泥の海--序章--
「そこの兄さん、寄っていかんかね。美味い酒もあるし、綺麗な女だっている。裏に部屋もあるから、なんだったら泊まっていってくれてもいいんだぜ。」
貧相ななりをした男がニヤリと笑って声を掛けたのは立派な体躯の男だった。
実用的なマントを羽織り脚を深靴で固めたその男は、汚れた掘っ建て小屋の様な飲み屋の前で立ち止まると胡散臭そうにその客引きと後ろの飲み屋を見比べた。
「火酒はあるのか? さもなければ砂の雑じっていない水だ。それ以外は飲まん」
吐き捨てるように男が言うと、逃がす物かと慌てたように客引きが応える。
「も、勿論火酒はあるさ。ここらじゃ雑じりっ気のない水なんてねぇけどな。」
「そうか、俺が飲むと決めたからには樽を用意してくれよな。それに女もだ。」
「任せておきなって。ここの最高の女を呼んでくるから中で待っててくれ。」
男がその店の中に入ってみると、外側の情けなさに比べればそれなりに綺麗な店の中にはカウンターと幾つかのテーブルが並び、カウンターの中では老いたバーテンダーが客となにやら話をしていた。男はそちらに向かって火酒をくれと声を掛けると肩の荷物を下ろし、カウンターの入り口側の端に腰を下ろした。
「お若い方、沙漠の旅はお疲れでしたでしょう。お近付きの印に一杯奢らせてください。そして東方の国の様子など聞かせていただけたら嬉しいのですが。」
「お前、俺のことを知っているのか!?」旅の男はカウンターの向こうの端から声を掛けてきた男を睨む様にして、剣を抜かんばかりの勢いで立ち上がる。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいな。あなたが泥の海を渡ってきたのなら泥に汚れている筈だがあなたのマントはそうではない。となればここに来る残りの方法は沙漠を渡ってくること。ここは沙漠の西の外れですから東方からいらしただろうことは想像に難くない。ましてあなたのいでたちは東方の趣味のようです。」
「そ、そうか。そう言われてみれば確かにそうだ。驚かせて済まなかったな。」
タイミングを見計らってバーテンダーが置いた火酒のグラスを旅の男に掲げてみせて、「いえ、気になさらずに。それよりも先ずは乾杯しましょう。」と微笑む。
男はカウンターの今度はもっと奥に腰を下ろすと自分もグラスを取って、「では、神と言うものがあるならそのものに」と言いながらグラスを合わせる。
もうひとりの華奢な体つきをした男は些か苦笑すると、「神があるかどうかは知りませんが、空から降りてきたと言う人達に」と応えてグラスに口をつける。
旅の男は火酒を一口に干すとグラスをカウンターに叩き付ける様にして置き、「なんだ? その空から降りてきた人と言うのは。」と首を傾げる。自分も旅の途中で聞いたのだと前置きをして、華奢な男は「ではそのお話を私の知る限りお聞かせしましょう。夜は長いから火酒でも飲み乍ら。」と言って語り出した……
なろうに投稿してから一年間放置してみましたが、なんともなりませんね(当たり前
もう二十年も前、2000年の夏に公開していた作品です。
当時と今では書きたいものが変わってしまっていますが、この世界の様子は未だに変わらずに私の中にあります。