(七)
(七)
山鳥の啼くような雄叫びをあげて、道了尊は人型に束ねられた藁束に刃を立てた。馬手に柄の末端をしかと握り、太刀の峰に右肩を預けぐいと体を捻る。
日輪でも珍しい玉砂利の敷き詰められた中庭に、真二つに割れた藁束が落ちた。
其処此処から短な歓声とまばらな拍手が起こった。不図その中に、知った顔を探す。
あれは何某、
あれは、
あれは飯綱、
あれは何とかセイジュウロウ。
緩やかな動きで身を起こした道了尊は、障子の開け放たれた座敷の中心、御簾の向こう側に目を凝らす。座したる者がひとり、その前後に直立不動で近侍する者がふたり。更に左右の武者隠しにも複数控えていよう。要請あっての参上であるが、今以て道了尊は国主の尊顔を拝するはおろか、玉声も耳にしてはいなかった。
如何でしたかと周囲に身の動きで示して、いそいそと藁人形の残骸を片付ける銭神の表情を横目に窺った。銭神は道了尊の目線に気づき、満面の笑みを返した。
「さて、次なるは」
言いつつ、このような剣技実際の戦で使えるものではないと思っている。見た目の派手さはあるが、人ひとりに対しいちいち転げまわらなくてはならぬ技術が集団戦で活かせる道理がない。まるで実戦向きではないことは考えなくてもわかることだろう。
〈さてさて〉
蔵座の士卒はどう見るか。
繰り返すが、実際の戦で刀捌きの派手さなど一切必要ない。それどころか大振りは却って邪魔になる。どのように効率的に相手を斬り、且つ自分の身を安全に持っていくかこそが肝要なのだ。一対一の華麗な戦いは遠く昔日のもの。今は汗と泥、そして血と臓腑にまみれる集団戦の時代である。
御簾の奥の座したる影が後ろに立つ影に何事か呟いている。
〈気に入らんか〉
裸足の足に力が入る。
空唾を飲み込んで、道了尊は次なるはと繰り返した。
やや待ったが差し止めは入らなかった。
再び銭神に目を遣った。こうして近くに侍らせたのにはおのれの剣技の間違いを修正させる為ではない。それはまるで反対で、もし仮に間違いを指摘しようものなら勢い斬却する心づもりである。銭神さえ斬ってしまえば蔵座にこの刀槍術の実際を知る者はいなくなるだろう。いずれ銭神が兵法狂いであるならば、今後も道了尊が蔵座で扶持を食む上で障りになるであろうし、ならば早いうちに手を打ったほうが良い。人を斬ることに抵抗や躊躇はあるが、それでも経験のないことではなかった。
道了尊は銭神のやや潤んだ双眸を見、やさしげな表情を形作って頷いて見せた。
知っていたが不幸。矢張りそうしたことは災いにつながるのだと何処か上の空で思う。
「次なるは馬をもふたつにする斬馬術。とは申しましても本物の馬を使用してしまっては我が首が飛びかねませぬ故、本日はこの川砂を詰め込みましたる米俵を馬の胴と見立てて御覧に入れまする」
銭神が真っ赤な顔をして米俵を(ほぼ引き摺って)持ってきた。更に憤怒相の立像を思わせる顔で木を組みあげただけの台上にどかりと置いた。
皆々様宜しいかなどと恰も辻に立つ下法使いのごとく声を発する。
兵法などといった血腥い凶の道よりも、本来自分にはこうした大衆芸のほうが性に合っているのだろうと無意識に思いつつ、道了尊はうろ覚えの技芸の続きを演じるため、柄を雑巾絞りに、左肘を上へあげ太刀を右肩に担いだ。
微かに鼻を鳴らす者数人。当然だ、太刀は担ぐものではなく構えるものである。それでも残りの士卒数十人はそれなりに真剣な面持ちで道了尊の動きを注視していた。無論銭神もそのうちのひとりである。
御山様。三光坊頼益公はどうだろう。幾人に見下げられても構わないが、ひとり国主に飽きられてはおまんまの喰いあげである。しかし様子を窺おうにも姿は見えず、御簾の向こうからはしわぶきひとつ聞こえてこない。
ず、と利き足を前へ。
ぐ、と腰を落とす。
あ、と銭神が声をもらした。
「なんだ」
思わず小声で問う。銭神は、僭越ながらそれはシンシキ四の型ですよねとよくわからぬ言葉を返した。道了尊は曖昧に頷いた。
「な、ならば左手は添えるだけで御座いませぬか? 違いましたか」
「うむ。これが実践型の四番である」
「新式四の型」
斬るか。いや、この姿勢からでは事故を装いにくい。道了尊は黙っていよと銭神に目で示した。しかし如何にも鈍感そうなやんま顔の士卒は、
「加えて先生、四の型であるならば若干太刀が短こう御座る」
と付け加えまでした。
横目で周囲を窺えば、銭神の問いに訝しげな表情をする者が数人。
道了尊の首筋にじわりと汗が浮いた。
こちらの、と銭神は幾振りか用意してあった太刀のひとつを手に取っていう。
「丸鍔の太刀が適当かと」
おい、先生が教えられてるぞと嘲笑混じりの声が聞こえる。更に目を遣れば、御簾の向こうに座したる小さな影が何やら大兵の士に耳打ちしている姿も見える。
不味いか。
好い状況ではないことは確かだ。
どうにかしなくては。
道了尊は中腰の姿勢からまっすぐに立ち、ついと左手を銭神に向けた。
「それではその太刀をこちらへ持ってこい」
急激に口の中が乾き、道了尊の語尾は掠れていた。それでも銭神はしっかりと言葉を聞き取れたようだ。鬱陶しいことに道了尊の一挙手一投足一言一句をもらさぬよう相当気を張っているようだ。
「こ、この丸鍔ので宜しいんですね?」
それは数年前に従軍した戦場で死体から剥ぎ取ったもの。
「そうだ、鞘を払って持ってこい」
銭神は黒鞘を丁寧に外し、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
道了尊は腹を決める。
国主の喰いつきは良くない。矢張り不明なる王に気に入られるには派手な演出が
道了尊は知らぬ顔でそっと玉砂利を足指に挟んだ。
特別修練したわけではない。ただ、幼い頃より小器用で。不思議と何でもこなせるほうであった。
近づくまで待って、
十分に近づくまで待って、
銭神の足が地に着くその瞬間、足裏の一番体重の乗る位置に滑り込ませるように玉砂利を飛ばした。
丸い玉砂利に足を取られ、銭神がどちらによろけるかまでは予測がつかない。
それでもこの距離ならば。
阿、の形に口を広げて銭神はぐらりと右に傾いだ。できれば前方、おのれのほうへつんのめってほしかったがしようがない。
嗚呼!
銭神は慌てて体勢を整えようと足を散らすも踏ん張りきれず、太刀の切っ先をあちこちに飛ばしつつ周囲にいた士卒らのひと群れに倒れ込む、
士卒らの声が錯綜する。
刀を持っていながら我が足元に注意を払わぬとは、位の高き低きに関わらず兵士としては失格だ。その罪は俺が断じてやると手前勝手な理屈を我が胸に轟かせ、
ざ、と音がして銭神の太刀を握った右手が胴を離れ宙を舞った。腕と太刀はくるりと空転し地面に突き刺さった。
太刀を握ったままの右手の断面から鮮血が迸るのと、周囲から悲鳴に近い嘆息が上がるのはほぼ同時であった。
無論その右手は道了尊が斬ったのである。
「危のう御座いました」
額に玉のような汗をたくさん浮かせつついう。
銭神の絶叫がこだました。
道了尊は透かさず国主へ向け額ずき、
「大変なことを致してしまいました! しかし三光坊様、拙者が斬って落とさねばあの太刀でいったい幾人に被害が出ていたことでしょう」
と、然も自分が危地を救ったのだというようなこといってのけた。
背後で銭神がのたうちまわっている。周囲は遠巻きにその様子を眺めていた。
そのまま絶命してくれればいいがと道了尊は本気で思う。首まで斬ってはさすがに心証が悪かろうと咄嗟の判断で腕を斬るにとどめたのだが。
道了尊の申し開きに答える前に、陰影の国主は無言で手をひらひらさせた。どうやら銭神をどこかへ連れて行けとの意が込められている。先程の大兵が大声一喝、さざめく有象無象にその旨伝え、おそらく下級士卒であろう幾人かが(ひとりは道了尊の登城時、真っ先に声を掛けてきた男である)不承不承暴れる同輩を中庭の外へ連れ去った。
〈よろけたのが俺のせいであると、よもや誰も思うまいよ〉道了尊はそれに関しては自信があった。銭神を含め、この国にあの小技に気付く者などおりはしまい。
後はおのれの演技次第である。
しかし道了尊は国主の全貌を知らぬ。はたして鷹揚にするがいいか、大袈裟に大法螺を混ぜた釈明をするがいいか判断に迷うところではあった。
とにかく今はひたすら平伏し、御声のあるまで待つしかあるまい。
銭神の絶叫が次第に遠ざかり、蔵座主城の玉砂利敷きの中庭に静寂が訪れた。
血のついた太刀がこの空間になんとも禍々しい。
なにゆえと野太い声で言葉を発したのは大兵の士。この場での御山様の口は彼であるらしい。
見ずともわかる。道了尊は頬に微かに人の圧を感じている。御簾を薄く開け、姿を現した声の主は、当然ながら影そのままの雲を突く勢いの巨漢であった。
「何故貴殿は」
声も太く大きく地響きのするほどである。
「何故貴殿はあの者の首を落とさなかったのかと、我が主君は疑問をお持ちだ」
「首を落とすなど滅相もない」
返答しつつ、落として良かったのかと悔やむ。
「被害を最小限に食い止めんが為とはいえ蔵座の大事な士卒のひとりを傷つけてしまいました」
それでも手を斬り落としたのだから士としては死んだも同然である。道了尊は平に御容赦をといって大袈裟に平伏して見せた。そうした演技ならばお手の物だ。
「このような場で、あのような失態を見せる者などいらぬと三光坊様は仰っておられる」
なんと厳しいことか。それとも突発的に起こった今の事態を利用しての、兵卒たちへの示威行為であろうか。
どう返答したものか。
道了尊が何もいわないので大兵の士は斬っても良かったのだと繰り返し、続けて、
「三光坊様はもう興が覚めた故、今日はもうよいとのことである。道了尊殿、御苦労であった」
とやはり大声でいって、再び御簾の向こうへと姿を消した。道了尊は宙ぶらりんの状態で放っておかれたわけだが、さてどうしたものかと額を地面から離す。
三々五々中庭を後にする者たち。
血まみれの太刀。両断された藁束。人影はまだまだあるというのに深山の如きこの静寂はなんであるか。
道了尊は両手をだらりと投げ出してだらしなく膝立ちになると、やや黄みの強い両目をぎょろつかせてあたりの様子を藪睨みに窺った。
剣技披露であるし、西の姫が来ぬことなど最初から聞き知っていたが、もしやという思いが身から剥がれず、背にへばり付くが如き緊張感から逃れ得た今、無意味に周囲に目を泳がせる。仮に西様がこの場に居たとて何をするわけでもない。ただ瞼の裏の虚像をより鮮明にしたいと欲を掻いたに過ぎない。
まっすぐになる。
背骨を伸ばすと、喉の奥から妙な声がもれた。どうやら自分の思っていた以上に緊張していたらしい。
誰に呼び止められることもないのに、どうしてなのか後ろ髪を引かれるような思いで城門を出た。あまり大きくはない楼門である。この門ではたして攻め込んでくる外敵を防ぐことができるのか。いや、無理だろう、屁の突っ張りにもなりはしない。加えて、山城であるのに城域に至るまでの道程に畝掘りはなく曲輪もあまり設けられておらぬ。有事の際はいくらなんでも逆茂木くらいは設置するだろうが、寡兵にしてあの意識と技術の低き士卒団である、相手の規模を吟味するまでもなく苦戦は必定、籠城は必至だ。
いやいや、その籠城とて…
道了尊は考えるのをやめた。
今は背に聳える蔵座城を振り仰ぎ、
「こんな城、俺でも落とせるぜえ」
などと冗談とも本気ともつかぬことを呟いた。いや、紛れもない冗談である。それでもあの集団相手ならばこちらがひとりであろうと、丈夫な刀一振りと頑丈で軽い槍、弓矢、あとは馬でもあればそれなりに交戦できる気がする。
「もっとも落としたところでこんな城」
なんの旨味もない。
と。
戸板に乗せられて銭神が搬出されてきた。おそらくは怪我人の家まで傷口に固く布を巻いただけの状態で連れて行くのだろう。苦悶に歪んだ顔は青黒く、一見すると既に絶命しているかのようだが、時折戸板の前側を持つ男が後ろを振り向き銭神に声をかけている。同輩であろうふたりは道了尊に気付くことなく、急な山道をくだりはじめた。
道了尊は手洟をかみ、そっと後をつけた。
隙あらば。無論そう思いつつ。
非常に卑劣で矮小な保身ばかりが頭にあるから、後ろから半笑いの優男がつけていることなど道了尊はまるで気づいていない。
道了尊は使える男であると、判断された。
この国はこのままでは遠からず立ち行かなくなる。それを救うつもりであるのか、国難を加速させるつもりなのかはこの段階ではわからない。
つけているのは飯綱であり、
飯綱を使役しているのは、