ち去ると、オレはベッドで眠るライラに声をかけた。
「ライラ……」
「ビートさん……」
ライラは赤い斑点が浮かんだ顔で、オレを見た。
「ごめんなさい、ビートさん。お客さんから、性病をうつされてしまいました。ビートさんを待っていたのに……約束を破ってしまい、本当にごめんなさい」
「ライラ……」
オレは、目頭が熱くなってきた。
「ビートさん、ありがとうございました。わたし、ビートさんと出会えて……この世に生まれてきて、本当に良かったと思います。わたしはもう、こんな身体です。どうか、わたしのことは忘れて……他の方と、幸せになってください」
「それはできない!」
弱々しく云うライラに、オレは首を横に振る。
「薬を売ってもらえないか、医者に相談してくる。だから、最後まで希望を捨てるな!」
オレはライラにそう云うと、この街で一番の医者のところに向かった。
ライラがうつされた性病は、オレも何度か目にしたことがある。かかったことがある人から、話も聞いたことがある。そしてそれは、薬で治療ができるものだ。もちろん、薬は高額だ。一般庶民では、まず手が届かないような高級品だ。
だが、オレにはライラを身請けするつもりで稼いだ、頭金がある!
これなら、薬を売ってもらえるはずだ!!
だがしかし、オレの願いは打ち砕かれることになった。
「ダメだ」
医者に薬を売ってもらえないか相談したが、医者は首を縦に振らなかった。頭金は薬の値段には、十分に届いている。
頭金を全額渡すと云っても、医者は売ってくれない。
「なぜですか!? なぜ売ってくれないのですか!?」
オレは、医者に尋ねた。
何か理由があって売れないのなら、分からなくもない。だけど、医者はダメと云うだけで、理由を話してはくれない。せめて、売ってくれない理由が知りたかった。
「しつこいな。いいだろう、教えてやる」
医者はそう云うと、吸っていたタバコの煙を吐いた。
「下賤な娼婦なんぞ、いくら助けたところで、どのみちまた性病で死ぬのがオチだ。それどころか、性病以外の病気も媒介する、ただの病原菌だ。医者の仕事を増やすだけ増やすような娼婦は、とっとと死んでくれた方がありがたいんだよ。他の患者ならともかく、元々娼婦だった奴に売る薬はない。治ったらどうせまた、娼婦として商売を続ける気だろう。薬がいくらあっても足りない。薬だって、タダじゃないんだ!」
「こ……こいつ……!!」
医者の言葉に、オレははらわたが煮えくり返りそうだった。
ライラはもう、娼婦じゃない。このままでは死んでしまう、不幸な少女だ。そして性病にならなければ、オレが身請けして、ライラは普通の女の子に戻れたはずなんだ!
それを、とっとと死んでくれた方が、ありがたいだなんて……!
こいつは、医者の風上にも置けない、クズ医者だ!!
「分かったなら、帰ってくれ」
医者はタバコをふかしながら、病院の中に戻っていった。
「野郎……!!」
こうなったら、最後の手段だ。
正当な理由がなく、医者の個人的な感情で売ってくれないのなら、ここに薬があっても役に立たない。
この病院から、薬を盗み出してやる!!
それでライラの性病を、治療するんだ!!
オレは今夜、決行を決めた。
病院の警備は、ザルだった。
窓を割り、鍵を開けて病院に侵入し、薬品保管庫に忍び込んだが、誰も出てこない。それどころか、薬を保管している棚に鍵さえ無い。これでは、どうぞ盗んでくださいと云っているようなものだった。
だが、今のオレにとっては好都合だ。
それにこれだけ雑な管理をしていれば、窃盗事件としてあのクズ医者が騎士団に連絡しても、捕まるのはオレだけじゃない。オレは窃盗での逮捕は間違いないが、クズ医者も管理不行き届きということで、騎士団の取り調べを受けるのは間違いない。
薬品保管庫に入るような薬は、毒にもなるものがあると聞いたことがある。そんな危険なものを保管している場所に鍵をかけていないのなら、クズ医者だってタダでは済まされない。同じように、きっと逮捕されるはずだ。
そうなったら、オレは証言してやる。あのクズ医者も一緒に、監獄へ道連れだ!
そしてオレは、易々と性病の薬を盗み出した。
翌日。
救貧院に行く前に、オレは雑貨店でタオルや水など、必要なものを購入した。
「ライラ!」
オレは救貧院に赴くと、一直線にライラのベッドへと向かう。
「ビートさん……?」
「ライラ、性病の薬を持って来た!!」
オレはそう告げて、ライラにビンに入った水と共に、薬を手渡した。
「これを飲めば、性病は治る! 毎日3粒飲んでゆっくり休めば、3日で完治する薬だ!」
「ビートさん……!!」
ライラの目から涙が溢れ、落ちた涙が、薬のビンに当たって落ちていく。
「こんな高いものを……どうやって……?」
「それは後で説明するよ。とにかく、まずは薬を飲んでからだ」
「はいっ……!」
ライラは薬のビンを開け、中に入っている丸薬を3粒、水で飲み下した。
とりあえず、今日の分はこれでおしまいだ。
「それと、しばらく仕事は休みを貰ったんだ。ライラが良くなるまで、付きっきりで看病するから」
「ビートさん、そこまでしていただかなくても……」
「大丈夫。それに、オレは夢があるんだ」
オレはライラの目を覗き込んだ。
少しだけ淀んでいるが、まだ光を失ってはいない。
「オレ……ライラと一緒に、世界を旅したいんだ」
「わ、わたしと……?」
「あぁ!」
オレは頷いた。
「いつの日になるかは分からない。だけど……一度切りの人生だから、好きなことをしたいと思うんだ。それが、ライラと一緒に世界を旅することなんだ。これまで仕事で、あちこちに行ってきた。この世界は、自分が思っているよりも広くて、色々な人が暮らしている。そこには美味しいものや、美しい景色だってあるんだ。それをライラと一緒に、味わってみたいんだ!」
「ビートさん……嬉しいです」
ライラは再び、涙を流した。
「わたしも、ビートさんと一緒に行きたいです!」
「よし、約束だ!」
それからオレは、ライラを付きっきりで看病した。
薬の副作用で熱が出たり、身体のあちこちが痛み出し、ライラはそれと戦うことになった。オレはライラの汗を拭き、痛む場所を揉んで痛みを和らげ、できる限りのことをした。
救貧院では娯楽が少ないこともあり、ライラの話し相手になり、本などを読み聞かせた。
少しずつ、ライラは笑顔が増えてきた。
娼館で見せてくれたものとは全く違うその笑顔は、きっと本心からのものだったのだろう。娼婦として男に媚びて見せる笑顔ではなく、家族や友達に見せるような、心からの言葉。それが笑顔として現れていた。
その笑顔は、オレがこれまで見てきたどの女性よりも、美しくて愛おしいものだった。
そして3日後。
ライラの皮膚に浮かんでいた赤い斑点が消え、ライラは元気を取り戻した。
「ビートさん、治ったのでしょうか……?」
「検査してみないと何とも云えないけど……きっと、そうじゃないかな? 念のため、救貧院に常駐している医者に頼んで、検査してもらおう」
「はいっ!」
ライラがそう元気に答えた。
後は、オレからあの言葉を伝えないといけない。
これから、ライラと過ごしていくためには、避けては通れないことなんだ……。
その時だった。
「騎士団だ!」
病室のドアが開けられ、剣を携えた騎士が入ってきた。
何事かと、病室がざわざわと騒がしくなる。
騎士は一直線に、オレとライラのところまでやってきた。
「ビートだな?」
「はい」
「窃盗と侵入の容疑で、逮捕状が出ている。身に覚えはあるか?」
「……はい」
オレは性病の薬を手にすると、騎士に差し出した。
「これのことでしょうか?」
「往生際がいいな」
「ビートさん!?」
オレと騎士のやり取りを見たライラが、叫んだ。
性病の薬を手にした騎士は、それを様々な角度から見つめてから、頷いた。
「病院から持ち出されたものとみて、間違いないな。あの医者も管理不行き届きだから、今は取り調べを受けている。しかし、窃盗と侵入の方が罪としては重いぞ。心の準備はできたか?」
「……少しお待ちください!」
オレはライラに向き直ると、オレは自分のカバンを差し出した。
「ライラ、この中には身請けするつもりで貯めたお金と、オレの家の鍵が入っている。オレの家で暮らしながら、そのお金で娼婦以外の仕事を探すんだ。オレはしばらく、帰れなくなるから、留守番を頼みたい」
「ビートさん、そんな!!」
ライラも、これからオレがどうなるかは、すぐに分かった。
「ビートさんが、監獄に行くなんて……!!」
「ライラ、気持ちは分かる。でも、罪には罰なんだ。これからオレがどうなるかは、裁判で決まることになる。それと……」
オレはそこまで云って、少し顔を赤らめた。
正直ここで告げるのは、恥ずかしいな。
だけど、これだけはどうしてもライラに直接、伝えておかなくてはならない! 獄中からの手紙では、絶対に伝えきれないことなんだ!!
一度深呼吸をしてから、オレは口を開いた。
「ライラ……オレが刑期を終えて戻ってきたら……オレと結婚して、くれますか?」
これだけは、どうしても言葉で伝えておかなくては、ならなかった。
それを聞いたライラは、目を見開いて口に手を当てる。
驚いているのが、オレにもよく分かった。
まさか、娼婦だった自分にプロポーズしてくれる人が居るなんて、思わなかったのだろう。
「……はい、喜んで!」
ライラは目に涙を浮かべて、答えた。
「ビートさん、わたしはずっと、戻ってくるのを待っています! ビートさんは、わたしの運命の人です! 戻ってきましたら、永遠に離れません!!」
「……ありがとう」
オレは目元を拭うと、騎士に向き直った。
両手を前に差し出すと、騎士がオレの手に手錠を掛けた。
こうしてオレは、騎士団詰所へと連行されることとなった。
獄中からにはなるけど、ライラには欠かさず手紙を書いて送ろう。それでライラの寂しさが、少しでも癒されることを願いながら。
ライラ、待っていてくれ。
必ず、オレは戻ってくる。
ライラに見送られながら、オレは護送用の馬車に乗せられ、騎士団詰所へと連行されていった。
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「……きっと、こうなっていたんじゃないかな?」
オレは語り終えると、ライラに向き直った。
なんだかかなり長い間、話していたような気がした。
「ビートくんが、逮捕……!?」
しかし、ライラはオレが逮捕されるという結末に、わなわなと震えていた。
さすがにこのオチは、まずかっただろうか?
「……うん! わたし、ずっと待っているよ!」
ライラは震えが収まると、オレにそう告げた。
「逮捕されても、監獄に入っても、わたしは待っているよ! 何十年とかかっても、ビートくんが帰ってくるまで、ずっと待ってる! ビートくんと結婚できるなら、いつまでも待てるから!!」
「ありがとう……ライラ。そう云ってくれると、思ったよ」
オレはそう云って、ライラの頭を撫でた。
ライラは嬉しそうに笑い、尻尾をブンブンと振る。
「だって、ビートくんは命の恩人だから!」
「ライラ……」
「それに、わたしがどんな境遇であったとしても、ビートくんはわたしを助けてくれる。だから、大好き!」
そう云うと、ライラはオレの頬にキスをした。
「おうっ!?」
オレは驚いて、顔を真っ赤にして叫んだ。
さすがにこれは、予想外の出来事だった。
ライラと結婚できて、本当に良かったなぁ。
オレはそう思いながら、何度もライラのキスを受け止めることになった。
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今回はイフの「もしもライラが、ビートと出会っていなかったら?」と考えてみました。
ルトくんは「そういうお店」に行ったことが無いので、内容はほぼ100%妄想の産物です。(笑
こういう「その場限りだったはずなのに、お互いが真剣に愛し合うようになる」というシチュは大好きです。
ドラマにもなった某タイムスリップ医療マンガや、アニメにもなった某鬼殺しマンガで登場した吉原。これについての資料や、各種の同人作品を漁って勉強しながら仕上げました。華やかなイメージがありますが、最後は病になってあっけなく命を落としていったそうです。
ライラは救われましたが、最初は命を落とす予定でした。さすがにかわいそうすぎるのと、少しでも希望が残るような最後にしようと、このような終わり方になりました。
ちなみにライラが作中でなった病気は「梅毒」をイメージしています。
花魁病とも呼ばれ、吉原でも恐れられた病気です。最悪の場合、死に至ります。
2015年以降、どういうことか若い女性に感染が広がっているそうです。なんででしょうか?(詳しい方、情報求ム!!
ルトくんには(おそらく)生涯無縁なので問題はありませんが、皆さんは予防に努めましょう!